閑話:バレンタインデー


 二月十四日。

 若い男たちはと期待をし、一日をドキドキしながら過ごす。

 しかし、その淡い希望が叶う者はごく一部である。


 それは、ダンジョン配信で一躍有名人となったお稲荷さまであっても例外ではない。




「バレンタイン? ああ、そういえば昨日は十四日だったね」


 いつもの喫茶店で音無さんが興味無さげに言う。

 もちろん俺だって、この人からチョコレートが貰えるだなんて期待はしていない。


「それで……あの、届いてたりしないっすかね?」

「ん? ファンレター?」

「いやまあ、それもなんすけど。ほら、チョコレートとか」

「あっ、そっかそっか。言ってなかったね。うちの事務所は色紙とファンレター以外の贈りものは受け付けてないんだよ。だからチョコレートみたいな食べ物は送られてこない、もし届いても受け取らないことになってるんだ」

「そうなんすか!?」


 知らなかった。

 っていうか、音無さんって『言ってなかったね』のパターン多くない?

 バレンタインデーに縁のなかった俺でも、今年こそはチョコレートを貰えるんじゃないかと期待していたのに……。ガッカリだよっ。


「考えてもみてよ。ファンレターだけでも紙袋いっぱいに届くのに、かさ張るプレゼントなんて受け取ってたら、うちの事務所がパンクしちゃうよ」

「…………そっすね」


 音無さんの事務所Silentは、自宅がオフィスらしいからなあ。

 会議室も無いから、打ち合わせだってこうして喫茶店を使ってるわけだし。


「大手の事務所も似たようなものだけどね。食べ物なんて何を入れられてるかわかったもんじゃないから、ECサイトからの直送以外は受け取らないとかってルールがあったり。そもそも、チョコレートが大量に贈られてきても食べきれないでしょ」

「………………っすね」


 音無さんの言うことは理解わかる。正論だし、合理的だ。

 しかし期待を打ち砕かれた俺の心が、正論を聞くことを拒否していた。


「チョコレートごときでそんなに落ち込むかね。お金はあるんだから、イヴァン・ヴァレンティンでもデメルでも好きなチョコレートを買ったらいいじゃん」

「…………そういうことじゃないんすよ」


 なんだよ。イヴァンなんとかって。

 そりゃ文脈からチョコレートのブランド的なものであろうことは予測できるけど、そんなん聞いたことないし。


 そもそも人からっていうか、異性から貰うからこそバレンタインチョコには何にも変えられない価値が生まれるというのに。音無さんコイツに人の心はないのか。


「はあ……。すみませーん」


 音無さんは呆れ顔でこれみよがしなため息をつくと、手を挙げて店員さんを呼んだ。見れば、彼女の手元にあるコーヒーカップが空になっていた。


「コーヒーのお替わりを。……それとコレも」


 俺の方には目もくれず、店員にメニューを見せながら何かを頼んでいる。

 まあいいや。さっさと打ち合わせを終わらせて帰ろう。


 そんなことを考えていた俺の前に現れたのは、


「お待たせしました。コーヒーと、ザッハトルテになります」


 全身にくまなくチョコレートをまとった円柱型のケーキだった。

 音無さんはケーキが乗ったお皿を俺の前に置くよう、手ぶりで店員さんに伝える。


「えっと……、これは?」

「バレンタインデーのチョコレートに決まってるでしょ。これ食べて機嫌直したら、打ち合わせ始めるよ」


 予想外のところから飛んできたバレンタインチョコに、俺の目は釘付けになった。

 甘いチョコレートの香りが心をくすぐってくる。


「いいんすか?」

「いいもなにも、潜木くんのために頼んだんだから、食べて貰えないと困るんだけど。私あんまりチョコ好きじゃないし」


 言われてみれば、音無さんはいつも苺のショートケーキだったな。

 そんなことよりチョコレートケーキ、いやザッハトルテだ。


 俺はフォークを手に取って、ゆっくりと黒い円柱を切り崩す。

 やわらかなチョコレートソースに包まれているのは、またしてもチョコレート味のスポンジケーキ。濃厚とふわふわ、チョコレートの二重奏が口の中いっぱいに広がっていく。


 ああ、甘い。最高だ。

 さっきは『人の心はないのか』とか思ってごめんなさい。


「ふふっ、美味おいしい?」

「はい。美味うまいっす。なんか要求したみたいになっちゃって、すいません」

「いいの、いいの。気にしなくて。とっても紳士な潜木くんのことだから、ホワイトデーには三十倍返しでお返しくれるんでしょ?」

「そりゃあモチロ……さんじゅう?」


 聞き間違いだろうか。

 ホワイトデーは三倍返し、みたいな都市伝説は聞いたことがあるけど。

 三十倍って……。待って、いくらになるの?


 慌ててメニュー表を取ってみるとザッハトルテは800円と書かれている。

 800円の三十倍というと……24,000円!?


 どんだけ高級なお菓子を買えばいいんだよ。

 伊勢丹とか行ったら売ってる?


 そんな俺の頭の中を見透かしたように、


「あ、私はお菓子とか要らないから。そうだなあ、お寿司とかどう? 麻布十番のお店で行ってみたいところがあるんだよね。もちろん予約もスーパー紳士の潜木くんが取ってくれるんでしょ?」


 楽しそうに話す音無さんは、今日一番の笑顔をしていた。

 俺は今日一番の引きつり顔で「うっす」と小さく呻いた。


 バレンタインデーって怖い。

 


🦊 🦊 🦊 🦊 🦊 🦊



 ハッピーバレンタイン!(遅


 閑話はここまで。三日後から第二章をスタートします。

 第二章プロローグの初稿を、限定近況ノート(サポ限)でUPしております。

 ※初稿のため、実際に投稿される原稿とは多少異なる場合がございます。


https://kakuyomu.jp/users/Ten_Ishiya/news/16818023213562561175


 と、『【サポパス2周年】愛され作家No.1決定戦【番外編】新星発掘デイリーマッチ!』に乗っかって宣伝をしてみました。


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