配信者デビューしない?


「そうだよね。そこで潜木くんにご提案があります」


 思えば最初からここまで、ずっと主導権は彼女の手の内にあった。

 メッセージに返信するまでに五日も間があいたのは、きっと今日のための準備に時間をかけたからだろう。


 悔しいけれど、彼女のほうが二枚も三枚も上手らしい。

 こんなことになるんだったら『じゃ、ブレンドコーヒー。お金は自分で払うんで大丈夫っす』なんて意地を張らずに、ティラミスのケーキセットをオゴって貰っておけば良かった。


 この後に控えている彼女の『ご提案』とやらも、きっと俺が「はい」と言わざるを得ない内容になっているに違いない。


 果たして、彼女の口からどんな提案が飛び出してくるのか。

 まな板の上に乗せられた鯉になった気分でツバを飲む。


「潜木くんさ、配信者デビューしない?」

「はあ!!??」


 今日イチの大声を出してしまった。


 急になんてことを言い出すんだ、この人は。

 動画を消して貰えるようお願いをしに来たはずなのに、まさか動画を出すように勧められるとは思わなかった。


 サッパリ意味が理解わからない。

 

 目を白黒させる俺とは対象的に、音無さんは悠然と真っ赤な苺を口に運んでいた。


「ちょっと……何を言ってるのか」


 理解わからない、と俺が口にする前に、

「潜木くんさ、配信者デビューしない?」と彼女はさっきと同じセリフを繰り返した。


「別に、聞こえなかったわけじゃないんすよ」

「配信者っていうのは、インターネット上で動画を――」

「単語の意味を知らないわけでもないっす」


 食い気味に訂正を入れつつ、俺は心の中でため息を吐いた。

 これも何かの作戦なのだろうか。

 

 俺の警戒心が上がったことに感づいたのか、音無おとなしさんは両の掌を合わせてわかりやすい謝罪のポーズを取った。


「ごめん、ごめん。冗談だよ。……怒った?」

「……別に」


 からかわれているようで不快ではあったが、怒るほどのことでもない。

 もしかして、俺のトーク技術をはかろうとしたのかもしれない。


 それなら、このトーク技術の無さを逆手に取ってやろう。


「気の利いたツッコミとかできるタイプじゃねえんすよ。でも理解わかったっしょ? やっぱり配信者とか無理っす、俺」

「あー、いやいや。そっちとは別に関係ないんだ」

「関係ねえのかよっ! じゃあ、なんなんすか、今のやりとりは」


 思わずツッコミを入れてしまった。

 音無さんも「ふっ、くっくくく」と押し殺した笑い声を漏らしている。


 我慢しながら笑っている音無さんからは、先ほどまでの『美人で仕事のできる女上司』のオーラは感じられず、俺とさほど年の変わらない等身大の女子大生に見えた。


 ひとしきり笑って落ち着いたらしい音無さんは、革製の小さな財布のようなものから、やはり小さな長方形の紙を取り出してこちらに差し出した。


「実は私、こういう者でして」


 それは名刺だった。

 ということは、さっきの小さな財布は名刺入れということになる。


 白地に文字とロゴが印刷されたシンプルな名刺には『ダンジョンライバー事務所 株式会社Silentサイレント チーフマネージャー 音無おとなし帆乃夏ほのか』と書いてあった。


「ダンジョンライバー事務所?」

「そ。狼の息で吹き飛んじゃうような弱小事務所だけどね」


 事務所を『三匹の子豚』のワラの家になぞらえて肩をすくめる音無さんに、俺はひっかかりを覚えた。


「いやいやいや、ちょっと待ってちょっと待って、お姉さん。チーフマネージャーって、まさか社会人なんすか? 女子大生ダンジョンライバーってのは、もしかして経歴詐称――」

「人聞きの悪いこと言わないでくれる? この名刺も、現役大学生も、どっちも本当。大学は会社勤めしながらでも通えるんだぞ。それに私の場合は、親がやってる事務所だから手伝いみたいなもんだし」


 手伝いでチーフマネージャー、というのもよく理解らないけど、親の事務所ということであれば……まあ、そういうこともあるのかもしれない。


 理解して、飲み込んで、もう一度名刺を見直して。俺は彼女の話を信じることにした。

 

 Silentサイレント=沈黙=音無し。

 彼女の事務所は、ファミリーネームを会社名にしているらしい。


「なるほど。それは理解わかったっす。でも俺は、配信とか興味ないんすよ」


 彼女の言葉を踏まえた上で、俺は改めて提案を断った。

 正体がバレたら困るって言ってるのに、配信者デビューなんて正気の沙汰とは思えない。

 第一、機材だとかを扱うのが苦手な俺に、配信なんかできるはずがない。


 しかし彼女は、そんな俺の返答なんかみじんも聞くつもりはないらしい。


「今、キツネのお面のハンターが配信をはじめたら、間違いなくたくさんの人が見てくれる。それに君の実力なら下層、いや深層のモンスターにだって十分に通用するはず。きっと、いや絶対に人気の配信者になれるよ」

「俺は別に人気者になんかなりたくねえし、むしろ目立ちたくないっつうか。そもそもっすけど、これ以上、正体がバレるリスクを高くしてどうすんすか」


 俺の質問に、音無さんは待っていましたとばかりに口角を上げた。


「そこが不思議なものでね。大衆の多くは『正体不明のハンター』だとか『体制側が隠そうとしているナニカ』の正体は気にするくせに、『顔出しNGの覆面ハンター』となると正体を詮索することに抵抗を感じるものなんだ」

「……それ、マジすか?」

「本当さ。もちろん全員ってことはないけどね。顔出ししないアーティストだって何人もいるけど、そういうものだって受け入れられてるでしょ?」


 いぶかしむ俺の目を真っすぐ見て、音無さんは自信満々にそう答えた。


 うーん、言われてみれば……、そんなものかもしれない。

 最近はテレビに出演しているアーティストでも、暗い影の中に座って顔が見えないようにしていたり、仮面舞踏会で被るような仰々しい仮面で顔を隠している人が増えたような気がするし、自分もそれを自然と受け入れていた。


 思わず黙り込んでいると、音無さんは「それにね」と俺の急所を狙った一撃を放ってきた。


「人気配信者って、めちゃくちゃ儲かるんだよ」

「別に…………え?」

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