第3話 子ども部屋=個室?

 まず初めにお断りしておく。

 貴君のような人物には、子ども部屋、言うなら、勉強するための個室くらい与えてやるのは、わしとしては何ら差しさわりもないし、そのくらいしてやることがむしろわしら職員側の責務であると思料しておる。脇役ちょい役に与えられる昭和の映画撮影所の大部屋の出来損いのような場所に住まわせて、そんなところで勉強になるかと貴君が吐き捨てるように申されるのも無理はない。

 しかしながら、よつ葉園という場所は、君に対してそのようなものを与えようとはしなかった。これは米河清治君本人ではなく、あくまで同じような属性を持ち合わせていたZ少年に対しての対応ということで、述べております。

 そのことを聞き及んでいる貴君は、その尾沢君なる児童指導員の言動も含めて、今も激怒の姿勢を崩しておられんが、それについて私が貴君に物言いをつけるような権利も資格もないことは、言うまでもない。


 とはいえ、あのような大部屋、そうじゃな、津島町の頃は、少なくとも6人程度のユニットを作り、そこに同世代の男子もしくは女子を住まわせることを基本として、部屋割を作っておりました。これは君が在園していた頃、私の後任の東先生が園長をされていたときも同様でありました。

 これは価値判断ではなく、事実を総括しておるだけです。

 その後、これは私の死後になるが、よつ葉園が郊外の丘の上に移転しましたね。貴君はそれをきっかけによつ葉園を離れた。親族の方が東さんをこんかぎり罵倒されて、訴訟辞さずの姿勢で連れ戻されて、貴君にとっては無論その方がよかったであろうことは私も同意する。

 貴君は叔父さん夫妻と同居しておられたが、特に子どもがいるわけでもなく、基本的には一人っ子のような形になった。

 あの頃は子どもの数がまだ多く、兄弟姉妹も多い家庭も多かった。

 そんな中の一人っ子。

 たくさんの同世代の子どもらがおる、よく言えば賑やか、悪く言えば騒がしいだけの場所から、一人で過ごす家に帰るようになったわけじゃが、貴君にとってはその方がよほど実力を蓄えられる環境であったわな。

 なんせ、よつ葉園のほうはと言えば、相も変わらず群れさせて、まあこれは君の表現の受け売りであるが、それでも、一部屋の人数を4人程度に抑えて日々過ごさせることにした。

 少しでも今までよりいい環境でという思いがあったことは認めるにしても、それでも君からすれば無駄に群れさせるだけの劣悪な環境であったことに変りない。

 それこそ、当時の短大を出て間もない若い保母ら、君にいわせりゃネエチャンということにもなるが、彼女らなんかでも、叔父に引き取られて独りになったら寂しいのではなどと言っておった向きもあるようじゃな。

 ま、これも貴君にかかれば、無駄に群れ合うしか能のないネエチャン程度の見立てはその程度の、レベルの程度ではなく、低いをあてがう「低度」とでもいうところでしょうな。寂しいのクソの、情緒論しか述べられぬ無能とか、な。


 図ってか図らずかはともあれ、そのへんの表現に、それこそ大槻さんがおっしゃる「坊主憎けりゃ」のよかれあしかれの悪いとは一概に言えない側面であるところの「妥協を認めない」という要素が、米河さんにも見えておるわな。

 それは、まあよい。若い者は元気がなくては、な。大槻君や米河君のように、ありすぎるのもいささかかなわんが、ま、それもよろしい(苦笑)。


 ともあれ、君のような人間にとってはおよそ人間の住む環境とは言えん、犬小屋か猫の篭程度のシロモノにしか見えぬであろう、当時の養護施設の大部屋。

 これを学校の研修旅行や全寮制の学校の寮みたいなものと捉える向きもある。

 これはあくまでもそのような感想を抱く人が少なからずいるという趣旨な。

 確かに一見すると同じような要素は見て取れるかもしれんが、実は、似て非なるシロモノである。

 以上の論点は、あなたも同意できるポイントであろうと思う。

 そこで、当該論点のそのポイントから、貴兄のご高説を是非愚性もうかがいたい。

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