第2話 夜会

 夜会に出席するとはいえ、アイリスは顔を見せられないので、その場で食べることができない。

 呼びに来た使用人に、護衛の食事とともに「当主様でも食べられるものを」と頼んでおいた。

 変に勘ぐられることもなく三人分届けてくれることだろう。歯の無い老人でも食べられる、流動食でないことを祈るのみだ。



 夜会の会場の隅に、椅子を出して座っている。甘い香りが漂ってきて近くにスイーツがあるのかもしれない。

 食べたい気持ちをグッと我慢して、背中を丸める。

 腰の曲がった演技は難儀だが、立っているより随分マシだ。


「クックック」

 会場の様子を見ていたセキウが「へぇ~」っと呟くので、不気味な笑いで誤魔化す。

 慌てて姿勢を正す気配が伝わってきた。


 ドラゴニアでは夜会など開催されない。珍しいのもわかるが、態度には出さないでほしいものだ。


 会場もいくつかあり、アイリス達がいるのは一番簡易的な広間だ。挨拶しなければならない格式ある会場では、声の出せないアイリスでは厳しい。

 目下アイリスの心配事は、マナー講師の教えをセキウが覚えているのか、そして、うまく対応できるかどうかだ。



「あ、あぁ! あの!」

 私の目の前にひざまづいた女性が、上ずった声をあげた。顔までは見えないが、淡いピンクのドレスと可愛らしい声からまだ若い令嬢だと思われる。

「スカーレット・アルバトスと申します。魔女で在らせられるドラゴニア伯爵様にお願いがあって参りました」

 一気に捲し立てた声は、今にも消え入りそうだ。


 アルバトス家は男爵家だったはず。男爵令嬢が伯爵家当主に話しかけているのだ。機嫌が悪ければ門前払いされてもおかしくない。


 こういったマナーもドラゴニアでは気にしない。アイリスとしては些細なことだが、スカーレットの奇行に周りの令息令嬢が息を飲んだ。

 身分差だけなら未しも、相手はドラゴニアの魔女なのだ。闇魔法を使う魔女は、忌避され怖れられる存在だ。まともな精神のものであれば、話しかけるなんてあり得ない。


 だからこそアイリスも出席していたのだが……。


「私の命と引き換えに、元婚約者を呪っていただきたいのです。彼との婚約が破綻になった今、私は生きている価値がございません。それならば、いっそのこと……」

 アイリスがなにも言わないのをいいことに、お願いまで言いきった。


 それにしても、勘違いをしている。アイリスは魔女だ。それは闇の魔法使いである女性の総称だ。そして、闇の魔法使いは呪いが得意な魔法使い

 実際には自然に存在している魔力を利用したり、熱や質量などを変えることが得意な魔法使いである。つまり変化が得意な魔法使いだ。自然に存在する魔力を利用するので魔力効率がよく、小さい魔力で大きな魔法を発動できる。

 変化を得意としているので、熱くすることも冷たくすることできる。空気を動かすことも、物の移動も可能で、応用範囲が広いのだ。


 では、なぜ闇の魔法使いと不吉な名前がつけられたのか?


 人間とは、理解が出来ないものを怖れ、少数派を排除しようとするものだ。

 他の魔法使いとは、魔法の発動方法が違う。その得体の知れない強力な力を恐れられ、闇の魔法使いと名付けられたと言われている。

 発現する人数が極端に少ないことも、人々の恐怖に拍車をかけたのだろう。


 しゃべれないアイリスに代わって、どう対応するのかと心配していると、スカーレットの後ろでざわめきが大きくなった。

「お前のことだろ? 」

 なにか小声で言い返しているようだが、スカーレットの元婚約者のいる位置は大体把握できた。

「アイリス様は、そういったことはなさいません」

 なんとか、セキウは誤魔化す言葉を見つけたようだ。


 せっかく怖がってくれているのだ。「出来ない」等と言って、誤解を解く必要はない。


「女性の当主様……」

 スカーレットの呟きが聞こえる。さっきまで、あんなに声が震えていたのに、今は恐怖を通り越してしまったのだろうか。

「クックックックックック」

 スカーレットの元婚約者がいる方向に向けて、生暖かい風を送る。心当たりがあるものならば、湿っぽいムワッとする風に頬を撫でられただけで驚くだろう。

「うわぁ~!!」

 大声を出して数歩後退るのが聞こえた。

「お前、何やってるんだ?」

「いや、えっ?? 何でもない!!」

 大声を出した恥ずかしさからか、足音を立てて会場から出ていった。


「あのっ! お礼は……」

 スカーレットは命をかけてなどと言ったはず。何があったのか気にはなるものの、深入りするわけにはいかない。

「アイリス様は、何もしておりません」

「あの、お礼を……」

「なにもしていませんから、お礼を受け取ることも出来ません」

「そ、そうですか……」

 肩を落としたスカーレットの様子は気になるものの、すぐに黄色い声に書き消された。

「あの、護衛の人、格好いいわね!!」

「あなた、やめなさい。魔女の護衛よ」

「でもぉ~。ほら! 眼帯をしているけど、超美形よ!」

「やめなさいったら。きっと、闇の魔法使いよ」

 セキウのたじろぐ雰囲気が伝わってきた。

 この状態では情報収集どころではない。もう部屋に戻ろうかと思い始めた頃、新たな黄色い声が上がった。

「王子さまがいらっしゃったわ。でも聖女様もご一緒ですわ。あれじゃあ、声をかけられないわね」


 聖女とは、光の魔法使いの女性の総称であるが、その中でも一番身分の高い者を聖女様と呼んでいる。

 魔女と言えばドラゴニアの領主を指すのと同じだ。

 この国では、魔女が忌避されるのとは反対に、聖女は崇められている。なんでも、瘴気というものを浄化できるというのだ。

 王子がいるのであれば、様子をうかがうためにも、もう少しここにいても良いかもしれない。


 どこのご子息が格好いいだの、剣の腕がいいだの噂話は続く。


「あら、シャンパンを取りに来ただけだったのかしらね?」

「今度はエドワード様が……」

「でもエドワード様は無能だって……」

「あれで、無能なんて信じられる?」


 話から推測するに、聖女を連れてきたのが第二王子のセオドア様。次に来たのがエドワード様。

 これで、セキウが顔を覚えただろう。もうここに残っている意味はない。

「あら、また聖女様がいらっしゃったわ。聖女様を悪くは言いたくはないけれど、エドワード様とセオドア様の間をフラフラと。あの方は、どちらかの婚約者というわけではないのよね?」



 令嬢達のおしゃべりに感謝をしつつ離れに戻ると、二人分の肉料理と、蕩けるほど煮込んだチキンスープが届いていた。

 チキンスープを指差し、声を出さずに肩を震わせて笑うセキウに蹴りを食らわせるが、軽い身のこなしで避けられてしまった。

 防音の魔法をかけて追いかけ回してやりたいが、複雑な魔法を何度もかけ直す面倒さに負けて地団駄を踏む。

 肉をそっと半分分けてくれたグラネラとは違い、全部自分で食べようと必死なセキウ。

 無言でフォークのバトルを繰り広げ、半分近く奪い取った。

 バスケットに入ったパンが一つもなくなってしまい強制的に食事は終了となる。


 グラネラが食器を返そうとドアを開けると、使用人は「足りませんでしたか?」と目を丸くした。


 アイリスが見た目どおりの老婆だったら、十分な量だったはずだ。しかし、成人したばかりの18歳。本人曰く、食べ盛り。

 押し並べて、魔法を使うものは大食いだ。防音の魔法だけではなく、噂話を聞き取りやすくするために気流を起こす魔法も使っていたのだ。足りるわけがない。


 ……足りてはいないが。


 グラネラは使用人を追い出しにかかる。


 食べる量が多すぎて、怪しまれるのも悪手だ。


「十分お腹いっぱいになりましたわ。ありがとうございます」

 アイリスとしても、早く防音の魔法をかけてローブを脱いで寛ぎたい。

 これで話は終わったとばかりにドアを閉めようとすると、

「あぁ! ちょっと待っていてください。良いものがあるんでした」

 皿がのったワゴンを押しながら、詰め所に戻っていってしまった。


 しばらくして使用人が持ってきたものは、チョコレートだった。

「最近、王都で流行しております、チョコレートというものでございます。口にいれると蕩けてしまう甘いお菓子でございます。食後のデザートに召し上がってください。それでは、何かありましたら声をおかけください」

 きれいに一礼してドアを閉めた使用人としては、親切心だったのだろう。


 ドラゴニアの魔女は、領地から出られないと思っているのかもしれない。知られていないだけで、ドラゴニアはかなり裕福な領地だ。チョコレートだって食べたことがある。


 防音の結界を掛け終わるまで、甘い物好きのアイリスのために、グラネラがチョコレートを死守してくれた。

 セキウと言い争いをしながら、ちゃんと三等分しましたとも。

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