空を見上げて【ブランディーユ】#2




 クレイがデーインの採寸を受けている間、ドーインはダミアノスに怪訝な眼差しを向けていた。

 彼が誰かと連れ立ってここへ訪れることはただの一度もなく、目的を図りかねていたからだ。しかも、連れてきたのがまさかの第二皇女と、聖王が来店したとき以来の髭が四散するのではと思う程の衝撃を受けた。


「ドーイン、これは俺の独り言だ。だから、オマエは聞き流すだけでいい」


 おもむろにダミアノスが言った。


「あのお姫様には、採寸の結果云々関係無く『雷霆岩フルグリル』を薦めろ」

「何を――――」

「聞き流せ。まあ、オマエなら断るよな? だが、俺は本気だぜ」


 ドーインは溢れる意見を飲み込んだ。

 『雷霆岩フルグリル』は単なる鉱石ではない。究極地帯ゲートエリアと呼ばれる、高濃度の魔力が充満する秘境に自然と生成される“魔石„だ。

 中でも、『雷霆岩フルグリル』のような属性まで付与されているものは数ある魔石の中でも、他に退けをとらない秘宝中の秘宝。尚且つ、ある強大な人外にとってはこれ以上無い御馳走でもある。その人外とは“ドラゴン„。原初の時代から生きている最古にして最強の生命体。

 ドーインが唯一知っている『雷霆岩フルグリル』の採集場所は、今では閉ざされていて誰も潜っていない。否、潜れなくなってしまった。

 その場所には、ドラゴンの中でもかなり縄張り意識の高い凶暴な種類が住み着いている。体長十メートル、翼幅十五メートルの巨躯でありながら、洞窟などの暗く狭い場所を好む。その性質から“巌窟竜種ファフニール„と名付けられた。奴が出現したことで、いくつもの鉱山が閉鎖され、無理して採集に出向いたものは容赦なく帰らぬ人となってしまった。


 ――――竜在る所に宝は在らず――――


 鍛冶師の間に人知れず流れていることわざだ。ドラゴンが棲息しているところには、如何に稀少で如何に高価な鉱石であろうと、決して踏み入ってはならない。

 ドーインは冷や汗をかきながら、警告を乗せて険しい視線を向けた。


 あれだけはやめておけ!!! 殿下のときとは何もかも違うだろう!!!


 ダミアノスは不適な笑みを浮かべていた。

 危険性は重々理解しているだろうに、とドーインは憤りを覚える。そこまでして、尊ぶべき王族の御息女に苦行を強いてなんとするか。

 武器は喜んで造る。しかし、工房にある素材を用いてだ。命を削る思いをしてまで手に入れた魔石で武器を造るなど、ドワーフとしては不名誉でも、ドーインとしては本望ではない。彼の流儀は、武器が生まれる前から所有者が手にすることで、愛着と信頼を与えて『心』『技』『体』の促進を図るというもの。言ってしまえば、ドラマ性を重視した浪漫的趣向。

 思い入れがあるからこそ、所有者と武器の絆が深まり、全体能力に親和性が高まるというもの。ダミアノスの考えでは、トラウマを刻み付けてしまい、下手をすればクレイの尊厳を踏みにじってしまう。

 ドーインの静かな疑問にと怒り、ダミアノスは煙草を吹かしながら穏やかに答えた。。


「俺はさ、信じてんだよ」

「······」

「今はまだ、ボケッとしてる間に鳥に巣作りされちまうようなポンコツだけどよ。もしかしたらって、柄にもなく期待しちまう」


 ドーインは話がわからなかった。ダミアノスの悪評は彼も耳にしている。そんな彼が『期待』だなんて、思わず聴覚神経を疑った。銀槍を造ったときだって、ありがたみを全く持たず、素っ気無く退屈そうにしていた。そんな奴が『期待しちまう』なんて性格に反した言葉を――――。


「言っとくけど、悪いもんは食ってねーぞ。要は、あいつはいずれ誰にも忘れられないような何者かになる。そんな気がしてならないんだよ。俺の目の前で、今じゃ誰も口にしなくなった『幻想』って言葉を出しやがってさ。もしかしたら、オマエにとってもいいことが起きるかもしれないぜ?」


 ダミアノスの目は、見たこともないような小さな光を宿していた。それを感じたドーインは、フン!!! と強く溜め息を吐くだけに留めた。

 ダミアノスがクレイの中に何を見たのかはわからない。だが、ドーインに出来ることは決まった。自身もクレイを信じ、幻想の礎を築く助力をすること。その為に、ありきたりな鋼を捧げるのは無礼である。

 誇り高きドワーフは、いつだって所有者を思い、武器を思い、そして互いを繋げる架け橋となること。

 ドーインは内心で誓った。見事、ドラゴンの根城から『雷霆岩フルグリル』を持って帰ってこれたのなら、聖王に与えた国宝を凌駕する超絶怒涛の武器を生み出してしんぜよう、と。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 時は過ぎて、現在。


「いやドラゴンいるなんて、ひとっつも聞いてないよォー!!!」


 クレイは事前情報の誤りに怒り心頭だった。ドラゴンの咆哮に負けず劣らずの怒号を洞窟内に響かせ、鬱憤を発散。即座に現状打破に脳を切り替える。


 どうするどうするどうするどうする?!! ドラゴンなんて、悪魔なんかよりよっぽど厄介だ! 何せ、純粋な暴力の塊! しかもよりにもよって、危険度トップクラスの巌窟竜種ファフニール


「どーすんだよ! こんなの!」

「クレイ嬢! それ一番言いたいのアタシ達なんだけど?!」

「そーだよねェー!!?」


 こんなのどうしようもない。速く逃げよう。そう思うクレイだったが、すぐに考えを撤廃した。ドラゴンからはバチバチと絶えず雷が放たれていて、直撃した岩石は容易く砕けた。これでは下手に動けない。

 寝床に侵入した不届き者を逃がさないよう、巧みに網を張っている。こうなれば、潔く喰われるか、気が済むまで逃げ隠れするか、あとは抵抗するしかない。

 そうこう考えていると、ドラゴンは大口を開けては深く息を吸いながら首を後ろに引いていた。

 クレイ達はこの動作を一瞬で理解した。


「あの構えは、ブレス······!?」


 これまでに無い危機感を察知し、各々防護結界を展開した。ドラゴンはゆっくりと首をもたげて天を仰ぎ、頭を振り下ろした次の瞬間には咆哮と共に一帯を白く染め上げてしまうほどの目映い光線を吐き出した。

 当然、一秒と耐えられる筈もなく、クレイ達は軽々と吹き飛ばされて地面を転がされた。幸いなことに、皆土埃を被る程度で済んだ。


「アチチチチチッ! もー、少し溶けた!」

「スヴァル?!」


 幼げな声が聞こえてクレイは目を向けた。スヴァルの背が縮んでいた。顔も小さく、着ているシャツとロングスカートがダボダボだ。

 ジャックフロストは熱に当てられると、若返る形で溶けてしまう。スヴァルの実年齢はクレイより一つ上。今の彼女は、大体十二歳といったところだ。

 クレイはまずいと内心でぼやいた。

 スヴァルはこの中では防御面に優れている。溶けてしまうと、その分魔力も削られてしまう。現状、全員を守りきれるかどうか怪しいところ。


 逃げるか? いや、現実的でない。隠れようにも障害物がほとんど無いのは魔力感知で確認済みだ。なら、喰われるしかない? ふざけるな! そんなのいいわけない! だったら······だったら――――――――


 苦悩するクレイの目に、一粒の光が視界に入った。ドラゴンの下に何かがある。擦ってからよく目を凝らすと、青銀の光沢を放つ鉱石群があった。

 あれこそ、目的の素材『雷霆岩フルグリル』だ。

 まさか、よりにもよってドラゴンのベッドにされているなんて――――そう文句を抱きながらも、クレイの顔は明るかった。


「戦うわよ!」


 ドーインからレンタルした細現レイピアを構えるクレイ。その威勢に、カインとスヴァルは呆然とした。


「正気ですか?! クレイ! あんなの敵いッこありませんて!」

「ダメ! ドラゴンの足元に雷霆岩フルグリルがある! ここまで来て逃げるなんて、勿体無さすぎる!」

「ですが!」


 カインの声はドラゴンの咆哮で遮られた。クレイの戦意を感じ取って、本格的に攻撃の意思を示している。

 こうなってしまっては、地の果てまで行こうと追いかけてくるだろう。


「諦めよう。カイン」

「スヴァル様ぁ~······」


 カインは目に涙を浮かべていた。スヴァルの言う通り、クレイがこうなってしまっては梃子でも動かない。ならば、ここは腹を括って第二皇女と運命を共にするまで。


「えーい! わかりましたわよ! やりゃあいいのねしょう! やりゃあ!――――"炎巧リュッシュ連雀罸グジロコプ"!」

「ははっ! そういうことだよ!」


 カインは機関銃を取り出し、スヴァルも袖とスカートを自分の丈に合うように千切って拳を構えた。残るアリスは静かに魔法陣を展開している。クレイが細剣レイピアに魔法陣を通して雷を付与し、全員の臨戦態勢が整った。

 恐怖心が全く無いわけではないが、不思議と身体は軽かった。魔力がどんどん湧き出てきて、力が絶え間無く漲ってくる。初めての感覚にクレイは無意識に昂っていた。

 そんな彼女が、ドラゴンには一瞬別のものに見えた。小さき弱者と思っていたそれが、まるで自身と似た暴力の塊の幻影が浮かび、堪らず激昂。威嚇に用いていた雷をより激しく撒き散らした。


「なんか興奮しちゃってるけど?!」


 風圧に耐えながらスヴァルが訴える。


「大丈夫! 今、ドラゴンには私しか見えてない」

「なんでそう言い切れますの?」

「あいつ、さっきからずっと私から目を離してない。私を一番に警戒してるんだよ」


 スヴァルは内心で納得した。そりゃ、あんなにドデカく魔力を出していたら、嫌でも目立つだろうな。


「で? どう動くの?」

「私が囮になる。その隙に、『雷霆岩フルグリル』を採って」

「マジ?!」

「じゃあ、あとはお願いね!」


 クレイは単身で突撃してしまった。


「チッ! もうこうなったら自棄だ。カイン、クレイ嬢を援護して! 石の回収はアタシとスヴァルでやるから!」

「わかりましたわ! お二人共、気を付けてくださいまし!」

「わかってる。アリス、いくよ!」

「承知しました。気配を【遮断シャットアウト】します」


 スヴァルとアリスに魔法陣が性急に向かう。

 クレイはドラゴンの周囲を飛行しつつ、攻撃をして意識を自分へと集中させた。頑強な鱗に守られている以上、何をしようが通じない。だが、鬱陶しく思わせるには十分だった。雷をクレイに集中放火するも、素早く回避されて苛立ちは募りに募る。

 その下では、気配を断つ魔術でドラゴンの意識から消え去ったスヴァルとアリスが頑強さにに手こずりながら雷霆岩フルグリルを採掘していた。

 さらにその外側から、カインが飛行しながら機関銃を発砲してチクチクとドラゴンを刺激。ハエに集られているような不快感を与えており、時折クレイへの反撃の手を緩ませている。

 何もドラゴンを倒す必要は無い。目的のものさへ手に入れられれば、あとは即座に転移して逃げるのみ。

 そう易く考えていたのも束の間。ドラゴンの憤慨は限界を越え、全方位へ向けて容赦無く稲光を弾けさせた。ゴロゴロと轟いたジグザグの火花は、岩壁を崩し、洞窟を広くした。しかしながら、侵入者達を仕留めることはできなかった。


「みんな! 大丈夫?!」


 耳鳴りが響くなか呼び掛けるも、返事が無い。ただ聞こえづらくなっているだけと、嫌な予想を振り払うクレイの目に、土埃の中で半円を描いている青白い光が見えた。埃が薄れた先には、アリスが立っていた。


「ナイス!」


 クレイは歓喜してすぐにアリスのもとへ降り立った。彼女の手には雷霆岩フルグリルがあった。


「採集は済んだ。あとは二人を探して帰ろう」

「では、転移の準備を――――クレイ嬢、危ない!」


 突然、アリスがクレイに飛び掛かった。その後すぐに、重い風が吹く。さっきまでクレイ達が立ってところを、ドラゴンの尾が叩きつけてきたのだ。


「逃がす気は無いってわけね。アリス、大丈夫? アリス?」


 アリスはクレイの足の上で唸っていた。向きを変えると、左腕から多量に出血していた。


「アリス!!」


 先程、クレイを庇ったときに飛び散った岩石の破片に抉られたようだ。すぐに治癒魔術をと手を翳すも、やめた。

 抉られたのであれば破片が体内に残っているかもしれない。摘出しないまま治せば常に激痛が伴う。

 痛みに悶えるアリスを見て、クレイの動悸が激しく鳴った。ついてきてとお願いしておきながら、こんな深傷を負わせてしまった。

 身勝手故の罪悪感が押し寄せてくる。視界が歪んで、息も絶え絶えになる。


「ごめんなさい! ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい······!」


 頭が混乱してる、整理しないと、アリスが怪我してる、治さないと、ドラゴンがまだいる、早く逃げなきゃ殺される、カインとスヴァルはどこ? 整理しないと、整理しないと、アリスを治さなきゃ、早く逃げなきゃ、ドラゴンがまだいる、アリスを治さなきゃ、アリスが死んじゃう――――


「「クレイ嬢!」」


 カインとスヴァルが駆け付け、クレイとアリスを急遽担いで逃避した。ドラゴンがブレスを放っていたが、なんとか逃げ切った。


「しっかりしてよ! 死にたいの!?」


 スヴァルがクレイの肩を激しく揺さぶった。しかし、無気力で反応が貧しい。


「おい! 前々から思ってたけど、あんたは身の丈に合わないことばっかりするよね?!」

「スヴァル様?! こんな非常時に説教ですか?!」


 カインがアリスの腕に冷水をかける等して応急措置をしながら怒鳴った。しかし、スヴァルは無視して続けず。


「クレイ嬢! アタシがあんたの親友になりたいと思ったのは! アタシの勘が、あんたといれば面白おかしいことが起こるんだろって予感したからだ! それなのになんだよこのザマは!? 情けないにも程があるぞ!!」


 スヴァルの怒りは、一見すると手のひらを返したような自分勝手な憤慨だ。だが、真意は全くそうではない。

 クレイは第二皇女、だから近づけば何かしらの恩恵が自分に与えられるかもしれない。そんな卑しい期待なんて、初めて会ったときにすぐ捨てている。今ではむしろ、そう思われることに腹を立てる程だ。

 クレイに怒っているのは、民としてではなく、側付きとしてでもなく、紛れもない『親友・・』としての怒りだった。

 スヴァルの言う『面白おかしいこと』というのは、詭弁だ。彼女がクレイを、純粋に尊敬している。狩猟民族の生まれというだけで、やれ「野蛮人」だの、「近づいたら乱暴される」だの、貴族連中の坊っちゃん嬢ちゃんから陰湿な迫害を受けた。そこを助けてくれたのがクレイだった。国の頂点に生まれた第二皇女、それも聖王の妹に生まれた彼女の側にいれば、面倒事に巻き込まれずに済む。

 それから、クレイの他者への純真な振る舞いを近くで見ている内に、愚かしくも甘く、温かい味を忘れられなくなってしまっていた。彼女は傑物とは言えない。第二皇女の冠を被せられた哀れな少女だ。それでも、独特の気高さが親友の知る妖精姫の魅力だ。

 ――――綺麗な彼女が崩れる姿なんて、見たくない。


「クレイ=フードゥルブリエ! 理想を押し付けるなんてくどいことしたくなかったけど! あんたはアタシにとって最高なんだよ! あんたがいるだけで、アタシはこの胸に熱を感じられるんだ! カインだって、アリスだってそうだろ! 皆は知らない! あんたも、自分のことをなんにもわかっていない! あんたはあんたが思っている以上にスゴい奴なんだ! だから頼むよ! あんたは折れるな! そんなんで、幻想を叶えられんのかよ!」


 クレイの瞳に光が戻った。スヴァルの熱烈な言葉が起因して、以前にダミアノスに自ら宣言したことを思い出した。


『私という存在そのものが、みんなを安心させられるようになりたい』


 溜め息が零れる。びくびくしている自分に嫌気が差す。こんなところをダミアノスに見られたらと思うと、つい笑いが込み上げてきた。


「はぁ、本当に情けないよね。――――ごめんなさい。スヴァル、カイン。不安にさせちゃったわね。アリスも。私の不注意で······本当にごめんなさい」

「······これしき······掠り傷ですよ」


 アリスは額に汗を浮かべながらも、冷静に答えた。腕には既に包帯が巻かれていたが、血が滲んでいて痛々しい。それでも強がるメイドに、クレイは笑顔を保った。


「あとは私がやる。二人はアリスをお願い」

「まさか、一人でやるおつもりですの?」

「大丈夫なの?」


 カインとスヴァルの疑問に、クレイは自信満々に答えた。


「やってやるわよ」


 下を向いていられない!――――そう己に発破をかけた一匹の妖精が、悠々とドラゴンの前に姿を現す。

 依然、ドラゴンは怒髪衝天ながら、冷静にクレイを目に捉える。小さな棘を持って立ちはだかるその姿は、古くに洞窟を荒らし回っていた虫螻共と同じ筈なのに、どうしても胸がざわざわと騒いでいる。


「ここに来たのは私の勝手な都合よ。お互いに事故だった。仕方の無い不慮の事故。だけれど、こうなった以上は妥協も遠慮もしない。悪いけれど、そこをどきなさい」


 クレイから発せられる魔力の波動は、空気を突き抜けてドラゴンの鱗まで到達した。

 まただ。またも小さきものが別のものに見えた。今度は声も曇って聞こえ、ただならない威圧感が魔力の波に乗って、猛々しく吠える同胞の姿を映し出した。

 現実からあまりにかけ離れた現象。しかし、決して錯覚ではない感覚なのには間違いなかった。

 背筋が凍てつく。身体が震える。

 この心境を“恐怖„と自覚した途端、薙ぎ払うようにドラゴンは洞窟を咆哮を張り上げた。

 クレイは風圧に耐え、おもむろに翅を広げた。


「いくわよ」


 身体全体に魔力を廻らせて身体能力の向上を実行。間髪いれずに駆け出す。

 真っ正面から攻め込んでくるクレイを、ドラゴンは力強くブレスを発射。

 直進する破壊の閃光を、ギリギリのところで飛び立って回避。そのまま俊敏に接近し、細剣レイピアを振るった。ドラゴンの頬を掠め、若干鱗が削れた。

 傷をつけたことに更に怒って放電。

 複雑な捕獲網をクレイは素早く掻い潜り、今度はドラゴンの頭を殴るように斬りかかった。その後も、頭を重点的に狙って攻撃し続ける。

 勢いは弱めず、刺激が絶えないように、己が今どんなことになっているのか教え込むように、とにかく、とにかく、剣を振るって雷を叩きつける。

 激しい猛攻を受けるばかりで、ドラゴンは最早クレイの動きを捉えられていなくなっていた。時折、視界を過る電光石火の軌跡が見えるも、掴もうもしたときには既に攻撃されて意識が削がれる。ここまでたこけにされたのは初めてのことだった。百年以上を生きてきて、まさか小さきものに一方的にされるがままになるとは。予想外の事態に、ドラゴンは怒りを沸々と煮えたぎらせ、ところ構わずブレスを放出。

 クレイの狙いはこれだった。ドラゴンには食道、肺とは別の器官があり、ブレスはそこから放たれている。構造上、エネルギーを貯めるためその器官と口内だけは頑丈に作られているが、他はそうではない。クレイはドラゴンの頭上を取り、細剣レイピアの刃へ一心に雷を収束させて急降下した。


「"嵐の突撃タンペット・ラピエル"!」


 一瞬、辺りに目映い閃光と共に青白い電光が迸った。渾身の突きは細剣レイピアを折ってしまったものの、見事にドラゴンの口を閉ざすことに成功した。突然のことでブレスは止まらず放出を続け、結果的に肺や胃へと暴走して中身をズタズタに破壊した。

 怯んでいる隙に、クレイは地面に落ちていた雷霆岩フルグリルを一個拾って真っ先にアリス達のもとへ。カインが手を伸ばして、クレイの手を掴んだところで即座にギルドの医務室近くへと転移し、難を逃れる。

 事務室で資料整理していたタカネの耳にゴトゴトと慌ただしい音が入り、隣を開けるとクレイ達が山積みになって倒れているのを目撃した。


「お前達、こんなところで何をしているんだ?」

「タカネ先生······急患、です」


 唖然とするタカネの疑問に、クレイがくたびれた様子で答えた。彼女の手には、小さくパチパチと音を立てる青い石がしっかり握り締めてあった。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 後日、私は朝早くから真っ先にドーイン鍛冶工房へと急いで向かった。

 まだドキドキしてる。全然興奮が抑えられない。私はドラゴンに一泡吹かせて、自力で手に入れたんだ。達成感がスンゴイ。早く武器を作ってほしくって堪らない。

 アリスはタカネ先生の手際よい治療によって一日も経たずに完治。今は寮の私の部屋を掃除して貰っている。あんなことがあったばかりなのに、いつも通りだった。

 下手したら死んでいたかもしれない。全滅していたかもしれない。そう想像するととてもとても怖かった。

 ドラゴンは生ける自然災害。そんな奴と相対し、襲撃された。たった四人の新米冒険者でどうにかできるような、簡単なものじゃなかった。それでも生き残った。······生き残れたんだ。

 まるでお伽噺のような命懸けの冒険譚を、私たちは無事に切り抜けた。なのに、なんなんだろう。スヴァルに奮い立たされたときに、ドラゴンと一人で対峙したときのあの気持ち。今、私が感じている祭りの後のドキドキとは違う。もっとこう、身体が空気に溶け込むような変な感じ。

 私の中で、何かが変わってきている······?


「よ」

「わっ!」


 気づけば、ダミアノスが顔を覗き込んでいた。

 神出鬼没だな、ホントに。


「それが素材か?」


 私の手中にある石を指差して訊ねられた。


「うん。命からがら」

「そうかい。じゃあ、今から武器を作って貰うってところか。じゃあ、いこー」

「なんであなたが仕切ってんのよ! 棒読みだし」


 工房に着いたら、早速ドーインさんに雷霆岩フルグリルを渡しつつ事の顛末を話した。兄妹揃って驚いた様子で、特にデーインさんの方は目が眩んだのかその場に膝から崩れ落ちた。

 ドーインさんは私の採寸にも使ったルーペで、雷霆岩フルグリルをまじまじと見ていた。何度もレンズを変えて、石の質を慎重に調べている。

 穴が空くほど見続けたと思ったら、突然、ドーインさんは手を震わせて石を落として尻餅をついた。


「ドーインさん、大丈夫ですか?」


 起き上がらせると、ドーインさんの様子がおかしかった。顔は青ざめて、髭が興奮した猫の尻尾みたいにボッと膨らんだ。


「こ、ここここここ、これは!!! これは!!! こぉーぅるぇーはァァァァァァ――――――――!!!」


 ドーインさんは石をまるでムカデを前にしているような尋常でない怯え様で、震えながら石を指差して叫んだ。

 私、持ってくるもの間違えたかな? いや、青黒く、艶があって、擦ると電気を発する。何度も確認したけれど、ちゃんと雷霆岩フルグリルの筈だ。間違ってはいないと思うのだけれど······。


「ひ!!! 姫様ァ!!!」

「はぃー!!!」


 ビックリしすぎてつい声が裏返っちゃった。


「な、なんでしょうか?」


 ドーインさんはデーインさんの肩を借りて石を拾い上げ、私に見せつけるように差し出した。


「これは!!! 雷霆岩フルグリルではありません!!! “竜角リュウカク„です!!!」

「リュウカク?」

「ドラゴンの持つ部位の中でも!!! 最も硬く!!! そして最も濃密な魔力の発散器官ですぞ!!!」

「え?······えぇー?! じゃあ、武器は作れないんですか?」

「とんでもないッ!!!!!」


 ワーオ、一段と声がデカーイ。耳の奥でキーンってなってる!


「我々!!! 鍛冶師の間ではまさに奇跡と呼ぶ素材があります!!! “亀甲キッコウ„、“鳳冠ホウカン„、“麟毛リンモウ„、そして“竜角„!!! いずれも名だたる安寧と幸福を象徴とする幻の獣の一部!!! 瑞兆の一旦!!! 手にしたものは永久なる栄光を授かるといいます!!! 長年魔力を蓄えただけの魔石とは比べ物にならない超逸品なのですぞォォォォォォ――――――――――――ッ!!!」


 顔を近づけながら、ドーインさんは説明してくれた。

 興奮してるとはいえ、背中が壁についてるから、これ以上は近づいてほしくない。けれども、なんだかスゴい話になってきた。

 雷霆岩フルグリルを取りに行ったら、まさかのそれ以上に価値のある素材を手に入れてきてしまったらしい。

 ドラゴンの角。そう言えば、頭を攻撃したときに砕いてしまったみたい。······砕いてしまった?

 あ!――――すっかり忘れていた。ドラゴンを攻撃したときに折ってしまったんだった。

 私は【収納空間ストレージ】から借りていた細剣レイピアを取り出した。


「ごめんなさい! これ、壊してしまいました!」


 深々と頭を下げて全力で謝罪する。

 ドワーフは武器の扱いにはとことん口うるさい。学生時代に授業で折っちゃって、全身の毛をむしりとられるかってくらいにめちゃくちゃ怒られた。

 ドーインさんも他の鍛冶師のように並々ならない情熱を持っている職人だ。しかもボリュームがあれだから、多分私の耳の命日は今日です――――って。


「······あれ?」


 ドーインさん、竜角に夢中で私の声が聞こえていないっぽい。目を輝かせて、くるくると踊っている。

 私の全力の謝罪は? 全部ガン無視?


「えっと、ごめんなさい」


 デーインさんが見かねた様子で言ってきた。


「兄は昔から、奇跡の素材で武器を造るのが夢だったので。半ば諦めかけていたところに巻き込んできて、嬉しくて堪らないのです」

「そうなんですか」


 そう言われると、なんか嬉しいな。


「ハッ!!! こうしてはおられん!!! デーイン!!! 早急に取り掛かるぞ!!! ドワーフ一万年の奥義を以てわが一族の汚点を遥かに上回る究極の魔剣を鍛え上げてみせましょうぞォォォォォォ――――!!!!!」

「はい! 兄さん!」


 デーインさんは大声で答えて、袖を捲ったドーインさんと一緒に奥の作業場へと向かった。その間、轟音から逃れようと私とダミアノスはそこで待つことにした。


「タッハー! 大したもんだな、お姫様。なんかやるんじゃねぇかとは思ってたけど、まさかドラゴンの角を持って帰ってくるとはな。こりゃあ、いい酒の肴ができたな」

「むぅ~。結構、大変だったんですからね?」

「はいはい。で? そんな大冒険してて、さっきの浮かない顔はなんだ?」

「え?」


 私、そんな顔してた?


「なんでキョトンとしてんだ? まさか自覚なしかよ? おいおい······」


 ダミアノスは呆れた様子で溜め息を吐きながら頭を掻いた。

 勝手に話題を振っておいて勝手に飽きられた。腹立つ。


「別に、なにもないわけじゃないのだけれど」

「······ふーん」

「なんでニヤけてんの? 煽ってんの?」

「別に~」


 ん~、言うべきなのだろうか。悩みというには些細なことだし。何より――――こんなのに話すのはなんかヤだなぁ。


「戸惑ってんだろ? 危機一髪のところを自力で乗り越えたんだ。そうなるのも無理はねぇ」

「見抜かれてんじゃん!――――って違う違う。それ、どういうこと?」


 ダミアノスは神妙な面持ちになった。


「高揚だよ。オマエは多分、初めて死の淵に立ったんだろうな。アガレスやバルバトス、他いろんな戦地では味わってこなかった。まあ、俺がいたから当然だがな」


 鼻に付く言い方。


「だが、今回は違う。ドラゴンと出会して、これまでにない恐怖心がオマエを襲った筈だ。違うか?」


 そう言われて、アリスが怪我した瞬間を思い出した。


「······違わない」

「だろ? で、そんなどん底をオマエは飛び越えた。これに勝る快感なんて、そうは無いだろって話だ」


 ダミアノスは私のがしがしと頭を撫でて嬉しそうにしていた。鬱陶しくてすぐに振り払う。

 それっぽく説かれても、まだ不可解な感じがしてぱっとしない。言われてみれば、そうとも言える気はする。するのだけれど――――


「なんか複雑」

「なんで?」

「だってそうじゃない。ダミアノスの言い分だと、私が危ない局面になると興奮する変な妖精さんみたいじゃん! ヤだ! なんかスンゴくヤだ!」

「別にそうは言ってないだろ?」

「それでもヤーだ!」

「あぁ、めんどクセェ」


 やっぱり話すんじゃなかった······。私がそんなマゾヒズム紛いの喜悦を抱くわけ無いじゃない。――――と、雲が突き抜けるくらい盛大に否定したいけれど、実際に胸の妙な昂りを感じたのも事実。私ってそういう癖があっちゃったりするのかな······本当に複雑だわ。


「言っとくけどさ······」

「なんだべさ!」

「そう棘を飛ばすなよ。俺だって、オマエみたいに高揚感を感じてるんだぜ。強い奴程余計にな。バルバトスんときだって、かなり感じてた」

「えっ······!!?」

「ガチで引くなよ。辛くなるだろ。――――まあ、あれだ。一皮剥けたってやつだよ。危機感ってのは大事なものだ。それに飲まれるか、逆に飲み干しちまうかで、一秒前とは景色が別物に見える」


 ダミアノスはまた頭を撫でてきた。今度は優しい、というよりは柔らかくて大人しい感触がした。口調もどこか照れ臭そうだった。

 なにをらしくないこと言っちゃって。どうせまたからかってるに決まってる。


「頑張ったな」


 ――――――――あれ?


「オマエはよく頑張った。凄いよ」

「············」


 ダミアノスが、労いとか褒めるを知らないようなあのダミアノスが、『よく頑張った』?! これって、なんの冗談? どういうドッキリ???

 意外すぎる言動で、身体中が熱くなってきた。褒められたことなんて、今までいくつもあった。なんなら、慣れているつもりでいた。なのに、なんなの? この胸の奥底から溢れ出てくる熱いものは······。


「ん? オマエ、泣いてるのか?」

「え······?!」


 気がつくと、視界がぼやけていた。目の下に指を当てると、透明の雫が付いた。


「違う! 泣いてない! 泣いてないから!」


 恥ずかしい。ひたすらに恥ずかしい。こんな姿、見せたくなかったのに······涙が、止まってくれない。

 拭っていると、視界がうっすら暗くなった。頭にタオルをかけられていた。


「冒険者には涙がつきもんだ」


 淡々とダミアノスが言った。どういう意図の言葉なのか聞く暇もなく、私はただただ冒険の疲れを溢し続けた。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 三日後、ギルドに行くと職員から私宛ての届け物を渡された。細長い直方体を茶色い袋が包んであった。手紙も二通付いていて、筆跡が力強く達筆だったことからすぐにドーインさんのものだとわかった。


 拝啓、クレイ皇女殿下へ

 御依頼の品が御上がりに成りましたので、御届け致しましたことを御知らせ致します。


 あまりに堅すぎる文面に笑みが溢れた。デーインさんの方は、箱の中身を拝見してから呼んでくださいとのことで後回しにし、取り敢えず手紙に軽く頭を下げて感謝してから包みの紐をほどいた。中には木箱があって、蓋の面には紙の札が張ってあった。これにもドーインさんの筆跡があって、手紙とは比べ物にならないくらいに太く、墨が大きくはみ出ていた。興奮していたのか、癖が強すぎて解読に難儀した。

 札に書いてあるのは単語かな。質のいい武器には銘を記すらしいから、多分、これが細剣レイピアの名前になるのだろう。


「“ブランディーユ„」


 確か、『小さな枝』や『細い枝』を意味する言葉だったっけ?

 私は蓋の上下に手を掛けた。いよいよ開封だ。スゴく緊張する。一度深呼吸して心の準備を整えてから、ゆっくりと新たな得物に外気を与える。

 軽々と持ち上がった蓋の下には、群青の布巻かれた細剣レイピアが寝かされていた。グリップは丸みを帯びていて、握ると滑るように手に馴染んだ。とても軽くてキッチンナイフと遜色が無い。ガードは葉っぱを模していて羽状の葉脈が繊細。そこから水滴が溢れ落ちたような軌跡を描いた護拳ハンドガードも、見事に美しい。

 そして、鞘から抜いた瞬間に私の目は一瞬にして青銀の刀身ブレードに釘付けになった。日光に当てるとキラキラと光の塵が小さく映り、透き通るような引き込まれるこの色合いは洞窟の奥底に何者の手も許していない地底湖のそれだ。元々の素材がドラゴンの角だと言われても、到底信じられない。


「ブランディーユ······」


 私は刻み込むように剣の名を囁いた。そして、後回しにしていたデーインさんの手紙を読む。


 この剣には、あなた様に永遠の栄光と遥かなる幻想への想いが実りますようにと祈りを込めました。

 いつか、大いなる幸いをもたらしてくれることを兄共々願っております。姫様、頑張ってください。


 私は目に涙を浮かべ、手紙とブランディーユを深く深く抱き締めた。





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