あれから五年


「ねえ、お父さんは? お父さんはどうして私たちを助けに来てくれないの?」


 私とお母さんが、こんなに大変な目に遭っているのに。

 どうしてプロハンターのお父さんが駆けつけてくれないのか。


 恐怖で勝手にこぼれてくる涙をぬぐい、お母さんに訴える。


 だけど、お母さんは少しだけ口元に笑みを作って、

「今、お父さんはこの街を守るために戦っているわ」と言った。


 私には理解できなかった。


 お父さんの仕事は街を守ること、それはわかっている。

 だけど家族の身に危険が及んでいるのだから、仕事よりも私たちの命を優先して欲しいと思うのは間違っているだろうか。


「お父さん! 助けて、お父さん!! 助けてよ!!」


 私の叫び声は、人々の喧騒にかき消された。

 もちろん、お父さんが助けに来てくれることもなかった。


 私たちは走った。

 どこか空いているシェルターを探して、ただただ走り続けた。


 もういくつシェルターのドアを叩いただろうか。

 肺は痛いし、足も限界だ。


「すみません、まだ入れますか?」

「悪いけどもう……、あれっ、潜木さん!? ちょっと待ってて!!」


 十といくつ目かのシェルターで私たちを出迎えてくれたのは、運の良いことに仲の良い友達のおばさんだった。恐らくもう収容人数に達しているであろうシェルターに、なんとか私たち母娘を入れられないか相談してくれているようだ。


 きっと何とかなる。

 私はしばらくぶりにお母さんと顔を見合わせて笑い合った。


 だけど、返ってきた現実は残酷なものだった。


「ごめんなさい。一人だけなら、なんとか――」

「だったら、この子を。咲夜を入れてください!!」


 お母さんの決断は早かった。

 こうなったときの答えをあらかじめ用意していたかのようだった。


「えっ!? やだよ! お母さん!! 一緒に――」

「いいから入って!!」


 お母さんは私を無理やりシェルターに押し込むと、「この子をお願いします」と頭を下げて行ってしまった。


 私はシェルターの中で、「きっと大丈夫だから」「お母さんもどこかのシェルターに入れるよ」「騒ぎが収まったら一緒に探そう」となだめられたけど、ただ泣き続けることしかできなかった。




 数日後に再会したお母さんは、もう私が知っているお母さんではなかった。

 お母さんの優しい声を聞くことはできないし、こぼれるような笑顔を見せてくれることもない。 


 それからしばらくして、お父さんが死んだという連絡がハンター連盟から届いた。


 ほんの数日の間に、私の家族はお兄ちゃんだけになってしまった。

 たった一度のダンジョンバーストが、私から多くのものを奪っていった。



 🦊 🦊 🦊 🦊 🦊



「お母さん。遅くなってごめんね」


 私はベッドで眠っているお母さんに声を掛ける。

 返事の代わりに、ピッピッピッと規則正しい音だけが部屋の中に響いていた。


 消毒液、薬、発臭性廃棄物、様々なものが入り混じった独特のニオイがただよう真っ白な病室。


 ベッドサイドモニタに映る波形と、小さく上下する掛布団が、お母さんが生きていることの証明。


「今日は掃除当番だったんだ。冬休みに入ったら、もっと長く一緒にいられるから」


 あの日から五年。

 小学生だった私も、あっという間に高校生。


 だけどこの五年間、一度だって思い出さない日はない。



 あの日、私がシェルターに入って一時間くらい経った頃。

 ダンジョンバーストによってあふれ出したモンスターの群れは、会津若松市の中心部まで到達したそうだ。


 他の都道府県からもプロハンターが集まってくれたらしいけど、ダンジョンバーストが収まった頃には夜が明けていた。


 警報が解除されシェルターを飛び出した私は、目の前に広がる街の姿を現実だと信じることができなかった。


 一部のビルが崩れていたり、まだ燃えている家があったり。

 それはまるで、大きな地震でも起きた後のような光景だった。


 私たち以外にも、家族が離れ離れになってしまった人たちが沢山いた。

 お兄ちゃんは中学校のシェルターに避難していて無事だった。

 不幸中の幸いで家に被害は出ていなかったから、私はお兄ちゃんと二人で両親が帰ってくるのを待つことにした。


 きっと二人とも笑顔で帰ってくる。そう信じて。


「もしもし、潜木くぐるぎさんのお宅ですか? こちら竹山綜合病院、――――」


 同じ市内だけど別の町にある大きな病院から電話があって、お兄ちゃんと二人で駆けつけた。

 お母さんは病室のベッドで静かに眠っていた。

 だけど、どんなに声を掛けてもお母さんが目を覚ますことはなかった。


「頭を強く打たれたようです」


 お医者さんの話は、東京から駆けつけてくれた叔母さんが聞いてくれた。

 どうやらお母さんはあの後、シェルターを諦めて大きなビルに避難したらしい。


 シェルターのように頑丈な設計にはなっていないが、バリケードを組んで小型から中型のモンスターの侵入を阻めば、外にいるよりは格段に生存率が上がる。

 お母さん達以外にも、同じような避難方法を取って命を繋いだ人が大勢いたとニュースで見た。


 だけど運の悪いことに、大型モンスターの攻撃がお母さんのいたビルを直撃してしまった。建物の一部が倒壊してたくさんのケガ人が出たそうだ。


 崩落によって頭部に強い衝撃を受けたことが原因で、お母さんは意識を失った。

 なんとか救出され、病院に搬送されたときにはもう手の施し様がなかったのだ、とお医者さんは説明してくれた。


 叔母さんは「運が悪かったのよ」って言った。


 いや、違う。お母さんの運のせいじゃない。

 この結果は私が招いたものだ。


 私じゃなくて、お母さんがシェルターに入っていれば間違いなく助かっていた。

 せめて私がシェルターに入らず、お母さんと一緒に別のシェルターを探していれば、ビルに逃げ込むなんて選択肢を選ばなかったかもしれない。


 悔やんでも悔やみきれず、何度もお母さんと街を逃げる夢を見た。


 さらに追い打ちをかけるように伝えられたお父さんの死。

 こちらはモンスターを食い止めるために奮戦した上での名誉の戦死だそうだ。


 名誉だかなんだか知らないけれど、お父さんが家族のためではなく、街だとか住民だとかいう抽象的なナニカのために命を落としたことに、私は悲しみではなく怒りの感情を抱いた。


 その後、東京の叔母さんに引き取られる形で私たち兄妹は東京に移り、お母さんも東京の病院に転院した。

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