魔饗【サバト】




 特訓を始めて、そろそろ二週間が経とうとしていた。基礎体力はみるみる向上し、魔力操作の方も一個だけなら球状にして自在に動かせるようになった。

 身体は軽くなって、ピーロックさんの剣をある程度裁けるようになって武器を槍や弓に変えたりしてみた。シャカラータさんの体操にも慣れてきて、自然と瞑想も落ち着いてできるようになった。まだまだゼフィールさんには追い付かれるけれど、十回中八回は抜け出せるようになった。ジリエさんとの組み手も長時間継続させ、魔力操作に至っては私の作った球でキャッチボールまでしている。

 サヴァルノーイさん曰く、予定より早く上達しているらしく、魔式の収得は別として以前の私とは比較にならない程成長している。私も、特訓の効果が現れていると思う。最初の五日間は筋肉痛で寝るのも辛かったのに、今ではぐっすり熟睡できている。今ならダミアノスにも――――は、さすがにキツいかな。

 それにしても、だ。能力の向上に努めてきたけれど、一向に魔式に目覚める兆しは感じられない。暇なときに自主練はしているのだけれど、無いわ。何も無いんだわこれが。私のポテンシャルって、こんなもん?

 私は今、司令本部の一室を借りて暮らしている。今日の特訓が終了して、風呂上がりの暇潰しに読書中。ちなみに内容は、落ちぶれた下級貴族が妖精の力を借りて成り上がるも、最終的に際限無い欲によって身を滅ぼすというものだ。――――司令本部の図書館に所蔵されていたのを適当に持ってきたのだけれど、めちゃくちゃ複雑な読後感である。


「ねえ、アリス」

「なんでしょうか」

「おとぎ話の妖精ってさ、なんでなんでもできるのに私はそうじゃないの?」

「それは、そのおとぎ話の妖精が空想物語フィクションの中の架空人物キャラクターだからですよ」


 冷静なド正論、乙。


「そういうのじゃなくて······。どうやったら、私はこの話に出てくる妖精みたいに、誰かに頼られて即座に実現させる恩恵ちからを出せないのかなって」


 このおとぎ話には印象的な挿絵が二枚ある。

 一枚目は序盤。地面に膝をつけて両手を合わせて涙ながらに懇願する貴族の男に対し、慈愛に満ちた目を向けて聞き入れるふくよかな妖精のマダムという構図。

 これだけ見てると、男にとっては妖精がまるで神様か何かだ、いやそのものか。

 もう一枚が終盤。何もかもを失った男がまた手を伸ばして妖精に救いを乞うも、妖精はなにも応えてくれず姿も現さないという構図。

 この二つのシーンは正反対の展開が描かれている。男の行動は同じ。だけれど、妖精の出した答えが違う。

 表面上はそのようにしか見えない。けれど、実状は男の心が違っているんだ。最初は全てを擲ってまでも救いを求めていたのに、最後では何もかもを我が物にしようとする飽くなき欲を清々しくさらけ出していた。

 後書きの作者コメントには、『本当に得たいものは想っても得られない。そういう風刺を込めている。男の欲は誰しもが持つ弱さの虚偽であり、妖精は近道であるが他者の手では決して開かれるものではない。』とある。

 度しがたい。この小説の作者はとんでもないリアリストだ。絶対に気が合わない。


「アリス?」


 さっきから返事が無いから、本をどかすとベッドの横から私をジトーッとした目で見下ろしていた。


「な、なに?」

「いえ。この小娘、ゼッテー悪いオトコに引っ掛かるわ、と呆れていただけです」

「いくらなんでも畳み掛けすぎでしょ! 私だって男の人の見る目くらい――――あっ」


 悪いオトコの代表例ダミアノス・バイデント


「ごめんなさい。やっぱ自信無いです······」

「はぁ~。――――話を戻しますが。それは欲の張りすぎですよ。クレイ嬢の幻想は立派で素敵なものだとは思います。しかし、どうしたって想像の中でしか自分を無敵にできなません。どれだけ崇高で偉大な夢を掲げていても、現実に出来ないのであれば無意味です」

「冷たい······」

「だから頑張る。だから努力する。誰にも負けたくないから。置き去りにされたくないから。クレイ嬢は、きちんと努力できていますよ。幻想の為に頑張る貴女様の姿は、春の花園よりも美しい。私は、そんな貴女様をお慕いしております」


 声調は淡々としていながらも、アリスは優しく私を抱き寄せた。シーツのパジャマ越しに伝わってくるもっちりとした感覚が、顔の右半分を包み込む。

 温かくて、安心する。


「そう。だからアリスは私のためにこんなにお胸をおっきくしてくれたのね――――ぶぇアァァァァァァッ!!!」


 冗談半分で言ったら無言で光線をぶち当てられた。ただでさえクセの強い髪の毛が余計にチリチリになった。


「ここまでしたくたって」

「セクシャルハラスメントは絶対許さん勢なもので」

「同姓でそれ利かす?」

「同姓だからこそ、その辺の節操も慎んでいただきたく。それとこういうのはカイン嬢の役割なので。私はパスで」

「しれっと押し付けちゃってるよ。この堅物メイドが」


 戯れはこの辺にして、照明を消してベッドに身を預けた。けれど、眠りにつくには少しかかった。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 はい。寝不足です。

 結局、眠気が起きなかったから、魔力を発散させないよう体内で巡らせていたらそのまま夜が明けてしまった。

 いつも以上にピーロックさんの剣裁きが凄まじく、たくさんしばかれた後にシャカラータさんが背中を押しながら訊ねてきた。――――いつも思うのだけれど、感触的に踏みつけてる気がするのよね。シャカラータさんには、気の所為だってはぐらかされたけれど。


「姫様さ、俺等の知らないところでも特訓してたりする?」

「なんでですか?」

「無駄に疲れてんのが足の裏から感じてッからですよ」

「やっぱり踏んでんじゃないの! ぶぇ!?」

「はーい、腰を起こさない。――――早まる気持ちはわかりますけど、オーバーワークは身体に悪いですよ。何の為の暇かわかったものじゃない」


 淡々とシャカラータさんは注意してきた。

 彼の言い分はわかるけれど、私は早く強くなりたい。悪魔やドラゴンを相手にして、自分の未熟さを痛く思い知らされた。ダミアノスがいなかったら私は死んでいたし、スヴァルがいなかったらなにもできないまま仲良くみんなでブレスでミンチにされていた。

 とにかく悔しくて仕方がないんだ。都合のいい状況なんてそうありえない。少しでも自力で解決できる力が欲しい。


「私は弱い。だから、強くならなきゃいけないんです。急ぐのはいけないことですか?」


 訊ねると、シャカラータさんは押す力を弱めた。振り返ると、腰を下ろして視線を合わせていた。


「なあ、ダミアノスがなんで冒険者になったか知ってる?」

「いいえ」

「まあ、そうだよな。アイツは昔の事とか話さないもんな。案外シャイだし」


 シャカラータさんは面白そうに言った。私はそうは思えない。未だに彼の言動には不快感を覚える。


「あの人、冒険者には興味無いって」

「それは本当だろうな。奴にとってここは拠点でしかない。冒険者の稼業は半ば趣味みたいなもんだ」


 人伝に聞いてもやっぱり気に入らない。


「そう苦い顔するな。ろくでなしに違いないが、アイツにだって幻想はあるんだぜ」

「······どんな?」


 私は間を置いて訊ねた。シャカラータさんは少し物悲しい表情を浮かべた。


「この世から悪魔を絶滅させることだ。勘違いするなよ。単に復讐したいって訳じゃない。俺達の知らないところで、今もどこかで悪魔が呼び出され、理不尽な不幸に見回れている。それを思うと無性に腹が立つんだと」

「············」

「酔った勢いで漏らしてたから、多分本音。冒険者のことはいまいちよくわかんねぇけど、あんなんでもちゃんとしてるとこはちゃんとしてるんだぜ」


 正直、驚いた。暇な時には酒を飲んで、気が向いたら依頼に出向いてめちゃくちゃに好き放題暴れ回る。

 そう言えば、冒険者を志したときに兄上にこんなことを言われた。『冒険者には良い悪いがあっても、野望を持たない者はいない』って。ダミアノスにはそれが無いとばかり思っていた。けれど、シャカラータさんの話を聞いて、今までの彼とのやり取りを振り返った。

 偉そうにして、吐き溜を地で生きてきたようで、言うやること一つ一つが他人を舐めた態度ばかり。けれど――――そっか、彼の根底にも私と同じように柄みたい幻想があるんだ。······安心した。


「まったく、大義だよね」


 突然、背後からヌメッとした男の声が流れ込んできた。振り向こうとした直前に、シャカラータさんが私の手を引っ張っては後ろに回して拳銃を抜いた。

 私達の前には、ボロボロの真っ黒なローブに身を包んだ、まるで死神のような人物が立っていた。

 立ち姿からして明らかに普通の乞食じゃない。こんないかにも怪しい風貌をしているというのに、誰も侵入に気づかなかったの?! 一体、どこからどうやって······。

 周りにいた区衛兵達も異常に気づいて集まってきた。さらに、他の王衛星将軍ギャルド・アステリズムも迎撃体勢で一瞬で包囲している。シャカラータさんたちは、男の存在を私以上に危険視しているようで、揃って険しい表情を浮かべていた。


「盛大な歓迎痛み入るよ。しかし、少々物々しくはないかい?」

「抜かしやがる。首都はサヴ子の結界で厳重に守られている。アイツの手が離れたとしてもそれが抜かることは無い。隙間無い格子をどうやって潜ってきたんだって話だぜ。こそ泥」


 シャカラータが返すと、男は微笑んだ。


「こそ泥、ね。じゃあ、こそ泥らしくこそこそと泥に被れようじゃないか、な?」


 ローブの下から目が合った気がした。その瞬間、足元に何かが引っ掛かって、そのまま引き摺り込まれた。黒い空間に溺れたと思った次に見えたのは、上下が反転した視界だった。周囲にはシャカラータさんたちが鬼気迫る顔をしていて、すぐ横では男が枯れ枝のように干からびた手を伸ばしていた。胡桃色の爪が伸びた長い指が頬を撫でてきて、フードの陰から見上げる顔は醜悪で不気味だった。歯が真っ黒く、灰色の目が穿つように見つめている。

 両足が、影から伸びた黒い触手が巻き付いていて身動きが取れない。とても恐い······!


「君がかの有名な聖王の妹君が一人、クレイだね。お初に御目にかかれて光栄だよ」

「ふぅー、ふぅー、ふぅー······」

「そんなに恐がらなくてもいいんだよ。君はまだまだ長生きするから。周りにいる野次馬が妙な真似をしない限りね」


 シャカラータさんたちは、武器をやや下に向けて攻撃を待った。男の指はカサカサしていて、軽く撫でられるだけでもヤスリに擦られているみたいに痛い。


「それにしても、君の魔力は不思議だね。妖精特有の豊潤さを有していながら、どこかスパイシーな味わいが混ざっている。――――君はもしかして混血種ハイブリッドなのかな?」


 触れるか触れないかの距離で囁く男の声が、耳の穴に滑り込んでくる。這いずり回られる感覚がして、恐さを掻き立てられる。


「大丈夫。君の居場所は奪いやしないよ。僕が欲しいのはね。君の“これ„だよ」


 そう男が言うのと同時に、触手が私のお腹を撫でた。ぬるぬると気持ち悪い感触で、長い舌で舐め回されている感じだ。途轍もない不快感に襲われて、抗おうにも上手く魔力が練れない。


「慌てない、慌てない。もうちょこっと熟れてくれないと、君という存在は成らない。ここにいたら尚更ね。なんなら、僕の手で麗しく育てあげようかな?」

「ゴエティアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――――――――!!!」


 突如、上から怒号と共に紫の炎が落ちてきた。その拍子に私は触手から解放されて地面に放り出された。すぐにサヴァルノーイさんに受け止められ、結界に庇われる。

 男のいたところにはダミアノスが銀槍を突き立てていた。目を血走らせ、歯を剥き出しにして、ただならない憎悪を煮えたぎらせているようだった。それに今、一瞬「ゴエティア」って叫んだような······。


「いつか来ると思ってたぜ! こんな絶望に染め甲斐のあるおもちゃ箱を、お前みたいなクソッタレが見逃すわけがねぇもんな!!」

「まったく、熱いね。君は誰かな?」

「俺の顔を忘れたとは言わせねーぞ! ハウレスは元気か? あぁ?!」


 ダミアノスが訊ねると、男はふーむと考えてから思い出した。


「ああ! あのときのお兄ちゃん! 立派におじさんになったね」

「黙りやがれ! その誰の為にもならねぇ魂、とっととハデスにくべな!」


 ダミアノスは怒りのままに銀槍を振り回し、紫の猛火を男に向けて炸裂させた。突風と爆煙が一挙に上がり、跡形も無く焼き尽くしただろうに、ダミアノスは攻撃の手を緩めず炎を矢継ぎ早に放ち続けた。


「ダミアノス! もういい!」

「ッるせェ!!」


 シャカラータさんの制止を一蹴して、ダミアノスは攻撃を止めなかった。しかし、突如として爆煙は晴れた。男は平然と立っていて、彼を守るように黒い水が取り囲んでいた。


「まったく、乱暴になったものだね。悪魔を焼く炎とは、これまた珍妙な魔式を」

「クソがッ!!」


 ダミアノスは銀槍の尖端に炎を凝縮させ、特大の一撃を喰らわせようとしていた。けれど、後ろからシャカラータさんが掴みかかって力ずくで止めに入る。


「なにしやがんだ!」

「頭を冷やせ! そんなもんぶっぱなしたら、アイツだけじゃなくてここら一帯が吹っ飛ぶぞ!!」


 二人が競り合っている最中、男はその光景を笑いを堪えた様子で見ていた。


「こらこら、仲間内で争っちゃダメだよ」

「「クズは黙ってろ!」」

「手厳しいね。そのまま聞いておくれよ」


 男は黒い水に乗って、みんなを見渡すように高く宙に上がった。


「今日より半月後、このゴエティアは人類人外の楽園たるここ共生国家グラズヘイムにて、日の入りを機として『サバト』を開宴する」


 男がそう宣言すると、私含めみんな驚愕した。『サバト』という単語の意味を知っているからだ。安易に口にしていいことではない禁句。


「さあさあ、めくるめく歴史によって紡がれた十三の天地。これら全てを悪魔を用いて、血と絶望に染めてあげてみせよう。心中する覚悟を忘れぬよう、努めたまえよ」



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 アルフヘイム区中央集会場――――ゴエティア襲撃対策会議。

 ここには、ギルド、区衛兵、国政の三つそれぞれを統括する組織の最高幹部達が一様に集結している。その中央に座するは、グラズヘイムの皇太子トマス=ジーロフィクス=フードェルブリエだ。神妙な顔で頬杖をつき、足を組んで態度は粗悪だ。が、誰も咎めようとは思わなかった。

 国、引いては世界最強の戦力が静かに怒っているのだ。衝動的な魔力の漏出は見事に自制してはいるものの、それでも途轍もない威圧感が会議の空気を静粛に満たしていた。


「“サバト„――――古くは黒魔術師達による悪魔崇拝の集会。転じて、大規模な魔術的人災。またの名を『国堕とし』。確かにゴエティアはそう言ったんだね」

「ええ。間違いなく」


 区衛兵の総団長が答えた。


「成る程ね。いつか来るとは思っていたけれど、まさかこんなに唐突とはね。しかもわたしが海外に出向いているときに。他に何か、言ってなかったかい?」


 目を覆いながらトマスは訊ねた。次に答えたのは、サヴァルノーイだ。


「ウルサ副団長の証言では、彼はその······」

「どうしたのかな? サヴァルノーイ団長」

「いいえ。とても言いづらいことなのですが······ゴエティアはどうやら、妹君、クレイ姫に執心しているようでした。さらに鑑識の結果、腹部に妙な紋様を刻まれていたとのことで。恐らくは、奴の目的は姫様であり――――」

「サバトはそれを隠すためのカモフラージュ、か。安直だけれど、彼奴きゃつなら有り得るか」


 トマスが思考を巡らせていると、周囲が続々と焦った様子で発言する。


「よりにもよってかの害悪魔人の一角。これまでにない被害が予想できる」

「“喚起„のゴエティア。奴の魔術は悪魔を召喚し使役する。考えたくはないね」

「それもだが、姫様に執心しているというのも気掛かりだ。王族とは言え一介の冒険者。意図がわからん」

野良魔物クリーチャーの考えなんて、どうせろくでもないことさ。考えるだけ無駄だ」


 周囲が様々な意見を口にする中、トマスは静かに考えていた。彼を除いて、クレイが王族でないことを知る者はこの場にはいない。だからこそ、余計にゴエティアの動向が気になっていた。

 魔術を究明するあまりに、その身その心を魔の淵に落としてしまった愚かで憐れな魔人。わざわざマーキングをしてまで標的を定めている。ただの享楽ではなく、堕ちながらも己が身を顧みない底無しの探求心が健在であるならば、奴の真意――――ろくでもないに変わり無い、否、それ以上に腸が煮えくり返る。

 トマスは立ち上がり、全員に向かって告げた。


「まどろっこしいのは止めよう。徹底抗戦だ。――――十三領全域の冒険者、全支部の区衛兵に即通達せよ。幹部に従い領区の守護に徹し、敵は殲滅一択。王衛星将軍ギャルド・アステリズムはアルフヘイム区で王城の護衛。わたしも出る。宣戦布告、受けて立ってやろう。わたし達の愛する祖国を、穢らわしい悪魔共から死力を尽くして守り抜け!」


 決定は下された。幹部達の士気が上がり、各領地の全ギルド、全区衛兵の駐屯支部に即時伝達された。

 区民達は避難所に隔離し、極力外出を規制。一時的なギルドへの依頼も停止し、国中に冒険者、区衛兵が駆り出されていった。さらに海外からの応援も要請。二週間の内に、着実にゴエティアへの対策が厳重に講じられた。

 その間、クレイはダミアノスと共に司令本部に謹慎同然の扱いを受けていた。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 ゴエティアが現れてからというもの、ずっと空気が張り詰めている。それもそうよね。白昼堂々、国を滅ぼすって告げられたのだから、無理もないわよね。

 最近は険しい表情しか見ていない。なにか手伝うことがありますかと訊ねたら、口を揃えてありません。姫様は大人しくしていてください、と戦力外通告を受ける始末。

 最終的に待合室を出ることが許されなくなった。出ようとすると、外にいるアリスに阻止される。現状、雲の隙間から覗く夕日を見ながら、テーブルにおへそを曲げて突っ伏していることしかできない。

 私だって戦いたいのに······このお腹に付けられた紋様の所為なのかな。悪魔にもあった十字架を円で囲んだこれは、ダミアノス曰く目印らしい。理由はわからないけれど、ゴエティアは私に目を付けたみたいでサバトも彼の性格からしてほぼ余興に過ぎないのだとか。


「······また私の所為で」


 結局、私はみんなの迷惑にしかならない。しかも、今度は足枷どころの話じゃない。グラズヘイム全土を巻き込んだ戦争の火種だ。しかも、頑張りたいってときに露骨に匿われて······もう、しっちゃかめっちゃかだ。どうしていればいいのかわからない。


「ひゃっ!」


 突然、頬に詰めたいものが当たった。横を見ると、ガラスのコップを持ったダミアノスだった。中身はアップルジュースだ。


「気に入らねぇ面、晒してんじゃねーよ」

「ありがとう」


 励ましてくれているんだ。慎ましく受け取って、喉に通す。落ち着いてきた――――······と思ったけれど、ダミアノスから恐い空気をひしひしと感じる。原因は、十中八九ゴエティアだ。奇襲を仕掛けたときも、その後の攻撃し続けたときも、見るからに明らかな憎悪、私怨に突き動かされている感じだった。

 “五大害悪レメゲトン„はいろんなところで暴れまわっている。だから、多くが奴らに怨みを持っている。ダミアノスもそうなんだ。いつも飄々としているのに、あんなに感情的になっている彼を見たことがない。

 どうしても緊張しちゃう。非常に気まずい。


「何をもじもじしてんの?」

「ギクッ!······い、いや~······別に」

「まさか、俺に気を遣ってんのか?」

「んっんー!」


 適当にはぐらかそうとしたけれど無理だった。ダミアノスは呆れた風な溜め息をついて、私の前に来てテーブルをドンと踏みつけてきた。


「生意気。調子乗んなよ」

「え······?」

「え? じゃねーよ。お姫様でも俺を心配すんのは百万年早いって言ってんだよ。小娘が」


 いつもみたいにダミアノスは憎まれ口を叩いた。けれど、どこか勢いに欠けていて言い返す気になれない。

 強がっている。意地を張っているんだ。私が不安にならないように、悪態をついて緊張をほぐそうとしてくれている。

 まったく、ダミアノスの方こそ他人の事を言えない。私なんかよりも、ゴエティアと戦う理由がきちんとあるのに······。

 そんな私の心情を察したのか、ダミアノスは諦観した様子でまた溜め息をついた。


「ったーく、中身ばっか逞しくなりやがって」

「なんか、ごめんなさい」

「あ? 何を謝ってんだ? まさか、ゴエティアのことか?」


 私は小さく頷いた。


「けっ、益々気に入らねぇ。あんなクソ野郎のことで気を遣われるとか、超気に食わねぇ」

「でも、ダミアノスは、あいつが来てからずっと気が気でないじゃん。ゴエティアに攻撃したときだって、なんかあったとしか思えないし」

「だからって、なんでお前が俺に気ぃ遣ってんだ? 関係無ぇだろ?!」

「無いことも無いでしょ」

「あ? どこが?」

「ゴエティアの狙いは私だから!」

「······あ?」


 私は立ち上がっていた。ダミアノスは驚いていたようだけれど、気にすることなく声を張り上げた。


「理由はわからないけれど、奴は私を狙っている! サバトは多分、ついで。私の所為で、区民を、区衛兵を、冒険者を、国を危ない目に遭わせている。ダミアノスだけじゃない。みんなを不安がらせているのは、私だから······」


 苛々する。私一人じゃなにもできないのが悔しくて、その結果最悪の事態に陥ったのが悲しくて、どこまでいっても私ってどうしようもないんだなって、現実に痛め付けられるのが激しく辛い。

 どうすればよかったのか。どうしていれば、こんな気持ちにならずに済んだのか······考えれば考える程頭が痛くなって、全身がむずむずして気色が悪い。


「私は一体、なんのためにここまでやってきたっていうの? もう、わかんないよ······」


 涙が溢れて視界が眩む。何をしても打ちのめされてばかり。こんなんじゃ、白いウサギさんみたいになれない。誰かの隣にいて安心できるようになりたかったのに、それどころか真逆のことしかしていない――――私はどうしたら······。


「······なあ、いいか?」

「ぐすん······なに?」

「なんでそんなに、他人の為になろうって思えるんだ? 王族としては立派な精神だが、反って自分が惨めになるのわかってんだろ? 結局、誰かの為に傷つくんだから、お前は冒険者に向いてねぇんだよ。王族であろうとなかろうと、お前はもっと生娘らしく自分の為に生きるのが性に合ってんだ。この戦いには出るな。ゴエティアは俺がブッ殺す。お姫様は、黙って自分の身だけを案じていろや」


 ダミアノスは、あっさりとした口調で台詞を吐き捨てると出ていった。彼が後ろ手に閉めていった扉を身ながら、私はまたテーブルに突っ伏した。

 夕日が壁の向こうへと沈んでいき、青黒いベールが降りてくる。明日の今頃には戦争が始まる。そのとき、私の居場所はどこかにあるのだろうか······。





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