お兄ちゃんでしょ?


(うんうん、順調、順調)


 音無おとなし帆乃夏ほのかは、両耳につけたイヤホンを通して現地<愛宕山ダンジョン周辺>の音を聞いている。

 耳は髪で隠れているから、部屋の入口に立っているスタッフからは見えていない。


 部屋の角には監視カメラらしきモニターが一基。

 大して広くもないこの部屋は丸ごと映っていることだろう。


 こういうときのために、いつも持ち歩いているメガネを掛けると、文庫本を片手で開いて読むふりをする。


 先ほどまでバタバタと廊下を走っていたスタッフもいなくなり、辺りはすっかり静かになった。


 手元にはスマホが二台。

 片方はもちろん帆乃夏のもので、もう片方は翔真から預かったものだ。


 もしものときの保険として。



 🦊 🦊 🦊 🦊 🦊



 おんぶってこんなに大変だったっけ?


 背負われる側がしっかり前方に体重を掛けてくれているうちは楽なんだけど、重心が横にズレたり、ましてや後方にズレたりなんかしたら、バランスを取るのが大変だ。


「くっ、しつっこい!」


 しかも今は、足元が平坦な地面じゃない。

 木の枝を踏み台にしたり、空中を蹴って移動したり、ついでにモンスターが投げてくる大きめの石やら武器やらを避けながら戦場を移動している。


 大きく動くと、どうしても背中の咲夜が右に左に後ろにとグラついてしまう。


「よっ、と」


 俺は咲夜の身体を、片手で下から支え上げ、もう片手で背中を抑えてバランスを取り直す。


 咲夜がいたのは、愛宕山ダンジョンから山頂方面に数百メートル移動した山間だ。

 そこから麓を目指して下るということは、一度ダンジョンに近づくということであり、その道を阻む敵の数も尋常ではない。


 一直線に山を下れれば……と考えるはやすし、実際のところは右に行ったり、左に行ったり、ときには後ろに戻ったりしながら、三歩進んでは二歩下がってを繰り返していた。


 ダンジョンによって出現するモンスターは違うらしいし、バーストしているということは中層や下層のモンスターも入り乱れている。


 辺り一面モンスターだらけだが、どれも雲取山くもとりやまダンジョン上層では見かけないモンスターばかりだ。


 それはつまり、どんな攻撃が飛んでくるか予想もできない、ということで。


「「「ガアアァァァァッ!!」」」


 地上にいる赤黒い毛色の狼が、燃え盛る火炎の球を吐き出した。それも何匹も同時に。


「ああああぁぁぁっ、クソッ!」


 飛翔の腕輪のアイテムスキルで空中を蹴ってかわす。だが、次の足場に使えそうな木がない。

 このまま地面に降りてしまっては逃げ場がなくなってしまう。


 俺が落ちてくるのを待ち構えているモンスターの群れ。俺はもう一つの腕輪に意識を籠める。


「まだまだああぁぁぁっ!!」


 逸刻環いっこくかんのアイテムスキルを発動し、そのまま地面へと着地。

 緩やかに進む時間の中で、集まっているモンスターを蹴り飛ばし、更にもう一度跳躍する。


 大木の上へと跳び乗ると、モンスター達はその瞬間は俺のこと見失う、と踏んでいたのだが、横にゴブリンタイプのモンスターがいることに気づいて更に次の木へと足場を移す。


 そんなことを繰り返しているうちに逸刻環のアイテムスキルの効果が切れた。


「流石にヤバいな」


 木の幹にもたれる姿勢でバランスを取り、咲夜を支えていた手を離してたっぷり収納DXナップサックから蛇腹石を取り出す。


 石を弾いてモンスターの群れを撃ち抜き、突破口を探すが次から次へと湧いてくるモンスターに切れ目は見つからない。


 数分も持たず、蛇腹石が尽きた。

 まだ投げられる武器はあるが、弾く蛇腹石と違い投げる動作が必要なゴールドダガーでは手数が足りない。逸刻環のクールタイムはまだ先だ。


「マジか……」


 打つ手が無い。

 敵の数が多すぎる。

 目の前にいるモンスターの群れを多少削ったところで、逃げ切る前に再び囲まれてしまうだろう。


 こちらの攻め手が無くなったことを察したのか、モンスターの群れもゆっくりと間合いを詰めてくる。


 俺は覚悟を決めて、咲夜を背から下ろした。


 こうなったら根競べだ。

 この場所を動かず、襲い掛かってくるモンスターを撃退し続ける。

 ヤツラだって無限に湧き出てくるわけじゃない。

 ダンジョンバーストは魔素が流出しきってしまえば収束するのだから。


 バックパックから取り出したのは金糸刀。

 カタナリア――雲取山上層に出現する鳥タイプのレアモンスター――からドロップした武器で、近接戦闘はもっぱらこれに頼っている。


 唸り声を上げ、狼タイプのモンスターが一斉に飛び掛かってきた。

 一匹、二匹と斬り伏せるが、手数が足りない。


 斃すことのできなかったモンスターが牙を剥き出しにして俺の眼前まで迫り――胴から真っ二つにされて地面へと落ちていった。


「大丈夫ですか!? ……って、キツネさん? どうしてあなたがここに?」


 つい最近、ダンジョンで知り合ったばかりの女性が、驚愕した表情でこちらを見ていた。名前は……そう、コトリさんだ。


「コトリさん?」

「そうです! 琴莉ことりです!! 後ろにいるのは、ケガ人ですね。わかりました。ここは私に任せて、キツネさんはその子を連れて行ってくださいっ!」


 瞬時の観察力と決断力。


 言うや否や、コトリさんは目にも止まらないスピードで周囲を囲んでいたモンスターを斬り伏せていく。俺が逃げるための路を開いてくれているのだ。


 知り合ったときの彼女は足をケガしていた。そのケガさえなければ、これだけの実力を持っていたのかと、今度は俺に驚く番が回ってきた。


 レアアイテム頼りの俺とは違う、プロハンターの実力を見せつけられた。

 しかしそれでも、大量のモンスターが相手ではどこまで持つものか。


「ありがとうございます! コイツを安全なところまで届けたら、必ず戻ってきますからっ」


 俺はコトリさんに頭を下げ、モンスターの群れを飛び越えていく。

 どうやらさっきまでいた場所が最もモンスターが密集しているポイントだったらしく、そこから先はどんどん楽に進めるようになった。


 麓へとたどり着いた俺は、咲夜を救護車へと運び込んだ。

 救護スタッフはタイミング悪く他のケガ人を診ているようで、車の中は無人だった。


「もう大丈夫だぞ」


 ゆっくりと、咲夜を背中から下ろそうとする。

 しかし、その手が俺の服を強く握って離さない。


 どうしたものかと困惑する俺の背に、小さな声が届いた。


「お兄ちゃんでしょ?」

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