正気【オブジェクティフ】




 光を見た。とっても眩しい真っ白な光。

 私はそれに見とれ、息をするのも忘れた。

 真っ白な光の方もじっと私を見ていて、静かに手招きしてきた。

 こっちにおいで、そう言っているんだとすぐにわかった。

 けれど、私は光から逃げた。

 恐かったからじゃないと思う。

 でも、私はなんで逃げたんだっけ。

 あんなにも眩しくて、あんなにも綺麗な、白いウサギさんから······――――――――。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



「はっ!」


 目覚めると同時に私は飛び起きた。ベッドで寝ていること即座に理解し、刹那に自分の身に起きたことを思い出す。

 アガレスに遭遇して、攻撃されて、そこから先は朧気だ。

 身体中に手を回して状態を確認し、ようやく現状を把握した。


「無事······なの? 私、生きてる?」

「そうですよ」


 横から知ってる声が聞こえて首を向ける。アリスが座っていた。

 帰ってきたんだ······そう私は心の底から安堵して、アリスに抱きついた。アリスの方からも両手を私の背に回してきて、トントンと子供をあやすように軽く背中を叩いてくれた。

 涙と震えが止まらない。とにかく、一刻も早くこの全身に刻まれた恐怖を忘れ去りたかった。


「落ち着きましたか?」

「うん、ありがとう。カインとスヴァルは?」

「御二方なら、そちらに」


 アリスは私の後ろに手を差して答えた。振り返ると、カーテンが敷かれていて隣の様子は見えなかった。


「呪いは完全に取り除かれ、生命に別状はありません。後遺症の心配も無いとのことでしので、ご安心を」


 ほっとした。私よりも、カインとスヴァルの方が重傷だと思うから。

 こうして私達が生きているってことは――――。


「応援が間に合ったんだね。ありがとう、アリス」

「いえ、それが······」

「ん?」


 なんだか歯切れが悪かった。目、反らしちゃって。


「アリスが応援を呼んで助かったんじゃないの?」

「違いますよ」


 圧がスゴい。たまにアリスは、睨みを聞かせて深い声をするときがある。よくわかんないけれど、明確に感情(主に怒り)が出ている気がして結構怖い。


「ち、違うんですか?」

「いいえ。呼んだというより少々語弊があるといいますか」


 アリスはまた視線を反らした。今度は、今の顔をあんまり見られたくないって感じだ。

 ほっと胸を撫で下ろす。


「語弊って?」

「私は確かに、転移した直後に地下のことを受け付け職員に報告致しました。職員が奔走している間に、一人のフードを深く被った男が私のもとへ来て、いきなり『オマエ、なんか臭ぇな』と言われまして」

「なんて失礼な奴だ! アリスからはいつもイチゴみたいないい匂いがしてるのに!」

「私そんな匂いしてるんですか?――――それで、さらに男は幾つか質問を投げてきて、全て答えたら颯爽とギルトを出ていきました。気になって後を追えば、不思議なことに方角が旧聖堂に向かっていました。そして、予想は的中し、男は旧聖堂の敷地内に入った途端にどこかに転移して。数分後には、御三方を抱えて戻ってきました」


 え? じゃあ、なに? たった一人であの化け物を倒したってこと? しかも、数分後には私達を連れて戻る程の余裕を残して?!

 私達を助けてくれたことには感謝する。けれど、同時にそんな奴がここ【真珠兵団パール】にいたことには驚愕する他無かった。


「アリス、私達を助けてくれたのって、誰?」

「後で職員に確認したところ、その男の名は――――“狂者バーサーカー„ダミアノス・バイデント」


 私は退院してすぐ、アリスの証言をもとに彼を探した。フードを被っていて、ルックスに関する特徴がほぼわからず、当時の服装を手掛かりに訊き回ったところ、みんなのや様子がおかしいことに気づいた。世代が古い先輩程、『ダミアノス』の名を聞いただけで苦い顔を向けらるばかりだったのだ。

 どうにも、彼はとんでもない問題児らしく、ギルドでも協会指導者キルドマスターの次に偉い幹部格、協会守護者ギルドガーディアンでもその部下でもないのに、独断専行で海外遠征に出向いてしまう生粋の無頼漢。

 “狂者バーサーカー„、なんて物々しいニックネームをつけられている時点で薄々察していたのだけれど。どうしよう。お礼を言いたくて探しているのに、会うのがめっちゃ不安になる。

 散々訊き回った結果、ダミアノスはまだ依頼に向かっておらず、行きつけの壁際の酒場で飲んでいるという情報を手に入れた。――――っていうか、まだお日さま頭の上におられるのですが?


「壁際か~。あそこはちょっと、行きたくないな~」


 壁内領は、どの区も共通して中心にギルドの本部と区衛兵の司令塔、そして区役所が隣接している。その周辺に貴族の家宅や大使館、さらに外側に行くと商店街や住宅街と、外側に行く程にレベルが下がっていく。

 一番外側にある街は『壁際』と呼ばれていて、出入り口の付近はそうでもないけれど、局所的に治安があまりよくなくて基本的に貴族は近づかない最下層的な区域だ。

 夜店が軒並みあって、昼は開いていない場合が多い。要するに、いわゆる歓楽街というものだ。

 ダミアノスは『冥土の泉亭』という酒場にいるらしい。建物の間にある薄暗い路地に建っているとのことで、早速向かってみれば、不気味な木造の平屋に行き着いた。壁は黒ずんでいて、瓦屋根が逆立って松ぼっくりみたいになっている。


「······帰ろっかな」


 怖いけれど、意を決して入店する。ベルがカランカランと鳴って、むさ苦しい煙草の匂いに肺を締め付けられた。

 私はすぐに退出した。十五歳に排気ガスが満ちに満ちった密室はキツすぎる! というわけで、物置に隠れて出てくるのを待つことにした。――――けれども······。


「かれこれ二時間、全然出てこない!」


 もしかして、もう出ていっちゃった? だとしたら徒労じゃない! さすが“狂者バーサーカー„。会いに行くだけでもスンゴイ面倒。

 今日は諦めて次の日に来よう。――――で、次の日も取り逃した。

 今日も諦めてまた次の日にしよう。――――で、また次の日も取り逃して以下省略。

 四日目、もう我慢できず店に突入することにした。煙草の匂いに屈しないように【浄化クリーン】を付与して、勢いに任せてばっ! と出入り口を開ける。


「頼もー! ダミアノス・バイデント! いるんでしょ! いるんなら出てこんかい!!」


 店中を見回すと、険しい視線が一斉に私に向いていた。トランプゲームをしている筋骨粒々のゴリラとオークに、牙を除かせるヒョウの女性、自分の顔くらいあるジョッキを片手で傾かせるモヒカンのゴブリン、みんな揃って悪人顔で超怖い。現実でこんなとこあるんだ。

 私は一瞬で後悔した。――――めっちゃ帰りたい。


「あ、あんの~······ダミアノス・バイデントって男の人、ご存じないでしょうか~······?」


 全身の震えを必死に抑えながら訊ねた。すると、近くに座っていた薄汚い白髪の人狼が唸ってきて、目を向ければどこかを指差していた。辿っていくと、カウンター席があってそこにテーブルに突っ伏して寝ている男がいた。背姿だけだけれど、黒いファーに深緑のコートという特徴的な服装からすぐにダミアノス本人だとわかった。


「あ、ありがとうございます!」


 白髪の人狼さんは鼻で一息噴いて素っ気無げに酒を飲み始めた。

 取り敢えず、そそくさとダミアノスの右隣の席に座る。フードを上げていて、銀髪だった。耳の形から人類ヒューマンのようだ。声をかけようとしたら、ぐー! ぐー! と寝息を立てていた。

 客の印象が強すぎて、どうすればいいのか困惑させられる。そんなとき、くりんとした口髭が素敵なバーテンダー姿の亭主マスターらしき渋いオーガが一杯のコップを私の前にポンと置いてきた。中には真っ赤な液体が注がれていた。見たところ、なんか瘴気を放っていてスンゴイ辛そう。


「あの、まだ頼んでないんですけど?」


 そう指摘すると、亭主マスターさんは満面の笑みでコップをダミアノスの頭上で傾けた。


「······」


 いきなりの事すぎて声が出せなかった。――――このオーガ、お客さんになにをぶっかけてんの?


「ぶわッチァアァァァァァァ――――――!!!?」


 急にダミアノスが、悲鳴を上げて頭をぐしゃぐしゃに掻きむしり始めた。――――このオーガ、お客さんにナニをぶっかけてんの?!!


「おい、マスター! 人起こすのにテキーラデスソース割りぶっかけんじゃねぇーっていつも言ってるよな!? 目に入ったらどうしてくれるんじゃい!!」


 テキーラデスソース割りって何ですかァ!?

 亭主マスターさんは怒号に少しも屈せず、爽やかな所作で私に手を向けて苛立っているダミアノスを導いた。


「あ? なんだ? なにこの小童ガキ? え? 誰の子?」


 ガキって······この人、私のことを覚えていないの? なんかショック。

 私はダミアノスに向いて自己紹介をした。


「初めまして、ダミアノスさん。私はクレイというもので、先日は生命を救っていただき、ありがとうございました」


 深々と頭を下げて、感謝の意を身体全体で表した。けれど、ダミアノスさんはきょとんとしていた。

 なんでそんな妙な反応をするの? 黙ってないで、何か言ってくれないと、この空気をどう収集すればいいのかわからないじゃない。


「誰だっけ?」

「······え?」

「いや、オマエ誰だよ」


 無精髭の生えた顎を擦りながら、ダミアノスは訊ねてきた。これは忘れられているというか、丸っきり知らないって感じだ。――――え? 本気で? マジ? ウソ?


「えっと、私はそのクレイで、この国の第二皇女なんですけど······」

「······ん?」

「······ん?!」


 『ん?』って、なに?! 『んっ?』って!

 え? ウソ? 私のことガチで知らないの? それなりに知名度はある方だと思っていたのだけれど、っていうか、この国にいたら普通は知らないわけないわよね? え?


「もしかしなくても、知らないんですか?」

「知らない」

「即答?! マジかよ~······」


 なんか、めちゃくちゃ、ショック。

 

「えっと、なんなのこの子。迷子?」

「ま、迷子じゃありません! 私はクレイ=フードゥルブリエ! グラズヘイムの第二皇女! 何日か前に旧聖堂の地下で悪魔に殺されそうになったところをあなたに助けられた情けない新米冒険者ですっ! ハーイ!」


 早口であらましを伝え、急激な疲労感で息が乱れる。――――っていうか、こんな自ら不名誉を晒す自己紹介をしたの初めてだわ······あぁ~、キッツ。色々キッツ。


「あ~、そ~なんだ~」


 その反応やめて! 興味も関心も無いのに取り敢えず付き合ってあげてる感じのさっぱりとした反応やめて!


「あの、やっぱり覚えてないですかね」

「お生憎様、俺は冒険者には興味無いんでな。サインは書かねぇ主義だから、有名人漁りは他当たんな。鳥の巣頭のお嬢ちゃん」


 そう言って、ダミアノスは私の髪をぐわしと撫でて、煙草を咥えながら出ていった。

 鳥の巣頭······初めて言われた······。


「なんなのよ。あの態度」


 ムカついた。私の一方的だったとは言え、彼の出した言葉の中で一つだけ気に入らないことがあった。


「『冒険者には興味無い』?! じゃあ、あの人はなにしてるのよ!」


 私は彼を追って店を出た。空から見渡して捜索し、屋根を歩いているのが見えた。


「ちょっと、あなた! 待ちなさい! コラー!」

「あぁ? なんだよ。さっきのお嬢ちゃんかよ。サインは書かねぇって言っただろ?」

「別に要らないわよ! っていうか、冒険者に興味無いって、本気で言ってるの?」

「あ? あぁ、マジだぜ」

「なんで?」

「は?」

「なんで興味の無いことをやってるのって訊いてんの!」


 ダミアノスは鬱陶しそうに耳をほじった。

 この態度、真面目に聞いていない!?

 私は余計に腹が立って、ダミアノスの前に立って進行を塞いだ。


「なんの真似だ?」

「私、正直信じてたんです。ギルドが応援を回してくれるよりも先に、一人で来てくれたから、あなたは冒険者としても、人としてもとってもいい人なのかもって。いい噂を聞かなかったのは、不器用な性格なのかなって思ってたけれど、とんだ見込み違いだった」


 私はこれ以上先を言うのを少し躊躇った。けれど、ダミアノスの両手をポケットに突っ込んで、気だるげな態度を見て吹っ切れた。


「ダミアノス、あなたは最低よ。誰かの為に在るのが冒険者でしょ? それを興味が無い? なんでそんなことが言えるの!?」


 区民の安全を守護するのが区衛兵の役割なら、区民の生活を支援するのが冒険者の役割だ。

 私は誰かの役に立ちたくて冒険者になった。それなのに、このダミアノスからはそんな意欲も意識も全く感じない。一体何がしたくて、彼は冒険者に就業しているというのか。イライラが抑えられなかった。


「チェッ。これだから小童ガキの相手はめんどーなんだよ。喧しいのは鳥が子育てしてるときくらいにしろよな」

「なっ! 誰が頭が鳥の巣よ!」

「別に言ってねーぞ? 自分で言うってことはそう思ってるってことだな」

「キィィィィィ······」


 むーかーつーくゥゥゥゥゥゥ――――。


「オマエ、新米って言ってたな。じゃあ、まだ冒険者に夢と希望持ってんのか? アホらしい」

「なんですって?!」

「フッ。俺は別に、誰かの為になんて微塵も考えたことなんかねぇよ。いつだって俺が一番、それ以外はどうでもいい。金とか信頼とか、あったところで時間で風化する。そんなもんになんの価値があるっていうんだよ。下らねぇ、下らねぇ。超下らねぇ」


 聞けば聞く程、私の怒りは上がるばかりだった。冒険者の存在意義、尊厳、全てを否定されたのが許せなかった。気づけば私は【収納空間ストレージ】から細剣レイピアを取り出して、ダミアノスに向かって振り下ろしていた。怒りに任せてでも、彼に制裁を加えたかった。その一心で、全身全霊の一撃を振るう。

 けれど、それが届くよりも先に私の行動は封じられた。どこからともなく現れた黒い紐に縛られていた。


「誰かの為に在るのが冒険者? そいつはな、本気マジを引きずり出しても尚自分をねじ曲げられない意気地無ししか言わない戯れ言だ。わかったらとっとと失せな。邪魔なんだよ、砂利・・


 見上げた視界に移ったのは、ダミアノスのこれでもかと他人を見下した眼差し。鋭いとか、冷めているとかそんなものじゃない。アリスと違って泥を被せてくるような、嫌悪感を包み隠さず剥き出しにしたような、途轍もない害意を感じた。

 他人にあんな目を向けられるなんて、やっぱり彼は最低の冒険者なのかな。だったらなんで、自分以外どうでもいいって言っておいて、私達を助けたのよ。

 新たな疑問が生じ、その上でアガレスを相手にしたときとと同様の無力感にうちひしがれ、やるせない気分ばかりが胸の中に充満する。

 束縛が解けたのは、ダミアノスが姿を消して二十分が経った頃だ。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 ダミアノスが見失った私は、日が暮れるまで彼を探し回ったあと、ギルドに帰還した。結局、嫌な気持ちにさせられただけで、当初の目的もなにも無くなってしまった。

 多少荒っぽい輩はいても、あそこまで性根が腐った奴でも冒険者をやっているなんて、信じられない。ダミアノスの価値観は、どちらかと言えば野良魔物クリーチャー寄りだ。

 間違っても、もう二度と会いたいとは思わない。あんな奴、顔も見たくない。


「クレイ、何があったのかは敢えて聞かないが、怪我をしているわけでもないのにここに来るのはやめてくれないか? 医務室ここのベッドは不貞寝するためにあるんじゃないのだぞ」


 そう私を嗜めるのは、白衣の天使と称される程の絶世の美貌を持つ眼鏡をかけた黒髪黒目の女性、タカネ・ギオン先生。協会指導者ギルドマスターに次ぐ最高幹部格である協会守護者ギルドガーディアンの一人で、専属医だ。

 幼い頃から検査とかでよく顔を合わせていて、学生時代には直に剣術や魔術の心得を教示していただいた。アリスと同じくらい心の内を明かせる相手だ。

 特に、気分が沈んだときにはすがらせてもらっている。


「先生、私が冒険者になりたい理由、覚えていますか?」

「誰かの役に立ちたい、だったな」

「私の行動は、信念は下らないですか?」

「······どうだろうな」


 タカネ先生は穏やかに言った。香ばしい匂いがして、起き上がってカーテンをめくれば、サイドテーブルにレモンティーが置かれていた。その横には、タカネ先生がティーカップを手に座っていた。


「クレイ、私は教えた筈だぞ。この世には楽なことは無いと。冒険者を志すなら、それ相応の覚悟はしておけ、とな。忘れたわけではないだろう?」

「······わかってますよ。耳にタコが出きるくらい聞いたんですから」

「フフフ、そうだな。ならば、クレイの言う信念がどれ程の扱いになるかも、重々思い知った筈だ」


 私はカーテンを閉めた。


「クレイ、冒険者とは言ってしまえば人材派遣業だ。千差万別の実力を持つものが、適材適所に当たる。手先が器用ならば【雑用】、勘が良ければ【採集】、根気に自信があれば【探索】、腕に覚えがあれば【討伐】。概ねこんな塩梅か。各々、能力に見合った依頼を受ける。私の場合は、一目瞭然で医療関係だな」

「何が言いたいんですか?」

「私が冒険者になろうと思ったのは、使命感が六、あとは自己満足だ。クレイからしたら、あまり耳に入れたくないことだろうがな」


 わかっているなら、先生はなんでそんなことを言うのだろうか。今の気分でそう答えを出されたら、余計に沈んでしまう。

 嫌だな。こんなの。


「クレイ、お前はまだ若い。それ故に拘りすぎてしまっているのだ。この世には、お前と同じような信念を抱く同士がごまんといるだろう。しかしながら、それを長く五年、十年と保ち続けていられている者がどれ程いるのだろうな。誰かの安寧は、誰かの苦労によって成り立っている。これは紛うことなき素敵な真実であり、同時に残酷な事実なのだ。何故なら、その苦労を実際に目にしているのはほんの一握りの関係者しかいないからに他ならない」

「············」

「とどのつまり、クレイ、お前は欲張っているのだよ。お前自身、そんなつもりは微塵もないのだろうが、胸の内ではお前の知らないところでずっと燻っているのだよ。『私のことを知って欲しい』、という欲がな」


 私は衝動的に起き上がった。すぐに言い返したかったけれど、口からなにも出てこなかった。

 なんで? なんなの? この胸の奥で重く引っ掛かっているものは······。


「今は大いに悩むといい。急いだところで、肝心なものを見落とすだけだ。ゆっくりゆっくり、巡ればいい」


 そう言って、タカネ先生の気配が消えた。

 私は、胸中の違和感の正体をずっと探ることにした。ダミアノスのことよりも、タカネ先生に言われたことの方が気になった。『誰かの為に』じゃなくて、『私のことを知って欲しい』なんて――――いや、そうなのかもしれない。

 今一度、初心に返ろう。私のルーツを、思い出すんだ。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 私は王族と血の繋がりが無い。そのことに気がついたのは、七歳のときだった。アリス以外の執事やメイド達の態度に、父や兄とは距離感が異なっているように思えた。――――っていうか、表情が複雑そうだった。

 父と兄は温かく接してくれていたけれど、病死した母はそうでもなかった。いつも冷たい眼差しを向けて続けられたのが、違和感に拍車をかけた。

 それからは華々しい暮らしが一転して、扱いに困る存在というプレッシャーを感じるようになり、どこにいっても安心できなくなってしまった。その所為で勉強に手をつけられず、よく体調が悪くなった。

 そんな私を憐れんで、当時から診てくれていたタカネ先生の提案で療養を兼ねた旅行に行くことになった。行き先は、『ひのもと』と呼ばれる極東の島国を薦められた。あまり乗り気ではなかったけれど、城から出られればなんでもよかった。

 ひのもとに渡ってからも、アリスと共に連れていくよう言われた数名の召使いと護衛の存在があってか、差程気分はよくならなかった。宿泊先の旅館に着いても、景色を眺めるばかりで殆んど部屋から出なかった。

 丁度、春が訪れた頃合いでサクラの白と緑が一面に広がっていて、それでしか心の安らぎを得られなかった。でも、まだまだ晴れるには至らない。

 鬱屈とした療養生活が続く中、私は偶然に高階層の窓から“それ„を目撃した。旅館の庭園を歩く、真っ白ななにか。

 私は気になって、人知れず追いかけた。それはまだ庭園にいて、縁側に腰を掛けていた。物陰からじっと見ていたら、それはいきなりこちらにゆっくりと首を向けた。


「あぁ······」


 私は息を呑んだ。

 “それ„は、途轍もなく麗しい、白いウサギだった。獣ではなく、人獣型――――ウサ耳を生やした人類ヒューマンといった見た目だ。

 私と同じくらいの年頃の少女で、背中を覆う程に長い白髪は水面のように陽光を反射し、右目は前髪で隠れていたけれど、左目の瞳は熟したリンゴよりも澄んでいた。

 目を合わせた瞬間から全身から力が抜け落ちて、思考は止まり、呼吸をするのも忘れていた。まるでお伽噺に出てくるような幻想的な美貌に圧倒された私は、即座に逃げた。真っ先に部屋に戻って、ベッドに潜り込んだ。


 ――――知らない······あんなにキレイなの、私、知らない······


 動悸が収まらなかった。熱は跳ね上がっていたけれど、不思議と苦しくなかった。


 ――――もう一度、もう一度でいいから、会いたい!


 それから私は、何度も何度もあの縁側に赴いた。その度に、白いウサギさんは座っていた。待ってくれているみたいで嬉しかったけれど、距離を縮めるには時間を擁した。勇気を持って一歩を踏み出しても、二歩目が中々出せなかったとき、白いウサギさんの方から手を掴んでくれた。

 嬉しくて嬉しくて、ドキドキが止まらなかった。

 白いウサギさんはとっても寡黙で、私が何を質問したり話したりしても、しわ一つ動かなかった。つまらなかったのかなって悄気ると、肩に手を回して優しく抱き締めてくれただけでなく、頭も撫でてくれた。

 私は泣きそうになった。今まで、こんなことをしてくれた人はいなかったし、一番身近にいたアリスすらやらなかったことだ。戸惑うよりも、嬉しさが込み上げてきた。

 白いウサギさんは表情は変わらないものの、すんごい狼狽えていて、あまりの焦りように着物の袖をバタバタさせていたのが見ていて面白かった。帰国するときは寂しかったけれど、そのときには私の体調は快復していた。

 白いウサギさんとの出会いがあって、私は航行中の船の中で決めたんだ。私も、誰しもを安心させられるような人になりたいと思った――――――――あぁ、そっか。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 朝日が差し始める時分、私は無理を言って『冥土の泉亭』の店内で彼を待ち構えた。亭主マスターさんは特に注意も叱責もなく、穏やかな微笑みを浮かべて許してくれた。

 開店時間になって、ダミアノスが入店してきた。フードの下から私を見て、舌打ちを初めにふてくされた態度をとった。


「懲りずにまた説教かい? お嬢ちゃん」


 反抗心が凄まじい。少しでも妙な動きをすれば、問答無用で仕掛けてくる気満々だ。

 重苦しい空気が店内を満たす。適当そうな人だけれど、こうしてやっとダミアノス・バイデントという男の気性が理解できた気がする。生半可な生涯を送っていない。私なんかぎ想像できないような凄惨な環境に身を置いたからこそ出来る、警戒心満載の眼差し、佇まい、そして気配。

 これなら、化物アガレスを倒せるわけだと漠然と納得できた。多分、この人類ヒューマンが現在での【真珠兵団パール】最強の冒険者だ。

 今なら昨日の彼の言葉の意味を飲み込める。ダミアノスは私に退いてほしいんでしょうけれど、そうするわけにはいかない。今度は、そっちが折れる番だ。

 私はダミアノスとの距離を詰めた。見下ろしてくる彼の鋭い金色の眼光に、飛ばずに見上げて対抗した。


「あなたに言いたいことがあります。ダミアノス・バイデントさん」

「言ってみな」


 私は一呼吸入れて、またダミアノスの目をまっすぐ見た。


「あなたに放置されてから、一晩明けるまでずっと考えてた。あなたが言っていたことの意味と、それに対する私の解答を」

「へぇ~、で? どう行き着いたんだ?」


 ダミアノスの声は低かった。これが彼の“本気マジ„というものなら、私も私の“本気マジ„を――――いや、それよりももっと深みに到達して、サルベージしなければならない。そして、私はそれを掴み取った。


「私はやっぱり、『誰かの為に在る冒険者』になりたい。この気持ちを揺らがせるつもりは微塵も無い」


 ダミアノスは呆れた様子で舌打ちした。結局、ガキはガキだったって不快感を煽られただけと受け取られただろう。


「けれど――――」


 私はそれで終わらせない。


「私はたくさんの人を救いたい。救って、救って、これでもかってくらいに多くの人を救いまくって、私がいるっていうことをとにかく知らしめたい。それで、私という存在そのものが、みんなを安心させられるようになりたい」

大英雄スーパーヒーローにでもなりたいっていうのか?」

「欲を張れば、兄上みたいに世界中に頼られるようにはなりたい。けれど、私はもっと親しく、すぐ隣にいるような安い信頼感だけでもいいと思ってる。これが私の、精一杯。正真正銘の全身全霊です」


 ダミアノスはフードに手を入れて頭を掻いた。深く溜め息をついて、私の横を通り過ぎてカウンターに手をついた。


「それで全部か?」

「······はい」

「そうか。まだまだ甘いな。目も当てられない」

「············」

「若い奴は勢いだけで澄ませようとする。俺はそんな奴を応援できるほどいい大人じゃない。世界が惚れる英雄ではなく、身近で頼れる隣人。それがオマエの引きずり出した“本気マジ„なのか?」

「“本気マジ„じゃない」

「あぁ? だったらなんだ?」


 ダミアノスは振り返って、カウンターに両肘をかけて寄り掛かった。これは最終宣告だ。

 例え間違いだとしても、誰にも認められない世迷い言だとしても、それでも私は――――幻想に生きたい!


「“本気マジ„を越えた“正気ガチの幻想„です!」


 これが私の導き出した解答。

 引きずり出した自分自身。

 誰にもねじ曲げさせない。

 誰にも否定させない。

 実績に実績を重ねて、現実に幻想を捩じ込む。

 妄想でも、空想でも、夢想でもない。

 これが私の作り上げる、冒険者としてのまっさらな理想像。

 ダミアノスは首をガクンと下に向け、次には天井を見上げた。そして、私に戻してフードを上げた。


「こいつは鳥の巣どころか、とんだお花畑を頭の中に湧かせてやがる。ケツが青いにも程がある」

「············」

「幻想ねぇ······――――まあ、お姫様・・・にしては上出来なんじゃないの?」

「······え?」

「マスター、リンゴジュースを二杯。ナタデココ入れたやつな」


 亭主マスターさんはそそくさとジョッキを用意し、瞬く間にダミアノスの注文通りのメニューを仕上げた。


「おい、いつまでそこで呆けてやがるこっち来いよ。飲まねぇのか?」


 両手にリンゴジュースとナタデココでいっぱいに満たされたジョッキを掲げながら、ダミアノスは言った。

 これは一体どういうことなのだろうか······。空気がまるっきり変わったのだけれど······?!


「特別に奢ってやるよ。ほら、ほらぁ」

「は、はい!」


 受け取ったジョッキは、よく見ると泡立っていた。

 これ、中身はリンゴジュースなんだよね?


「いいか? こういうのは上品じゃいかねぇ。ぐびっと一気に腹に流し込むんだ。こうやってな!」


 ダミアノスは、一度も口を離さずにゴクッ、ゴクッ、と聞こえるくらいに大きく音を立てて飲み切った。


「ぷはぁー! ほら。オマエもやれ!」

「え?」

「同じペースで歩めずして、頼れる隣人なんかになれると思うなよ?」


 挑発的な言葉にムカついて、私は負けじとジョッキを傾けた。喉の奥に果汁たっぷりのリンゴジュースとナタデココが雪崩れ込んでくる。えずくのを我慢して、なんとか最後まで押し込んだ。


「ぶわぁー!!」

「タッハッハ! えげつねぇ声、タッハー!!」

「むぅー! 亭主マスターさん! おかわり!」

「おぉ?! 飲み比べか? いいぜ! 付き合ってやる! 俺ももう一丁!」


 それから私とダミアノスは、一目も気にせず飽きもせず、ナタデココ入りリンゴジュースを飲み続けた。二人して、意識を無くしてぶっ倒れるまで。





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