第7話 黒翼の死神

「やめろ。それはもうお前の仕事じゃない」


「えー、淋しいこと言うなよぉ」


 アスカの言葉をシエルは予想していたのだろう、大仰に哀しんでみせる。しかしすぐにそれは鳴りを潜め、今度は酷薄な笑みが彼の面を支配した。


「でもまぁ、そのとおり。これはオマエの仕事だ」

「あ、う……!」


 シエルは再び手を動かし、今度は自分より前、つまりアスカの方へ磔にしたままの響を突き出した。


「だからホラ、やれよ。動かないようにしておいたから今度は外さなくて済むぜ」

「……」

「どうした、早く殺しな? どうせ執行期限も迫ってんだろ?」

「…………」

「〝魂魄執行〟程度、一瞬で一思いに済ませろ!」


「ぅ、いや、だ……」


 明らかに面白がる声色。そして響の震え声にアスカは唇を引き結び、銃を下ろした。


 だがそれだけではなかった。突然、アスカの左胸が赤く発光し、さらに背中から黒い何かが出現したのだ。


 それはボウッと燃焼音のようなものを立てながら左右に拡張し、一対の翼のようになり、先端に向かって陽炎のように揺らめき始めた。響はもちろん目を疑う。


 さらにアスカは銃を持っていた右手を発光する左胸に当てた――否、埋め込ませた。少なくとも響にはそう見えた。


 左胸のなかに手首ほどまで埋まった右手が再び外気にさらされれば、その手にはもはや銃は存在しない。そこから代わりに姿を現したモノはゴツゴツとした一本の鉄パイプだ。


 さらにそれは完全に外界へ引きずり出されると、持ち手とは反対側の先端にゆらりと火を灯らせる。


 燃え広がっては鋭い三日月を形作り、形作られれば炎は冷え、やがて月光にぎらつく大鎌へと変貌した。


 黒髪の男は今、炎のごとき揺らめく黒き翼を負い、大鎌を持ってこちらを睨んでいる。その姿はまさに――


「しに、がみ……」


 反射的に響の唇が動く。

 そう、響の目にアスカは死神として映ったのだ。漫画やアニメで見るような、不幸と死の象徴とも言える死神に。


「人間一人程度にそんなんもんまで出す必要ねぇだろ――っと!」


 シエルの言葉の終わりも待たずにアスカが地面を蹴った。それだけで距離が一瞬で縮まり、同時に大鎌が振り下ろされる。


 響の視覚の精度では、瞬きの刹那に距離を縮めたアスカが今度こそ自分を殺しにかかったように見えた。驚くヒマだってありはしない。しかし実際の大鎌は響の後方に佇むシエルに向かって振り下ろされた。


 シエルはまるで予想していたかのように背後へ飛び退いてそれを避ける。目にも留まらぬ速さで繰り出される追撃にも余裕で身を切り返し、鼻面のすぐ前を通った刃にすら笑みを浮かべたままだ。


「おいおい相手が違うだろうが。オレを攻撃してどうする!」


 しかしアスカは無言のままシエルを狙い続ける。そのたびに目標を切り裂けなかった斬撃は門屏や家のオブジェをかすめ、一呼吸のあとで滑らかな切断面を披露していく。


 そんなところでまた響の身体が動かされる。アスカが大鎌を薙ぐ瞬間、シエルシエルによって彼のすぐ前に移動させられたのだ。


「うわぁ!?」

「ちっ」


 思わず目をつぶる響を前に、アスカは素早く身を切り返して器用に薙ぎの角度を変える。それによって大鎌は響のうしろにあった電柱を横一文字に両断した。


 しかし背後でそれが重々しく倒れる音も今の響の耳には入らない。目の前で起こっていることを認識するだけで精いっぱいだ。


「ハ、せっかく殺りやすくしてやったってのに。どこまで弱虫なんだよ」


「……黙れ。お前を先に始末するだけだ」


「へえ?」


「お前が何をしたか、忘れたとは言わせない」


 仲間割れだろうか。どんなにしろ、地を這うかのような低い音色にシエルは一呼吸のあとで唇へ弧を浮かべた。


 否、もはや笑みですらない。笑みに似せた面で、碧眼に殺意をにじませながら小首を傾げてみせた。


「そんなに重く受け止めるなよ。ただオマエのお仲間を三匹殺しただけだろ? 大したことじゃない」


「……なんだと」


「でもまぁ――」


 言いながらシエルが動いた。


 予備動作なし、風を切る速さで駆けアスカへ近寄ったかと思えば流れるような動きで腹へと蹴りを繰り出した。


 アスカはそれを大鎌の柄で防御しようとする。しかし何故か、動きが途中で止まる。


「が……ッ!」


 苦鳴とともに壁に叩きつけられる音が響いた。蹴りは柄で受けられたものの勢いを殺せたわけではなく、アスカは少し先の壁に背を衝突させた。


「オレと遊びてぇなら大歓迎ってな!」


 シエルは息をつかせる気はないと言わんばかりにアスカの方へ疾走を開始する。


 アスカは何やら鎌を持っていない方の手を動かしもがくような仕草をした。しかしそれを終えるころには既にシエルは目の前だ。


 アスカは背にある翼のごとき一対を動かした。するとそこから炎に似たものがいくつも放出され、シエルを襲う。響のすぐ傍らにも及んだそれは見た目と違わず熱い。理屈は分からずとも、あれが直撃すればタダでは済まないのが分かる。


 シエルはそれをいとも容易く避けてみせるが、そこを狙ったか今度は大鎌の斬撃が放たれた。だがシエルはそれすら悠々と一際高く跳び上がり、何故か斬撃の勢いが急激に緩んだ鎌に一瞬乗り上げ、斬撃が過ぎ去れば大きく隙のできたアスカへ痛烈な殴打を与えた。


 頭頂部へモロに威力を受けたアスカは地面へ思いきり叩きつけられ、地面には大きなヒビが入る。


「おいおいおい、誰がオレを始末するって? 本気出せよ。それとも今のが本気なのか」


「ッ……」


 シエルの揶揄にアスカは歯を噛みしめた。流血によって顔の半分を赤く染めながら立ち上がり、息ひとつ乱さないシエルに向き直る。


 持っていた大鎌は殴りつけられた瞬間に離れてしまったはずだが、何故かいつの間にかその手に戻ってきていた。


「じゃあ〝糸〟は使わないでいてやるか。優しいオレからのハンデってことで」


「ふざけるなッ……全力で来い」


「ははっ! 口だけは立派だなぁオイ?」


 アスカは大鎌を構え直し、シエルを睨むように見据えた。対するシエルはボンテージパンツのポケットにそれぞれ手を突っ込んだラフな姿勢で形だけの笑みを浮かべている。


 アスカが再び動く。それに呼応する形でシエルも動く。響がただ見ていることしかできない前で、二人はまた交戦を開始した。


 ――しかし。

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