魔なる人【ゴエティア】




 どうも。クレイです。

 本日は快晴。生暖かい風が頬を撫でる今日この頃、私は馬車に揺られていた。隣にはアリスがいて、向かい側にはダミアノスがいる。

 なんでも、今日は特別訓練をするとのことでグラズヘイムの首都であるアルフヘイムへと向かっているところだ。なんでまたそんなことになったのかというと、先日受け取ったブランディーユの試用を兼ねて実戦したところ、どうにも魔力の巡りが悪くて暴発が多かった。

 ダミアノスの見解では、身体が武器に合っていないらしく、このまま地道にやったら非効率ってことで魔術にも武術にも優れたエキスパート達に鍛えてもらうというわけだった。なぜ首都に向かっているのかというと、それは私にも一つ心当たりがある。


「お! 来たぜ」


 窓から顔を出すと、巨大な城壁と石門が見えてきた。あれが首都と領地を別つ出入り口だ。門番にはガルグイユが採用されていて、門柱の上下内外に総勢八体が両端に石像に扮して構えている。

 一見すると不気味な怪物の像だけれど、めちゃくちゃ礼儀正しくてみんな子供好きな性格をしている。特に外側下の左のガルグイユは奥さんが妊娠中らしい。

 アルフヘイムに戻るのは冒険者になってから初めてだ。

 門を潜った先は森と街が一体化したような光景が広がっている。樹木が家になっていたり、木が家を呑み込んでいたりと、一見住宅というにはいささか廃れているような風景だけれど、これがアルフヘイム区の一般的かお家だ。

 空は木々に覆われてはいるものの、葉っぱ一枚一枚が太陽に反応して光を放っていてとても明るい。小妖精ピクシー達も楽しげな様子で飛び交っていて、馬車の周りに集まっては満面の笑みを向けて手を振っている。振り返してあげると、大いに喜んで光る鱗粉を撒き散らした。

 さらに進むと区民の姿が多くなった。首都ということもあって、大半が妖精属フェアリー。その合間合間に獣人や人類ヒューマンが紛れている。

 舗装された石畳の街路は広くて、いろんな馬車とすれ違う。たまに逞しい風貌のケンタウルスが牽引していたりして、これだけでも飽きない。

 陸路だけでなく水路もあって、そこは人魚属マーメイド魚人属マーマンなどの水棲人外たちが小舟を引いていたり路上ライブをしている。

 空路には、木々の枝の間を縫って人鳥属ハーピーや鳥類の獣人が郵便や木の実を運んでいる。

 共生国家をこの上無く体現した、まさに楽園だ。

 賑やかな街路を通り過ぎて、馬車は赤いレンガ造りの三階建ての建物の敷地に入った。ここは区衛兵の総本部である『国防委員ケルビム司令本部』だ。

 アルフヘイム区は国内で唯一ギルドが建てられていない。依頼があるときは十二の領地から派遣される。その為、区衛兵の中でも選りすぐりのエリートたちが首都の治安を守っている。そして予想通り、こここそがダミアノスが訓練の場所に選んだ場所らしい。


「降りるぞ」


 建物の中はギルドとは違って清涼感がある。赤い制服に身を包んだ兵士が沢山いて、珍しいものを見る目を私たちに向けてきている。ダミアノスが堂々と真ん中を歩いているからかもしれないけれど、それと同時に皇女わたしが来ていることに驚いている感じもする。

 階段を三階まで上がって、剣を天に向かって翳す女神の木像が出迎える。その後ろにある部屋に来た。扉の横の看板には『特兵控室』と彫られていた。

 ――――うん。やっぱりここだ


「ねえ、ダミアノス」

「なに?」

「アポ取ってる?」

「············タッハー!」


 誤魔化した!? わかりやすく誤魔化したよこの男!?


「んじゃ行くか」


 ダミアノスは軽い調子で扉を開けた。すると、突然何かが飛び出してきた。ダミアノスはそれに巻き込まれて女神像に背中を打った。――――で、彼と一緒に白目向いて横たわっている褐色肌の彼ってもしかして······。


「オラー! ショコ太ァ! 今日のおやつは私が全部貰うかんな! あー! このクッキーのパリパリ感、半端ないねー!」


 部屋から青藍の鎧を来た白髪の女性が出てきた。見せびらかすように羽毛の生えた腕に抱えたバスケットから、クッキーをむしゃむしゃと頬張っている。


「どーだ! 羨ましいか! 羨ましいか!? ハッハッハー! ザマァみろぃ!――――あ······姫様?」

「······どうも。サヴァルノーイさん」

「バクバク、ゴクン!――――ご機嫌麗しゅう御座います! クレイ皇女殿下!」


 ムリムリムリムリムリムリ! もう手遅れ! もう無理だから! 誤魔化せないから!


「オホン! 大変なお目汚しを、失礼」

「いいえ。私は何も見ていませんので······」



 彼女はサヴァルノーイ=C=スピカ。グラズヘイム最強の区衛兵部隊『王衛星将軍ギャルド・アステリズム』の団長さんだ。ガチョウの人鳥で、素敵な女性だ。

 けれど、そんな彼女のテンションがおかしくさせる原因が、今ダミアノスを巻き込んだ彼、熊の人獣シャカラータ=ミノル=ウルサだ。この二人は犬猿の仲でいつも喧嘩している。それは王族の間でも有名だから、今更なのよね。根は本当に愛国心や忠義に溢れていてまさに兵士の鑑なのに。ちょこっと残念。


「お気遣いありがとうございます。――――それで、此度は突然、なんのご用で?」

「そいつは俺から説明するよ。サヴァルノーイ」

「あなたは、ダミアノス・バイデント?! なんでまたあなたが? っていうか、姫様とアリスも一緒って」

「まあ、話は中でしようぜ。副団長こいつにも用がある」

「······わかった。どうぞお入りください。ほら、ショコ太! いつまで寝てんのもー」


 サヴァルノーイさんは少し考えてから言って、シャカラータを肩に担いで案内してくれた。

 部屋は空間拡張魔術が施されていて、まるで劇場のようだった。入ってすぐの階段を下りた先には、テーブルを囲うようにソファーが置かれていて、サヴァルノーイさんと同じく青藍の鎧を身につけた兵士が四名寛いでいた。

 巨人属ギガースの男性に、鮭を齧ってる白熊の獣人、それにババ抜きをしている人狼属ワーウルフの老翁兵と丸坊主の人類ヒューマンの男。

 顔触れが変わってるわね。


「おや? 団長、そのお嬢さんはもしや――――」


 丸坊主の人類ヒューマンがにやけ面で訊ねてきた。


「そうよ、ジェイク。皆も聞いて。本日、姫様がお出でになっています。何やら、私達に用があるそうなので集まって。まずは、このバイデントの説明を拝聴して。ささ、姫様はこちらに」


 サヴァルノーイさんに促されるままに、私は手前側のソファーに座らせられた。隣には白熊の獣人がいる。アリスは私の後ろで直立不動の待機を決め込むらしい。

 ダミアノスは右のソファーに腰掛けて、サヴァルノーイさんは未だ伸びているシャカラータをぽいっと軽く投げ捨ててその隣に座った。


「で? かの悪名高き“狂者バーサーカー„が、俺様達エリートに一体なんの用事なのかな? それも、第二皇女殿下とメイドを引き連れて」


 またも丸坊主の人類ヒューマンが訊ねた。なんかこの人の目付き、さっきからいやらしいのだけれど······私、なんかやったっけ?


「ジリエ、これから説明するから大人しくしなさい」

「はいはい」

「申し訳ありません、姫様。彼は新しく入ったばかりで、まだ口の利き方がなってなくて」

「別に構いませんよ」


 新入りさんか。サヴァルノーイさん、大半だなぁ。

 空気が落ち着いたところで、ダミアノスが口を開いた。


「単刀直入に言うと、オマエ等にはお姫様の特訓に付き合ってしてほしい」

「特訓?」


 サヴァルノーイさんが繰り返した。


「ああ。実はな、お姫様には半年くらいで魔式を修得して貰いたいんだが、どうにもぼちぼちやっても成果が出なくてな。それでオマエ等に頼みたいってわけだ」

「ふむふむ。話はわかったが、何故に儂等に頼む? 【真珠兵団パール】にだって相応の者がおろうて。それも、魔式を得るという名目であるならばなおのこと。この六人の中に、魔式を有しておる者もおらんし」


 髭を擦りながら人狼属ワーウルフの老翁兵が訊ねた。私も気になっていたのだが、まあ待てと焦らされていた。


「残念だが、魔式は覚えろといって中々覚えられる代物じゃねぇ。特にお姫様みたいなタイプはな」


 それ、どういう意味だよ。


「あとは、ついでに武術も教えてやってほしいんだよ。最近、武器を新調したんだが、手には馴染むが魔力と身体が追い付いていない。そういうところは、学園以上に基盤が成ってるオマエ等の方が適任だと思ったんだよ」

「成る程。なんとなく理解したわ。つまりは、武術に教えることによって魔力と身体の調和を高め、あわよくば魔式まで一気に覚醒を促すということだね」


 サヴァルノーイさんがまとめた。私もようやく意図がわかった。


「そうと決まりゃ、早速やるのみだな」

「ジリエ、待ちなさい!」

「なんだよ、団長」

「目標はわかったが、指針はまだ定まっていないんだ。まずは、姫様の実力の程を」

「それを今から確認するんだよ!」


 あちゃー、なんか険悪な空気になっちゃった。

 国の治安を守る区衛兵の頂点達が、自分たちの治安を守れていないって、これいかに?

 このまま一触即発の流れにいくかと思った瞬間、バーンと耳を打つような破裂音が響いた。シャカラータさんが天井に向かって、拳銃を向けていた。銃口からうっすら煙が昇っていて、音源は明らかにあれだ。


「うるせーな。ジリ助、またお前サヴ子を困らせてんのか?」

「副団長! 別に、そんなことは······」


 ジリエの顔が曇った。もしかして、シャカラータさんには逆らえないのかな?


「よっこらしょっと。ジリ助は座ってろ。試しはピロ爺、あんたでいいだろ。なあ、サヴ子?」

「ええ。そうしましょ」


 サヴァルノーイさんは落ち着いた様子で答えた。


「やれやれ。儂をなんじゃと思っておるのやら、この鉄砲小僧め」

「しぶとい老犬」


 直球だな!

 私の相手をしてくれるという人狼属ワーウルフの老翁兵は、ピーロック・コルカロリさん。見るからにこの六人の中では最高齢の大ベテランだ。

 しかし、シャカラータさんが選んでくれたとはいえ、かなりよぼよぼだけど大丈夫なのかな。腰もくの字に曲がっちゃって、剣を杖代わりにしている。なんか事故らないかすんごい不安なのだけれど······。

 試合は外の訓練所でやることになった。いつの間にか、他の区衛兵達が見に来ていて少し落ち着かない。


「姫様や、いつでもかかってきて構いませぬぞ」


 とは言っているけれど、マジで不安だ。でも、折角の機会だから、ちゃんとやらなきゃ。

 全身に魔力を巡らせる。――――大丈夫。今度はちゃんと出来てる。


「お願いします!」

「うむ」


 私は間髪入れずに突撃した。一瞬で間合いを詰め、ピーロックさんの肩を狙って剣先を伸ばす――――。



「だふ!?」


 あれ? 視界が上下反転している? もしかして、私地面に転がされたの? どうやって?


「ホッホッホ。中々に活発になられたな、姫様。しかし、まっすぐ過ぎるのは少々考えものですな」


 ピーロックさんは挑発気味に言った。

 魔力はちゃんと巡らせられていた。ブレはほとんど感じなかったのに、どうして?!


「ショコ太、団長さん、今ので十分じゃろ?」


 え?!


「そうだな。サヴ子は?」

「ええ。私も指針が定まったわ」


 あれ? なんか私、置いてけぼりを喰らっているのだけれど?! 今の一試合で全部わかっちゃった感じ?


「姫様、少しいいでしょうか?」


 サヴァルノーイさんが近づいてきて言った。


「姫様。戦闘時、いつもどのようなお考えで攻められていますか?」

「そりゃあ、まあ、魔力を全身に巡らせて身体強化を図ってから。特に速さを重視してますね」

「成る程。やはり」


 サヴァルノーイさんは深く考え込んだ。

 やはりって、もしかして私の闘い方に問題があるのかな?


「さっきダミアノスから聞いたのですが、その剣の素材はドラゴンの角で出来ているのですよね?」

「はい。そうですけど」

「先程の説明だと、武器を手にしてから魔力の巡りが滞るようになったと?」

「まあ、いつもよりは妙にスッキリしないというか、薄くなっている気はしますね」

「ふーん、となると、原因はこの剣ですね」


 やっぱり、そうなっちゃうわよね······。


「私には、相応しくなかったんですかね。ドラゴンの角という貴重な素材で出来た武器なんて、身の丈に合わないというか、さすがに図々しかったんですよ」


 手に馴染んだのも鍛冶師の腕が良かったのであって、私の扱いが悪いんだ。


「いいえ。それは違うと思いますよ」

「え?」


 サヴァルノーイさんは食い気味で否定した。


「確かに原因はこの武器、というよりは厳密には素材の性質にあるんですよ」

「素材の、性質?」

「はい。ドラゴンの角は魔力を貯蔵し放出をする、言うなれば魔法陣と似た機能を持った器官なんです。なので、魔力との親和性も高く、影響がでやすい。ここまでは理解できますか?」

「は、はい」

「しかし、姫様はただ流すばかりで留めていない。だから、剣から常に魔力が漏れ出ているんですよ」


 それってつまり······。


「私のやり方と武器の性能が合っていない、ということですか?」

「かいつまんで言えば、そうなりますね」


 なんじゃそれ。やっぱり相性が良くなかったってことじゃん! マジかよ――――ん? ちょっと待ってよ?


「常に魔力が漏れ出ているって、武器を持った瞬間からですか?」

「はい。ついでに言うと、魔力で身体能力を向上させた辺りからはより多くの漏出が見られます」


 それが事実なら、私は魔力の多量発散で疲労が出ててもおかしくない筈。けれど、今までそんな感じはしなかった。


「全然気づかなかった」

「これは私の、というかシャカラータと共に見立てた見解なんですが。もしかしたら、姫様は他の者より魔力の供給速度が速いのかもしれません」

「それって、どういう?」

「魔力は発散すれば、時間をかけて自然と供給されるもの。しかし、姫様の場合は、そうですね。使った時点から差程間を置かずに供給され、魔力をどれだけ消費しても疲労が起こりにくいのかもしれません」

「だから、今までこの欠点に気づかなかった?」

「はい」


 ······マジで? そんなことある?――――とまぁ、いくつか疑問に思うことはあるけれど、そこは特異体質的なあれということで置いておいて。ここからは、サヴァルノーイさんの設けた特訓メニューを続々とこなしていく運びとなった。それぞれ、王衛星将軍ギャルド・アステリズム六名の得意分野に振り分けたものとなっている。

 まずは剣術。私は、俊敏さにものを言わせた代々王族に伝わる武技を、改めて洗い直す体で個人の形に整える。要するに私なりにアレンジするのだ。その為に、一から剣の扱いを学びながら鉄製の剣で『立ち合い』をする。担当は区衛兵屈指の剣の達人ピーロックさん。最高齢であるが故の経験値を、物理的に身体に叩き込まれた。木剣じゃなかったらどれだけ輪切りにされていたることか。微塵切りかもしれない。

 ちなみにこのときも含め、特定の特訓以外は基本的に魔力は使わないようにと言われた。どうにも私は魔力に頼りすぎているということで、制限されてしまった。お陰で身体が重くて重くて思い通りに動けなかった。

 『体操』はひどいものだった。身体を軽やかに扱うための技術を身につける訓練なのだけれど、とにかく柔軟性を鍛えまくった。担当のシャカラータさん曰く、私は女のくせして硬いらしい。だからお腹、背中、腰、腕、太股、脹脛、手首、足首、身体のありとあらゆる関節部位をとことん虐められた。可動域が広がれば身体の動かし方も増える。わかるにはわかるのだけれど、死ぬような痛みに襲われるのはマジ勘弁してほしい。悲鳴をあげ続ける私に、シャカラータさんが唯一助言したことは、「耐えろ」。

 身体を虐め抜いた後は、身長十三メートルの巨人属ギガースのピッチェーニ・オリオンさん。一際迫力のあって口数の少ない彼との特訓は、『瞑想』だった。疲労回復の目的もあるのだろうけれど、無駄に意識を分散させない為の無我の境地というのか。一点集中とか、一新入魂とかピッチェーニさんは言っていた。ぶっちゃけ、サヴァルノーイさんの特訓で節々の痛みが凄まじく集中も何もなかった。

 次には脚力と回避力を鍛える特訓『追いかけっこ』だ。これにはシャカラータさんのお姉さん、ゼフィールさんが担当している。ただ単純に彼女から逃げるという内容なのだけれど、白熊の獣人故に時速六十キロメートルという大型肉食獣らしからぬ快速を発揮されて二分と持たずに捕まった。加えて、抱き締められた状態から抜け出せというサブメニューも実行しなければならない。背骨を折らないように加減はしてくれているのはありがたいのだけれど、爪が食い込んできて中々に痛む。

 そしてジリエさんとの『組み手』。小細工無しの真っ向勝負。これまでシンプルというか、剣以外の近接戦闘なんてほとんどやったことがないから、これはとても厄介だった。何せ目的がわからないんだ。なんの説明もなく、ただただジリエさんに投げられて、受け身をとればいいのかなと思ったのだけれど、関節技を極められたりもしてすぐに違うとそうじゃないと察した。

 散々、地面に叩きつけられたら最後にサヴァルノーイさんと『魔力操作』の特訓だ。彼女は結界術の名手で、緻密な魔力の操作は誰よりも上手かった。事実、アルフヘイム区全域を覆う程の結界を張っている。この特訓では、とにかく魔力を外に出さないよう意識しろと言われた。目標は、体外へ放出した魔力を固めてジャグリングができるようになること。最終的には属性すら押し留めて、身体や武器に固定すること。並々ならない集中力を要し、精神的なキツさで言えばこの特訓が一番だ。

 身近な力だからこそ、如何に私が傲っていたか、怠けていたのかを理解させられた。いろいろムカついたり、逃げたいとも思ったけれども、強くなれるのならどんな苦行も受け入れる。最強の兵士達が私の為に費やしてくれる期間は、たったの一ヶ月。それまでに魔式へと続く道筋を組み立てる。見てなさいよ、ダミアノス! 今度こそぎゃふんと言わせてやるんだから!



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 クレイが土埃にまみれている間、ダミアノスはシャカラータに司令本部の資料室に呼ばれていた。他に兵士の姿は無く、静かに似た景色しか見えず退屈な空気が流れる。


「いきなり何の用だよ。俺だって暇じゃないんだ」

「まあまあ、いいじゃねーかよ。そう長くはしねぇから」


 そう言って、シャカラータは一冊のファイルを棚から取り出してダミアノスに見せた。瞬間、目を見開かせて煙草が瞬く間に紫の炎に焼き付くされた。


「最近、国内各地で妙な魔法陣が張ってあってな。これは【曹灰兵団ウレキサイト】の研究データだ。こいつは、お前の領分・・・・・だろ?」


 ファイルにあった資料を一通り目にしたダミアノスは、目を険しくさせて無意識に殺気を放った。記載されていたのはいずれも、彼が最も忌み嫌い、この世から概念そのものを消し去りたい今生の獲物。それを呼び出す為の門。


「悪魔の召喚式か」

「ああ。それも、専用のインクでお絵描きする現代様式じゃなく、生物の生き血を使った原始時代もの。とんだ物好きがいたもんだ――――おいおい、それ引き千切んなよな? 弁償代バカにならねぇんだからさ」


 ダミアノスはファイルを置いて新しく煙草を吹かした。

 異様な殺気、明らかな動揺。それだけで、シャカラータは心当たりがあるなと見抜いた。というか、この日熊の青年はわかっててやった。


「大丈夫か?」

「ああ、問題無い。ちょっと、昔のことをだな」


 わかってはいたが、ダミアノスの反応が無ければ確信を得られなかった。

 グラズヘイム唯一にして屈指の研究機関第5号学園ギルド【曹灰兵団ウレキサイト】。国の歴史から新たな魔術の開発までを携わる彼等彼女等の出した見解だけでは、あの召喚式の魔法陣を解明できなかった。

 しかし、ダミアノスからしてみれば僥倖とも凶兆とも言える。彼にとって、少女の純粋な想いを『下らない』と踏みにじってまでも優先する生きる意味。


「シャカラータ······尾は掴めてるのか?」

「残念だが、まだだよ。けど、お前がそんな顔をしてるってことは、いるんだな?」

「ああ。いる。確実に。この国に。奴が······魔人、“喚起„のゴエティア」


 一部の野良魔物クリーチャーが崇拝する魔に堕ちた五名の人類ヒューマン――――“五大害悪レメゲトン„。

 古くは二千年前からこの世に存在し、死人や空間といった現代では再現不可能な古の魔術を操るとされる最低最悪の野良魔物クリーチャー達だ。五名全員、単独で国家転覆を謀れる程の力を有し、彼等によって唐突に地図から歴史からも滅せられた国が数多くある。世界共通で、最優先討伐対象とされる災害の象徴。そして、ゴエティアは悪魔を召喚し使役する魔術を得意としており、行動もどこか享楽的で彼の手にかかった者は、老若男女問わず原型を留めていられたものはいない。辛うじて生き残った生存者も、余程凄惨な光景を目撃したのか皆揃って廃人。

 出会してしまえば、生きるも地獄。死ぬも地獄。己の快楽を得る為だけに他者を絶望のどん底に陥れる。

 薄々、そんな予感はしていたが、まさか本当に来ていやがったとは――――シャカラータは武者震いした。

 また、ダミアノスに至っては喜悦で顔が歪んでいた。即座に手で隠したが、それでも「クククク······」と微笑みが溢れ落ちる。彼がここまで狂気的な反応をしているのは、彼が敢えて生かされた・・・・・・・・証言者の一人だったからだ。

 生まれながらに人一倍運動能力が優れていること以外、ダミアノス・バイデントはごく普通の少年だった。父は司祭で、母は元冒険者の魔術を教える教師。困ったときはバイデント。それが町の決まり文句であり、そう詠われる程のカリスマ性を有していた。ダミアノスも良心を受け継いで、幼い頃から困った人を見過ごせない性格だった。

 長閑な田舎町の英雄一家バイデント。裕福ではないものの、順風満帆な平凡な毎日。平和な日々を過ごしていた。

 そんな温かな暮らしに亀裂が生じ始めたのは、ダミアノスが十四歳になった頃、父が出張に向かったときだ。一人の子供の口から妙な話を聞かされた。


『夜に、先生が知らない男の人と歩いていた』


 ダミアノスは気の所為だと否定した。そんなわけがない。品行方正な母がそんないかがわしい真似をするわけがない。ましてや、町は山々に囲われていて外界とはほとんど隔絶されているようなものだ。知らない人となると、余所から来たというのは明白。何かの見間違いだとすぐに切り捨てた。

 しかし小さな異変は続いた。今度は酒を飲んでばかりいる恰幅のいい男だ。ダミアノスを見かけるやいなや、浮き足だった足取りで近づき、酒を渡してきた。


『先生に世話になったなと伝えておくれ』


 そう言伝を預けて。

 ダミアノスは驚いた。誰にも酒を譲らないあの頑固者が、あろうことか酒を譲った。それも下戸の母親にだ。妙なことに、渡したときには覚えが無いと母親に頭をかしげられた。これには流石に不信感が募った。

 気になったダミアノスは、その日の夜にこっそりリビングに隠れた。日を跨いでも誰も出ていかないことから、やはり杞憂なのだと部屋に戻ろうとした瞬間、誰かが玄関へと向かっていった。母親だった。フラフラとした足取りで外に出て、ダミアノスは後をついていった。

 母親は恰幅のいい男の家に入っていき、ダミアノスは窓からその様子を覗いた。その瞬間、吐き気を催した。逃げるように早足で家に帰り、近くの川で咳き込むまで込み上げる不快感を吐き散らかした。それから一夜が明けると、母親は平気な顔をしていつものように接してきた。

 気味が悪かった。昨夜の光景が何を意味するのか、ダミアノスにはわかっていた。後ろめたさはないのか。申し訳無さはないのか。相談しようにも、こんなことが知られれば人々からどんな目を向けられることか。追放されるかもしれないと思い、忘れようと努力した。

 程なくして、母親はよく吐くようになった。次第に顔色を悪くさせて、部屋に引きこもった。近くを通ると、扉越しにブツブツと何かを唱える声が気になって声をかけるも、母親は片目で覗く程度の隙間しか開かずに「大丈夫だよ」とにこやかに言った。だが、ダミアノスは見逃さなかった。開いた瞬間、刹那に合った母親の目は大きく真ん丸に見開いていて、果ての無い暗闇を写していた。

 部屋からは次第に生臭い匂いがした。風呂にも入っていないようで、通る度にノックをしては注意喚起を怠らなかった。その度に返ってくるのは、「大丈夫だよ」のたった一言のみ。一応、食事は摂っているから、それ以上の干渉は控え、人々も母親を心配して訪ねてきても、気を利かせて近づかせないようにした。

 考えうる限り最悪の想像が頭に過る。それを覚らせたくはない。ここにはまともな医者はいない。似た役割を果たしていたのが両親だったからだ。

 気がつけば、見舞いに来る者はいなくなっていた。町を歩けば、親切にしてくれはするものの、ギリギリ聞こえない声でヒソヒソと小さく何かを話している。恰幅のいい男も、逃げ出したのかいつの間にか姿を見かけなくなった。早く父は帰って来ないかと、祈らない夜はなかった。

 母親がこもってから、一年が過ぎようとしていた。未だに部屋から出てこない母親を憂いていると、ようやく父が帰ってきた。ダミアノスは抱きついて大粒の涙を流した。

 これでようやく元に戻れる。そう思って、手を引いて母親のもとへ連れていったところ、父親は唐突に顔を青くして逆にダミアノスを引き寄せた。生臭い匂いに驚愕した、にしては肩を掴む父親の手の震えようは尋常ではなかった。その形相はまるで、恐怖を写していた。

 なぜ躊躇っているのかと、無知なダミアノスは父親の制止を振り払って扉を叩いた。父親の帰宅を知らせると、扉はゆっくりと開いた。その向こう側を見て、ダミアノスもようやく父親の躊躇を理解した。

 そこにいたのは、痩せ細った母親の首にかじりつくおぞましい化物だった。見た目は彪に似ているが、魚とも蜥蜴とも言える肌の表面からはぬるぬると粘液が床に垂れ落ちて、濡れた髪から覗く真っ赤な目は炎のように揺らめき、怪しく光っていた。何より、尻尾が母親の股座と繋がっていた。


「大丈夫だよ」「大丈夫だよ」「大丈夫だよ」「大丈夫だよ」


 いつも返ってくる母の声。発していたのは化物の方だった。父親がすかさず魔術で攻撃するも、化物は尻尾を千切って軽々と避けて刹那の間に爪を立てて喉を搔き切った。口から地を垂れ流しながら倒れる父親を見て、次に目に写ったのは化物が振り上げた右手の爪。


「こらこら。六十四番、お兄ちゃんを虐めるのはやめなさい」


 煙を掻き分けるような柔らかな男の声がして、爪は寸前で停止した。肩に軽く手を置かれて、目を向けるとボロボロで真っ黒なローブ姿の男がいた。フードの下の顔が闇に包まれていて、まるで死神だった。


「君も、折角ママが苦労して産んだ弟なのに、辛辣じゃないかな?」


 男の声は耳元まで近くづいた。優しく、穏やかで、親身に寄り添った口調で諭してきた。


「さてさて、『羽ばたく十字架』の印章シジル――――虚報のハウレスか。実験は成功したけど、如何に凄腕の魔術師でも内包させられる魔力はこんなものか。質は悪くないんだけどな」


 男はハウレスと呼んだ化物を隅々まで見回した。それから、呆然のダミアノスを一瞥して失笑した。


「しかしまあ、滑稽なものだったね。聖職者の妻ともなると、他人の子を孕んだだけで容易く恐怖に支配されちゃってさ。まあ、一年も夫に放ったらかしにされて寂しかったんだし、無事に二人目も授かれて幸あれだよね。偶然って、本当に怖いよね? お兄ちゃん」


 ダミアノスは無反応だった。


「チッ。あーあ、ショックで参っちゃってる。ハウレス、お兄ちゃんを連れてきなさい。いいものを見せてあげよう」

「▼▲▼▲▼▲▼」


 ダミアノスはハウレスに引き摺られて、玄関の外へ放り出された。何やら騒々しく、空気が熱い。男に髪を持ち上げられて、更なる悲惨な光景を目の当たりにする。

 そこには、家が焼け、人々が殺し合っていた。婦女が産まれてまもない赤子を包丁で滅多刺しにし、子供が大人の首を絞めている。老人同士は殴り合い、夫は妻を火炙りに、兄弟は鎌で引き裂き、友人は死んでもなお友人を痛め付けた。お互いがお互いを憎み合うように、怒り、怨み、殺意だけが濃密に充満している。


「壮観でしょ。ちょっとよからん噂を流しただけで、些細にも不和が生じる。これだけ小さな田舎となれば、回りも早い上に勢いもつきやすい。結果的にほら、苛烈で盛大な御祭騒ぎだよ。裕福でなくとも、信頼さえあれば隣人だって愛し、家族同然に接する。だからこそ、その分生じる溝は大きく、深くなるというもの。下らなくも、これ程利用価値の高いものは無い。だから飽きないんだよ。まったく、絶望に勝る絶景は無いよね。しっかりと伝えておくれよ、お兄ちゃん? この“喚起„のゴエティアの起こした、面白おかしい道化達による饗宴を」


 その後、男は颯爽とどこかへ消えた。ダミアノスはただ見ていることしかできず、悲劇が終演するまで喉がはち切れる程の慟哭をあげ続けた。

 意識がはっきりしたときに広がっていたのは、焼け野原だった。人だった者は全て丸焦げになり、残骸と区別がつかなかった。いつも仲良くしていた年上の少年も、同年代で初恋の少女も、畑の耕し方を教えてくれた老夫も、果物を差し入れてくれる婦女も、みんな真っ黒くされてしまった。

 ダミアノスはおもむろに家に入り、両親のもとへと戻った。血は固まり、父母共に生気をこれっぽっちも感じない。屍。動くこと無く蛆虫に貪られるだけの死肉。

 見れば見る程、これが現実なのかと知らされる。

 何故こんなことになったのか?

 何故こんな目に遭わなければならなかったのか?

 何か恨まれるようなことでもしたのか?

 一体何に呪われたのか?

 考えれば考える程、出てくるのは渦を巻く混乱だけ。

 一体何が面白かったのか。――――······ふと、父の言葉が浮かび上がった。


『私達の信仰するハデス様はね、俗世では悪い神様と蔑まれているが、死した魂が現世でまた悪いことをしないか見守ってくださる大変面倒見のいい神様なんだよ。この世に生きとし生けるもの達は、前世から何かしらの罪を犯している。私の役割は、今世の祈りをハデス様の代わりに応じ、あの世でも優しい人に生まれ変われるよう取り計らうことなんだ。だから、私達は恐れこそすれど憎んではならないのだよ』


 ずっとこの教えに従ってきた。危ないことはせず、他人の為に生きようと志してきた。だが、その結果がこれだ。

 異変なら感じていた。すぐに知らせるなり何なりしておけばよかった。なりふり構わず行動しなかった答えが、悪魔に町を犯させた。

 ダミアノスは内心で何度も謝った。謝りながら、父の信仰する神に向かって叫んだ。


「俺は誓うぞ! 冥府の主導者ハデス! 必ず奴を! ゴエティアをあんたのところに叩き落としてやるッ!!」


 若き復讐者を歓迎するように、周りを紫の業火が囲った。

 こうして、冥府の執行代理人、殺戮の届け人、悪魔殺しの“狂者バーサーカー„、最低の冒険者ダミアノス・バイデントの道が開かれた。





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