群れ合わせ社会の功罪

第2話 激論・遂に再開!

「さて、米河君、そろそろ始めようではないか」


 10月に入って初日の日曜日の朝。時刻は、9時50分頃。

 普段は夜明け前の論争が多いが、今回は午前中である。

 ここは、岡山市内の米河邸。

 森川氏は、目の前にある来客用の肘掛椅子に腰かけた。


「はい。こちらも仕事がひと段落致しましたので、喜んで」


 このところ休んで英気を養えたばかりか、電子出版のめども立ったこともあってか、現世の青年のほうも、元気を取り戻しつつある模様。

 議題について話を切り出したのは、老紳士のほうであった。


「先月棚上げされておった、集団生活について。まずは、貴君が大いに嫌われておるところの、子どもらを何人も詰め込んで、まあ、わしとしてはそんなつもりでそうしておったわけではないが、そんな中での集団生活の功罪について、論じたい」

「差しさわりはありません。私も、その件について森川さんとはいつか論議せねばならぬことであると認識しておりました。ここで逃げるのは敵前逃亡であり、昔流に言えば非国民ということになりましょうから」

「非国民はともかく、敵前逃亡なぁ、貴君がそんな気弱な論を出すわけもないことはすでに承知しておる。まあ、オンナコドモの相手など自分の仕事ではないとか何とか平気のヘイサで仰せの御仁じゃからのう(苦笑)。まあええ。とにかく始めようではありませんか」

「望むところです。しかしながら、どこから手を付けていいものかと」

「そんなことを申さず、貴君がその出発点を定め給え」

 あっさり返され覚悟を決めたのか、米河氏がその起点について述べる。


 本議題の出発点でありますが、ここでは養護施設が主たる論争の場となっております以上、その養護施設、具体的には昭和期の津島町をベースに、移転後の状況も含めて、それらをベースとして、そうですね、子ども部屋のない、群れさせて過ごさせる場所ということで、その場所を単位としての日常生活を、あえてここでの集団生活と定義します。

 なんかまとまりが悪いですが、要は、森川さんが園長を務められた時代のよつ葉園を起点として、私の経験や伝聞情報を含め、そこを踏まえながら、論じて行ければよろしいかと考えております。

 別に先ほどのお言葉の意趣返しというわけではありませんが、昭和30~40年代の森川一郎さんが園長を務められていた時期のよつ葉園の子どもらを住まわせる各部屋ひとつひとつの様子を見ながら、そのような生活の場を提供された側からの御意見、というより、その手法の生れた背景等も踏まえ、是非ともまずは、森川先生の側よりそのあたりをお述べ戴きたい。

 当然、私どもの幼少期、さらには私が成人後の状況は当時とは無論異なって参っておりますが、そこは相違点を明らかにしつつ、本論点をさらに深められればよろしいのではないかと存じます。

 おいかがでしょうか?


「うまいことゼロマイル標識を打ち立ててくださったな(苦笑)」

「今のキロポストはマイルではなくメートル法ですよ(苦笑)」

「そんなことはわかっておる。別に汐留の旧新橋駅を意識したわけでもない」

「では、新橋からどちらに参るのでしょうか?」

「順当に、東海道を下ってみようではないか(苦笑)。ま、私が今生でやっておったことを改めて貴君に示す。それをもとに、貴君も大いに論戦を張られたい」


 かくして、森川氏は昭和期の養護施設をベースに子どもたちの集団生活の功罪について述べ始めた。


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