潜木翔真のこれから②


「あっははははははは! いいね、それ。行ってきなよ。くくっ、ふっふふふふ」


 いつものカフェ、目白の『fontaine de reposフォンテーヌ・ド・ルポ』に音無さんの笑い声が響き渡る。


 そんなに笑わなくてもいいだろうに。

 くだんのインターンシップの話をしたら、どうやら音無さんの笑いのツボにハマったらしい。


「お稲荷さまが『インターンシップに来ました』って現れたら、あのインテリ眼鏡がどんな顔をするか。ふふふっ、ねえ、それ動画に撮って配信してもいいかな?」

「いいわけないじゃないすか。訴えられても知らねえっすよ」

「ぶふっ。冗談だよ、冗談。あはははははっ」


 だいたい、まだ行くと決まったわけでもない。

 エントリーしても半分以上は落ちるものだ、とシンは言っていた。

 それでも本番の就職活動の採用率に比べれば高すぎるくらいだいうから恐ろしい。


「いやあ、でもそうか、そうか。インターンシップねえ。もうそんな時期なのか」


 音無さんが、なにやら懐かしそうな物言いをするのを聞いて、そういえばと俺は、彼女が自分の一学年上であることを思い出した。


 あまりにも学生らしさがない人だから、ついつい女子大生だということを忘れてしまう。


「そういう音無さんは、インターンシップってやったんすか? っていうか、来年は四年っすよね。だったら就活が始まるんじゃ――」

「ん? なにを言ってるんの、潜木くん。私はこれでもチーフマネージャーだよ?」

「ああぁぁあ、そっか。そっすよね」


 就業体験インターンシップどころか、この人はもう親がやっている事務所で社会人として働いていて、肩書はチーフマネージャーなんだった。

 当然、就活だってやる必要なんかないわけだ。


「というか、君は就活するつもりなの?」

「え? そりゃあ、就職しないと――」

「なんのために?」


 どういう意味の質問だろうか。

 大学を卒業したら就職して働く。

 お金のため、一人で生きていくために。

 誰だってそうじゃないのか。


 いや、なにかやりたいことがあって就職するっていう人もいるか。

 残念ながら俺にはそんなに具体的な将来のビジョンなんてないけど。


 なんてことを考えていたら、


「だってさ、君はダンジョンに行くだけで何百万、何千万って額の収入が入ってくるんだよ?」


 とんでもないことを言い出した。

 それ、単位は円であってる?

 ドン――ベトナムの通貨単位、2024年1月現在、1ドン=0.006円である――じゃないよね?


「なに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてるのさ。……あれ? 言ってなかったっけ。まだ確定じゃないけど、この前のライブ配信とケツアゴアトル戦の切り抜き動画、それから愛宕山ダンジョンの切り抜き動画で700万円くらいの収益。そこから事務所の取り分で三割貰うから大体500万円くらい渡せるハズだよ」

「ご、ごひゃっ」

「あ、そうそう、それから頼まれてた魔石の換金。ケツアゴアトルの魔石が120万円、そのほか諸々の魔石がまとめて80万円くらい、こっちも手数料差し引いて150万円くらいだから、併せて600から700万円の間ってところかな。うわあ、その辺を歩いてるサラリーマンの年収より稼いじゃったね」


 もう声がでない。口をパクパクするばかりで、たぶん傍から見たら金魚みたいになってると思う。


 本音を言うと、もしかしたらいい金額になるかも……と期待はしていた。


 ケツアゴアトルとの戦いのあと、いつものように魔石を換金しに行ったら『うちではお取り扱いできません』と断られたのだ。ケツアゴアトルの魔石に含まれている魔力量が多すぎて、備え付けの機械では量ることができないから、と。


 さらには『一度に換金額が百万円を超えるような量の魔石を持ち込まれても困る、そんなに現金を置いているわけがないだろう、常識で考えろバカ』という内容の苦言を、丁寧にオブラートに包んで言い渡された。


 そういうわけで、音無さんが――というか事務所が――懇意にしている業者に持ち込んでくれることになった次第である。そういうところは銀行口座への振り込みにも対応しているそうだが、プロハンターでもない個人には窓口を開いてくれないんだと。世知辛い。


 だからまあ、ある程度の収入はぶっちゃけ予想していた。

 予想はしていたけど、実際に金額を言葉として聞いてみると全く現実感がない。

 宝くじで高額当選したときって、もしかしたらこんな感じなのかも。


「やりたいことがあるっていうなら別だけど……、たかだか月20万やそこらのお給料のために、焦って就職する必要なくない?」

「そう……っすかね」


 500万円だの700万円だのと聞かされたあとの『月20万円』は、なんともしょぼく聞こえてしまう。大金のハズなのに。

 1万円は大金、4万円はすごい大金って喜んでいた純粋な俺はどこへいってしまったんだ。


 このまま音無さんの話を聞いていたら、彼女の言葉に引っ張られてしまう気がする。自分の将来の話なわけだし、こういうことこそ焦って決めてはダメなハズ。


 俺はぷるぷると震える右手を抑えながら、冷めてしまったコーヒーをすすった。


「と、とりあえず。就活のことはいいっす」

「ああ、そうだね。……そうそう、今日はこれを渡そうと思って呼んだんだった」


 音無さんは、すっかり忘れていたと百貨店の紙袋をテーブルの上に置いた。

 持ってみると、これが存外に重い。


 上から覗いてみると、中には封筒らしきものがギッシリと詰まっていた。

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