百合篭【クレイ】




「珍しいね。狂者きみが僕に話があるんて」

「前々から用はあったんですよ? それなのに、ずっと国を空けやがるもんですから」

「楽にしていいよ。君も気色が悪いだろう?」

「ありがとさん。まあ、話としては単純なもんだ。全部が終わって、そうだな。誕生日にでもこれを妹君に送ってくれ」

「これは手紙かい? 君にしては、随分と後ろ向きな事情が垣間見えるね? 自分で渡さなくてもいいのかい?」

「いいんだよ。フー――――俺は多分、ゴエティアに殺られる。そうなったら、奴を討つのは姫様だろうな。アイツは強い。俺よりずっと強くなる。どうせなら、そんな奴に託したくなるのは当然だろ?」

「ほほーぅ」

「なんだよ、その気色悪いにやけ面は」

「別に。かの狂者バーサーカーを骨抜きにするなんて。我が妹ながら、なんとも艶やかに育ったものだな」

「言っとくが、あんなのの御守りはもうゴメンだぜ。めんどクセェ」

「フッ。わざわざわたしに任せるあたり、まだ君の方が意地汚さでは勝っているさ」

「············」

「はいはい。冗談はこれまでにして。真意はなんであれ、あいわかったよ。君の想い、この聖王が······いや、兄として責任をもって妹に届けよう。君は心置き無く、因縁の対決に赴くといい。――――だが、精々無様に死に晒してくれるなよ? 君の死に顔は、どうせたまったものではないだろうからね」

「······恩に着るぜ。王子さん」



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 戦いが終わった後、私は一週間も寝込んでいたらしい。起きたら起きたらで身体中が筋肉痛になっていて、ベッドの横にいたカインとスヴァルが涙ながらに抱きついてきて身体が悲鳴をあげてと、困惑の連続だった。二人に色々と詰められたけれど、タカネ先生が止めに入ってくれたお陰でなんとか免れた。けれども検査を行ったら、今度はタカネ先生に困った顔を向けられた。

 なんでも、私とゴエティアが戦ったところ――――というかアルフヘイム区の一画から高濃度の魔力の残滓が検出され、それらが全て私由来のものだったらしい。まるでドラゴンでもいたんじゃないかってくらいの空気で、それを放出した主である私の状態があまりに平然としていたのが呆れる程驚かされていたみたい。

 何があったのか訊ねられても、あのときのことは私にもよくわからなかった。あまりはっきりと覚えていないんだ。とにかくゴエティアを倒したい一心で、今までにないくらいの怒りに支配されていた気がする。

 思い出そうとすると、身体が拒否しているのか頭痛に襲われる。無理することはないタカネ先生に言われて、その辺の問題は見送ることにした。

 ようやく落ち着いたときに、最初に私を見つけたというアリスから諸々の事後報告を問い詰めた。渋っていたけれど、私はどうしても知らなくちゃいけないと思った。王衛星将軍ギャルド・アステリズムは、ダミアノスがどうなったのかを。

 曰く、アリスが駆けつけたときにはゴエティアはどこにもいなかったらしい。この事から、私は奴を仕留められなかったんだと、悔しさが沸いてきた。さらにサヴァルノーイさん、ピーロックさん、ジリエさん、ダミアノスが死亡したと聞いて······やっぱりそうだったんだと思った。

 知らないままでいるよりはずっとよかったと思う。死だけは幻想に出来ないから――――翅が重い······。

 退院したときに、騒がれると面倒だろうからとアリスから頭巾を渡された。加えて、アリスもいつものメイド服ではなく町娘が着るような長袖のブラウスに赤いエプロン姿になっていた。金髪もほどいて、変装しているみたいだ。

 詳しく聞いたら、どうやら私はサバトを終わらせた英雄としてみんなの間で騒がれているらしい。素直に喜んでいいのか、少し複雑な気分になった。ちなみに、私みたいにメイド連れの冒険者はそうはいないからだとか。――――割りといそうな気もするけれど、言われてみれば少なくとも【真珠兵団パール】にはいなかった。

 私が真っ先に向かったのは、区内で一番大きくて古めかしい大聖堂だ。ギルドと同じくらいの規模で、外も内も黒い修道服に身を包んだ男女が多く、服装がそうでない人でもシンボルである銀の十芒星を首から下げている。あれを見ると、どうしてか背筋がゾッとする。

 グラズヘイム建国と同時期に設立されたという世界最大の宗教団体――――“新世テオス教会„。

 創造神を信仰していて、組織内容はとっても清廉らしく、特に厳しい縛りは無くて信心の有り無しに拘わらず万人の対応が寛容だと聞く。国を挙げた祭事では事前にお清めの祈祷を捧げてもらったり、葬式では中心となって運営してくれるなど、国との関わりは根深い。

 関係は間違い無く友好なのだけれど、それでも私は十芒星を真正面から見れない。こういうとき、心境を察したアリスが肩に手を回して視界を少し遮るように立ち回ってくれる。


「そこのお嬢さん方、どうかなさいましたか?」


 キャソック姿のゴブリンが話しかけてきた。私達の歩き方から、不幸な身の上の者と思ったんだろう。答えようとしたら、十芒星が目に入って口が開かなかった。

 代わりに、アリスが言ってくれた。


「先日の戦いで友人が殉死してしまい、今更ながら御冥福を祈りに。こっちの子はずっと塞ぎ込んでて、葬儀にも顔を出せなかったので······」


 息遣いといい、声色といい、巧みに嘘をつくのもお手のものだ。ホント、優秀なメイドさん。


「そうでしたか。それは御愁傷様で。よければご案内しますよ。御友人のお名前は?」

「······ダミアノス・バイデント」

「わかりました。こちらに掛けて、少々お待ちください」


 三分分後、信者のゴブリンは緑色の火の玉を後ろに連れて戻ってきた。ピクシーの亜種ながら死霊系人外に分類されているウィル・オ・ウィスプだ。

 確か、墓標を管理しているんだっけ?


「お待たせいたしました。こちらの者が案内しますので、どうぞ」

「ありがとうございます」


 ウィル・オ・ウィスプの後に続いて、墓標が均一に並ぶ庭園に出た。台形の墓石に故人の名前が彫ってあって、その下に敷かれた正方形の墓石には神への祈願の詞が綴られている。一つ一つに菊の花束が置かれていて、他にもお墓参りに来て啜り泣いている女性がいた。

 ダミアノスの墓標に着いて、向き合って地面に両膝をつける。横からアリスが白い菊の花束を貰い受けて供え、両手を組み合わせて祈りを捧げる。

 色々と反りが合わないことばかりだったけれど、世話になったのは紛れもない事実だ。どこまでもねじ曲がった冒険心は決して尊敬できるものではなかった。でも、曲がりなりにも突き通そうとする意志は本物だったと思う。

 恐れ知らずで、態度がいちいち尊大で、何かと小馬鹿にするのが多かった。かと思えばなんだかんだ言いつつも面倒を見てくれて――――······もっと色々と、冒険したかったな。


「――――――――」


 気づけば、涙が溢れ出ていた。ダミアノスとの思い出が雫となって、頬を伝って詞の墓石に落ちていく。

 なんで一緒に闘わせてくれなかったの? なんで最後まで私を守ろうとしたの? あなたなら、悪どいことをしてでも生き抜けたでしょ?

 いや、違うんだ。ダミアノスは他人を蔑ろにしていても、命までは粗末にしようとはしなかった。誰かの無事を考えて、最優先を何にするのかを決めていた。サバトのときに彼がそうとしていたのは私だったんだ。

 結局、そうにしかならないじゃない······――――。


「やあ。君達も来てたのか」

「え?」


 聞き馴染みのある穏やかな男声がして、振り返ると喪服姿の兄上がいた。白い菊の花束を両手に抱えている。

 アリスが即座に兄上に向かって跪く。


「楽にしてくれ。クレイ、傷心を抱いているところをすまないのだが、わたしもいいかい?」

「······はい」


 鼻水を啜り、まだ止まらない涙を拭いながら場所を空ける。すると、兄上は私達がやったことと同様にダミアノスの冥福を祈った。二分程して、兄上はゆっくりと立ち上がった。


「シャカラータ、君もやっていったらどうだい?」


 庭園の出入り口の横に、同じく喪服姿のシャカラータさんがいた。腕を組んで寄り掛かっていて、俺はいいと言うように左手を向けて応えた。

 兄上は気まずそうに頭を掻いた。


「まあ、彼ならそうなるか······参ったな。会話を回す役がいない。その為にシャカラータを連れてるのに」


 兄上がそう言うと、アリスがはっとして口を開けた。


「アリス、無理はしなくていい」


 また兄上がそう言うと、アリスはしゅんとして口を閉じた。その後、しばらく四人で街中を歩いた。

 ドラグシュレイン区はいつも通り、兄上とロガさんのお陰で差程の被害が出ておらず、平和な風景を見せていた。

 それもあってか、兄上は区民達から注目の的だった。婦人や少女の方々は顔を赤く染め、気前のいい八百屋のリザードマンが野菜の差し入れを無償でくれようとしていた。

 兄上は柔和な表情を浮かべて、区民一人一人の顔を覚えるように対応した。こんなに多くの人に囲まれたら、私だったら追い付けず困ってしまうのに。さすがは聖王。懐の深さと世界一を誇っている。

 私やアリスは見慣れているからかもしれないけれど、兄上は割りとビジュアルもいい。クロニクルという週刊誌では毎回ファッションモデルに抜擢されている程だ。忙しくない身であろうに、聴覚的評判だけでなく視覚的活躍でも世情を湧かせている。

 こうまでなると、最早、同じ王族とは思えない世界観に生きているも同じだ。――――って、父上、妖精皇帝オベイロンも溜め息混じりに言ってたな~。

 兄上の提案でティリネおばさんの喫茶店で休憩することになった。玄関には貸し切りの札があった。シャカラータとアリスは気を遣ってか、店先で待機している。

 私と兄上は向かい合うよう座った。外からは夕日の赤い斜光が射し込んできている。


「ここの主人に聞いたよ。クレイも行きつけにしているとね。わたしも客足の無い時間帯を狙ってよく来たものだ。最近はあまり来れなくてさびしかった。そう言えば、クレイとこうして二人きりになるのも随分と久しぶりだね」

「そうですね······」

「人がいるとは言え、別に畏まることはないぞ? ここのご夫妻はわたし達のことをよく知っているからね。まずはオーダーをしよう。クレイは何がいい? 今日はわたしが奢るよ? やはりアップルパイか? それともチーズケーキの方がいいか? あれも絶品だった覚えがある」


 兄上は子供が絵本を読むように、ウキウキな様子でメニューに目を通した。何度もページめくって、鼻唄が聞こえてくる。その様子を見て、自分が惨めに思えた。


「兄上はすごいですね」

「何がだい?」

「いろんな人に頼られて、尊敬されて、実際ヒーローとして自国だけでなく同盟国の安全までも保障している。つくづく、天と地の差を見せつけられているようで······」

「不安になるのかい?」

「ッ! ······はい」


 兄上の逸話は幼い頃から聞いている。本人は他愛ない世間話の調子で語っているけれど、私にとっては冒険者になったきっかけの一つであった。

 一番身近な英雄譚の主人公トマス=ジーロフィクス=フードゥルブリエ。翅を持たぬ妖精という劣等種として生まれながらも、実力で『聖王』を冠するまでに成り上がった正真正銘の最強の人外。彼の名前が挙がるだけで、どんな極悪人でも身を震わせて逃げるという無窮の威厳を放つ。

 誰しもをただいるだけで安心させる白ウサギさんの間抜けた朗かさと、如何なる悪をも封じ込める兄上の絶対的な強さ。私にはどっちも無い。近くにいる友達すら守れやしなかったんだ。ダミアノスの言う通りなんだ。


「私は、冒険者には相応しくないんですよ。ただ力を身につけただけで、全然上手く扱えていない。なにも守れなかった。それどころか、みんな、私の所為で······。ゴエティアは兄上が退けたのでしょう? 悔しいけれど、私なんかが奴に勝てるわけが――――」

「クレイ」


 兄上は語気を強めて遮った。


「君が後ろ向きになりがちなのは昔からだが、そこまで卑下することはないとわたしは思うよ」

「でも······私の所為でサヴァルノーイさんが! ダミアノスが!」


 何を言われても、どんなに慰められても、事実は変えられない。私はなんの役にも立てなかった。これが現実だ。


「そうだな。君は確かに未熟で弱い。ゴエティアの従える名のある悪魔相手でも苦戦しただろうね」


 ほら。兄上もそう思っている。冒険者になるって決めたとき、信じて送り出してくれたのに、期待外れを犯してしまった。本当に自分が嫌になる。


「わたしからしたらクレイ、君の方が羨ましいよ」

「······え?」

「君は恵まれている。力にじゃない。親友ともにだ」


 それって、どういう意味なんだろうか······。兄上はいつも不思議なことを唐突に言う。


「君のいいところは、優劣をつけないところだ。カイン・ナッツレールは自家では禁とされている技術を己の意で造り上げ、クレイは無邪気にそれを称賛した。スヴァル・ストライクは遠い国から来て孤独に塞ぎ込んでいたところを、クレイが迷わず手を差し伸べた。君は周りの目を気にせず、真正面から接することが出来る。誇るべきことだ。わたしが君ぐらいの頃なんて、荒れていたよ。少し後になってようやく気づき、学んだ。だから羨ましいんだ」

「でも、私は······」

「守れなかったから守られた。君はそう思っているようだけど、少し違うよ。君が守られた理由は、君が弱かったからでは決してない。託したかったからだ。これから先の時代。国の未来をだ。命とは遅かれ早かれ失って当然のものだ。奇跡でも起こらぬ限り、戻ることは無い。それを自分の所為でと済ませてしまうのは、死した者達があまりに救われない。報いたければ受け取ることだ。その者達との思い出を忘れないように、心の奥深くに刻みつけて」


 私はゆっくりと顎を引いた。すると、兄上の嬉しそうな笑顔は、より眩しいものになった。


「わたし達大人は、君達の未来ではない。過去なんだよ。未来とは君達のことだ。故にわたし達は君達に“これから„を託すんだよ」

「兄上達が過去で、私達が未来?」

「そうだ。クレイ、わたしは君の幻想を素敵に思っている。そんな世界で、君が君の認めた生涯のパートナーと共に幸せに暮らしているのを見守るのがわたしの幻想だよ。父上も、アリスも、国中の皆がそう願っている」


 聞いているこっちが恥ずかしくなった。生涯のパートナーとか、いくらなんでも急かし過ぎだ。でも、そう願ってくれているのなら、許されるのなら――――――――。


「兄上、わたしは······これから強くなれるのかな。みんなを、安心させられるのかな······」

「それを決めるのはわたしではないよ」


 そう言いながら、兄上は私の頭を優しく撫でた。久しぶりの手の温もりに、胸の中で重く苦しかったものがすっと抜けていく感じがした。


「さて、少し早いが晩食としよう。外の二人も呼んでね」



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 あれから少しして、私は冒険者活動を再開させた。みんなから眩しい眼差しを向けられて、さすがに戸惑ってしまったけれど兄上に言われたことを思い出して笑顔を返し、徐々に徐々に慣れていった。

 一番驚いたのは、国中のギルドと区衛兵の幹部から感謝状を送られたことだ。区民のものもあって、山のように積まれていた。未だに三分の二しか読みきれていない。

 私は冒険者としての方針を決めた。難易度や報酬に構わず、どんな小さな依頼も引き受けること。犬の散歩から悪者退治、お風呂の掃除から悪霊祓いまで受諾し、その甲斐あってかドラグシュレイン区の外からも名指しで依頼が来るようになった。気づけば、新聞から"妖精姫フェアリー・プラント"なんて異名をつけられていた。

 有名になるのは嬉しいけれど、さすがに恥ずかしい。お陰で、スヴァルや仲のいい貴族令嬢、果ては区民の方々からしばらく弄られた。

 そんな調子で、私は翅が軽くなる毎日を過ごした。依頼を受けて、成果を出して、困っている人を笑顔にする。単純ながら当然の行い。それが出来るだけで、少しでも幻想に近づいているんだと、私は嬉しかった。

 そうして迎えた三ヶ月後、グラズヘイムが最も光り輝く聖夜祭。城の窓から、街中の家や露天にきらびやかなオーナメントが施されており、各所にはカルス様が端整込めて育てたモミの木が降りたっていて、飾りに紛れて小妖精ピクシー達が色取り取りな光を撒き散らしながら一層飛び交っているのが眺められる。

 聖なる夜ともなると、区民達の顔がいつもより明るく、幸福感に満ちていて見ているこっちも楽しくなる。この世が幸福に満たされているようなこの時期が一番好きだ。


「クレイ嬢、入ってもよろしいですか?」

 

 三度のノックの後にアリスの声がした。いいよ、と一言返して入室を許可する。入ってすぐ、アリスはやや長くてゆったりめな溜め息をついた。がっかりしてる調子だ。


「お部屋をこんなに暗くなされて、折角のドレスが見えませんよ」

「ごめんなさい。外の光を見ていたくて」


 今夜は城でパーティーが催される。だから、今の私は襟つきの白いパーティードレスに身を包んでいる。我ながら華やかでとても素敵なのだけれど、ほんのちょっとだけ背伸びした感があるのが······なんか、否めない。


「やっぱり、これ変えちゃいけないかな? 私には少し早すぎる気が」

「今日で十六になられるのですから、このくらいで丁度いいのです。それに、そのような感想を言われてしまっては、丹精込めて仕立ててくれたメイド達が可哀想ですよ」


 そう説教されたら何も言えない。


「よくお似合いですよ。血の繋がりがなくとも、皆が貴女という皇女を祝福して下さいます。無論私も、心の底からお祝いしておりますよ。ハッピーバースデー」


 いつものことながら、アリスは淡々と言った。けれども、なんとなく最後の一言には温かみを感じた。毎年聞いているのに、普段の彼女からはイメージできない台詞だから、ついぷっと軽く吹いてしまう。


「ありがとう。アリス」

「それと一つ。プレゼントが届いておりまして」

「プレゼント? 誰から?」

「さあ。皇太子殿下からクレイ嬢に渡すように言われたので。誰からのものなのかは」


 そう言いながら、アリスはポケットから銀のリボンに深緑の長方形の紙包みを取り出して私に差し出してきた。


「言伝ても預かっております。『パーティーに出る前に開けておきなさい』とのことで。私は外で待っております」


 出ていったアリスが扉を閉めるのを待って、早速貰った紙包みを開ける。黒い箱が出てきた。白い流麗な筆記体で『トワル・ド・ヴェトモン』とあった。

 確か、洋服店だったっけ。店長がメイプルさんっていう、黄色と桃色とカラフルな見た目をした蛾の蟲人属インセクターで、性格も賑やかな女性だ。私も鎧下服ギャンベゾンを仕立てて貰ったから、全く縁が無いわけではないけれど。にしては、脈絡をほとんど感じない。

 さらに箱を開けると、今度は緋色の細長い布と二つ折りにされたメッセージカードだ。見た感じで布はレースのようだけれど、広げてすぐにわかった。

 ジャボだった。襟に通して飾るひだのような服飾品。ブローチも付属していて、金縁に嵌められた楕円形の翡翠には、目を凝らすと三本の剣が切っ先を上に並び立った紋様があった。とても繊細な細工。


「でも、一体誰がこんなものを?」


 答えはメッセージカードを開いたらすぐにわかった。拙い字で書かれていたのは、差出人と思わしき名前だけだった。――――『ダミアノス・バイデント』。

 それが目に入ると同時に、カードからうっすらと気だるそうな声が聞こえてきた。


『あ······あーあー、おーい、これでいい感じか? もうオッケー? よし。······そうだな。取り敢えずお姫様、今俺、蓄音手紙ログレターってやつで喋ってんだけどよ。お前がこれを聞いているってことは、多分、俺は今頃ハデス様んとこにいるんだろうな。いけたらの話だけどな。タッハー!······あー、笑えねぇよな』


 本当に笑えない。あんまり冗談を言う方じゃないくせに、慣れてないのがよくわかる。


『で、なんで俺がこんなのを遺しているのかっていうと、まあもしかしたら死ぬかもしれないなんて、情けない理由だ。マジ、ふざけんなって話だよな』


 煙草を吹かす声が挟む。


『最後まで迷惑をかけたな。わかってると思うが、お前を眠らせたのは俺の判断だ。あのまま連れ出したりなんかしたら、早急に始末されていた。だから、お前の参戦は遅らせる以外に方法が無かった。まあ、そういうことだ』


 ダミアノスの言っていることがわからなかった。てっきり、私を守る為の措置だと思っていたのだけれど、彼の声色からしてそうじゃなさそうに聞こえた。


『魔式の覚醒には、大きく分けて二つの方法が半ば確立されている。一般的に知られているのが、長い時間を経た環境適応。そして、もう一つが感情を極度に昂らせて強引に引き出させる暴走。お前に取らせたのは、後者の方だ。ぶっちゃけ、無謀な博打だ。何人生き残れるか、お前が至れるか。サヴァルノーイが言ったらぶちギレられてよ、押し通るのが面倒だったよ』


 ······えっと······え?!


『戸惑ってるよな? ま、お前からしたらこれ以上に胸糞悪い話は無ぇだろうな。俺達がお前に力を出させる為に命を捨てる、なんてさ』


 ······本当だよ。今までで、一番酷い仕打ちだ! 酷すぎる!······残酷だよ······。


『悪いとは思ってる。だが、謝らないぜ。それでお前が辛い思いをするのはわかりきってるからな。謝ったら、お前はお前自身を怨む。そんなのは、俺達・・の望むところじゃねぇからな』


 俺······“達„······?


『お前ら、いつまでそこでうじうじしてんだ。俺ばっかり言わせてよ。悪く思われんのはいいとして、未練たらたらなまんまで出向けんのか? ん?』


 ダミアノスは誰に向けて言ってるの?


『もー、なんでこっちに振るの! 我慢してたのに!』


 サヴァルノーイさん······!?


『やっぱ我慢してたんじゃん。団長、カワイイかよ』


 ジリエさん!?


『ハッハッハ! 純情じゃの~』


 ピーロックさんまで!? もしかして、ダミアノスの他に王衛星将軍ギャルド・アステリズムがいるの!?


『もー、二人共からかわないでよ! あー、これ聞こえちゃったわよね』

『『バッチし』』

『ダミアノス、ショコ太! そこの二人は黙っとりゃさいッ!』


 みんなのやり取りが目に浮かぶ。

 ダミアノスとショコ太がゲラゲラと笑っていて、それをサヴァルノーイさんが涙目で叱っている。これから死にに行こうとしているのに、なんて暢気で騒がしく、愉快なんだろう。不安で仕方がないだろうに······。


『どうする? 団長さん。ここまで来たらさ、もーやっちゃえよ』

『やっちゃえ、サヴ子。代表挨拶』

『えー、もー!』


 ダミアノスとゼフィールさんがからかいながら急かしている。『もー······』と弱くぼやきながらも、サヴァルノーイさんの声が近づいてきていた。


『や、やっほー、姫様······ハハハ······』


 苦笑してる。


『その、ダミアノスはあんなことを言ってましたけど、どうか、あなた様の為にこの命を捨てることをお許しください。けど、重く捉えないでください。これはみんなで決めたことなんです。私達は、あなた様に······全てを、委ねます――――』


 小さく啜り泣きが聞こえる。


『姫様には辛い思いをさせてしまいますが、それでもあなた様を信じます。みんな、あなた様を身近に感じて確信しているんです。“きっと、やり遂げてくださるだろう„と』


 ············。


『私達の何人が生き残れるかは、神のみぞ知る天命でしょう。けど、大丈夫です。姫様は、聖王殿下に迫る逸材となられる。これは過大評価ではありません。“次なる勇者に、栄えある未来を„。私達の願いを、託します』


 数秒の間、静謐な空気が流れた。そして、またダミアノスが煙草を吹かす声が聞こえる。


『ま、そんなところだ。あとは俺からも一つ。耳かっぽじってよーく聞いとけよな。――――お前は誰よりも輝く妖精になれ。その眩しさで、希望の光にでも何でもなってやがれ。精々強く生きな。その布切れは餞別だ。そいつが似合う大人になりな』

『なれよな、ちび姫様!』

『なっちゃえなっちゃえ!』

『こりゃ、是が非でも生きねばならんの』

『お前ら、ここぞとばかりにうるさくなりやがって! もう切るぞ! じゃあな!』


 メンセージカードはゆっくりと沈黙した。

 まったく、なんで締らないんだか。サヴァルノーイさんは堅苦しくも誠実に向き合ってくれて、ダミアノスに至ってはらしくないことばかり言って······ズルいな。

 私はメッセージカードを――――みんなの願いを胸に抱いた。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 聖夜が明けた早朝、『冥土の泉亭』に一人の妖精の少女が玄関の鐘を鳴らした。準備中の札を掛けていたにも拘わらず入店した彼女を、亭主のオーガは静かに笑みを向けて快く受け入れた。

 少女は背にカゲロウの翅を生やしていて、栗色のギャンベゾンの上に、胸元に輪を成す真珠のエンブレムの描かれた軽い金属製の胸当て、腕と腿から下には同質の装備で身を固めている。首元には楕円の翡翠で止めた緋色のジャボを掛けていた。

 少女はおもむろにカウンターの席に座ると、左隣を愛おしそうに擦った。そして、亭主に顔を向いて注文する。


「ナタデココ入りリンゴジュースを」


 少女の声は軽快で、将来に不安など微塵も抱えてはいなかった。





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幻想魔境の妖精姫 南無珠 真意 @kakeluyamato

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