皇帝星【ペンドラゴン】
ゴエティアの予告通り、日が沈むと同時にグラズヘイム各領の影から悪魔達がアリのように沸いて出てきた。冒険者、区衛兵は一斉に決起し、戦闘を開始。
悪魔の中には胸に魔法陣のようなものが刻まれた個体が幾つか目撃されたと早々に情報が入り、ゴエティアが特に重宝をしている名のある悪魔であるとして、それらは
他区と比べて戦力が劣るドラグシュレイン区壁内領中央噴水広場では、トマスが待ち構えていた。侵入した悪魔を各個撃破しながら、ゴエティアの居場所を探る。しかし、思っていた以上に悪魔達が多くいるため、グラズヘイム全土に広げた魔力感知が鈍い。
巧妙に姿を隠している。そもそも、どうやって現れたのかが未だに未解明なのだ。宣戦布告をされたとき国にいれば、気配でなんとなく掴められたというもの。卑しい奴だ。
「おーい、殿下殿ぉ~!」
「ロガか」
声をかけてきたのは、【
「敵将はまだ見つからないんで?」
「ああ。あちこちから似た気配が多くあって、魔力感知がまともに機能しない。特に、奴の魔力が色濃く反映されているのか、名のある悪魔の気配がとことん邪魔だ」
「あぁ。優先的に対処に当たっているとはいえ、さすがに全部を早急に潰すのは難儀だぜ。平と合わせつつだけど、なんとか
言いながら、ロガは角から出てきた悪魔に見向きもせずクナイを投げて仕留めた。
「そう悠長も言っていられない。サヴァルノーイが新たに厳重な結界を張り直してくれたものの、侵入経路と方法がわからない以上安心はできない。相手は
瞬間、トマスの頭に到底信じられない可能性が点灯した。違和感。思考のぶり返し。ゴエティアの狙いはクレイ。サバトはカモフラージュ。だとして、この混沌とした騒乱の中でどう侵入するというのか。マーキング? あれには補足の他に意味があるというのか。
あくまで憶測。杞憂であってほしいと期待する裏腹、彼の腸は煮えくり返り眉間を深く寄せて爪を噛んだ。急ぎ、アルフヘイム区へと向かおうとするも、同時に眼前の通りの真ん中になにかが落ちてきた。砂埃の中から割れた地面に歩いてくるのは、顔面がワタリガラス、体はオオカミ、そして蛇の尾を揺らし、目と嘴からは真っ赤な炎を吐いて、黒曜石のような湾曲した一対の角を生やした黒一色の化物だった。腹には白い字で
個体としての魔力量、濃度、密度、いずれも名のある悪魔を含んでも別格。恐らくは、ゴエティアの持つ最高戦力の一つだろうと容易に認識できる。
「ヤベーのが来たな。さすがに俺一人じゃキツそー。なあ、殿下殿。ん? 殿下殿?」
「彼奴め······光に怯え闇より嘲笑するしか娯楽を得られん下郎めが······どこまでも舐めた真似をしてくれる!」
低く強張った声がしてロガが向いた先では、トマスが髪を搔き上げていた。片眼鏡を外すと、右目の瞳が紺碧の煌めきを宿し、毛先からは黄金の雷が迸っていた。
偶然かトマスの気迫が成したのか、空模様も険悪になりグレーの曇天に染められた。
「うわ~。こっちもヤッベー」
「ロガ、貴様は他に当たれ。これまで通り、巡回しつつ敵兵を殲滅せよ」
「言われなくてもそうするよ」
ロガは逃げるように走り去った。
トマスはアモンと対峙。お互いに歩み寄っていく。一歩一歩地を踏み締める度に、トマスは金雷、アモンは赤炎を発して牽制し合う。
「▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼――――(オマエが最強の虫螻か)?」
「口を閉じよ、害虫。即刻、
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
その頃、
どこからともなくゴエティアが現れ、堂々と街道のど真ん中をなに食わぬ様子で歩いているのだ。悪魔を連れず、まるで休日をのんびり過ごすかのような余裕の態度。
不気味だが、五十という軍団を前にして何を思ってか独断専行を好機と捉え、区衛兵達は一斉に捕りにかかった。しかし数秒後、血の雨が降り注ぎ、街道は真っ赤に染まった。唯一生き残ったエルフの区衛兵は、あまりに一瞬の惨劇に戦慄し、失禁して尻餅をついた。
「おやおや、情けの無い。だがまあいいか。早足で伝えてきなさい。ゴエティアが真っ正面から向かっているよーって、ね?」
エルフの区衛兵は恐怖に捕らわれ、失神した。その場で白目を向かれて、ゴエティアは呆れながらも進行を続ける。道すがら歩みを阻もうとしてくる区衛兵や冒険者を鏖殺し、目的のクレイを探す。
「まったく、世界最大と言えど誇れるのは数だけじゃないだろうね」
ゴエティアから見て、グラズヘイムの戦力で一番の驚異は世界最強の人外である“聖王„トマス=ジーロフィクス=フードゥルブリエただ一人のみ。彼さえ抑えてしまえば、簡単に自由が利く。
「あわよくばは求めない。さすがにあんな
ゴエティアの進む道の終着点には、クレイのいる司令本部がある。それまでにまた数十の区衛兵と冒険者が勇猛に立ちはだかるも、意に介さず血の道を築いていく。
門と塀を境に強固な結界が張られていた。敵味方関係なく侵入及び撤退を禁ずる見えない壁を、ゴエティアは何事もなく素通りした。
「結界だなんて。無意味なことを」
敷地内は静寂に包まれていた。だが、ひしひしと周囲から敵意を感じる。
「それで潜伏しているつもりなのかな?」
そう高らかにゴエティアが訊ねると突如地面が崩落し、そこから巨人が出てきて強烈な殴打を一発。吹き飛ばされたゴエティアは軽やかな身のこなしで訓練場に着地した。
「"
ゴエティアの左右から、抜剣したピーロックと棍棒を振りかざしたゼフィールが挟み込む。影からせり立った泥のような壁に阻まれ、そこからいくつもの長い舌が反撃してきて回避する。
ゴエティアの意識が二人に向いたところで、建物の屋上からシャカラータが狙撃する。しかし、空を切る弾丸は標的の影から現れた黒い水に呆気なく止められた。
「チッ! なんでもありかよ。ヤバ」
シャカラータが黒い水による追撃から逃げたことで、狙撃という手段は封じられた。ゴエティアは特に気にしておらず、暢気に大きく欠伸をしているが。
ピーロックとゼフィールは舌を掻い潜りながらなんとか攻撃しようと試みるも、しつこく妨害される。ここで助け船を入れたのは、サヴァルノーイとジリエだ。
サヴァルノーイが二人を結界で守り、ジリエが広範囲の負荷魔術を展開した。デバフの効果は【鈍化】。結界によって免れた攻撃組は、鈍い舌を捌きながら得物をゴエティアの首と腰にそれぞれ振り抜く。
攻めと守り、両方に意識を割かせて第三の奇襲をかけ確実に逃げられい状態に誘う。完全に無防備になったところに、渾身の一撃を叩き込む。
「成る程ね」
爆弾でも投下されたようなけたたましい轟音と衝撃が周囲を駆け巡る。
黒い水の追撃から逃れたシャカラータがライフルのスコープで爆煙の中を覗く。動く影が二つ出てきた。ピーロックとゼフィールだ。二人は武器を構えていて警戒を解いていない。その様子からシャカラータは舌打ちし、トリガーに指をかける。同時に、ピッチェーニが遅れて駆けつけてきた。
「敵は?」
「わかんねぇ。けど、多分しくじった」
シャカラータは不機嫌に答えた。
それが証明されるように爆煙が晴れ、鼓動を打ちながら蜷局を巻いているしわくちゃな肉塊から無傷のゴエティアが出てきた。
「伊達ではないね。区衛兵最強の部隊の肩書きは」
言いながら、ゴエティアは掌から小さな粒を地面に落とした。すると、地面を割って一本の黒みを帯びた紫の果樹が呻き声をあげながら生えてきた。成った毒々しい黒いリンゴを取って口にすると、身体を震わせて天を仰いだ。
「これで楽になった。さぁ、次はどう来る?」
ゴエティアの反応を見てジリエは驚愕した。自身の魔術が効いていないのが、干渉影響を通じて伝わってきた。
「クソ! 適応された!」
「そんな! 彼は魔術を使ってないでしょ!」
《十中八九、あの実だろ》
シャカラータからの通信が入る。
《裏モノか? あんなのあったっけ?》
「知らないわよ!」
裏モノとは、使い方次第で国を滅ぼしかねない程の力を有した危険な魔道具を差す。外部からの感覚的認識を完全に遮断する透明マントや、あらゆる魔術を一切合切貫き通る破魔の矢等、それ等のもたらす影響力が凄まじく手に余る故に、国際規範の原則として裏モノの私用は厳禁され、製作すらも抵触の範囲とした。
「どうしたのかな? 来ないのかい?」
煽るゴエティア。両手を大っぴらに広げ、自分は丸腰だ、いつ仕掛けても余裕で倒せるぞ、とあからさまに主張している。
「来ないのかい? なら、こっちから行くよ――――【▼▲▼▲】」
歯軋りしたような奇怪な声がして、
その隙に、ゴエティアはピーロックに向けて突進した。瞬き一つの間に距離を詰め、そのまま懐から取り出した短剣でピーロックの心臓を貫いた。次の標的をゼフィールに定めて爪先を向ける。しかしすぐに切り換える。シャカラータの撃った弾丸がこめかみに迫っていた。ゴエティアは首を無理矢理後ろに倒して回避し、ナイフを投擲してライフルを破壊しシャカラータの右肩に深く刺さった。
愛する弟の負傷に涙を流し気を取られているゼフィールの首を掴み、鳩尾に拳を一発。痩せ細った身体とは思えない衝撃をねじ込み、悪魔の舌を呼び出して喉元を貫いて適当に放り投げた。
すぐにサヴァルノーイ、ジリエ、ピッチェーニが応戦する。ゴエティアの足を結界で封じ、
三者の攻撃が当たろうとした瞬間、ゴエティアが大口を開けて六本の蕀を放出した。無尽蔵にしなる凶悪な鞭は、近くにいた三名の肉を引き裂いた。これにより、サヴァルノーイとジリエは身体中から血を噴出させ倒れた。巨大故に引っ掻かれた程度で済んだピッチェーニには、更にローブをコウモリに似た翼へと変えて顔の位置まで飛び上がり、一薙ぎして袈裟斬りにする。圧倒的巨躯が倒れ、地響きが鳴る。降り立ったゴエティアは、自身で成し遂げた光景を見て高らかに笑った。
「おいおい、少し本気を出しただけでこのザマなのかい? 形無しもいいところだよ!」
ゴエティアがはしゃいでいると、後ろから何者かが歩いてくるのが聞こえて振り向く。銀槍を肩に掛けたダミアノスがいた。
「おや、お兄ちゃん。今度は君かい?」
フゥー、と煙草を吹かしてダミアノスは槍を肩から下ろした。
「ったく、俺が最初から殺るっつったのによ。コイツら聞きやしない」
「確かに。悪魔特効の魔式を持つ君ならば多少は優勢を保てただろうに。まあ、あの子がいなかったらの話だけどね」
ゴエティアの補足にダミアノスは眉間にシワを寄せた。
「そいつはお姫様のことを言ってるのか?」
「そうだとも。大方、君は彼女の護衛だったのだろう? けれども、勇んで出迎えたエリート兵士達がこれじゃ、最早なりふり構ってられなくなったから出てきたってところかな?」
その通りだ。クレイは今、昨日渡したリンゴジュースに混ぜた強力な睡眠薬を眠らせている。飲んできっかり二日という持続性抜群の代物だ。外でどう騒ごうが起きることは決してない。
悪いことをした、とは思ってはいない。他人の想いを踏みにじるなんてろくでない所業は、欠伸が出る程やってきた。寧ろ、感謝して酒を奢ってくれてもいい。だが、ダミアノスの気分は揚がらなかった。目の前にはずっと殺したいと願っていた敵がいる。なのに、銀槍の尖端の紫炎は昂らないのか。痺れたみたいに奮えない。――――原因はわかっている。クレイだ。彼女は怒るだろう。簡単に折れそうな指を丸くして殴り付けるのだろう。だがそれでいい。わんわん泣かれるよりは、ギャーギャーと騒いでいてくれる方が断然マシだ。万が一の“品„は遺した。果たして、喜んでくれるか······我ながららしくない真似をしたなと、笑いが出そうになる。ずっとそうだった。
「なあ、殺り合う前に一ついいか?」
「なんだい?」
「なんでアイツなんだ? オマエにとって、大国の王族ぐらいなんでもないだろ? わざわざマーキングまでして。一体何を見出だした?」
この数十年間、ダミアノスは生涯をゴエティア滅殺の為だけに費やしてきた。これまでに奴が起こした事件、悲劇、厄災、被害、残されている記録全てを洗い出し、全貌を掴めずとも行動原理や心理を考察してきた。
ゴエティアという生物は探究心に忠実だ。悪魔を基準とした思考で、それは明確な悪でわかりつつも衝動に逆らう自制心を持たない。堕ちる前がどんな人物だったのかはわからない。そんなものは歴史の外だ。どうあっても知り得ることは叶わない。しかし、ゴエティアに関して調べ、熟考した結果、浅いながらも解釈を得た。
「オマエは
淡々とした口調で訊かれ、ゴエティアは少々戸惑った。彼の中で、ダミアノス・バイデントという人物像が予想と外れたからだ。ゴエティアはこれまでに自身のしてきた研究は、失敗も含めて全て覚えている。そうしなければ、研鑽とは詰まれないという彼なりの研究気質の成せる流儀だ。それについてくる形で、研究対象達、その関係者の反応も全て記憶した。経験則で、ダミアノスという復讐に心身を落とされた人間はそれのみに固執する。
半月前に宣戦布告したときの勢いなんて正にそれだった。魔式は術者の精神を表出させる。悪魔を燃やす私怨の業火。深い深い復讐心の生んだ呪いのような到達点をダミアノス・バイデントは選択した。
なのに、なんだ? この違和感。落ち着いた佇まい。
「浅いとは言わない。君と僕の関係性なんて、語る価値の無いものだからね」
「······」
「敢えて答えるとすれば、それなりに選ぶよ。君は僕ばかり調べていたからわからないだろうけど、研究っていうのは一枚岩ではないし、一筋縄では行かないものなんだよ。同じ
ダミアノスは銀槍を握る手を強めた。
「君、バイデントの一族だろ? 古くから冥府を信仰している一族だ。人類には権力でない本物の名家が少ないからね。正直、嬉しかったよ。しかも、母親は魔術の秀才。僕でなくとも、ああいうのに目を付けない理由は無い」
ゴエティアに紫炎が浴びせられる。が、魔法陣で防ぐ。
「俺が訊いてんのは、お姫様の方だよ。
「わかってる。そう怒らないでよ。せっかちなお兄ちゃん」
「チッ······」
ダミアノスの精神が不安定になっている。
「彼女は特別だよ。古くから生きる僕達にとってね。存在する理屈はわかる。しかし理解できないのは、なぜそれで留まっていられるのかだ。すっかり染まってしまっているけど、“アレ„はこの世に在らざるものだよ。種族としてではなく、理の上に成り立つ無駄としてね」
「······見えねぇな。それ、答えになってないぜ?」
「ああ。そうだね。僕であってもあまりに奇妙奇天烈だからさ。どう形容したものか。······今のところ、言えるのはそれだけだよ」
ゴエティアは嬉しそうに語り終えた。探究心が汁を垂らしたような反応に、ダミアノスは虫酸が走った。
要は本能に従ったまで。やはり害虫。貪ることしか能の無い害悪生物は、即刻焼却するに限る。
銀槍に紫炎を灯し、ダミアノスは突撃する。振り回し、薙ぎ払い、逃げるゴエティアをなんとしてでも駆逐しようと追撃、追撃、追撃、追撃、追撃。
殺意のこもった攻撃を掻い潜り、いつ当たるかわからない状況下でも、ゴエティアは熱心に観察していた。
「そんなにブーストをかけて大丈夫なのかい?」
「余計なお世話だ!」
ローブの翼で薙ぎ払う。ダミアノスは容易く避けて銀槍を振るった。攻撃する度に火柱が立ち、穴が空いたような真っ黒な焦げ跡が残る。
ゴエティアは空に逃げ、ローブの翼で左、右と薙いだ。ダミアノスは疾走して回避し、紫炎の砲弾を撃つ。しかしエイムは覚束無く、段幕の編みは広く避けやすい反撃だった。だが、ダミアノスにとってはそれでよかった。ゴエティアが回避している隙に、棒高跳びの要領で距離を縮め、間合いを強引に自分のものにする。
「やるね」
「うるせんだよ、腐れクズ! その誰の為にもならねぇ魂、とっととハデスにくべな!」
十字の爆炎が夜空を明るく照らした。それが起因してか、はたまた本能が促したのか、クレイの目蓋がゆっくりと開いた。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
「ん~······――――ん?」
あれ? 私、いつの間にか寝落ちしてた? もう、なにやってんだか。どれくらい寝てたのかしらって、部屋の中真っ暗闇なんだけれど?――――窓の外ももうすっかり暗くなってる。大体一時間くらい? それにしては······。
「なんか、静かね」
昼夜問わずガタガタと外は騒がしかったのに、誰もいなくなったみたいに静かだ。もう一度外を見ると、清々しい程に無人みたいだ。
「灯りぐらいは点けてほしいわ。蝋燭、蝋燭、あとマッチは、と······いや、こっちでいいか」
取り敢えず、魔力の玉を一つ作って灯りを確保する。いやー、私も多彩になったものですな~。
それにしても、人の気配がほとんど無い。まさか、アリスもいないなんてことは――――と思いながら扉を開けると、廊下も暗かった?! しかも誰もいない?!
「マジかよ······――――アリス! ダミアノス! サヴァルノーイさーん! みんなー! いないの!」
なんで誰も見当たらないの? みんな寝ているの? 何て思いながらも、各部屋は鍵がかかっててノックしても誰も出てこなかった。
妙だ。区衛兵は見つからないのに、気色の悪い気配ばかりが空気を渡ってくる。この感じは痛い程知っている。そんなわけないって、信じたかった。まさか一つ角を曲がった先に、悪魔達が跋扈しているなんて――――。
「え······?」
顔に一つ目があるだけの背の高い黒い人型に出会した。目が合った瞬間、私は外にいた。
周囲から焦げ臭い匂いがして、所々に紫の炎が茂っている。そんな中に、鉄臭い匂いも漂ってくる。雲から月が出てきて、夜闇の光景を鮮明に私に知らしめた。
血を流して倒れている
「やぁ。やっと来てくれたね。待ちくたびれたよ」
「なんで、あなたがいるの······」
「ん? 何やら追い付いていない様子だね。発見が遅れたあたり、もしかして眠らされていたのかな? ひやはや、残酷なことをするものだね」
私が寝落ちしたのは、少なくとも日の入りと同時。けれど、ゴエティアのサバトは明日の今頃の筈。眠らされていた? 誰に?――――その答えは、割りとすぐに出た。
ダミアノスが? なんで? なんの為に?
「周囲に恵まれるっていうのは、考えものだとは思わないかい? 良いことも悪いことも、大抵のことを許容され、温かい目で見られながら健やかに育っていく。なんとも素敵なことだと有象無象は口を揃える。しかしね。しかし、だよ。それは言うなれば心臓を増やすことと同義だ。掛け替えの無いものを自らを火種とした事象に巻き込み、あまつさえ全く関係の無いもの達まで。クックック······特に君みたいな奴とか。あぁ、でもわかってるよ。君だって守られたいわけじゃないんだよね。だからこそ、残酷な仕打ちと僕はすれ違った対応に呆れ果てるよ」
ゴエティアが何を言っているのかわからなかった。何か講釈を垂れているみたいだけれど、私の耳に入ってきたのは、うっすらと弱々しいサヴァルノーイさんの絞り出した声だけだった。
――――にげて······――――
自責の念に捕らわれていたことは認める。みんな口には出さなくても、陰では何かしら不満を溢していたかもしれない。そう思うと、余計に不安ばかりが募って押し潰されそうだった。けれど、もうそうは思わない。重圧的な不安とか、濁流のような危機感とかもういっそどうでもいい。
······だって、この国が、私が産まれ育ったグラズヘイムがめちゃくちゃにしているのは、“こいつ„なんだからッ――――······知らなかった。私の中にも、こんな感情があったなんて。まるで今まで鎖にでも繋がれていて、それから解放されたような、どうしようもなく澄み切った感覚。だからこそ、思い浮かんだのだろうこの一念。
「ブッ殺してやる······」
「品が無いね。プリンセス」
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
クレイの怒りが爆発したこの瞬間、青白い雷光と雷鳴が過激に天地を暴走した。その余波はサヴァルノーイの死と同時に結界が解かれてしまったことで、抑制されることなくグラズヘイム全土にまで広がった。誰の者と知らぬプレッシャーに、敵も味方も動きを止めて震源地の方の空を見上げた。地上から天空へ向けて青白い光の筋が登っている光景の下、一瞬の静寂が素通りする。
呼び出されたように黒い雲が発生して渦を巻く。そして、一点に向かって青白い雷を返している。
カイン、スヴァルは誰のものかわからなかった。だが、幼少から彼女を知るアリスだけは、この光景の原因に心当たりがあった。
――――まさか······クレイ嬢······?!!
普段冷静な彼女の顔は眉を八の字にして、汗をかいていた。昨晩、サヴァルノーイに説得されて渋々、ドラグシュレイン区の守護についていたアリス。本当は、側にいなくてはと是が非でも離れないつもりでいたのに、余計な被害はクレイをさらに悲しませるとして任せた。
アリスには何となくわかっていた。あの空模様はクレイの怒りであり悲しみでもある。こうしてはいられないと、アリスはアルフヘイムへ向けて走った。
また一人、クレイの異変を覚っていた人物がいた。トマスだ。前々から潜在能力の高さは右目を介して理解していた。しかしながら、こうも並々ならないレベルだったのには驚いていた。出力、密度、濃度、いずれも世界最強であっても空前絶後。肌にピリつく痺れから、もしかしたら総合的な魔力の制圧力を上回っているかもしれない。
「流石は余の妹だと称賛したいところではあるが、経緯はそうよろしくはないと見える。この分では早々に決着が付きそうだ。間に合わせなければな」
そう言いながら、城壁に埋めたアモンに向く。こうなるまで、普通であればとっくにミンチになってもおかしくない猛攻を何度もぶつけた。それなのに、アモンは未だに原型を留めている。何かしらの魔術を自身に付与しているのは右目を通さずとも一目瞭然だった。
――――アモンと言えば人間関係に不和を生じさせる悪魔。その発展で余の魔式の効果から辛うじて逃れているのか。せめてあと一歩。中々どうして、下郎のくせして余に見合った足止め役を見繕ってくれたものだ。
対し、アモンはアモンでここまで圧されていることに驚きを隠せなかった。事前に情報共有された、トマスを世界最強足らしめる二つの要素。
一つ、"ウアジェトの目醒め"と呼ばれる右の魔眼。一見するとただ透き通っているだけの紺碧の瞳だが、保持者が魔力を解放するとうっすらと五芒星が浮かび上がり、魔力にまつわるもの全てを見通し、その廻りを掴み取る力を獲得し、無制限に発揮するという。
それを以て発動させているのが、二つ目の魔式"
実際に味わってわかったことは、情報の通りのことだけだった。自身の身に何が起こったのか、何もわからないのだ。そもそも、
「▼▲▼▲▼▲▼······」
「ほほう、まだまだ元気なようだな」
アモンは口から爆炎を吹いた。付近の石工物をどろどろに溶かす超高温の無慈悲の炎熱は万物を熔解させる。防御は不可能。おろか、魔術を使って対抗するものならば、その魔力すらも燃料として増長させ獲物を焼き尽くす。
これがアモンの常套手段だ。しかしながら、必死の形相を浮かべていた。
「"
爆炎を押し退けて、黄金色の衝撃がアモンを城壁ごと外へ吹き飛ばした。空中に放り出され受け身を取ろうとするも、アモンの体は地に落ちることなく周囲の瓦礫に圧し固められながら吸い込まれていった。
トマスは向かってきた塊を蹴り飛ばし、頭を鷲掴みにして地面に押し付けた。そのまま地中を巡り、地上へ抜け出して勢いよく投げ落とす。そして急加速しながら魔力を込めた拳を腹に叩き込む。
寸前、アモンは近くにいた悪魔を呼び出して盾代わりにするも、勢いはほとんど死なずに直撃。
「これでも潰れんとは、清々しいタフさ加減だ。惜しいものだよ」
アモンは吠えた。すると、呼応した悪魔達がトマスの首を刈ろうと四方八方から牙を向いて襲撃する。中には、名のある悪魔が五体いる。
「悪足掻きを。嫌いではないが、悲しいかな、余の前では悉くが無意味だ。――――"雷聖の【
そうトマスが唱えると、周囲の悪魔達に黄金の雷光が駆け巡って一斉に彼の頭上に集合した。集合というには力強く、お互いに引き合うようなものだった。次第に揉みくちゃに圧し固められ、耐えられなくなったトマトのように、真っ赤な飛沫を撒き散らしながらべちょんと潰れた。
視線を下に戻したところをアモンが爆炎を吐く。被術対象が他に向けば、多少はこちらの勝手が利く。そう踏んでいたのだが、逆に炎中から顔を踏みつけられる。
「効かんぞ」
「▼▲▼▲▼······」
「口を開くな。貴様等の声は耳障りだ。疾く滅せられよ」
アモンは戦慄した。勝てない。絶対に勝てない。間近で仕掛けてようやくわかった。爆炎は吸い込まれたのだ。トマスに当たる直前に虚空に消滅したのが一瞬だけ見えた。
恐怖に駆られ、目の炎は鎮火した。
アモンの震えを感じ取ったトマスは、ほほう、と顎に手をやって興味深そうに微笑んだ。
「心を乱して恐怖を煽り、その恐怖を糧とする悪魔が恐怖に染まるか。なんたる皮肉。情けの無いことだ」
トマスは足下に魔力を集中させ、黄金の雷を放った。アモンの身体は一瞬にして焼け焦げて崩壊した。
「恐怖のあまりに不和の魔術が事切れたか。同情はするが、相手が余であったことは幸運だったと思うぞ。今このとき、最も恐ろしいものがおる故な」
トマスはクレイがいるだろう方向に首を向けた。依然、凄まじい魔力出力だ。差程の時間は経っていないだろうに、収まるどころか上がっている。
このままではクレイの身が持つかどうか――――急いで向かおうとしたが、幾多の悪魔が行く手を阻んでいた。
「そこを
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
アルフヘイム区は昼のように明るかった。その街中で、虫達が天地を青白く照らしている光源を一心不乱に追っている。が、細剣ブランディーユの一振で一掃される。
屋根に降り立ったクレイの姿は、先程までとは変貌していた。全身から青白い雷光をバチバチと弾け、クセが強かった髪も刺々しく毛羽立っていた。
彼女の見下ろす先で、ひゅー、とゴエティアは感心した。予想していた以上の嬉しい誤算が表れたからだ。計り知れない潜在能力を有しているのは一目見てわかったが、まさかここまでのものだったとは思わなかった。
――――距離にして十メートル。この距離でもプレッシャーが伝わってくる。まるでドラゴンを相手にしているようだ。いや、空気の震え具合からしてそれ以上かな? デフォルトで属性を発生させるのはドラゴンと精霊の専売特許だが、空気の震え様からして種族最強格、
らしくもなく、憶測が飛躍する事態に冷や汗が止まらない。発汗機能は当の昔に退化したものと思っていたのに、長生きするものだなと喜ぶべきか、それとも妖精の皮を被った怪物の逆鱗に触れたことを悔いるべきか。
悔いる? それは無い。これまで無念に思えど悔いるようなことは一つも無かった。むしろ好機。隔世遺伝だろうが、本物と違わぬあの威風。この魅惑に抗えるものなど、果たしているだろうか。耐えられるわけがない。
「まずは質より量。どこまで持つか、魅せて貰おうか」
「······芸が無いわね」
ゴエティアは蜂翅を生やしたムカデを無数に放った。さらに、左右と後ろ、上からは蝿と虻、
これ等の魔蟲は先程落とされたものとは質が違う。外骨格は高濃度、高密度の魔力のハリケーンをも耐え切る。挟角に至っては竜の鱗も喰い破る。たかが属性を付与させた剣の一振で掻い潜れるものではない。
明らかに過度な挑戦状だ。この無慈悲で残忍な虫害をどう乗り越えるのか。加減を忘れたような挑発に、クレイは呆れ果てて溜め息をついてから、小さく唱える。
「【
王族に伝わる基本魔術の一つ。単に雷を放出するだけの他愛ないものだが、憤慨状態のクレイともなれば竜の咆哮に似た爆音と青白い閃電が過ぎ去った後には、凶暴な魔蟲達は一瞬にして塵となって空を泳いでいった。
「魔力は絶えず放出しているというのに、先程以上の出力だと?! この小娘、そんな魔力をどこに······違うな」
どれだけの才があろうと、長生きしているならともかく、十代後半の身で無尽蔵に魔力を内包するのはどうあっても無理だ。実状、魔力が破裂寸前だ、あれではそう長くは持たない。どうやって肉の形を保っているのか、ゴエティアの好奇心は止めどなかった。
クレイは彼の喜悦にまみれた様子にさらに憤りを募らせる。
「なんで、あんな奴が······みんなの方が、私よりもずっとずっとスゴいのに······なんで、どうして!!」
さらにクレイの雷電が勢いを増した。
まだ上がるのか、とゴエティアは狂喜する。
「どんな手を使ってでも殺してやる······どんな、手を、使っても! ウォォォォォォォォォォォォ――――――――ッ!!!」
突撃するクレイ。
ゴエティアはローブの翼を展開して、大きく後退。雷を含めた細剣の間合いは既に熟知している。動きは速いが対応できない程ではない――――筈だった。
「ぬぉ?!」
ゴエティアの右肩から左横腹にかけて浅くも一閃が通っていた。間合いを見誤った訳ではない。完璧に見切った筈。考察している間に、クレイが急襲する。
回避は止め、今度は漆黒の槍で受け止める。それで避けきれていなかった理由が判明した。クレイの持っている武器が、
「いつの間に持ち変えたんだい?」
クレイは答えることなく、ブロードソードを怒りのままに無秩序に振るう。その度に雷が激しく荒ぶって、防いでいても衝撃に襲われる。防戦一方のゴエティアは、一旦立て直そうと大きく後退。
クレイが一回転し、大振りによる高出力の一撃が来るかと思いきや、半周したところでゴエティアに向けたのはブロードソードではなく、今度は槍だった。油断したゴエティアの左肩を掠め、地に転がす。起き上がったところに、渾身の一撃を雷と共に振り落とす。バチバチ、ゴロゴロと余波は周囲の木々や建物に爆散しヒビを入れ、粉砕した。
ゴエティアは槍で直撃を避けたものの、左腕の感覚が無いことに混乱し、息を荒くしていた。だが、何となくながら、クレイの瞬間換装の真相がわかった。触手の悪魔を召喚してクレイを退かせ、起き上がる。
「成る程ね。感情の昂りによって魔式を開花させたか。凄いね。それも、初代の
ゴエティアの問い掛けをクレイは効いていなかった。妨害した悪魔をブロードソードで両断し、切っ先を憎き敵に向けて息を整えて構えを取る。
「馴染んできた」
そう口にする彼女の中で、魔力が落ち着いてきたのを感じ取ったゴエティアは苦い顔をした。
「これは僕も、本気を出さざるを得ないようだね」
ゴエティアは自身の胸を、心臓を握り潰すように強く掴み、悪魔の言語で詠唱を始めた。すると、彼の影が広く展開して、周囲の建物や木々を飲み込み、苦しむ骸骨のような亡霊へと変化して一点に集約した。続々とゴエティアの胸中へと潜入していき、やがて暗黒の柱が天を穿つ。下積みが済んだのだ。
「――――【
高らかに唱えられた。
破片を散らして崩れ去った後に現れたのは、頭の側面に一対、額から一本の螺旋状の角を伸ばし、コウモリの翅を二対生やした悪魔らしい悪魔だった。
筋骨粒々の肉体は底無しの闇を圧し固めた真っ黒で時折、光が反射するように深紅の濁りが過る。目は緑色で蝋燭のような怪しい光を放っていた。
「どうだい? 古代の悪魔研究の結集だ。人々の恐怖をかき集め、さらに複数体の名のある悪魔との完璧な融合。これこそ、完全なる調和を体現したというものさ。今の君と違ってね。さあ、第二ラウンドと行こうか?」
ゴエティアは手を合わせ、先に鍵爪のついた鞭を取り出した。
クレイはブロードソードから槍へと得物を変え、低く突進の構えをとっていた。
「"
電光を走らせるクレイの姿が消失し、次には槍の穂先が眼前まで迫っていた。寸前で受け止められたのは、全くの勘である。
「さっきよりも速くなっている!? 素晴らしい成長速度だ!」
ゴエティアが負けじと鞭をしならせて反撃する。クレイはこれを利用して柄に絡ませ、引き寄せて腹を思い切り蹴りつけた。怯んだところに、ブロードソードへと変えて繰り返し斬りかかる。
縦横無尽に踊る鞭を、槍で巧みに流して突く。ダメージは微量ながら、少しでも鈍りが見えればすかさず巣をつつかれた蜂の勢いで押し寄せる。
束の間も許さぬ猛攻にゴエティアは苦笑しながら鞭でいなした。槍を捕まえて動きを封じ、振り回して壁に叩きつける。さらに鞭を振るって追撃。
クレイは盾に変えて防いだ。
「防具までいけるのか?」
クレイは鞭を弾いてそのまま素早くブロードソードに戻して振り抜いた。腹部が大きく避けるも、ゴエティアは平然と回復して傷を防いだ。愛でるように自身の腹を撫で回す。
「素敵だろう? 現代の治癒魔術でここまで完璧に治せるかい?」
「ふざけないで。そんな程度で自慢するくらいなら、恵まれない人達に使ってあげなさいよ」
「ふざけているのはどっちだい? 一方的に概念を不要と排し、忌み嫌う者に一対何を恵んでやれと? むしろ、崇高な理念の糧となったことに誇りを持って欲しいね」
「理念······?」
「そうだ。今に比べ、古代は未知に満ちている。特に神話大戦以前の歴史は空白が多い。神、天使、悪魔、ドラゴン、精霊、原初の五種と呼ばれるかつての人外達によって紡がれていた空前の遍歴。それを我が身を落とし込んででも解き明かし、あわよくば現代に蘇らせる。ああ、我ながらなんと素晴らしき理念! なんと素晴らしき我が生涯! 世界万歳! 最早これは“幻想„と言う他無いとは、思わないかね?!」
ゴエティアは誇らしく、声高らかに己を示した。クレイは彼の一言一句が気に入らない。到底受け入れ難い。
“幻想„――――それはクレイが最も愛する言葉。この悪魔に身も心も喰わせた魔人は、自分の愉楽の為だけになんの関係の無い人々を不幸のどん底に叩き落とすだけに飽き足らず、汚ならしい理想論で穢した。
耐えられない。耐えられるわけがない。最低最悪の気分が、怒りに変換され青白い雷光となって迸る。
「歴史の勉強なら図書館で好きなだけやればいい。私達を巻き込まないでよ······」
「そういうものではないのだよ。衝動というものは」
「黙れッ!!」
激昂と共に雷光がゴエティアの側頭を穿つ。
「歴史を解き明かす? お前がやってるのはそんなことじゃない! ただイタズラに人の尊厳や命を弄び、破壊してるだけじゃない! それのどこが幻想だよ! 大概にしろよ!」
ゴエティアの傷はすぐに修復された。
「とことん頭が固いね。君はなんで、人類と人外で分けられているのか、知っているかい?」
「まだ続けるの? どうでもいいでしょ」
強襲するクレイ。攻撃を当てようと必死だ。だが、先程までの勢いはなくなってきていた。
ブロードソードのスイングの速度と鍔迫り合いの手応えから、ゴエティアはようやく限界が近づいているのだと推察し嘲笑する。
「チッチッチ。王族ならば、せめて自分の種僕のルーツくらいは押さえておかなきゃ」
クレイは一心不乱に剣を振るだけで、会話が成り立たない現状。ゴエティアは呆れながらも概説を続けた。
「原初の五種。かつて、理智を有していたのはこのたった五種のみだった。しかし、経緯は不明だが、五種の他にも知恵を身につけた種族が続々と現れた。それが現在の多くを占める人類人外だ。だが、ここで一つの謎が生まれた。何故、人類と人外をわざわざ別けているのか、だ。多くは五種が派生した後に固有の進化を遂げたと言っている。見事に滑稽な誤りだ」
「【
雷の勢いも沈んでいた。次第に魔力出力が落ちている。
「僕が見るに、“退化„だよ。細かく言えば、神の退化が人類で、その他の適当な残り糟が人外さ。さらに加えると、平和の確立だね。神話大戦と呼ばれる世界を巻き込んだ一大事が勃発したとき、ありとあらゆる場所で災害に迫る闘争が毎日のように繰り広げられていた。故に、生き延びる為に、敵を抹殺する為に、ただひたすらに平和や救済という途方の無いゴールまでの道筋を各々のやり方で全力疾走した。故に、当時の種族の力量、魔術文化は現代のように偏ってはおらず、貧弱ではなかった」
ゴエティアの自慢気な口調が、より軽やかになった。
「結論として、僕の願いは原初の姿を思い出して欲しいんだよ。平和という不要な時期を永続的に取り払い、恐怖や絶望、苦悩や危機感によって本来あるべき自分へと返り咲き、かつての栄華を復興させようという働きなのさ。おわかりいただけたかな? 培養品」
隙を見て、悪魔の舌でクレイを拘束する。
必死に踠いて脱出しようとするも、踏ん張っても上手く力が入らず舌も柔らかくて破れない。
「君の剣はもう僕には届かない。正直、天候を変えるほどの干渉影響力は歴史的に見ても類を見ない。魔力の素養だけなら、聖王トマスをも凌駕している。しかし、君は未熟だ。力を制御することはおろか、制御できていない。何度も驚かされたが、大したことはなかったね」
ゴエティアは凶悪な微笑みを浮かべ、涎を垂らした。
「安心してくれ。君は殺さない。君の魔力は有用だ。運用次第ではより強力な悪魔を呼べる。それこそ、神にだって手が届くかもしれない! さあ、とことん僕に付き合っておくれ。麗しの妖精姫。いつかの恵まれし
期待に胸を膨らませ、ゆっくりと手を伸ばすゴエティア。だが、寸前で黄金の火花が散って強烈な痺れが指から伝わってきた。結界に接触したときと似た反応だが、そうではないとすぐに否定。今まで以上の刺激だった。
「······また、言ったな」
「ん?」
「そうやって、またあなたは無差別に誰かを不幸にする! そんなの、絶対に許さない!」
「自分の力を利用されるからかい? だとしたら独善的だね。君の理想は、この世のまだ無限にあった筈の未曾有の可能性を、さらに削減することになる」
ゴエティアは痺れた手を擦りながら反論した。ふと、周囲に目をやるとバチバチと電光が小さく走っているのが見えた。違和感がした。
「それでもいい。私はみんなが安心して暮らせる世界が欲しい! なのに、あなたみたいな奴がいる所為で遠退くばかりだ! 私の邪魔を、私の幻想を妨げるというのなら、この世界からで出ていけーッ!!!」
クレイを縛っていた悪魔の舌が瞬く間に膨張し、弾け、その衝撃はゴエティアまで吹き飛ばした。起き上がると、周囲に更なる変化が生じていた。
クレイから再び目映い電光が放たれていた。夜が一瞬にして昼となり、空気全体がざわついていて、吸えば喉の奥がパチパチと弾ける。身体中が痺れに襲われて、悪寒が止まらない。この現象を、ゴエティアはすぐに理解した。
「"
魔力は外側に向かって流れる。魔法陣を介して円滑にした技能が魔術、その発展が魔式。そして今、クレイが起こしている現象は更なる延長線上だ。それも努力して得られる技術では決してない。高出力、高密度、高濃度の魔力領域を人為的に発生させる。身一つで地殻変動を起こすようなものだ。妖精どころか生物の範疇から大きく外れている。可能としているのは、歴史的に見ても原初の五種の中でも、神と精霊の二つのみ混じり物といえど、一体どこに実現させる力が――――。
「そうか······」
今一度、よくよくクレイを観察してようやく解明できた。彼女は魔力の供給速度が常人の数倍もあるのだ。消費すると同時に吸収し、無限に魔力を補填できる。
誰にも出来るものではない。才覚? 秀抜? そんな認識は浅く生ぬるい。
特異体質、もしくは突然変異――――やはり、やはりやはりやはり、間違っていなかった。目に狂いは無かった。彼女こそ至高。彼女こそ聖王を超える究極の逸材。
ゴエティアは興奮が抑えられなかった。全身にチクチクと障る痺れが快感に変わる程に、ずっと待ち焦がれていた奇跡の出会い。数百年、人類の皮を捨ててまで研究に没頭し、不毛にも思えた実験の末に、ようやく見つけ出した最高最適解の模範解答。崇高とはまさにこの瞬間の心境を言うのだろうと感銘を受け、抱懐していた感動が絶えず沸き上がってくる。
「素晴らしい! なんたる幸運! なんたる天恵! 君だ! 君だったんだよ、クレイ=フードュルブリエ! 君こそ、僕の求めていた“幻想魔境„だッ!!! ハッハッハッハッハ――――!!!」
狂い嗤うゴエティアを他所に、クレイは静かに考えていた。細かい攻撃は通用しないとして、気取られないよう魔力こ漏出を極限まで防いで体内で蓄えていた。一発逆転を狙っての行動だったものの、拘束を無理矢理に破った際に、微かに身体の端から端に通った感覚に僥倖を覚えた。
昔から身体はあまり強い方ではなかった。稽古に熱心になるまでは、ストレスも合間って病気がちになりやすかった。魔力という力に身を任せるようになってからは、売って変わって身体が軽くなって、風邪も引かなくなった。
元の形に戻していた
「ダミアノス······」
助けてくれた人達。支えてくれた人達。応援してくれた人達。ここに来るまでいろんな人達と関わってきた。そしてこの先に関わる誰かの為に、正真正銘の全身全霊を以てブランディーユに魔力と想いを込める。
――――誰かの為に在るのが冒険者? そいつはな、
いつか、最低の冒険者が口にした苦言。今こそこの言葉に流されてあげよう。ただし、一つだけ反論させてもらうとすれば、今からやることを意気地無しと嘲られるのならとくと嘲てみろ。妖精は果ての無い天を貫くために、どこまでも翅を羽ばたかせて冒険するのだ。
「神ハデス。聞いていなくてもいいから届いて。私が死んだら魂も何もかも差し出すから、どうか私に国を救う力を、愛する友達がこれからも暮らせる世界を与えてください――――白いウサギさん、もう一度勇気をください」
祈りを終えて目を開ける。その瞬間、クレイからこれまで以上に強く青白い光が発された。太陽に近い輝きを得た彼女は、一瞬でもドラゴンと見間違う威厳と風格を兼ね揃え、正しく妖精の姿をした天災へと変異を遂げたのだ。
無意識か、クレイは体内魔力の均衡を崩し、供給と放出の巡回速度がより向上している。そんなことをすれば、神経が耐えきれなくなり自壊し、身体中から血を噴出させる程のダメージを負う負荷がかかっている筈。それなのにクレイは平然としている。途轍もない魔力との親和性。最早、大海の如し魔力の奔流の中心となった妖精を前に、ゴエティアは感極まって涙していた。その胸中には感動の余韻と、自ら天賦を溝に捨てる行為に怒りが複雑に絡み合っていた。
「それ程の力を持って生まれて、折角ここまで成ったというのに、君はここで自己犠牲に勤しむというのかい!? 許さん! 許さんぞ! 生ける遺産がここで潰えるなど、決してあってはならないのだ! クレイ=フードュルブリエ! このわからず屋めがァァァァァァ――――――――!!!」
知られざる歴史の一端の消失。そんな悲劇的結末をなんとしてでも阻止しようと、ゴエティアは両手の中に魔力を押し固めてクレイへと向ける。
彼の形相を目にしたクレイは、憐憫と安堵を覚えながらただ思い付いたことを悲しき永劫の探求者へ返した。
「それでも私は、幻想が欲しい」
暗黒の闇が込められた絶望の宝玉と、純粋に救済を願う希望の耀き。相反する二つの力は衝突し、その余波は強烈な白黒の光と共に周囲に飛び散り、天を覆っていた積乱雲には大きな穴を開けた。
やがて土埃が収まり、戦いの結果が現れる。五体満足で姿形を残して倒れていたのは――――。
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