聞き覚えがある声


 クラスメイトが見せてきた動画は、キツネのお面を被った男の人がダンジョンでモンスターと戦っているものだった。

 どうやら見どころだけピックアップして編集してあるらしく、アニメや映画のプロモーションビデオのように見えた。


 しかし……、どこにも『お稲荷様(神様)』は見当たらない。

 動画に映っているのは、ずっとキツネのお面を被った人間だけである。


「……お稲荷様の声が聴ける動画じゃないの?」

「うん。だから『お稲荷さま』の動画だよ」

「……………………」

「……………………」


 私たちは二人で首を傾げあう。

 その間にも動画はサクサクと進み、キツネのお面を被った男の人がモンスターを追い詰めていた。


『さあ、そろそろ決着つけようか』


 悲鳴のような鳴き声を上げている大きな鳥の前で、グロテスクな形状をした小型の刃物を取り出した男が、恥ずかしげもなくキザなセリフを口にしている。


「ほらほらっ! 格好良くない? お稲荷さま! 『そろそろ決着つけようか』だってぇ!!」

「あ、この人がお稲荷様……なるほど」


 どうやらクラスメイトが『お稲荷様』と呼んでいるのは、この動画に映っているキツネのお面を被った男の人のことらしい。

 彼のあだ名か何かなのだろう。

 それならそうとハッキリ言って欲しかった。


 というか、お稲荷様っていうのは祀られている神様の方で、キツネはその神使しんしなんだけど……、そんなことよりも、私にはどうも気になっていることがひとつあった。


 このキツネのお面を被った男の人の声に、聞き覚えがあるのだ。


 クラスメイトがイケボと言っている――ちなみに私は全然そうは思わない――声。

 やや低音でありながら、軽快さも兼ねたこの声に聞き覚えがある。


 とても身近なところで、頻繁に聞いている声とよく似ていた。


 もちろん動画の音声だし、顔が見えないから、確信を持って『絶対にそうだ』と言い切れるわけではないのだけど。


 いやでも。

 動画の男の人は、人間離れしたスピードで動き回っている。

 自分の倍ほどもある巨大なモンスターに果敢に立ち向かっているし、ケガをしている女の子を庇っているようだ。


 翔真お兄ちゃんとはイメージが違いすぎる。

 うん。別人だ。声が似ている人なんて、世の中に数人はいると聞いたことがある。


 別人であって欲しい。

 そう願いながら私は、クラスメイトに尋ねた。


「この人の……、お稲荷様の名前はなんていうの?」


 クラスメイトは「えっとね」と言ったまま固まってしまった。

 どうやら忘れてしまったようだ。


 人差し指と親指で額の辺りをモミモミ、なんとか思い出そうとしている彼女を私は心の中で応援する。


「あ、思い出した! たしかね、『吉音きつねイナリ』だよ」

「キツネイナリ?」


 そんな名前の人が本当にいるの?

 だからお稲荷様って呼ばれてるってこと?

 苗字はまだいいとして、この苗字にイナリって名前つける?


 混乱している私を見て、クラスメイトはぶふっと吹き出し、


「一応言っておくけど、ハンターネームだからね。芸名みたいなものだから」

「あ、ああああぁ。芸名か、そっか、そうだよね」


 安心したような、拍子抜けしたような。

 とりあえず『キツネ』という苗字に『イナリ』という名を授けられた、可哀相な男は存在しなかったのだ。良かった。良かった。



 いや、良くないのよ。

 結局、本名が聞けていないじゃないか。


 キツネのお面を被った男の人がお兄ちゃんでないことを、ハッキリさせておきたかったのに。


「ちなみに……顔はどんな?」

「えー、どうしたの? 咲夜ったら興味深々じゃん。でも残念。お稲荷さまは正体不明の覆面ダンジョンライバーで、顔出しはしない方針なんだって。でも、気になるよねえ」

「……そだね」


 なんだかウキウキした様子のクラスメイトに、私は考え事をしながら上の空で返事をする。


 もし、万が一。

 この動画に映っている男の人がお兄ちゃんだったとしたら。


 そう考えるだけで陰鬱な気持ちになってくる。


 お父さんは死んじゃって、お母さんは意識不明で眠ったまま。

 叔父さんと叔母さんの家を出て、お兄ちゃんとはじめた二人暮らしにもやっと慣れてきたところだ。


 もう失いたくない。


 もしもお兄ちゃんがダンジョンで命を落とした、なんてことになったら……。

 

 きっと私は正気では居られない。




 あのあと、どういう会話をしてクラスメイトと別れ、どんな道順で自宅まで帰ってきたのか。

 全く覚えていないけれど、私は今、クローゼットの奥にしまわれていた段ボールを引っ張り出して、中身を漁っていた。


「ない。ない。これでもない」


 ここにある段ボールの中身はどれもお父さんの遺品だ。この部屋に引っ越してきてから一度も開けていない段ボールを開き、二人暮らしのさして広くもない部屋に、ところ狭しと中身を並べていった。


「うーん。確かにしまっておいた覚えがあるんだけど」


 先ほどから「あれでもない、これでもない」と焦ったときのネコ型ロボットのようなセリフをこぼしながら探しているのは、お父さんが使っていた『ダンジョンスーツ』だ。


 プロハンターだったお父さんは、仕事に行くときいつもダンジョンスーツを着ていた。その姿は、まだ小学生だった私の記憶に鮮明に残っている。

 お父さんが死んだあと、遺品はとにかく段ボールに詰め込んだ。

 だから、ダンジョンスーツもここに入っていなくてはおかしい。


 お兄ちゃんがもしダンジョンに潜っているなら、きっとお父さんの遺品から使えるものを持っていくハズだ。ここにダンジョンスーツが無いということは……つまり。


 カチャッとドアノブが動く音がした。

 扉の向こうから姿を見せたのは、もちろん――。


「うっわ、咲夜、お前なにやってんだ? ああ、ああ、こんなに散らかしちゃって」

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