養護施設創業者VS元入所児童 最終戦争Vol.2

与方藤士朗

プロローグ ~休戦期間を終えて

第1話 10月1日。国鉄時代なら、ダイヤ改正の日に。

https://kakuyomu.jp/works/16817330656910794572

↑ 養護施設創業者VS元入所児童 最終戦争勃発!(全97話)


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 最終戦争と銘打たれた、今生(こんじょう)と来世(らいせ)をまたにかけた論客同士の論争は、約1か月にわたる休戦期間を終え、いよいよ10月1日午前より論争の再開が決定した。


 最初のテーマは、昭和の養護施設における大部屋の功罪について。


 養護施設という場所は、現在はともあれ昭和50年代当時においてもまだ終戦直後の孤児院の要素を残した雰囲気が見受けられた。

 そこは確かに、子どもたちの住む「家」であり、「家庭」である。

 理念だけかもしれないが、その要素は避けて通れないものであった。

 そんな場所では、子どもたちの「個室」など、与えるにも無理があった。

 それどころか、集団生活をあたかも「家庭」みたいなものだと言わんばかりの論調で子どもたちに押し付けるが如き言動をする職員も少なからずいた。

 そういう場所でこそ社会性もはぐくめると、そのように心底思って日々の生活という業務に携わっていた職員も、少なからずいた。


 さて、当時のそんな養護施設の環境は、当時そこで過ごした子どもたち、今はすでに40代以上の大人となって久しい人たちであるが、彼または彼女らにとってその環境は、果たして、よいものであったと言えるのだろうか。

 否、よい悪いという価値判断の問題ではない。

 その環境は、彼または彼女らにとって、どのような意味合いがあり、その後の人生にとって、どのような影響を与えたのであろうか。


 元園長の森川一郎氏は明治生れ。対する米河清治氏は昭和の戦後生れ。

 まして米河氏の両親は、昭和の終戦後の生れである。

 戦争を知らない子どもの子どもが、日清戦争前に生まれた紳士と、時空を超えて論戦をもって対決する。まさに、三島由紀夫と東大全共闘の討論に匹敵するほどの、ある意味、夢の対決ともいえるこの論争は、その激しさ故に、約1か月の休戦期間を儲けざるを得なくなってしまった。


 なぜ、休戦期間を設けざるを得なくなったのか。

 それはひとえに、閉鎖的な環境であるように見えて非閉鎖的な生活環境である当時の養護施設の状況に対し、米河氏が精神的に耐えられない何かを示したこともあるが、一方の森川氏においても、彼の持つ複雑な感情の出処とその熱情に思うところ多々あったため、圧倒されてしまったということもある。


 残暑厳しき折の休養期間を得た後、彼らはまた、時空を超えた対決の場に戻って来た。論争は、秋風の涼しさに反比例し、今までにない熱戦が予想されている。                 

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