第10話 すれ違い
アイリスが執務室に行くと、ドンヨリと暗い雰囲気が漂っていた。
座り仕事の事務担当に、力仕事は酷だったようだ。
昨日は、領主館の事務担当まで引っ張り出して、人海戦術でのダンジョン攻略となった。
アイリスがボスのドラゴンを軽く倒してしまったので、魔物討伐はそんなに大変ではなかったのだが、魔力結晶の量が多くて、運び出すのに時間がかかってしまった。
特に反対側に続く道は、横道の魔物討伐が終わっておらず、魔力がほとんど残っていないアイリスの代わりに、セキウとサフラン兄さんで手分けして討伐し、それに加え魔力結晶の運び出しまで行った。
ボスを倒せば終わると思っていたアイリスは、討伐に加われないことを申し訳なく思い、運び出しを頑張った。
ダンジョンの距離が長すぎて、全てが終わったときには夜中になっていた。次の日も仕事がある人たちは、日が暮れた頃には帰したようで、その時間には、領主関係者と勤務を調節して次の日を休みにした兵達しかいなかった。
その中に、新婚旅行帰りのクレア姉さんがいて驚いたのだが、もうヘロヘロで昨日は会話もせずに寝てしまった。
クレア姉さんと話したいが、まずは厨房だ。
「アイリス様、間食を御用意いたしましょうか?」
まさか、お腹が減ったと思われたのだろうか。
さっき、遅めの朝食を、たらふく食べたばかりなのに。
笑顔で首を振って否定した。
「えっと、執務室に飲み物を持っていきたいのだけれど。昨日、皆に手伝ってもらったから、疲れているみたいなのよね。元気の出るものってないかしら?」
「それでしたら、コーヒーはいかがでしょうか? お届けしておきます」
「じゃあ、お願いするわね。それとクレア姉さんを探しているのよ」
「クレア様でしたら、先ほど、朝御飯のリクエストをされていましたから、すぐにお戻りになると思いますよ」
アイリスもミルク入りのコーヒーをもらい食堂にいると、クレア姉さんが入ってきた。
「あら。おはよう。アイリスがいるのなら、ここで食べようかしら?」
クレア姉さんはアイリスの従姉妹。領主一族の子供として一緒に育ったので、姉さんと呼んでいる。兄弟みたいなものだ。
「クレア姉さんったら、私がいない間くらい領に残ってくれても良かったじゃない」
「あら? でも、何とかなったんでしょ?」
「サフラン兄さんとアイリスがいるんだから」と軽い調子だ。
アイリスは仕方がないと息を吐くと、ニコリと笑ってクレア姉さんを見た。
「それで? 楽しかったのかしら?」
三十日ほどの新婚旅行。普通は馬車で行くと思うのだが、移動の時間がもったいないと、騎乗して出掛けた。
そんなところも、アイリスに似ている。いや、アイリスがクレア姉さんに似ているのか?
「そりゃ、楽しかったわよ! お土産は後でね。でも、あちこちで瘴気が出たって騒いでいて、泊まれない宿なんかもあったのよね」
本当に瘴気が増えているらしい。そのせいでエドワード様達がダンジョンに来ていたのだろうか?
「そうなの? クレア姉さんは、瘴気って、魔力溜まりのことだって知ってた?」
クレア姉さんは、何故か驚く。
「アイリスは知っていたのね~!! 私は、この旅で知ったのよ。驚きだったわよ! そ、れ、よ、り!!! アイリス、あなた、第一王子に口説かれてるんですって!??」
「ひぇぇ!! なんで、そういうことになっているのよ!!」
アイリスは、椅子から飛び上がりそうになった。
誰が言ったのか!? そんなこと、解りきっているのだが。
領主代理をしているミリアには、筒抜けだ。
エドワード様が大門に来ると、見張りからミリアにパピヨンレターが送られる。その後でミリアからアイリスに伝えられるのだから。
ミリアも姉妹同様に育ったのだから、クレア姉さんとも仲が良い。
ミリアがいるはずの方向に向かって、じっとりとした視線を送る。
「え? 違うの? だって、毎日のように会い来るんでしょ?」
「そんなんじゃないわよ。魔女が珍しかったんじゃない?」
どこまで話しているのだ!? と思ったが、一から十まで全てだと思ったほうが良さそうだ。
膨れるアイリスに、クレア姉さんは身を乗り出して顔をじっくりと見た。
「えぇぇ~。貴女、自分の見た目、わかってないのかしら? 王子が一目惚れしたっておかしくないわよ」
「見た目の前に、魔女なのよ」
「ふ~ん」と、つまらなそうにしたかと思えば、急にニヤニヤし始めた。
「そんなこと言って、貴女はどうなのよ? 好きなんじゃないの?」
「は、は、はい??」
声が上ずった。
自覚は、ある。でも叶わぬ恋なのだ。認めてしまったら辛いだけ。
「私の婚約者は、闇の魔法使いじゃないとね!!」
クレア姉さんから視線を逸らせる。目があってしまったら、強がりを見抜かれてしまいそうだった。
クレア姉さんは目を丸くした後、ニヤリと笑う。
「へぇ~。私は、別に違っても良いと思うけど」
「跡継ぎの問題が、あるでしょ」
闇の魔法使い同士の夫婦のほうが、闇の魔法使いが生まれやすい。
「サフラン兄さんも私だっているのよ。サフラン兄さんのところには、もう子供がいるし、私だって子作り頑張るわ。跡継ぎは心配しなくても大丈夫よ」
子作り……!!
アイリスはほんのり頬を染めた。
「だからって、王子は不味いでしょ……」
「この際、皇太子妃にでもなっちゃえばぁ?」
また、そんなこと言って。
エドワード様が、どういうつもりでアイリスに会いに来ていたのかわからない。第一、魔女が、皇太子妃になれるわけがないのだ。
むぅっとすると、クレア姉さんに言い返す。
「そうしたら、ドラゴニアの領主はクレア姉さんよ!!」
ビクッとすると、クレア姉さんはフルフルと首を振る。
「あぁ!! それは困るわ!! 私はダーリンとのんびりしたいんだから!! アイリス!! 王子を篭絡して、ドラゴニア領主の旦那にしなさい!!」
「もう!! 勝手なことばっかり!!」
「ふふふふふ」
一頻り笑ったクレア姉さんは、アイリスの目を見て優しく微笑んだ。
「アイリス。 魔女は、一途で嫉妬深いの。 恋愛に関しては、自分の気持ちに従いなさい」
クレア姉さん……。他人事だから……。
その後、アイリスは執務室へ行って、事務作業を手伝った。昨日、ダンジョンを手伝ってもらったので、仕事が溜まっている。それなのに、大量に取れた魔力結晶の扱いで揉めていて、ミリアがいなかったのだから。
数日後、執務室の仕事は通常の状態に戻り、アイリスの仕事は最終チェックだけに戻った。
その間に、チョコレートを入荷しようと画策したのだが、国内に出回っている量が少なくて、定期的に仕入れることは難しいことがわかった。
アイリスはカカオの種を入荷することにしたのだが、エドワード様のくれたチョコレートのことを、ついつい考えてしまう。
アイリスの行きつけのカフェを知ってから、チョコレートをもらうまでに二日ほど。
宝石のように輝く見事なチョコレートと製菓用のチョコレート。
二日間で探して、手に入れるのがどれだけ大変なことか。
お金に糸目を付けなければ、何とか可能か?
王子だったら普通のことなのだろうか?
倒れたって聞いたけれど、体調は大丈夫なのだろうか?
あぁ、ダメだ。エドワード様のことばかり考えてしまう。
アイリスは、自室の窓から夜空を見上げた。
引き出しからパピヨンレターの核を取り出して、『カイフク サレマシタカ?』と文字を入れた。
あら? 私、お名前しか知らないわ。
パピヨンレターは、名前や居る場所、魔力などを指定して飛ばす。
居る場所が限定されれば名前でも飛ばすことが出来るが、うまく行かないことがほとんどだ。
一番確実なのは魔力なのだ。一人一人、魔力の質が違う。魔力を指定できれば、居る場所がはっきりしなくても送ることが出来る。
送り先の魔力見本があれば、確実に送れる。大門の見張りがパピヨンレターを送るときは、この方法で送る。
それとは別に、相手の魔力を覚えて送ることも出来る。アイリスがミリアに送るときは、この方法だ。小さな頃から一緒に遊んでいたからこそ、出来る芸当である。
居る場所を王宮、名前をエドワードとしても、パピヨンレターは飛んでいかなかった。
だめね。
私、エドワード様のこと、なにも知らないわ……。
悲しくなって、部屋に戻ると寝台に伏せた。
涙が溢れて、顔を枕に押し付ける。
目元を乱暴に拭い、仰向けになった。
「ダメダメ! しっかりしないと!」
忙しくしていれば、忘れられる。
気合いをいれ、明日することを必死で思い浮かべる。
久しぶりに領主館から離れたエリアに行ってみようかしら?
それとも、もう少し執務室を手伝っても、いいかもしれないわね。
兵の鍛練に参加するのも、ありよね。
天井を見ながら明日のことを考えていると、白い蝶が飛んできた。
こんな時間にパピヨンレター?
緊急事態かと、姿勢を正してパピヨンレターを開くと、
『アイタイ』
「…………?」
ミリアではない?
急いで差出人を確認すると、エドワード様だった。
「えぇ!!」
淡い光を残して消えていくパピヨンレターを、かき集めるようにして胸に抱く。
お願い、消えないで。
無情にも消えてしまったパピヨンレターを抱きしめながら、胸がほっこりとしていた。
エドワード様は、アイリスのことを見ていてくれたのだ。
魔力見本など渡していない。
アイリスのことを知っていてくれたようで、嬉しくも恥ずかしくもある。
彼に向き合ってみても、いいかもしれない。
折り合いが付かなければ、そのときに考えればいいのだから。
アイリスは部屋を飛び出して、グラネラのところに向かった。
「さすがに無理です!!」
グラネラの声が、夜の廊下に響く。
大門で留守番してもらっているときに、エドワード様の護衛の一人と一緒だったのだから、もしかしたら連絡できるかもと思ったのだ。
パピヨンレターは、どう頑張っても送れなかった……。
美味しそうな匂いにつられて足を止める人々。日用品のお店に庶民でも着られる服飾店。食料品を売る店が連なる。
お店の手伝いをしている女の子が、駆け回って遊んでいる子供達を、羨ましそうに見ていた。
アイリスが、その女の子の頭を撫でる。
「領主様!!」
「お手伝いして偉いね」
小さく跳び跳ねると、頬を高揚させて店の中に逃げて行ってしまった。
ドアを少し開けて、その隙間から小さく手を振っている。
アイリスは、笑顔で手を振り返した。
アイリスは、領主館から一番近い町を散策していた。
パピヨンレターの工房に、顔を出してきたのだ。
魔力結晶の分配でミリアと揉めたのが、気になっていた。
ミリアは、領全体のことをみて、色々なことを決めている。店のことを考えている主人と、対立してしまうこともあるのだ。
店で話を聞くと、採れた魔力結晶が多かったので、もう少し多めにもらえないかと、欲を出してしまったらしい。
工房の親方は、「必要な分は仕入れられたんで、大丈夫っすよ」と爽やかに笑っていた。
不満がなければ良い。
ホッとした気持ちで、スイーツ店を見て回っている。
いくら大食いのアイリスでも、すべては食べられないので、食べるものを決めてから店に入った。
ショートケーキとチーズケーキを数種類づつ。お腹が一杯になるまで食べた。
グラネラには呆れられてしまったが、今日だけだと許してもらった。
この町は、活気に満ち溢れていて、歩いていて明るくなれる。
町の人たちは、アイリスに声をかけたりしない。小さな頃から遊びにきている領主を、親戚のような気持ちで見つめていた。
「あと一つくらい、食べられるかしら? ん~」
新しくできたケーキ屋の前で足を止めて悩んでいると、白い蝶が飛んできた。
回りにいた人達も、領主に緊急の知らせだとわかったらしく、何となく息を飲んで見つめている。
『ヤカタニ シキュウ』
ミリアからだ。
名残惜しそうに、ケーキを見つめる。
まぁ、仕方がない。仕事だ
『マチ カラ アルキ』
時間がかかる旨を伝えると、すぐにミリアから、迎えに行くと連絡があった。本当に急いでいるらしい。
しばらくすると、セキウが
会える喜びが『要請書』という言葉で一気に冷えて、仕事モードに変わる。
パピヨンレターでは、詳細がわからないから確認してきてほしいと。要請に従うかは、アイリスに一任された。
黒いローブに身を包み、グラネラに手を引かれて応接室に入った。
正式な要請書を持っているのなら、お供をたくさん連れていると思ったのだが……。そこにいたのは、いつもの三人で、拍子抜けしてしまった。
「あれ? アイリス? 顔を見せてよ」
エドワード様の気さくな態度に驚きながらも、フードをとって挨拶をした。
「ご無沙汰しております。エドワード様はお加減いかがでしょうか?」
要請書があるということは、中央からの正式な使者ということ。気合いを入れて望まなければならない。
「う~ぅ。まぁ、そうか。仕事の話だね」
エドワード様は、筒状に丸められた紙を取り出し、見えるように広げた。
「アイリスに、手伝って欲しいことがあるんだ。もちろん、それなりの謝礼は用意するよ。わかるよね? ドラゴニアに戦力要請しているわけじゃない。アイリスに来て欲しい」
アイリスは、これでも一応、領主なのだが……
要請書を確認すると、エドワード様の名前で出されたもので、命令ではない。
要請でも、普通は断ることなどしない。しかし、中央の顔色を伺う必要のないドラゴニアとしては、断ることも可能だ。
氾濫したダンジョンをおさめて欲しいらしい。
氾濫とは、どんなひどい状態なのか、アイリスにはわからなかった。
場所は、アルバトス領。
聞き覚えのある場所に、アイリスは記憶を探る。
「いくらだったら来てくれる? それとも宝石か? チョコレートでもいいよ。謝礼はなにがいい?」
宝石とかチョコレートとか、アイリスだけが得をするものはいらない。お金には、困っていない。
両手を膝の上でギュッと握りしめる。
アルバトス領まで、どれくらい遠いのだろうか? 全部で何日かかる予定なのだろうか?
それがわからなければ、頷けない。
「君の望みは何だい? なにが欲しい?」
アイリスが頷かないことに、エドワード様は怒っているのだろうか。少しずつ語気が荒くなる。
エドワード様は、イラついたように足を小刻みに動かし始めた。
「チョコレートは? それとも珍しいスイーツ?」
アイリスの好きなものを調査するために会いに来ていたのだろうか?
「可愛い」「会いたかった」という言葉に、心踊ったのに……。
アイリスの情に訴えて、要請を通しやすくするためだったのだろうか?
一人だけ浮かれて、バカみたいではないか。
握りしめた両手に視線を落とし、表情を強ばらせた。
「私は、これでもドラゴニアの領主でございます。あまり長い期間、領を留守にしたくございません。どれくらいの期間で考えていらっしゃるのでしょうか?」
エドワード様が、机の端を人差し指でトントンと叩きながら、困った声を出した。
「う~ん。実はね、ちょっと予測が立たないんだ。あそこの領主がクズだったらしくてね。瘴気を見て見ぬふりをしていたらしい。
瘴気が発生した村の村人は、領主に嘆願書を送ったらしいんだけど、見返りを要求されたらしくてね。払えそうにないから、村を捨てたんだと。
そのうちにダンジョンになってしまって、魔物が溢れ出てきて、建物は潰されるし畑は荒らされるしで、住める状態ではなくなってしまったらしい。
近くを通った商人が、魔物を発見して事態が発覚してね。
領主は、娘が独断で見返りを要求したとか、清き乙女を生け贄にすれば魔物がおさまるとか、勝手なことばかり言い出していてね」
村を捨てなければならなかった村人達を心配し、家や畑を潰されたことに心を痛めたのに、さらに衝撃的な言葉が聞こえた。
「生け贄??」
「娘のことだよ。領主には年頃の娘がいたはず」
そこまで聞いて、アイリスは思い出した。
アルバトスって………スカーレット・アルバトス。
王宮で開かれた夜会で、「命と引き換えに」とアイリスに話しかけてきた、あの娘ではないか?
アイリスは、ピンクのドレスに身を包んだ、幼さの残る声の主を思い浮かべる。
生け贄にされていいわけがない。
あの夜会のとき、気になったのに、助けてあげなかったことを悔やむ。
アイリスは顔を上げて、エドワード様の様子を伺った。
「スカーレット・アルバトスさんは無事なのですか?」
「一応、騎士がアルバトス領にいて、見張っているけれど、時間の問題かもね」
軽い調子で話すエドワード様。スカーレットが心配というわけではないようだ。
胸が痛くなった。一つの命を、そんなに簡単に見限ることなどできない。
「わかりました。行きます」
視線を落とし、両手が白くなるほど強く握りしめた。
絶対に、怖い思いをしているだろう。
エドワード様の嬉しそうな顔も、拳を見つめるアイリスには見えない。
助けられるのに、見殺しにはできない。
せっかく、助けを求めてくれたのに……。
私には、その力があるのに……。
「見返りは? なにがいいの?」
エドワード様の明るい声に、腹が立った。命がかかっているのに、軽率だ。
「いりません。……もっと、早く、助けてあげれば、良かった」
アイリスの頬を一筋の涙が伝うのを、エドワードは驚愕の表情で見つめていた。
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