野良魔物【クリーチャー】




「随分待たせちゃったね」


 冒険者で賑わうギルドセンター、受付窓口付近にて、青髪を腰まで伸ばした長身の少女が呟いた。彼女の周囲には、冷たい空気が渦巻いている。


「ええ。やっと、ですわね」


 その横で、赤髪をツインテールにした真っ赤なドレス姿の小柄な少女が続いた。彼女の周囲には、微量の熱が漏れ出ている。

 二人は今日で冒険者となる新米だ。そして、ある人物との約束を果たす為に朝一から待ち構えている。学生時代から仲の深い関係にあり、共通のお騒がせな中心であり、絶対的な信頼を置いている親友。

 それが来るまで、あと一時間。二者の胸には、期待と緊張が泡を立てる。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 冒険者になって一週間が過ぎようとしていた。皇女なのに冒険者をやっていることに、多少は疑念を抱かれたりするのかなと思っていたのだけれど、既に兄トマスという前例があるからか割りとすんなり受け入れられた。

 この一週間、わたしは数々の依頼をこなしてきた。全部、家事や家畜の世話などの【雑用】とか、薬草や武器製造に使われる鉱石の【採集】とか、畑を荒らす害虫の【駆除】の大体三通りしかしていない。そろそろ【討伐】系の依頼にも手を伸ばしたいところだけれど、アリスが頑なに首を横に振って許してくれなかった。けれど、私が出した条件を聞くと「それなら」とようやく縦に振った。

 条件というのは、『パーティを最低でも三人(クレイ込み、アリス抜き)で組むこと』だ。私にはあと二人の心当たりがあった。たった今、ギルドセンターに到着した瞬間、それらと視線を交わす。


「カイーン! スヴァルー!」


 私は祝福と嬉しさで勢いよく二人に抱きついた。

 赤髪ツインテールで、真っ赤なロリータドレスを身に纏った蜂翅の妖精属フェアリーカイン・ナッツレール。

 一見する美男子と見違えそうな程に長身で青髪ストレートの霜の妖精ジャックフロストスヴァル・ストライク。

 彼女達は、私の大親友だ。学生時代からの付き合いで、よく同じ課題に取り組んだものだ。いつか冒険者になれたら、一緒にパーティになろうって約束もして、やっと果たせるからとっても嬉しい。


「はいはい、クレイ嬢。そんな熱烈に抱きつかれたら、アタシ溶けちゃうよ」

「あ、ごめんなさち、スヴァル。カインも」


 スヴァルは構わないと微笑んでいたけれど、カインはしかめ面だった。


「もう、あなたという妖精は、まだ慎ましさを覚えておられないんですの?」

「えっへっへ······まことにすんません」


 カインはいつも不機嫌そうにしている。けれど、渋ってるだけで本当は思いやりのある妖精だ。その証拠に、頬をぷくーっと膨らませている彼女の背では、ミツバチの翅がぴょこぴょこと跳ねている。これは本心では嬉しがってる。それもかなり。


「まあまあ、いいじゃん、カイン。この三人で組むなんて久し振りなんだし、クレイ嬢の好きにさせてあげようよ」


 対して、スヴァルはとてもおおらかだ。ノリが軽くて、意地の悪いところもあるけれど、この三人の中じゃ緩衝材のような立ち位置でいる。

 こんな器用な性格をしているものだから、学生時代はしょっちゅうコクられてたっけ。――――主に女子にだけれど······。


「で、クレイ嬢。アタシらを巻き込んで、何を企んでいるのかな?」

「企むなんて、なんかいかがわしいみたいな言い方しないでよ。――――ズバリ! 受けるのは【討伐】依頼よ!」


 スヴァルは口元を手で隠して笑いを堪え、逆にカインは「はぁっ!」と驚きのこもった大声を張り上げた。


「クレイ嬢、流石に私たちにはまだ早すぎませんか?」


 言うと思った。けれど、問題は無い。


「大丈夫だよ。私たちなら。ね? アリス」

「············」


 アリスは静かに軽く頭を下げた。


「成る程、とっくに容認済みなのね」


 スヴァルが気まずそうに言った。理由はわからないけれど、アリスが苦手らしい。二人の性格は正反対だから、多分それが理由だと思う。


「わかりましたわ。アリスさんから御許しを得ているのであれば、私から何を言っても無駄ですわね」

「許し無しでも無駄だけどね」

「むぅ!」


 諦めたカインにスヴァルが茶々を入れた。こっちはこっちで、属性も正反対なのだから余計に反りが合わなそうなのに。相性ってわからないものね。


「それで、クレイ嬢。アタシ達で何を退治するのかな?」

「あ、それは今から――――」

「決めて参りました」

「「いつの間にッ?!!」」


 アリスの手には依頼書があった。私たちには見えるように差し出して、スヴァルが取る。


「なになに――――『【★★:害獣駆除】、先祖代々管理してきた館に鼠が集っている。早急に追い払ってほしい』――――か」

「ちょっと待って!」


 スヴァルから依頼書を取り上げて内容に目を凝らす。一言一句違わず今聞いた通りだった。


「アリス、これはどういうこと?」


 依頼書を向けながら迫ると、アリスは冷静に答えた。


「言葉が違うだけで、【駆除】も立派に【討伐】ですよ。クレイ嬢」

「そんなの屁理屈じゃん!」

「依頼は自分で選ぶと申されていなかったので」

「それもダメー! しかもよく見たら受諾印押されてるし! もう取り下げできないじゃぁん!」


 浮わついていてすっかり油断していた。うちのメイドはメイドのくせして、主人である筈の私の扱いが何故だかぞんざいなんだ。度々思うのだけれど、私のこと嫌いなの? 嫌いなんでしょ! そーなんでしょ!


「アッハッハ! 見事にしてやられちゃったね」

「笑わないでよ、スヴァル~」


 そんなわけで、私たちパーティは冒険者として初めての共同作業に向かうのだった。

 依頼書にあった現場は、旧ダトムア聖堂という北西通りを進んだ住宅街の外れにある中規模の教会だ。二十年くらい前まで運営していたのだけれど、突然封鎖してしまった謎多き施設だ。現在は元冒険者の貴族が管理下に置いている。

 レンガ造りの塀の上には槍のような格子が伸びていて、見上げる程大きな真っ黒な門の存在感もあって、断固とした侵入を禁じる姿勢を感じる。加えて、今日のお空は日傘を差したみたいに黒寄りの灰。雨予報は無かった筈なのだけれど······。


「幽霊屋敷かな?」

「クレイ嬢、気持ちはわかるけどそういうのは口にしちゃいけないよ」

「あぁ、ごめん」


 取り敢えず、妙に緊迫した空気を一呼吸して拭い去り、門の取っ手に手を伸ばす。すると、触れる直前にキーンと軋みながら軽々と開いた。両方の門がガシャンと音を立てた瞬間、異様な空気が漂ってきた気がした。


「やっぱり幽霊屋敷」


 今度はスヴァルは何も言わなかった。

 綺麗に手入れされた芝を通って中に入る。床は埃が張っていて、壁には至るところにヒビが入っていた。折れた蝋燭に割れた窓ガラス、列が乱れた横長の椅子、そして奥にある手を組み合わせているんだろう磨り減った女神像。

 辛うじて原型を留めているに収まった廃墟だ。


「不気味ですわね」

「同感。そうじゃなくても、アタシはこういう堅苦しいとこ苦手だけどね」

「なんでもいいけれど、早くネズミを退治して帰りましょ。私もあんまり長居したくない」


 ここはなんだかムズムズする。空気が悪いというよりは、立ち込めている魔力の質が気持ち悪いというか。変にプレッシャーを感じてならない。


「アリス、どうかしたの?」


 一人だけ、アリスは上階から自分の足元までを視野を広くして見渡していた。


「いいえ。なんでもありません」


 彼女も感性が優れているから、私と同じように何かを感じているのかしら? だとしたら、余計に悪い予感しかしないのだけれど! 表情に出さないから余計に不穏。

 取り敢えず、私、カイン、スヴァルでネズミの駆除に、アリスは外で転移魔術の設置に当たった。かなり巣くっていて、意外にも掃討するのに時間がかかった。カインが騒いだり喚いたりしてネズミが散り散りに逃げるものだから、まめに休憩を挟んで宥めつつ、終える頃にはすっかり日が暮れてしまった。


「はぁー、はぁー、やっと······やっと終わった······」

「当然なんだろうけど、学園の課題よりもずっと手こずるとはね」


 私とスヴァルはくたびれていた。ただでさえすばしっこいネズミが、目測でざっと五百匹という大家族を作り上げていた。黒光りする虫じゃないけれど、あれは確かに退治案件だったわ。


「にしてもカイン、大活躍だったね」

「うぅ······御二方のお手を煩わせて、大変申し訳ありませんでした」


 カインは短い背を曲げて謝った。別に、私もスヴァルも怒っていない。


「いきなり崩れた天井にネズミが山程いたら、そりゃ私でも叫ぶよ。気にしないで」

「そうそう。カインはいつも堅いんだから、あれくらいはっちゃけてもポイント高くなるだけだと思うよ?」


 スヴァルにそうからかわれると、カインは歯を食い縛って目を細めた。正直、私も無理にお嬢様でいなくてもいいという意見には賛成だ。お姫様の私がこれなんだから、カインがこだわる必要が差程無いんだ。家の位とか格式が大事なのは王族の私には痛い程わかるけれど、四六時中は流石に疲れる。多少は息抜きしても許されるだろうに――――って以前、アリスの前でぼやいたら、スンゴイ冷めた目で睨まれた。それも無言で。


「皆様、お疲れ様でした」


 入り口からアリスが入ってきた。何やら、様子がおかしい。お腹の前に重ねた両手、いつもは右手が上なのに、左手が上になっている。――――いよいよ、嫌な予感が迫り来る感じ。


「ネズミ退治がお済みになられたばかりのところ、大変恐縮なのですが」

「ん? どうなさいましたの?」


 首を傾げるカインに、アリスは冷静に答えた。


「結界を張る際に現場を解析魔術にかけたところ、地下に妙な反応がありまして」

「「「地下?」」」


 三人共、疑問符をあげた。


「そんなとこ、あった?」


 私が訊ねると、カインもスヴァルも首を横に振った。


「アリス、それは確かなの?」

「間違いありません。隠蔽魔術で巧妙に隠しているようですが、長年の綻びが生じていたのか容易く看破できましたよ」


 魔力感度を上げてみたら、確かに下から妙な空白を感じた。確かに地面の下に空間がある。それも、今私たちがいる場所と同じくらいに広い。カインとスヴァルも同じく確信して、嫌そうな顔を浮かべた。


「その······行こっか」


 渋々口にして、地下への入口を皆で探し回った。案外早く見つかって、祭壇の裏側に魔法陣が刻まれているのをスヴァルが見つけた。

 魔力を流してみれば、紋様が回転しながら複雑に組み変わって、最終的に階段の続く円形の穴が開いた。向き方から螺旋階段かしらね。

 【収納空間ストレージ】からランプを取り出して足を踏み入れる。その瞬間、空気が一変するのを感じた。じめじめしていて、まるで沼地に足を突っ込んだみたいだ。


「クレイ嬢?」

「どうかしたの?」


 後続の二人から声がかかってきて振り返る。カインもスヴァルも、この異様な空気感になんら違和感を抱いていない様子だ。

 入り口の内と外で変わってる?


「みんな、気を付けた方がいいかも。多分、この下には野良魔物クリーチャーがいるかも」


 そう言うと、カインとスヴァルの表情が曇った。それもその筈だ。

 野良魔物クリーチャー――――一般的にそう呼ばれているのは、罪を犯した者、災害的生物など、とにかく国に悪影響をもたらす害悪になりえる存在全般を差す。

 この世には、無害な草食動物よりも野心溢れる野良魔物クリーチャーの方が多い。いつなんどき、己の欲求を満たす為だけに、享楽のままに害を為そうと虎視眈々とその気を伺っている。

 私たちがそれと相対するのは、これが初めてになるかもしれない。そう思うと、緊張感が尋常じゃない。


「だ、大丈夫なんですの? ここは一旦、帰還して情報を他の冒険者に共有すべきでは? 元来の依頼は達成したんですし、無理に深入りするのは避けた方がよろしいのでは」

「アタシもカインに賛成。クレイ嬢、一度撤退しよう。相手が何であるかわからない以上、下手に向かうのは危険だよ」


 確かに二人の忠告は尤もだ。未解明、不鮮明な相手程、距離を見誤れば痛い目を見る。

 冒険者にとって見極めなければならないのは、『利益』でも『損害』でもなく、『身の危険』だ。特に、【討伐】依頼なんて野良魔物クリーチャーを相手にするのが主だ。カインとスヴァルは、異様さを感じた私の表情から地下に進む危険性を察知して言ってくれた。正直、私も同意だ。けれど――――


「向かうわ。私たちのことは気取られてるかも。逃げられる前に、ここで押さえておきたい」

「クレイ嬢」

「わかってる。この感じは結構強い。だからこそ、実態を掴んでおきたいの。連絡役はアリスにお願いするわ。この中で転移魔術が使えるのは彼女だけだからね」


 スヴァルはまだ何か言いたそうにしていたけれど、アリスに肩を掴まれて止められた。


「わかりました。私が早急に伝達し、冒険者を連れて戻ります」

「アリス、ここはあなたが一番に反対すべきなんじゃないのかな?」

「重々承知していますとも、スヴァル嬢。しかし、クレイ嬢の言うことも一理あるかと」

「え?」

「正体不明の野良魔物クリーチャーの出現。それも壁内領で起こったとすれば由々しき事態です。身の安全を考慮して一時帰還するのも一考すべきですが、ここは潜伏している輩の情報を少しでも詳細にした方が後々に対策が立てられます。それに、貴女方三人が揃っているのですから、まあ問題は無いかと存じますが」


 最後の一言が力強い一撃となったのか、スヴァルは口をつぐんだ。アリスは先にギルドに戻って、私たちは先を進んだ。

 入り口を潜った瞬間に、二人の顔はより陰りを増して息苦しそうにしていた。私はそこまで辛くはないけれど、カインとスヴァルの我慢している顔を見て胸が苦しくなった。もしかしたら、魔力の質が二人に合わなかったのかもしれない。そう思うと、軽率に自決したことを後悔した。


「ごめんなさい。あんなこと言っといてなんだけど、私一人だけ残ればよかった。そっちの方が――――」

「クレイ嬢」


 突然、スヴァルに遮られた。


「そういうのは無しだよ。アタシは別に、あんたが皇女様だから反対したんじゃないんだよ。親友だから、何かあったときにやっぱり止めていればってなるのが嫌なの」

「そうですわよ。私も、純粋に親しい友人だからというだけでついてきているのですから、私達を見くびるような言動はしないでいただきたいですわ」

「カインの言う通り。アタシ達はそんなにやわじゃないの、あんたが一番よく知ってるでしょ?」


 スヴァル······――――カイン······――――二人共、明らかに強がっている。辛いだろうに、私を励まそうとしてくれている。

 そう言えばそうだった。学生だったときも、何をするにも私たちは一緒にいた。ご飯を食べるときも、課題を攻略するときも、悪ふざけするときも、なんなら恋バナとかもした。

 魔術を鍛え上げるときも、お互いに競い合うことで鼓舞し合い、支え合い、研鑽しまくった。

 二人がいなかったら、未だに私は学園で燻っていることだろう。


「そうだね。弱気になってちゃ世話ないよね」

「そうですわよ!」

「そうこなくちゃ」


 二人の顔が眩しく見えた。私は一度深呼吸をして、「よし!」と意気込んで階段を下りた。

 地下は旧聖堂の一階程度の空間が広がっていた。床、天井、壁、いずれも煉瓦が敷き詰められていて、真っ黒なカビと苔が沸いていた。

 光を当てると、細長い蛾の触覚のようなモジャモジャが引っ込んで、非常に不気味だ。そして、ここから先に行こうとすると足が張り付いたみたいになって中々動かせなかった。


「うぇ。何これ、ダンジョンかよ」

「いいえ。ダンジョンでも十数年でここまでひどくはなりませんわよ。十中八九、原因はやはりこの空気を汚染している高濃度の魔力ですわね」


 カインの見解は当たっている。階段を下りながら、空気は段々と臭みが増していっていた。地下に来た時点となると、最早、公衆トイレで生活した方がマシと思える。


「ねぇ、二人共。奥にある“あれ„、見える?」


 地上と照らし合わせて、位置的に入り口に当たるところだろうか、鉄扉らしきものが確認できた。二人も見えると答え、ここまで来たらと意を決して歩を進める。


「辛くなったら言ってね。すぐに【破穢キュア】をかけるから」


 足裏に伝わってくる感触がぐにゅぐにゅって、とにかく気持ちが悪い。これだけでも具合が悪くなりそうだ。鉄扉まで着くと、表面にどろどろした粘液が付いているのがわかった。

 めちゃくちゃ触りたくない――――三人の間に沈黙が流れ、取り敢えず平等なジャンケンポンでスヴァルが開けることになったけれど、どうにも重く一人ではびくともしないと言うものだから、結局三人がかりでやっとの思いで押し開けた。お陰様で、掌がハチミツを塗りたくったみたいにべちょべちょだ。

 鉄扉の中身は円形の空間になっていて、床はヘドロに満ちていた。滑りやすいから注意しなきゃ。


「なんですの、もー!」


 カイン、ドレスのままで来ていたから動くとヘドロが跳ねて裾周りに付いてしまっている。


「あーあー、だからいつも言ってるでしょ。動きやすい且つ汚れてもいい装備をしてこなきゃって」

「とんでもありませんわ。貴族に生まれた娘足るもの、常にドレスは欠かさず身に付けておかなくては」

「アタシ、カインのそういうところだけはどうにもわからないんだよね」


 部屋を見渡すと、特におかしなものは見当たらなかった。ここまで魔力が汚染されているのに、何もいないなんて不自然だ。

 魔力探知で周囲を探ってみる。――――ダメだ。魔力が濃すぎてノイズが流れ込んでくる。まともに機能してくれない。


「ん? 今、床が盛り上がったような······」


 胸騒ぎが落ち着かない。やっぱり私は、何か見逃しちゃいけないものを見逃している気がする。今すぐ地上に戻ろうって、二人に提案しようと振り返る。


「カイン、スヴァル······」


 二人は同時に倒れてしまった。急いで駆け寄って状態を調べると、生気が薄れて肌が青白くなって、脈拍も呼吸も薄くなっていた。この反応は、【衰弱の呪い】にかけられているようだった。

 私が先に入ったのに、なんで二人の方が強い干渉影響を受けているの!?


「【破穢(キュア)】!」


 掌に青い魔法陣を展開して二人に向けて翳す。呪いを祓う魔術だ。けれど、あまりに濃度が高過ぎて効果がまったく表れない。

 これじゃあ、余計に二人を長く苦しませるだけだ。私は転移魔術が使えない。今頃、アリスが応援を引き連れてきていてもおかしくないのに、なんで遅いのよ!


「とにかくこの場から離れなきゃ!」


 魔力で筋力を上げ、カインを右に、スヴァルを左にして双方に肩を貸す。いざ、脱出を試みようとした瞬間、突如鉄扉が閉じ始めた。


「ウソでしょ! ちょっと、ちょっと待ってよ!」


 必死に伸ばした手が届くときには、鉄扉の口はガコンと固く閉ざされてしまった。人二人を抱えているとはいえ、筋力を上げた腕で何度全力で押しても叩いても、うんともすんともいわない。


「冗談じゃないわよ! こんなところで窒息死とか、本当に洒落にならないのだけれどォ!!?」


 マズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイって、これェー!!!


「とにかく、【破穢キュア】をかけ続けて呪いの進行を抑えないと!」


 再び二人に癒しの光を浴びせる。

 二人の息が浅くなってきていた。限界だ。閉じ込められて、仲間は今にも息が途絶えそう。

 どうすれば、どうすればこの状況を打開できるんだよッ!! やっぱり、忠告を素直に聞いて引き返せばよかった! こんなの、私たちの手に負えない! ちくしょう······――――――――


「ん? 待てよ?――――そうだ!」


 絶望していて見逃すところだった。これは『呪い・・』なんだ。一定範囲に限定して付加をかける魔術の派生のようなもの。となれば、術者が近くいる筈。

 私は二人を出来る限り鉄扉の横の端に寄せ、気休めの安全確保してから【収納空間ストレージ】より一振りの細剣レイピアを取り出した。


「絶対に見つけ出してやるんだから!」


 翅を広げては天井すれすれのところでホバリングし、細剣レイピアに魔力を込める。そして、より鋭く感度を上げた魔力探知で、微々たる違和感を感じた部屋の中央に向けて、魔力の斬撃を弾き出す。


「"晴の斬撃ボー・クーペ"!」


 着弾した箇所はヘドロが大きく飛沫を飛び散らせた。そして、一旦静寂を流したすぐ後に、部屋の中央の床が徐々に徐々に膨れ上がった。一瞬、人影のようなものがヘドロの中から睨み付けてきて、私は構えた。

 膨れ上がったヘドロの塊はその場で渦を巻いて、絞った雑巾のようになった後には爆発四散した。カインとスヴァルの前に来て魔法陣を開いて余波を防ぎ、私は敵の姿をこの目に焼き付けた。

 全身をノコギリのような漆黒の鱗で包み、長い尻尾の先端は突撃槍ランスを思わせ、手足の爪は逆反剣ファルクス、長い口元に生え揃った牙からはよだれがどろどろと垂れ落ちて、体長は百八十センチメートル程度。木苺のような瞳からはどす黒い殺気が伝わってくる。

 一見するとワニの獣人。だけれど、胸元の赤紫の模様がその認識をすぐに否定した。

 十字架のペインティングをした道化が歯を見せて笑っているような、壺にも見える模様には文字が円を描いていた。それをなぞっていくと――――『アガレス』。


「って、悪魔!!?」

「▼▲▼? ▼▲▼▲▼▲▼▲▼」


 なに、今の?! 言語? ガリガリガリって、剣同士が擦れ合って軋んでいるような······耳が奥から削られるぅ!!


「なんでこんなところに、大昔に絶滅した筈の災禍の人外がいんの?! 生き残り?!! んなバカなことがあってたまるかァー!!」


 見誤ったとかそういう次元じゃない! 空気が汚染する程の高濃度の魔力! そして、それによってカインとスヴァルは【衰弱の呪い】に侵された。

 呪い――――悪性呪術は悪魔由来の技能だ。精々、質の悪い呪術師だとばかり思っていたのに! 想定外過ぎる。

 どうする······どうする······――――


「どうすればいいっていうんだよ!」


 叫んでいると、アガレスは目を離した隙に眼前に立っていた。私は身動きができなかった。小動物が動きを止めているときって、こんな気分なんだ。少しでも動けば、自分が生きていると少しでも悟られたら、それから先の未来が容易に読めてしまう。恐怖一色の結末が、脳裏に浮かんできてしまう。途轍もない恐怖が、微塵の挙動を許そうとしなかった。


「▼▲▼、▼▲▼▲▼▲? ▼▲▼、▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲?」


 アガレスは私を撫で回すように見た。鼻息を吹かして、まるでなにかを確かめているみたい。

 この隙に攻撃を······ダメだ! 鉄扉が開かないんじゃ、どうしようもない。それに、カインとスヴァルを抱えていたら飛んで逃げようにも全速力が出ない。


「▼▲▼▲▼▲▼▲。▼▲▼▲」


 アガレスは私の横を通り過ぎていった。

 見逃された? 私への興味を失くした?――――違う! 標的を移したんだ! 呪いにかけたカインとスヴァルに!

 アガレスの足音がどんどん離れていく。距離的にもう少しで二人のもとに着く。そうしたらどうなる? カインとスヴァルは食べられちゃうの? 私の判断ミスの所為で、二人は死んじゃうの? 恐い、恐い、恐い、恐い、恐い、コワイ、コワイコワイコワイコワイコワイコワイ············――――――――ふざけんじゃないわよ!!


「待ちなさいッ!」


 足音が止まった。視線も感じる。興味がこっちに戻った。これで標的は私に定まった。

 ふざけんじゃないわよ、クレイ=フードゥルブリエ! 私はなに? 冒険者でしょ! それ以前に王族でしょ! 皇女なんでしょ! 国民に苦しい思いをさせているのに、見殺しにするなんて冗談じゃない! 恥を重ねるな! 恐くても闘えよ! 相手はたかが二足歩行するワニたった一体だけ! この程度の危険に、臆しちゃダメッ!! 


「こっちに活きのいい羽虫がいるわよ、爬虫類!」


 なんのために冒険者になった? 誰かの助けになる為でしょうが!! その場限りの根性でもいい! 恐怖を誤魔化せ! 上書きしろ!! とことん、迸りなさい!!!


「出力を上げて剣に流す。さっきの三倍の威力!」


 私の属性は【雷霆】。鋭い刺激に喰らえばデフォルトで麻痺の負荷デバフがかかる。さっきは濃密な魔力とヘドロに邪魔されたけれど、きっと利くわよ。

 私は右手で細剣レイピアを肩の位置で引きながら、身体を横に向けた。左手を刃に添え、狙いをアガレスの胸のシンボルへ定める。魔力を翅と足腰に四対六で割り振り、余力は全身に速く巡らせて身体機能の底上げに心血を注ぐ。

 私の準備は整った。アガレスの方は、不気味な程魔力の流れが静かだ。私が今どんな状態にあるのかは目に見えてわかっている筈だ。全身から青白い雷を無秩序に放出し、特に細剣レイピアはバチバチと一際激しく電光を散らしている。

 明らかな攻撃の意思の前に、このクソワニは余裕綽々とした佇まいでじっとしている。一体何を狙って······は?――――私は思わず見開いた。


「▼▲、▼▲▼▲」


 アガレスは一度腕を組み、すぐにを上に向けて伸ばし、人差し指をクィッ、クィッと内側に二度曲げた。

 あのクソワニ······挑発している!?


「上等よ······私だって、やれば出来るんだからね!?――――"嵐の突撃タンペット・ラピエル"!」


 私の持ちえる最速の技。ただの刺突攻撃と侮っていたら、背中まで肉を抉りながら貫く一撃必殺だ。

 アガレスはやはり避ける素振りも見せなかった。それとも、あまりの速さに反応しきれていないのか。できれば後者であってほしいけれど――――!!

 私の細剣レイピアは確実にアガレスの紋様を捉えていた。このまま刺し貫いて終わり――――そう勝利を確信していた私の身体はピタリと直進を止めていた。細剣レイピの尖端は、心臓寸前のところで中指と親指に摘ままれていた。見上げれば、笑みを浮かべているのか口角を上げて私を見下ろすアガレスの醜悪な形相がすぐ目の前に。


「ウ······ソ······――――」


 突然、アガレスの右腕が私の右肩に振り下ろされた。あまりの勢いに地面に叩きつけられ、刹那に肩がボキッと外れたのがわかった。


「いったァ~~~······!!」


 後から痛みが滲み出てくる。右腕の感覚がはっきりしない。――――逃げなきゃ······こんなの······


「ぐぅ!!?」


 アガレスは私の頭を踏みつけて動きを封じた。

 鉄の軋みが絶えず聞こえてくる。嘲笑っているの? 悪魔らしく高らかに、悦に浸っているみたい。


「▼▲▼▲▼▲▼▲! ▼▲▼▲▼▲▼▲!」


 アガレスは私の髪を掴んで引っ張り上げた。舌を伸ばして、私の頬を嘗め回して、より口角を上に歪めた。そして、大きく口を開けてじわじわと迫ってくる。


「フゥー······フゥー······――――――――」


 あぁ、私、食べられちゃうんだ······結局、何もできなかったな······――――悔しいけれど、私は兄上みたいに強くなれなかったんだ······。あのひとみたいに輝けなかったんだ············――――叶うなら、せめて······もう一度、会いたかったな······白いウサギさん······。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 アガレスの口腔が、意識の失せたクレイの喉を覆った瞬間、背後から氷の壁が聳え立った。アガレスはクレイを手放して避け、発生源を唸りながら睨む。そこには、不適な笑みを浮かべるスヴァルがいた。


「▼▲▼▲▼▲▼▲」


 標的を再度スヴァル達に戻し、歯を軋ませて長い爪を向けた。生意気にも、雑魚の分際で自身の至福の時間である食事の邪魔をした。気分を害されたアガレスの怒りは、周囲の空気に混じった魔力をより汚して呪いを強くした。スヴァルは限界を迎えて目を閉じ、力無げに首が下を向く。

 アガレスの爪が彼女に振り下ろされようとしたその時、背後で何かがヘドロに落ちてきた音がして動きを止める。振り返れば、フードを深く被った人影が片膝ついていた。足元には消えていく魔法陣があり、地上から転移してきたものだとすぐにわかる。


「▼▲▼? ▼▲▼▲▼▲▼▲?」

「初っ端から雑魚呼ばわりとは、随分と失礼だな。って、お前らはそんなんわかりっこねぇよな」


 アガレスは驚愕した。悪魔の言葉は同族以外に理解できる種族はいない。であるというのに、この雑魚は平然と理解した上で返事した。異様な雰囲気を感じ、警戒する。

 立ち上がった侵入者は体格と声からして男だ。フード、袖の裾には真っ黒なファーが靡く古めかしい深緑色のコートを着た暑苦しい格好で、右手には刃が十字に別れた槍を持っていた。咥えている煙草には、紫色の火がついている。

 男は倒れている三人の少女にはなんら注目せず、槍を振り回して構えた。


「さて、害虫駆除といこうぜ。その誰の為にもならねぇ魂、とっととハデスにくべな」


 彼の横で倒れているクレイは、朧気な意識の中で、微かな狭い視界の中へ、二人の戦闘をじっと収めていた。





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