第5話 誰もいない

 真っ暗な部屋のなか。開け放たれた窓、冷たい風でハラハラと揺れるカーテンを背にして立っていたのは乃絵莉ではなく、黒髪の男だったからだ。


 彼の右手は先ほどと同じように銃を構え、銃口は迷いなく至近距離の響に向けられていた。本能的な恐怖は全身からザアッと血の気が抜ける音を響かせる。


「ッ……乃絵莉を、僕の家族をどこにやった!!」


 だが響は動かなかった。動けなかったのではない。動かなかった。とにかく家族の安否を確認しなければならない、そう思ったのだ。


「……」


 まっすぐ見据え口にした問いにも男は無反応。だがわずかに銃口が動く。それを発砲の予備動作と認識した響は足に力を込めて身体を照準からずらしにかかる。


 しかし銃がすぐに撃たれることはなく、狭い家のなかで銃声が響いたのは響が身を翻して階段を駆け下りてからのことだった。


「ッ、乃絵莉、じいちゃんばあちゃん、いたら返事して!!」


 半ば叫びながら忙しなく一階を見て回る。トイレ、風呂、物置、和室、キッチン、リビングルーム。だがやはり誰もいない。


 ガウン!!


「ッ、!」


 家族を探すことに必死になりすぎていた。再び発砲され、ようやく男もリビングルームへ入ってきたことに気づく。弾丸は響のブレザーの上衣をかすめ、うしろのリビング窓を派手に砕いた。


 撃ち放ったあとも男は響に照準を合わせ続けている。響は唇を噛みしめながらじりじりと後ずさり、そうして割れた窓を通り抜け、再び逃亡を図った。


「はぁっ、はっ、はあッ、」


 そのまま家の敷地も出て自宅前の道路へと走り出る。先ほどと同じように男は追いかけてくる気配がない。しかしだからといって安心することはできない。


 何故なら男は響の部屋で待ち伏せていた。ならばまた響の前に姿を現すはずだ。


 いや、次は乃絵莉や祖父母のところかも知れない。そうなる前に合流しなくては、守らなくては。だが肝心の家族はどこにいるんだ!?


「っ乃絵莉、じいちゃんばあちゃん……!」


 響は走り続けながら必死に辺りを見回した。もしかしたら家族は早々と危険を察知して逃げたのかも知れない。家のなかには争った形跡も血のあともなかったのだ。


 ならばきっと家族は無事だ、絶対にそうだ――響はそう自分に言い聞かせ、当初の予定どおり交番を目指すことにした。


 もし逃げているならば家族も交番へ逃げ込んだ可能性が高いと思ったのもある。道中、人に出会ったならば一緒に逃げなければ。銃を持った男がいると注意喚起をしなくては。そう思って響は周囲を見渡しながら走り続ける。


 しかし、奇妙なことに誰にも出会わないのだ。

 確かに深夜の時間帯に差し掛かっている。東京在住とはいっても中心地というわけでもないので人の往来はあまりない。


 だがそうだとしても、これほど走り回って歩行人はおろか車に一度もすれ違わないなんてこと、あるだろうか。


「っすみませ、お巡りさん……!!」


 ようやく交番に着いても誰もいない。電気はついているのに何度呼びかけても応答がない。備えつけの電話も不通だ。


 そこでようやくスマホの存在を思い出した。ポケットから取り出し画面に目を落とす。だが緊急110番を押してもつながらない。響は目を疑うしかなかった。


 どうして。壊れたのか、こんなときに!?


「誰か! 助けてください!!」


 交番を出て再び走りながら力の限り叫ぶ。黒髪の男に見つかる危険性はあるが、交番を頼るというアテが外れてしまったのなら他に選択肢がなかったのだ。


 近隣の住居をベルを鳴らしドアを何度も叩く。しかしいずれも無反応だ。家にはまだ明かりが灯っているところも多い。なのに誰も応えてくれない、出てきてくれない。


 というか――そもそも応答がないどころか人の気配すら皆無なのは何故だ。


 やたらと静かなのだ。まるで人そのものが存在しないとでも言うように。まるで一瞬だけを切り取った写真のなかに一人取り残されてしまったかのように。


「ッ、誰か、誰かいませんか!! 乃絵莉、じいちゃん、ばあちゃん……!!」


 それでも響は声を張り上げる。明らかに異様な状況でも、まるで異世界に迷い込んだような気持ち悪さを覚えていても、家族の身が危ないならば途方に暮れている場合ではなかった。


 だって響は約束したのだ。乃絵莉を守ると。その約束が自分の芯を形作っているのだ。


 だから守らなければ。そのためには探し出さなければ。黒髪の男だっていつまた自分の前に姿を現すか分からない。


 早く、早く――乃絵莉!


「おーい、こっちだ」


 そんなときだ。響の耳が第三者の声を捉えたのは。


 急いで辺りを見回す。すると進行方向の百メートルほど先で、誰かがこちらに向かって大きく手を振っているのが見えた。


 一瞬例の黒髪の男かと思ったが、街灯に照らされたシルエットが明らかに違う。黒髪の男はツナギを着ていたため全体的にダボッとしたフォルムしていたが、声の主は体躯に沿った服装であるのが見て取れた。しかも金髪とくれば明らかに別人だ。


 ああようやく誰かに会えた、助けてもらえる!


 そう思った瞬間の安堵と言ったらなかった。まだ乃絵莉や祖父母が見つかっていない、黒髪の男だってどこに潜んでいるか分からないのに、この世界に一人取り残されたわけではないという事実が響に安息を感じさせていた。


 走り続けたせいで妙に重く感じる身体を叱咤して懸命に足を動かす。それにつれて徐々に露わになっていく男は、やはり銃を向けてきた黒髪の男とはまったくの別人だった。


 ウルフヘアの髪は金糸のごとく輝き、小作りの顔を飾る慈愛に満ちた碧眼は宝石をはめ込んだように煌めいている。


 響の心臓は一際強く跳ね上がり、目を見開くこととなった。

だがそれはこの世のモノとは思えぬような美形を目にしたからではない。その美貌に既視感があったからだ。


「……か、神様……神様、ですよね!?」


 そう言う響の頭には先日の夢の映像が広がっていた。

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