幻想魔境の妖精姫

南無珠 真意

或、妖精の少女【ラ・プランセス】




 幻想――――それは私の一番好きな言葉だ。誰しもが、子供の頃からそれに馳せて邁進する。挫折しようとも、どうしたって諦めきれない。

 それが大きくても、小さくても。どれだけ些細なことがきっかけだったとしても······私はどうしようもなく『幻想』に生きたい。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



「おめでとうございます。これで晴れて、あなた様は冒険者です」


 午前八時十五分。外では春風が穏やかに吹いていた。その言葉を聞いて、今朝早く起きて整えた黒髪がバッと爆ぜていつものクセッ毛に戻るのを感じた。

 お下げをした白猫受付嬢から手渡された資料に判を押して、私、クレイ=フードゥルブリエ、十五歳は本日を持ちまして冒険者になりました。

 この日を、この日をどれだけ待ち詫びたことか。胸の高鳴りが押さえきれない。翅がパタパタと跳ねているのを感じる。


「こちらが冒険者の証明となるリングです。紛失した場合はお声掛けください。それでは、頑張ってください。応援しています」

「ありがとうございます! 私、がんばりますッ!」


 窓口から離れた私は、早速リングを左手に填めて頭上に翳した。照明灯で銀の輪郭が光を反射する。表面には私の名前がフルネームで彫られていて、改めて冒険者になったんだなと実感させられる。

 巨人属ギガースから小妖精ピクシーまで、多種多様な人外、更には人類とも共存を可能とした妖精属フェアリーの納める世界最大の共生国家――――『グラズヘイム』。

 ここには十二の学園ギルドが点在していて、様々な課題をクリアしていくことで冒険者や兵士等、この国に貢献することができる。ここはその一つ、第十二号学園ギルド【真珠兵団パール】。

 私は三年を擁した。父や兄を説得するのに苦労したし、座学は寝る間も惜しんで教本を目が乾く程読み込み、実践も血反吐を吐くまで自己を叩きまくった。キツいキツい努力がようやく実って、試験は一発合格。これでやっと、誰かの役に立てる。私はこれから、絶え間無い幻想のステージに足を踏み入れられるんだ。


「アリス、私やったよ! ほら!」


 子供の頃から付き従っているメイドのアリス・エンカウント。正統派のクラシカルな風貌で、私と同い歳の金髪碧眼のメガネ美少女。

 クールな性格で、何をしても表情が変わらないのよね。けど、十年以上も一緒だから真顔でもどんな心境なのか大体わかる。


「おめでとうございます。クレイ嬢」


 両手を前に重ねて、軽く頭を下げてきた。純粋にめでたく思ってくれている。そして、彼女も同じく今日が冒険者デビューだ。


「エヘヘ、ありがとう。アリスもおめでとう。早く依頼に行こ!」


 アリスの手を掴んで、依頼の綴られた多くの羊皮紙が隙間無く貼られている掲示板に急ぐ。先輩冒険者の間を塗って、初めての仕事を選ぶ。

 思いの外、依頼書が多かったのには驚いた。こんなにも多くの人達が困っているんだと、少しがっかりもした。けれど、その分多くの役に立てると想うと、気が張れるというものだ。

 興奮に身を任せてはいけない。ここは慎重に、適切な選択をしなければ。学園側スクールサイトで最初に学んだことだ。


「どれがいいかな~」


 次々に依頼書が取られていく。他にも冒険者達が待っている。私もさっさと決めないと。

 依頼には全て達成難易度が設けられていて、星の数が多い程困難なものとなっている。やるとしたら、星が一つの【雑用】か二つの【採集】。できれば、星が三つ以上もつけられている【討伐】に赴きたいというのが一番の希望なのだけれど、ここは無難に星一つをやりましょうかね。冒険者は腕前よりも信用第一。これも学園側スクールサイトで学んだこと。


「うん、これに決めた!」


 私が手に取った羊皮紙には、【★:買い物】と記載された依頼書だ。依頼主は行きつけの喫茶店を営んでいる妖精属フェアリーの老夫婦。

 訓練で疲れたときや、座学の勉強で重宝していた。利用する度に、アップルパイと渋味の利いた紅茶を出してくれて、学園帰りの心の支えになっていた。

 恩返ししたかったから丁度いい。


「どうかな! アリス!」

「よろしいのでは? 私はクレイ嬢に従うまでです」


 よし! チェックは済んだ。早速行こう!

 私は先程の窓口で依頼の許諾印を押して貰い、喫茶店へと急ぎ向かった。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



「すみませーん! 依頼を受諾しに来ました!」


 喫茶店の中は風情のあるアンティークがたくさんある。文字盤に太陽が描かれた柱時計、クリスタルの目を持つ木彫りの猫、壁には華やかな風景画――――このなんとなく和む静穏とした雰囲気が私のお気に入りだ。

 そして、なんと言っても小妖精ピクシーもわんさかいるのがいい。体長約十センチメートル程の妖精属(フェアリー)の小人版だ。街中でもたまに見るけれど、喫茶店の子達は人馴れしていて親しみを感じる。しかも、メニューを運んできてくれるときた。そこまでされたら、最早癒されていることに礼を尽くして崇める他無い。


「はいはーい――――あ、クレイ様じゃないですか!」


 反応したのはカウンターにいたティリネおばさん。接客担当の老媼で、銀色の髪をパーマにしている。緑と白のチェック柄のエプロンをかけていて、とても温和な妖精だ。


「おはようございます、ティリネおばさん。これ、見てください! ほら、アリスも」


 私は左手のリングをティリネおばさんに見せつけた。ついでにアリスのも掴み上げた。すると、ティリネおばさんは感激してくれた。


「まあ、そのリングは」

「はい。今日から私達も冒険者になりました」

「それはそれは、おめでとうございます」


 ティリネおばさんは柔らかに頭を下げた。


「それで、今日は」

「はい。依頼を受けに来ました。買い物ですよね?」

「ええ。最近、どうにも身体の動きが悪くなってて。近くならまだ大丈夫なんですけど、北東通りまでは辛くて辛くて」


 私達の住んでいるのは、グラズヘイム第十三番領地ドラグシュレイン区。円形の城壁に囲まれたありきたりな市街で、東西南北四方八方、石畳でできた街路を基準に地域を区切っている。

 喫茶店のあることは南通りだから――――


「「ほぼ反対側の地区じゃないですか。それは確かにきつそうですね」

「ええ。従業員に頼みたくても、人手が足りなくて」


 確か、店主のトムおじさんを抜くと、コボルトが一人と人類ヒューマンが一人で回してるんだっけ。


「わかりました。私達にお任せください」

「頼もしいですわ。苦労をかけるようで申し訳ありませんが、是非、よろしくお願いします」


 ティリネおばさんはまた柔らかに頭を下げた。


「いいんですよ。これは私の恩返しみたいなものなんですから。それじゃあ、行ってきます」

「あ、買い物用のお金を」

「大丈夫です。自分で出しますので」


 私は足早に出ていった。

 ドラグシュレイン区はどこも賑やかだ。クッキーを売ってる屋台ではコック帽子を被ったフロッグマンの男性が大声で客引きをし、花屋ではゴブリンの女性がお薦めの花をエルフの女性客に薦めている。

 所々で、鍍金の甲冑に身を包んだ区衛兵が見回りしている様も見られたけれど、住民と楽しげに談笑に浸っていた。さらには幼い犬の獣人と人類ヒューマン、魔女の子供が和気藹々とした様子で走り回っていた。――――毎日よく見るけれど、なんて和む光景だろうか。


「よろしかったので? 代金を預からなくて」


 アリスが冷静に訊いてきた。


「いいの、いいの。私がそうしたいんだから」

「はぁ、あまりそういうのはお控えになさった方がいいと思いますよ。出来る限り、依頼主の御要望には答えなければ、付け上がる輩が現れます。それの対応は面倒ですよ」

「わかってるよ。今回だけだから」


 アリスが言うと冗談でも冗談に聞こえないから、つい身構えちゃう。初めての依頼くらい、調子に乗らせてほしいものだよ。

 南西通りには食材を売っている店がたくさんある。お肉に魚、野菜等、国産のみならず海外からの輸入品も数多く販売されている。飲食店の経営者にとっては最高の収穫の場だ。ドラグシュレイン区といったら、交易の場としてもかなり優秀でもある。

 依頼書の裏面に綴られた買って欲しい商品は粗方手に入れられた。食材や紅茶の茶葉が主だった。そして、思っていたよりも財布の口が大きく開けられてしまった。ティリネおばさんからお金を預からなかったの、ほんのちょこっとだけ後悔したのは内緒の話で。


「あとは小麦粉とバターかな」


 これって、喫茶店の人気メニューであり私にとって励ましの逸品であるアップルパイに使うパイシートの予感。外はサクサク、中はジュルリとリンゴのフィリング――――堪らん! あの出来立ての温かさと心地よい食感を想像したら、よだれが止まらん!


「クレイ嬢、はしたないです」

「ハッ! うっうん! ――――さ、さあ、ちゃっちゃと依頼を完遂しちゃおー!」


 残りの品も回収して、確認を済ませた私達は喫茶店に帰ろうと街路を歩く。中間地点の南東通りまで来たところで、突然後ろから女性の悲鳴が聞こえた。


「泥棒!」


 聞き捨てならない単語が耳に入って、私は翅を羽ばたかせて飛び立った。上空から声がした方向に向くと、二人の区衛兵から必死に逃走している鼠の獣人の姿があった。バックを頭に両手で支えて、人混みの間をスルスルと走り抜けている。

 区衛兵の方はリザードマンと人狼みたいだけれど、人通りの多さに苦戦してるっぽい。

 ここは――――うん!


「アリス! ちょっと行ってくる!」

「はぁ······、周りに迷惑にならぬよう自重してくださいね」

「わかってるー!」


 私は翅に魔力を流して駆動速度を上げてから、鼠の獣人に向かって滑空した。地上じゃいくら逃げ上手でも、空中からじゃ手も足も出しようもないよね。ちょこっとズルいけれど、恨むのは無しで。

 決着はすぐについた。バックごと鼠の獣人を持ち上げて、適当なところで着陸する。この一瞬で何が起こったのかと、訳がわからない様子でいた。


「盗みはダメでしょ」

「ヒッ!」


 鼠の獣人はバックに抱きついて、すっかり怯えてしまっている。見たところ、子供っぽいわね。獣人型って、見た目と年齢の塩梅わかりにくい。

 そうこうしているうちに、追跡していた区衛兵達も追い付いた。はい、と引き渡したらひどく驚かれた。

 ちょっと失礼な気もするけれど、まあ、仕方がなくもないのかな。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 グラズヘイム、首都アルヴヘイム区――――皇立政府セラフィムセントル議事堂。

 漆黒の大理石でできた静謐な会議室。前髪で右目が隠れた黒髪の男を中心に、十二人のスーツ姿の男女が周囲に構えていた。全員、苦悩や懸念に眉間に皺を寄せ、一方向を注視している。

 皆、グラズヘイムの政治を担う重役達だ。そして、彼等彼女等の中心で足を組み、悠々と背凭れに預けているのは、この国において二番目に偉く、そして世界最強の人外と称される妖精属フェアリー


「殿下、これは少々、いや、大分問題ですぞ」


 外周の男の一人が怒りを抑えた風に糾弾した。他も同じ意見のようで、揃ってほぼ睥睨に近い視線を向ける。中心にいる男は暢気に大きく欠伸をし、。


「黙っていたことは、まあ、謝るよ。けど、悪かったと思っていないし、後悔する気は微塵も無い」


 自身で口にした通り、中心の男の顔はとても穏やかで、まるでティータイムの真っ最中といったような満足げな微笑みを浮かべていた。

 あまりに緊張感の無い態度に、いつものことと理解しつつも抑えられない怒りがあった。


「何を悠長な! あの御方への待遇、庇護の密約は既に決着されたものでしょう! それなのに、なぜ冒険者になることを御許しに?!」


 卓を叩きながら別の重役が訊ねた。他も行進に続くように似た文言を一斉に浴びせた。

 しかし、中心の男はぶれない。


「君達の気持ちは痛い程わかる。わたしだって、最初は父共々断固拒否の姿勢でいたさ。けれどね、あの子がああも自分をさらけ出してくれたんだ。あんなにも情熱的な目を向けられて、なんで断ることが出来るって話さ」

「だからと言って、いくらなんでも······」


 この会議のお題目は、とある妖精の少女についてだ。少女は、王族と城に仕える召使い、そして皇立政府セラフィムでもごく一部しかその正体を知られていない。

 世間では“第二皇女„と呼ばれている彼女は、可能な限り王族と政府の庇護化にあり続ける筈だった。何故なら、妖精の少女は王族と微塵も血縁関係に無く、中心の男――――皇太子トマス=ジーロフィクス=フードゥルブリエが突如連れ帰ってきたある人外の妊婦から産まれた。ちなみに、トマスとはなんら関係性は無い。少々込み入った事情があるのだが、未だに誰にも話しておらず真相は謎のままだ。


「ただでさえ、あの御方は色々と扱いが複雑であるというのに、何かあればあなた方王族の信用が地に墜ちるかもしれないのですぞ!」

「そうですよ、殿下! 私は反対だったんです! どこぞの娼婦崩れの落とし子を養子にするなど、他国に知られればどんな形に利用されるか!」

「今の今まで我慢してきましたが、流石に限界ですよ」


 重役達の怒りは沸点に達し、次には少女との離縁を出してくるに違いない。だが、トマスは承認するつもりなど無く、それどころか彼も我慢の限界だった。

 重ねていた手を、組んでいた足をほどいて立ち上がり、前髪をかき上げた。トマスは右目に片眼鏡をかけていて、レンズの下からは澄んだ紺碧の瞳が重役達の顔を写した。


「あれはわたしの――――の妹だ」


 重役達を鋭い静電気が襲い、一斉に静かになった。トマスの放つ尋常ならざる威圧感によって、感情を無理矢理押さえつけられたのだ。

 トマスは前髪を下ろし、再び椅子に座った。


「すまない。少し気が立ってしまった」

「いいえ、我々こそ」

「ええ。冷静さを欠いておりました。申し訳ございません」

「いいさ。君達は国を思ってわたしに意見したんだ。咎めはしないさ。だけど――――」


 トマスは天を仰ぎ見た。会議室の天蓋は夜空と同じ様相となっていて、点々と灯る明光は時折動き、気紛れに星座を描く。トマスが見たときには、天秤座が出来上がっていた。トマスはまた微笑み、楽観的な口調で告げた。


「諸君、わたし達は大人なんだ。大人の役割は、先の時代を子を信じて託すことだとわたしは思うんだ。その為に、わたし達は導かなければならない。この時世、まだまだ何が起こるかわからない。誰にも予想のつかないことが起こるやもしれない。そうなれば、わたし達、前時代の残り火だけで対処するのは難しくなるだろうとわたしは思っている」


 重役達は内心、満場一致で「どの口が」と総ツッコミを入れた。


「それで、要するにどうしろと?」


 半ば呆れた口調で訊ねられたトマスは、胸を張って答えた。


「見守ろう。我々がすべきことは未来ある若者の成長を妨げることではない。その者の思い描く幻想を共に見据え、支援することだ。ここは賭けてみようじゃないか。我が愛する妹――――クレイ=フードゥルブリエの抱懐する幻想が、一体どこへ帰結するのかをさ」


 これを最後に、会議は静かに幕を下ろした。瞬間、トマスの脳裏に浮かんだのは幼いクレイが満面の笑みを浮かべているところだった。当時としては驚くべき光景で、開いた口が塞がらなかった。

 何せ、いつも暗い顔をしていたクレイが、生気を取り戻したように目を輝かせていきなり自身の夢を語り出したのだ。生涯で呆然とさせられたのは後にも先にもあの時くらいだろう。それまで彼女の身の安全を優先していたつもりだったのだが、後に愚かであったと自身を責めたものだ。

 トマスは思った。クレイは幼虫から蛹となった。あとはどのようにして繭を破り、美しい蝶に、或いは醜い蛾へと大成するか。

 いずれの結果になろうとも、トマスはそれが楽しみで仕方がなかった。だから許した。許す以外に選択肢が思い付かなかった。

 世界最強の人外に与えられる称号、『聖王』を与えられた彼に、少々の不安はありつつも微塵の後悔はありはしない。





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