西海琴莉の帰省


 街路樹の葉が落ちて、道を歩く度に枯葉を踏む音がする。

 東京と違って、この辺りは人が少ないし、建物も低い。

 ビルだとかマンションだとかは一棟だってなくて、昔ながらの平屋が並ぶばかり。


 琴莉ことりは懐かしい故郷の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、祖父母の家を目指していた。「駅さ迎えにいぐがら」と言う祖母の申し出を断って、最寄り駅から三十分ほどの距離を歩いていく。


 五年前の災害のあと、浜通りの北部にあって災害の影響を受けなかった祖父母の家で暮らすようになった。そのあとすぐ、琴莉は東京ダンジョン高等専門学校に進学したため単身で上京した。


 在学中にプロハンターになって以降、ほとんど帰省できずにいたのだが、今回はダンジョンバースト鎮圧に参加した報酬としてまとまったお休みを貰えた。


 築何十年かもわからない木造の古民家、引き戸をスライドすると当然のように鍵が開いている。


「ただいまーー!!」


 土間から大きな声で帰宅を伝えると、ドタドタと足音が聞こえてきた。


「お姉ちゃん、おかえり!」


 中学一年生の弟が出迎えてくれる。

 歳が離れていることに加えて、琴莉が早くに家を出たこともあり、姉弟仲は良好であった。


 期待に満ちた目で琴莉の手元にある紙袋を見つめる弟に、


「はい、お土産」


 東京駅で買ったお菓子が入った紙袋を持って、「やったー!!」と叫びながら姿を消してしまった。久しぶりに帰ってきた姉なんかよりも、お土産のお菓子の方が喜ぶ年頃。


 家に上がった琴莉は祖父母に簡単に挨拶を済ませると、そのまま仏壇へと向かった。お線香に火をつけて立て、を鳴らすとチーンと高い音が部屋に響いた。


「お母さん、ただいま」


 仏壇に飾られている遺影に、小さな声であいさつをする。


 五年前、街中にあふれたモンスターは彼女の母の命を奪った。

 助けが来るのがもう何秒か遅かったら、琴莉と弟も死んでいただろう。


 彼女たちを救ってくれたプロハンターは、大怪我を負っているにも関わらず、笑顔を見せて去っていった。当時、中学三年生だった琴莉はその後ろ姿に憧れた。東京ダンジョン高等専門学校への進学を決めたのは、それからすぐのことだった。


 助けてくれたプロハンターは仲間から『くぐるぎさん』と呼ばれていた。

 珍しい名前だったからハッキリと憶えている。


 所属はきっと福島支部だろうから、学校を卒業したら一人のプロとして挨拶をしに行くのが琴莉の密かな目標だ。



 その日の夕食はことさら豪華なものだった。

 琴莉が家に帰ってくると、いつも初日だけは「お祝いだから」と宴会になるのだ。


 普段はめったに食べられない、お寿司やらお肉やらが並んだ食卓にテンションの上がった弟が「こんなご馳走が食べられるんだから、月に一回くらい帰ってきたらいいのに」と軽口を叩いて祖母にたしなめられていた。


「琴莉は東京で就職すんのが?」


 黙々と食事をしていた父が、不意にそんなことを言いだした。


「うん、そのつもり」

「プロのハンターは、こっちでもやれっぺ」

「そりゃあ、まあ。やれるけど」

「だったら、戻ってごい」


 柄にもなく強気な口調の父に驚き、思わず顔を見つめてしまう。

 一体、どうしたというのだろう。

 これまで琴莉の進路に口出しなんてしてこなかったのに、珍しいこともあるものだ。


 もちろん琴莉も、その選択肢はすでに考えた。

 東京だろうと福島だろうと、人を助けるためにプロのハンターになるという目的を果たすのに差はない。


 しかし、プロとしての成長を考えれば連盟本部がある東京の方に分があることは疑いようもない。若いうちに東京で腕を磨いて、十分な実力をつけてから故郷に戻ったって遅くはない。


 そう伝えると、父は小さな声で「……そうが」とつぶやいた。



 食事の後、縁側に座っていたら珍しく弟が隣に座ってきた。

 今度は何をねだりにきたのか、と琴莉が警戒していると、


「父ちゃん、あれで結構さみしがってんだよ」


 真っすぐに夜空を見上げたまま、弟が諭すように言った。

 琴莉は、急に大人びたことを言い出した弟の横顔を見つめる。


「姉ちゃんが東京行ってから、口を開けば『琴莉は元気にやってんのがなあ』とか『そろそろ琴莉の様子を見にいぐべ』とか言ってんだから」

「え……、そうなの?」


 弟はやっとこっちを見て、小さく口元で微笑んだ。


「だからまあ、晩飯んときのアレも半分は甘えてるだけだから」

「ふーん、そっか。……え、もう半分は?」

「本気に決まってんじゃん」

「…………本気かあ」

「だって『しばらく東京で働いたら戻ってくるつもり』って姉ちゃんが言ったとき、父ちゃんちょっと嬉しそうな顔してたし」

「………………そっか」


 全然まったくコレっぽっちも気がつかなかった。

 あんまり口を開かない上に、表情の変化にも乏しい父から、よくそんな微妙な感情を読み取れるものだ。琴莉は素直に感心した。


「ちなみに『しばらく』ってどれくらい? 三年とか?」

「え? 十年くらいは向こうで頑張ろうかなって考えてるんだけど」


 プロとして一人前になるまで成長するためには、それくらいの年月は必要だろう。

 新しく発生したダンジョンの調査や、都市部のダンジョンの消滅任務を任されるくらいにはならないと、こっちに戻ってきたところで役になんか立てない。

 欲を言えばソロでケツアゴアトルを倒せるくらいになりたいし、ダンジョンバーストを圧倒的な火力で制圧できるようにもなりたい。

 今の琴莉にとっての目標は、吉音イナリのようなハンターだ。


 当然のように答える琴莉に、弟は小さくため息をついた。


「はぁ。…………それは父ちゃんには黙っててね」

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