伏魔鉱炉【ダーティー・ゼブル】




「“狂者バーサーカー„と一緒に依頼に出向くことになったァー?!」

「一体何がどうなってそうなったのですかァー?!」


 朝っぱらから医務室からけたたましい大声がこだました。発生源はスヴァルとカインだ。

 私は二人にダミアノスとのやり取りを伝え、さらに依頼に付き合ってもらうことも話した。すると、二人は一旦呆けてから大ボリュームで声を張り上げたというわけだ。


「“狂者バーサーカー„ダミアノス・バイデントといえば、黒い噂の絶えない最低の冒険者ではありませんの! どうしてそんな最も関わりを持ってはいけない輩と、クレイ嬢がパーティを組むことにぃ~!!」

「言うて、アタシ達の命の恩人なんだけどね」


 カインが憤りのあまりに発した熱で医務室が蒸し暑くなって、それをスヴァルが冷静に冷気で沈めて押さえる。


「話聞いてもやっぱわけわかんないよ。相性最悪でしょうに。アリス、なんで止めなかったの?」

「クレイ嬢がお決めになったことに、私が口出しすることはありませんので」


 そう言うアリスは、手にしているティーポットをカチャカチャと鳴らしていた。


「めちゃくちゃ動揺してるじゃん」

「してませんよ?」

「うん。わかったから、圧強くするのやめて。で? クレイ嬢、大丈夫なの?」


 スヴァルは真剣な眼差しを向けて訊ねてきた。


「大丈夫だよ。かなり特殊なのは間違いないけれど、彼はいい人だと思うから」

「「「いい人ねぇ~」」」


 三人揃ってツッコまれた!?


「何よ!」

「「「別に~」」」

「なんでこういうときは息ぴったりなの! 三人して同じ方向にそっぽ向いて! どこ見てんの! ちょっとー?!」


 三人の意見はわからなくもない。私も、彼とちゃんと向き合うまでは悪印象しか持てなかった。性格の悪さもあるのだろうけれど、単にすれ違っているだけだ。


「先程から喧しいぞ、四人共」


 奥の事務室からタカネ先生が出てきた。


「すみません、先生」

「別に、元気で何よりだが、カイン、スヴァル、お前達は退院見込みがついているとはいえ、まだ患者なのだ。少しは安静にしていてほしいものだよ」


 そう窘められた二人は同時に縮こまって布団に隠れた。


「それにしても、クレイ。私の聞き間違いでなければ、バイデントの話をしていなかったか?」

「あぁ、はい。してましたけれど、どうかしたんですか?」

「まあ、な······」


 タカネ先生は神妙な表情で言った。何か思うところでもあるみたい。


「あいつとは同期でな。初めから破天荒な奴だったよ。敬意は無いし、奴の当たった依頼は成功はしても受けがあまりよくなかった」

「受けがよくなかったって?」

「やり方が過激すぎて依頼人からクレーム三昧」


 おぉ······想像に難くない。


「しかも百パーセント。最初についた渾名が“歩く始末書大量生産者„、それか“クレーマー呼び込み係„、あとは“報酬代わりに苦情を貰ってくる男„」


 おぉ······めちゃくちゃ不名誉。


「やはり、根っこからろくでもない輩ではありませんの!」


 カインが罵った。目から下を布団に潜らせて、めちゃくちゃ陰湿に見える。


「ああ、そうだな。それは正直否めん。私も擁護するのを諦めた」

「遠い目して言ってる」

「相当、苦労を掛けさせられたんだろうね。かわいそう」


 スヴァルに憐れまれて、タカネ先生は一瞬固まった。


「だがまあ、私はダミアノスには好感を持っているよ」

「なになにぃ? 先生、気ぃあんの?」


 そうスヴァルが煽ると、タカネ先生は彼女の顔面にお絞りを投げつけた。しかも、よく見たら湯気が立っている。


「ばぎゃァァァァァァ!! 鬼畜ゥゥゥゥゥゥ――――!!」


 スヴァルは打ち上げられた魚みたいに激しく悶えた。

 ジャック・フロストは氷雪の塊のようなものだから、熱や炎は効果が抜群だ。ちなみにスヴァルにとってはぬるま湯でさえも火傷するらしい。

 確かにこれは鬼ち――――。


「なにか文句はあるか?」

「······無いです」


 気を取り直して、タカネ先生の話を拝聴させていただく。


「あいつは確かに破天荒で、野蛮で、はっきり言って人徳者ではないな。だが、冒険者に最低限必要なものを持っている。それも、私やお前達よりも研ぎ澄ましたものをな。良くも悪くも純粋故に、それが他者からの理解を得づらい。まったく、世話が焼けるよ」

「焼かせた覚えはねぇけどな」


 軽薄な声が医務室の入り口から聞こえた。ダミアノスが扉の湧くに寄り掛かっていた。

 アリス、カイン、スヴァルは嫌悪感を剥き出しにした目で彼を見つめた。ダミアノスは全く気にしていない。一応、味方なのに。


「ったく、探したぜ。そろそろ依頼に行くぞ」

「あ、はい。じゃあ、先生。失礼します。カインとスヴァルも、行ってくるね。アリス、行こ」

「あっあー、メイドはつけるな」

「え? なんでですか?」

「俺が組むのはお姫様とであって、それ以外は対象外だ」

「······わかりました」


 少し煮え切らないところはあるけれど、仕方なくアリスは置いていくことにして、私はダミアノスの後についてギルドへ向かった。

 廊下を移動している途中で、「タカネからなんか聞いた?」って急に訊ねられ、特別なことは聞いていなかったから「いいえ」と首を横に振った。それから黙りこんでしまって、次に口を開いたのは掲示板に来てからだ。


「ん~、この季節になると【収集】が多いな。めんどくせったら、ありゃしねぇ」


 何やら、向かう依頼を既に決めているみたいだけれど、私はそれよりも気になることがあった。周囲の様子だ。

 冒険者やギルドの職員、ダミアノスが入ってからというものの、この場にいるみんなの空気があからさまに険しくなった。然り気無く距離を開けて、離れたところから一瞥する視線は本当に一瞬でみんな怯えているみたい。彼の嫌われっプリは理由共々知っているけれど、それにしては棘がありすぎな気がする。

 気の所為かしら?


「お! いいのあんじゃん。これにすっか」


 そう言って、ダミアノスは速やかに依頼の受諾申請を済ませた。なんの説明もなく停留所に連れられ、馬車に乗って城壁の門を潜って長閑な青々しい平原に出る。どうやら、依頼の場所は壁外領にあるみたい。

 馬車に揺られること二時間、景観は鬱蒼とした木々の並ぶ深い森を通っていた。街道がしかれているとはいえ、日向が少ない。

 ドラグシュレイン区の――――というか、グラズヘイムの十三の領地全てに当てはまるのだけれど、中心部に城壁で囲われた広域居住地『壁内領』、あとは千差万別の広大な自然が広がっている。ここの場合は、白い幹が特徴的な木々がドーナッツ状に生い茂るミスリル大森林だ。さらに外側には平原があって、小さな集落が転売している。


「降りるぞ」


 ダミアノスは唐突に馬車を停めた。降車した場所は特になにかあるわけでもなく、延々と続く森林の最中だった。


「えっと、ダミアノス?」

「行くぞ」


 フードを深く被り直して、ダミアノスは森に進入した。私も急いで後に続く。

 奥に行けば奥に行くほど、日向は減って日影が濃くなっていった。不気味な雰囲気ばかりが漂っていて、とても静かだ。


「ねぇ、ダミアノス。そろそろ依頼の内容を教えてくれないかな? 私はなにをすれば――――」


 ダミアノスは歩みを止め、遮るように私の前に腕を伸ばした。顔がフードで隠れているから、どんな表情をしているのかわからない。煙草の煙しか見えない。

 やっと依頼書を手渡してきて、内容に目を通す。


 【★★★:捜索及び討伐考慮】

 ミスリル大森林南西部にて、近隣集落から子供三名と女性一人が行方不明となった為、捜索願う。

 備考、首謀者は結界を張っており、被害者を連れて潜伏している可能性が高いと見られる。

 依頼人――――カルス


「ん? カルス?!」


 私はダミアノスを見た。ニヤニヤしていて、私の反応を楽しんでいるようだった。

 この男、よりにもよってとんでもない大物の依頼を取ってきやがった!

 追及しようとした瞬間、四方八方から蔓や草葉が這いずり出てきた。それらは私たちの前で収束し、やがて人一人分は収まる塊となって緑色の目映い光を放った。

 光が落ち着くと、塊は解れて中から葉っぱで繕われたドレスを身に纏った緑髪の美女が現れた。畏まった様子ながら、ただならない神々しさを感じる。

 この女性から感じる魔力と清涼さと神秘的な存在感から、すぐに正体がわかった。樹木に宿る精霊――――“樹界主ドライアド


「調停者······カルス、様······?!」


 十三の領地にはそれぞれ、建国以来から初代妖精皇帝オベイロンと契約を結んで自然の調停者を担っている精霊達がいる。カルス様はその一人だ。

 調停者は、協会指導者ギルドマスターと同等以上に扱われている。それを差し引いても、精霊という人外そのものが尊重すべき存在だ。

 不特定多数の想念によって形を成した古生代の生き証人、自然界の代弁者、生ける文化遺産とまで言われる大物の依頼を受けるなんて、ベテランでもそこまでの度胸は持ち合わせていない。協会守護者ギルドガーディアンが受けるべき依頼でしょうが。この男、早速むちゃくちゃを働きやがって!


「よぉ、カルス様」

「よりにもよって、あなたですか。森が荒らされないか心配ですが、まあ当たりの方と思ってあげますよ」

「ヒドイ物言い」

「以前来られた際は、見事な伐採作業をこなしてくれましたからね。お陰で巣を失ったリスや鳥達を宥めるのにどれだけ苦労したことか······散々、つつかれたんですからね! 私の本体! お陰で少しスリムになりましたよ!」

「よかったじゃん。ダイエットできて」

「皮肉ですよッ! この悪童ッ!!」


 なんだか、思っていたより精霊って感情的なんだね。樹木に宿る精霊なのに、火事を起こしそうな勢いだ。


「はぁ、はぁ、あー、もー、タカネさんに来て欲しかったのに――――」


 愚痴ってる······近くの木に手をついて息を整えながら、めっちゃ聞こえる声で愚痴ってる。


「元気そうでいいけれど、来てるのは俺だけじゃねぇ」

「え?」

「後輩が来てるんでな。俺とこいつで済ませる」


 ダミアノスは私の肩をぐんと引き寄せて軽く紹介した。私を見たカルス様は目をぎょっとさせた。


「いたんですか?!」

「いましたよぉ?!」


 カルス様はおろおろと覚束ない足取りで木の陰に隠れた。さっきのダミアノスとのやり取りを間近で見られていたから、今更恥ずかしくなってきちゃったみたいだ。

 別に幻滅はしてないし、むしろあまりのいたたまれなさに同情と憐憫が湧いてくる。

 私はカルス様にゆっくりと歩み寄った。


「カルス様」

「な、なんでしょう」


 木からぴょこっと小さく顔を出しちゃって、なんかかわいいな。


「みんな、同じ気持ちです」

「ほぉ~――――どこのどなたか存じませんが、ありがとうございます~」


 カルス様は目に涙を浮かべながら、ゆっくりゆっくり木の陰から出てきて両手を差しのべてきた。


「あ、そいつ第二皇女様だから」

「こんなに大きくなっちゃってまァァァァァァァァァァァァァァァァァァ――――!!!」

「カルス様ァー!!?」


 ダミアノスの一言で、カルス様は後ろに大きく吹き飛んだ。さっきまで隠れていた木を薙ぎ倒して、雷にでも打たれたように激しく痙攣している。


「カルス様ァー! 息して! 息ィー!」

「タッハッハッハッハ!!」

「ダミアノースッ! なに高らかに笑ってんの!?」


 一悶着ありつつも、カルス様が落ち着くのを待ってようやく本題に入る。現場に到着するまでの間、案内に従いながら現状を纏める。

 五日前、昼中に森の奥で遊んでいた子供達が唐突に姿を消したらしい。それを心配に思った母親が、村民の制止を聞かずに独断で探しにいったものの、ミイラ取りがミイラになってしまったというわけだ。

 カルス様は異変を感じていたようだけれど、精霊の力をもってしてもそれを見つけることができなかったらしい。


「十中八九、結界で巧妙に潜んでいるのでしょう。それも、精霊わたしの【領域視オクルス】でも見抜けないとなると、相手は恐らくは私以上に魔術の扱いに長けた人外の可能性が高いと見られます」

「となると、やっぱり」

「ええ。あなたの考えている通りでしょうね」


 二人には、この事件の中心に心当たりがあるようだ。カルス様が、ダミアノスを『当たりの方』って言ったこととなにか関係があるのだろうか。

 確かに彼は【真珠兵団パール】でトップレベルの実力者だ。当然、私情はゴリゴリに混じっているだろうけれど、それでも『当たりの方』という曖昧な評価。相当に特殊な相手と思える。


「それにしても、まさか姫様が来られるなんて。驚きましたよ。冒険者になられたのですね。後れ馳せながら、おめでとうございます」

「そんな。何も特別なことはしていないんですから、カルス様に腰を低くされると」

「いえいえ。あなたが赤ちゃんの時にお兄さんがお披露目に来られたとき以来、この時をずっと待ち焦がれておりました。いや~、こんなに大きくなられて。感慨無量です」


 カルス様にそう言われるとなんだか嬉しい。

 そうこう話している内に、現場らしき場所に辿り着いた。一見すると、蔦や葉っぱが幾重にも重なったドームのようだけれど、重圧的な魔力の気配がする。空気が上手く喉を通らず、とても息苦しい。


「これは私の構築した結界です。この中に首謀者を封じてあります。私の許可がなければ、入ることも出ることもままなりませんので、事件発覚以来状況は保たれている筈です」


 さすがは精霊。途轍もない魔力密度だ。接近してこうも息苦しくなれば、動物だって近づかない。 


「私の案内はここまでです。中に入れば、重圧が消えて身体も思い通りに動けますし、この際やりたい放題暴れても構いません」

「いいの? そんなこと言っちゃって?」


 ダミアノスはウキウキな物言いで訊ねた。


「ええ。この結界は【空間拡張】と【外郭強化】に費やしています。何があっても破壊されることはありませんし、あなたが当たるというのであれば、尚の事無駄に縛らない方がやり易いでしょう」

「タッハ! よくわかってるじゃん」


 意気揚々と、ダミアノスは軽い足取りで蔦を掻き分けて結界の中へと入っていった。

 なんであんなに躊躇無く動けるんだか······考えても無駄か。

 私も後に続こうとしたら、カルス様に手を掴まれた。


「えっと、どうかなさいましたか?」

「あ、いいえ。その······気をつけてくださいね」

「はい」


 カルス様の表情は暗く不安を写していた。心配しているのだろうけれど、結界の所為かより重い祈りのようなものを感じた。

 結界に踏み入ると、奇々怪々な空間が広がっていた。蔦の折り重なった形状から、てっきり中身もそんな風だと思っていたのに、実際は瓦礫が敷き詰められた洞窟のようになっていた。地面も木々も彫像となっていて、夜みたいに暗い。そしてなにより、入った瞬間に肌がざわついた。

 この感覚には覚えがある。最近知ったばかりの、気持ち悪い感覚だ。


「ダミアノス、これって······」

「ああ。間違いない。悪魔だ。結界を塗り潰してやがる。もうちょい遅かったら持たなかったかもな」


 それを聞いて、脳裏に忌むべき記憶がフラッシュバックした。私の中で、直近の悪夢でしかない現実。

 まさか、アガレスのような化け物がここにも?!

 動悸が押さえられず、過呼吸になりそうだった。カルス様が心配していたのはこの事だった。

 ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバヤバイ――――


「怖いか?」

「······!」


 ダミアノスが私の頭に手を乗せて、緩やかに訊いてきた。温かな感触が髪を伝って柔らかく通ってきて、不思議と安心感に満たされた。

 私はダミアノスの手を軽く振り払って告げた。


「大丈夫です!」

「ニッ! そうこなくちゃな」


 ダミアノスは迷い無く進み、私も置いていかれないように隣の位置と距離をキープした。

 それにしてもと、周囲を見れば見る程疑念が涌き出てくる。


「アガレスといい、なんで悪魔が現存しているの。神話大戦で絶滅したって話は」

「確かに、それは史実だ」

「え? だったら尚更――――」


 この状況が不可解だ。


「オマエが疑問に思っていることの答えとしちゃ、ヒントはカルス様にある」

「え? どういう事ですか?」

「悪魔ってのはな、精霊と同じく『契約』を重要視している人外だ」


 それは有名な話だ。当然、知っている。


「だからって、それだけで生き残れるなんて」

「って、思うだろ?」


 ダミアノスは得意気になって言った。

 なんか鼻に着く。


「精霊が契約を求めるのは『自他の利益』。己の存在を留める為に奉仕する契約者大なり精霊という関係性。対して、悪魔が契約を求めるのは『我欲の発散』。己の欲を満たす為だけに契約の穴をついて弄び、気が済んだらポイ捨てという契約者小なり悪魔という関係性といったところだ。契約さえ結んじまえば存在が固定される。それが叶っちまば、後は自分の好き放題ッてわけよ」


 精霊は想念の集大成。だから、一人でも多くの人の心に留まろうと邁進するのに対し、悪魔は己の欲の為なら契約者がどうなろうと構わない。そういう話に聞こえる。契約を重きに置いていることはともかく、ここまでディープな理由までは習っていなかった。

 大変胸糞悪い。


「とはいえ、俺としてもどうにも気に掛かってることがあるんだよな」

「それって?」

「悪魔共の行動だ。あいつらは享楽家なくせして飽きっぽい。だから、一ヶ所に留まってるなんてことはそうそうないんだけどな」


 ダミアノスは難解そうにしていた。興味深くもあり、聞けば聞くほど今まで習ってきたことが嘘のように思える。――――っていうか、また一つ疑念が湧いてしまった。


「なんだか、随分と悪魔に詳しいよね。言葉一つどれを取っても、まるでそれだけを追及したみたいに知識が豊富だけれど、どこ由来の情報なの? やっぱりそういう文献?」


 訊ねると、ダミアノスは黙り込んでしまった。

 なにか気に障ることでも言っちゃったかしら? 訊いちゃいけなかったのなら、謝った方が――――。


「止まれ」

「え?」


 ダミアノスが腕を出して制止させてきた。切迫した空気を感じて、魔力感知を発動する。

 ノイズが頭に流れ込んできた。この感じ、アガレスのときと同じだ。近くにいるんだ。結界の主が。

 魔法陣を展開して細剣レイピアを取り出す。周囲を警戒して後方、左右、上と見渡す。目だった動きは無い。

 いつ、どこから、どうやって襲ってくるかわからない。アガレスとの遭遇を思い出して、どうしても剣を握る手が震える。


「あいつらは実体を見ない。より奥底の畏れを見破る。緊張はしても、決して恐怖は抱くなよ」

「どうしてですか?」

「悪魔にとって、恐怖は極上の馳走だからさ。ほーら、オマエがビビり散らかしてるから、向こうも舌を伸ばして来やがった」


 そう言うダミアノスの向く正面に、麻の帽子を被った案山子が五体出現していた。手には鍬や鎌を持っていて、不気味に佇んでいる。藁でできた身体は五体はあっても顔が無くて、些細に動くだけでもカサカサと音が立っている。


「あれは!?」

「眷属だな。悪魔の分身体みたいなもんだ。まあ雑魚だから、姫様、やってみっか」

「······は?」


 突如、ダミアノスに背中を押されて案山子軍団の前に放り出された。

 やってみっかって、まさか······?!


「あれを倒せってか?!」

「そうだ」

「私一人で?!」

「そうだ」

「全部?!」

「一体でいい。そしたら助け船出してやる」

「ちょっ! いった······?! げっ?!」


 悠長にしていたら、案山子軍団が一斉に迫ってきた。

 ギャーギャー喚いている暇は無い! どれか一つに狙いを絞って、着実に仕留める! はい、そうしよー!

 よくよく見れば、案山子軍団の動きは単調な上にバラバラだ。明らかに統制がとれていない。いや、悪魔の分身体ということは操っているのは本体の筈。

 つまり、有象無象で事足りると侮られている。なら、付け入る隙はある。

 細剣レイピアに魔力を通して雷を纏わせ、さらに翅と足にも強化魔術を施し、一番手前にいる右から二番目に切っ先の狙いを定める。


「"嵐の突撃タンペット・ラピエル"!」


 余計なことは考えない。一体、たった一体を仕留めることだけを突き詰める。後の事は、後の事!

 狙った通り、案山子は反応できなかった。細剣レイピアは頭を貫通するどころか、勢い余って粉砕してしまった。悪魔の分身体といっても末端の強さしかないようだった。案外脆い。


「これなら――――!」


 いけると思って、別の案山子に矛先を向けようと思ったら、今しがた仕留めた奴の残骸、藁の破片が飛びかかってきた。咄嗟に避けるも、左肩を掠め、左足を何本か貫かれた。転倒したところに、残りの案山子の凶刃が振り下ろそうとしていた。


「ヤバイ······!」

「詰めが甘ぇったらありゃしねぇな」

「え······?」


 瞬間、紫の一閃が鮮やかな円を乱雑に描いて案山子は瞬く間に焼き尽くされて塵となった。振り返ると、先端が十字架に別れた銀の槍を肩にかけた、得意気な顔をしたダミアノスの姿があった。


「眷属は人形だ。いくら粉々にしようが、部品が残っていればいくらでも攻撃に転じさせる。やるなら、跡形も残さねぇよう心掛けな」

「は、はぁ······」

「だらしねぇな。あんだけ啖呵切っといてこのザマじゃ、幻想どころかあの世直行だぜ。タッハッハ」

「むぅー」


 ちょっと助けるの遅かったんじゃないの?!――――と、言いたかったけれど、今のは私が浅慮だった。さっきの話で、悪魔が如何に狡猾なのかは予想できていた筈だ。

 分身体は壊されれば動かない。これはそんな欠点を取り除いた巧妙な魔術だ。常識にとらわれたら足元を掬われる。くぅ~、難しい。適応しなきゃ。


「さて、ぼちぼち口元に入り込めた。このまま腸までは近いぜ」

「例え方、他に無かったの?」

「あ、そうそう。これ、飲んどきな」


 ダミアノスは緑色の液体が入った小瓶を五つ渡してきた。


魔法薬ポーション

「俺特製のな。さっき足をやられただろ。悪魔の魔力には瘴気が濃く混じってる。言わずもがな劇毒だ。オマエは耐性があるみたいだから鈍いだけで、普通なら当たった時点で壊死するんだよ」


 私は間髪いれずに飲み干した。


「一息でいっちゃったけど、これ貴重なものだよね?」

「問題無い。あと十個ある」

「用意周到」


 さらに歩みを進めるも、先程のような案山子軍団が現れることはなかった。潔いというのか、はたまた罠なのか。もしくは、そう思わせることで恐怖心を煽っているのか。悪魔の考えていることはわからないけれど、つくづく気分を害される。

 今のところ、襲撃してくる気配は無い。さっきので感覚はなんとなく覚えた。次は絶対に油断しない。

 さらに進んでいくと、廃村のような場所に辿り着いた。屋根の崩れた家屋、壁だけが立っていたり、瓦礫の山もちらほら見える。まるで戦争の傷跡のようで、凄惨で痛ましい光景がただただ存在していた。


「こいつは悪魔の構築した結界の本領だ。実物ではあるものの、本物じゃない。これもあいつらの策略だ。真に受けんなよ」

「······うん」


 なんとなく、そんな気がした。アガレスのときはヘドロだった。悪魔はこんな風に、結界を張って自分の縄張りを築き上げているんだ。しかも風景が丸っきり変わる程の、高濃度で高密度な魔力を放出して。

 これだけでも、悪魔の魔力基準が私たちと常軌を逸しているのがよくわかる。


「ダミアノス」

「ん?」

「さっきの質問だけれど、あなたはなんでそんなにも悪魔に詳しいの? いくら物好きなあなたでも、ここまで深掘りするのにはどうしても理由があるとしか思えない。話しづらいことなら無理して答えなくてもいいわ」


 ダミアノスはまた黙り込んだ。

 まずい。やっぱり、彼にとっては嫌なことなのかな。このまま変な空気が続くんじゃ調子が狂う。話題を変えよう。話題、話題、話題――――――――。


「その槍、切れ味スゴいね。どこの鍛冶師に造って貰ったの? ちなみに私のは東通りの『ミリガンウェポンズ』ってところで······」


 振るの下手かっ?! よくよく考えたら他にもあっただろ! 心なしかさっきよりもダミアノスの空気が固くなってるし!


「今の無し、忘れて······」

「こいつも俺の特製だよ」


 あ、答えてくれるんだ。嬉しい。


「特製って、さっきの魔法薬ポーションと同じ?! 意外に器用なんだね。調薬だけじゃなく、自分で武器まで造って」

「そういう意味じゃないんだけどな。そろそろ中心が近くなってくるぞ。近くに被害者もいる筈だから、姫様は救出することだけを考えな。俺は本丸をぶち殺す」

「うん、わかった」


 空気が一瞬にして変わった。肩にかけていた槍の切っ先を下に向けて持って、速やかに臨戦態勢を整えている。

 ダミアノスは結界の縁付近を口、深みを腸と例えた。中心ともなれば、いつ命を狩られるかわからない。

 私も即座にシフトチェンジして、いつでも魔力を巡らせられるように備えて細剣レイピアの剣先を上げる。


「あれだな」


 廃屋が軒並み並ぶ中、一軒だけ綺麗な小屋がポツンと建っていた。丸太を積み立てて、瓦屋根を重ねただけの簡易的なコテージに見える。狩猟小屋かしら?


「あの中に?」

「あれは餌場だ。悪魔はな、必ず結界の中心に獲物を蓄える」

「じゃあ、いるとしたら」

「失踪した小童ガキ共と母親。五日なら、まだ息はあるだろうな。じんわりじんわり、恐怖に漬け込んでおく。そんで、瘴気で心身共に憔悴しきったところをパクりさ。すぐには殺さねぇ筈だ。長く耐えた獲物程、奴等にとって質がいい」


 そんな······。いくら生存戦略でも、長く苦しませてからなんて性格が悪すぎる。


「どこまでも胸糞悪い······」

「それが悪魔ってものさ。そんでもって、奴等は大抵後ろから狙っている」

「え?」


 ダミアノスは唐突に槍を振り回して私の背後に立った。次にはカーン、となにかが弾かれたような音がして、振り向けば麦わら帽子を被った細身の人影があった。猟銃を構えていて、私たちをじっと狙っている。

 目が合うと、おもむろに人影は麦わら帽子を脱いで紳士風に腰を深く曲げては腕を腹の下に大きく回した。そして、悪魔は腰を起こして胸元の紋様を見せびらかした。十字架の入ったシルクハットのような模様に、それを囲う円状のアルファベットは『バルバトス』と表記されていた。


「随分と礼儀正しい悪魔だこって。姫様、さっき言った動きで頼むぜ」

「わかってる」

「まだどっかに眷属がいるかもしれないから、気を付けろよ」


 眷属? さっきの案山子みたいな奴がまだ出てくるのか。いや、普通に考えられるか。


「行け!」


 ダミアノスの合図で、私たちは反対方向に進行した。私は翅を広げてすぐに飛行形態に移行し、狩猟小屋のドアノブに手を掛ける。

 バッと開けた先は、鏡写しになった真っ白な森林が広がっていた。周りから縄が伸びていて、蜘蛛の巣状に張られている。

 中心に目を凝らすと、くるまれた網が二つあった。接近して中身を確認すると、犬の獣人の子供が二人と人類ヒューマンの子供、そして同じく人類ヒューマンの女性が一人が捕まっていた。

 間違いない。依頼書とカルス様の話にあった行方不明者の子供と母親だ。けれど、いずれも息が浅く、頬や手が黒くなっていた。瘴気に侵されているんだ。それもかなり深く。


「大丈夫ですか?! オーイ! オーイ!!」

「······うぅ」


 母親が反応した。なにかを呟いているみたいで、耳を近づける。


「······こど······た、ちを······」


 みんな限界だ。中でも、母親が一際ひどい。

 子供たちを網から出して、運んで、戻って――――ダメだ! 一々運んでたら全員を助けるのは無理だ。くぅ~、人数が足りない!


「どうすれば······考えろ考えろ考えろ考えろ――――」


 落ち着け。思考は常に冷静に。取り乱したら悪魔の思う壺だ。取り敢えず安全なところに隠れて回復薬ポーションを飲ませる。あとはダミアノスがバルバトスを絶対に倒してくれる。それまでやり過ごすんだ。

 とにかく掬い出して、守りきる!

 まずは子供達から。両腕と【収納空間ストレージ】からロープを取り出して胸元に一人縛り付ける。強化魔術で膂力は増強済み。


「ちょっと苦しいだろうけれど、頑張ってね」


 小屋の裏手に寝かせ、一人一人にダミアノス特製の回復薬ポーションを飲ませる。黒い痣が薄くなって、いくらか呼吸が安定した。


「次は母親!」


 小屋に戻ると、面倒なことに縄の蜘蛛の巣から案山子軍団が次々に這い出てきていた。母親のいる網に火に集る蛾のように群がって、渡すまいと守っているみたいだ。


「マジかよ······!」


 たった一体だけでも殺されかけた。それがあんなにたくさんいるんじゃ······。


「もー! 戸惑ってる場合じゃないでしょ! 救うって言ったら救い出せ! 守るのは、私なんだよ!!」


 私は勢いに任せて案山子軍団を倒しながら合間を駆け抜け、辛くも母親のいる網を切り取ることに成功した。それから逃げに徹し、小屋を出たら扉を閉じて咄嗟に封印を施す。魔法陣で押さえつけた程度の気休めだ。長くは持たない。その隙に回復薬ポーションを飲ませ、子供と共にこの場から離れて適当な遮蔽物に身を潜める。


「なんとか被害者は救助できた。あとは――――」


 ダミアノスの方は確認しようとしたら、いつの間にか案山子軍団に囲まれていた。

 なんで?!――――と一瞬の疑惑はすぐに解消された。ここは悪魔バルバトスの結界。自由自在って訳かよ?!

 巣を荒らされた蟻みたいにぞろぞろと沸いて出てきて、この数は流石に相手にしきれない。


「くそ!」


 結界を張って凌ごうとした次の瞬間、紫の炎が駆け巡った。すると案山子軍団は残らず炎上した。


「これって、ダミアノス······?!」


 小屋の方からけたたましい破壊の音が発せられ、目を向ければ何かが突っ込んでいたようだった。瓦礫の山を掻き分けて出てきたのは、バルバトスだ。

 その向く先には、ダミアノスがいた。彼の持つ槍には、紫色の炎が灯っていた。


「どうした、どうした、どうしたよォー!! バルバトスちゃーん!!」


 凶悪な笑みを浮かべてダミアノスは煽った。

 なんて悪人面だ。そしてなにより、愉しそう。


「オラオラオラオラオラオラオラァー!! 次から次へといくぜー!」


 槍を一振して、炎の斬撃が一直線にバルバトスに向かう。回避したすぐ反撃の射撃を撃つも、弾丸がダミアノスに届く前に紫の炎が捕食して阻んだ。

 今の、ひとりでに動いた気がする。それに、さっき攻撃したとき魔法陣開いてた? 魔力による干渉影響が早い。もしかして、ダミアノスって――――“魔式„使い?!

 本来、魔術は魔法陣を介して自身の魔力と外部の魔力を結びつけて使用する。けれど、それを行使し続けた結果、内外の魔力が馴染んで身体そのものが魔法陣と化した状態を『魔式』という。こうなると、術の効力や発動速度が著しく向上する。

 兄トマスやタカネ先生以外では初めて見る。それ程までに、魔式という技術は収得難易度が高い。

 カルス様が言っていた『当たりの方』って、こういう意味か。

 戦いは激化し、ダミアノスが優勢のまま進んだ。槍が振るわれる度に無秩序に炎が舞い踊り、バルバトスに食らいつこうと執拗に追いかける。

 負けじと応戦すると、バルバトスの放った弾丸は炎によって溶かされて無に返される。

 気がつけば、辺り一面紫色の火の海となっていた。けれど、不思議と熱くない。それどころか、心が安らぐ。母親と子供達の黒い痣も、薄れていっている。


「浄化されてる? この炎が燃やしてるのは、悪魔のものだけ?!」


 その予想は当たっていた。ダミアノスの発する炎がバルバトスに直撃して、ギリギリと甲高い悲痛な叫びが空気を震わせた。しかも、いくら払っても勢いが収まるどころか増すばかりで蝕み続けている。

 あまりの苦痛に猟銃を手放し、ついには地を這いつくばるまで追い詰めた。そしてダミアノスは容赦なく、バルバトスの頭を踏みつけて動きを封じた。


「効くかぁ? 効くだろーよォー! 俺の"伏魔鉱炉ダーティー・ゼブル"は!!――――さてさてさて、随分鱈腹食ってきたみたいだけどよ。もう十分だろ。その誰の為にもならねぇ魂、とっととハデスにくべな」


 槍は刃から全身へと炎の波を広げ、巨大なランスへと変貌した。バルバトスがなにかを叫んでいたけれど、ダミアノスは聴かずに劫火の大槍を突き刺した。炎は目映い光を放ち、全てを焼き払って結界を破裂させた。

 悪魔によって築かれていた領域が星屑のように散り散りに崩壊する様は、奇しくもダイアモンドダストを彷彿とさせ、とても綺麗に写った。


「タッハッハー! これにて一丁上がりよ」





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