電話、鳴ってるっすよ


 足が痛い。膝も痛い。もう何も考えたくない。

 どうせすぐにモンスターに殺されるんだから。


 なんて陰鬱なことを思っていたら、「大丈夫か!?」って男の人の声が聞こえた。

 声のする方に目を向けると、そこにいたのはキツネのお面をした怪しい人だった。


「ちょっと、我慢しろよ」


 彼はそう言って私を背に乗せた。

 広くて、温かくて、ちょっとゴツゴツした大きな背中。


 小さい頃、お父さんにおんぶしてもらったことを思い出す。

 ゆっくりと上下するお父さんの背中は、まるで揺りカゴみたいで、いつもウトウトと眠たくなったものだ。


 でも……この背中は右に揺れたり、左に揺れたりとまるでジェットコースターみたいだ。身体に力が入らないせいで、何度も落ちそうになった。


「よっ、と」


 時折り、彼が私を背負い直してくれている。

 バランスが崩れていることに気づいて、背中にいる私を両手で支えようと頑張ってくれている。


 少し前にクラスメイトに見せてもらった動画。

 お兄ちゃんによく似た声の覆面ダンジョンライバー。

 名前は……なんだっけ。

 たしか、お稲荷さまって呼ばれてるんだった。


 それはきっと、いま私を背負ってくれている人。

 そして私は、この人の正体をお兄ちゃんだと思っている。


 しばらくしたら、「もう大丈夫だぞ」と背中から下ろされそうになった。

 私は反射的に彼の服を掴んでいた。


 離れたくない。

 もうどこにも行かないで欲しい。


 だから私は言ったんだ。


「お兄ちゃんでしょ?」って。


 でも、彼は「人違いっすよ」と認めてくれない。


 もどかしさに引っ張られるように、だんだんと意識もハッキリしてきた。

 あの仮面を取ることができれば、素顔を確認することができるのに。


 そのとき、スマホが鳴った。


「電話、鳴ってるっすよ」


 モヤモヤとした気持ちを抱えたままスマホを取り出すと、着信画面には『潜木 翔真お兄ちゃん』の名前が表示されていた。


 どうして?

 慌てて彼の方を見る。

 しかし、スマホを操作している様子はない。


 恐る恐るスマホを通話に切り替えると、聞きなれた声が飛び込んできた。


『……咲夜さくや、無事か!?』

「お、お兄ちゃん!? ……え? ……なんで?」

『……そっちはどうなってるんだ?』


 いつものお兄ちゃんの声だ。電波が悪いのか、少し音声が遅れて聞こえる。

 私は目の前にいるキツネのお面の男性を見上げながら、スマホの先にいるお兄ちゃんに返事をした。


「いま、助けて貰ったところ。もう心配ないよ」

『……そうか、良かった』

「うん」


 そうだ。私は助かったんだ。

 言葉にしたら実感が湧いてきた。

 ホッとしたら、急に涙がこぼれてきた。


『……すぐに迎えに行く』

「え? いいよ。自分で帰れるって」

『……ダメだ。……すぐに迎えに行く』


 お兄ちゃんは、ちょっと過保護なところがある。

 私はもう高校生だというのに、少し恥ずかしい。

 でも、やっぱり嬉しい。 


「う、うん。わかった」

『……それじゃ』

「うん」


 通話を切って顔を上げると、キツネのお面をした男の人の姿が見えない。


「あっ……、っったああああぁぁぁぁ」


 姿を探して思わず立ち上がったら、右足首に斬り飛ばされたかのような激痛が走った。自分がケガをしていたことをすっかり忘れていた。


 私の悲鳴を聞きつけて、救護のスタッフさんが駆けつけてくれた。


 慌ただしく担架に寝かされ、救護スペースへと運び込まれながら、私の意識は再び底へと沈んでいった。



 🦊 🦊 🦊 🦊 🦊



 こちらはダンジョン技術研究所――にある女子トイレ。

 音無おとなし帆乃夏ほのかは、二つのスマホを持っている。


 片方は潜木くぐるぎ翔真しょうまのスマホ。

 彼の妹とさっきまで通話をしていたスマホはもちろんこれだ。


 そしてもう片方は帆乃夏のスマホ。

 こちらには予め様々なパターンで録音しておいた、翔真のボイスメモが入っている。


『咲夜、無事か!?』

『そっちはどうなってるんだ?』

『そうか、良かった』

『すぐに迎えに行く』

『ダメだ』

『それじゃ』


 他にも『今日は遅くなる』とか、『いまどこにいるんだ?』とか、『もうすぐ帰る』とか色んなパターンのシスコンボイスメモを準備してあった。


 理由はモチロン、アリバイ工作のためだ。

 潜木翔真とお稲荷さまの関係に気づくとしたら、やはり彼の身近にいる人だろう。

 それならば、お稲荷さまが登場しているライブ配信中に、彼が電話を掛けてきたらどうだろう。多少なりとも、疑惑を晴らすことができるのではないか――ということらしい。機械音痴の彼らしくもないアイデアだ。


 数日前。いつものようにカフェで打ち合わせをしていたら、このアリバイ工作を提案されたのだ。ボイスメモは録音済みのものを渡された。用意周到なことだ。


 それにしても、随分と早いタイミングで出番が回ってきたものだ。

 実際にやってみると、適切なボイスメモを探すのに手間取ってしまって妙な間が生まれてしまったが、バレなかったようで何より。


 帆乃夏はスマホをバッグにしまうと、再び両耳にイヤホンを差し込んだ。


 右のイヤホンからは翔真につけた集音マイクの音が。

 左のイヤホンからは現場に飛ばしている静音ドローンについている集音マイクの音が聞こえてくる。


 もちろん眼鏡はスマートグラスだ。

 周りからはタダの眼鏡にしか見えない特別製で、帆乃夏には静音ドローンから送られてきている映像が表示されている。


「潜木くんはもう現場に戻ったのか。相変わらず拾わなくてもいい火中の栗を、わざわざ拾いにいくのはどうしてだろうね」


 帆乃夏はポケットに潜ませた片手操作用のリモコンを、指で器用に操作しながらユックリとトイレを後にした。

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