第5話 肉よ、嗚呼、お肉さまよ!
衛兵さんには別れを告げ、宿屋へと直行いたします。
近くに来ると、漂ってくるいつもの豆の匂い。
もう準備はできているようですね。
「女将さん、ただいまです。お腹すきましたー」
「お帰りなさい、すぐに夕食を用意するわね」
ここの女将さんは兎人族で、素敵な長い耳と丸い尻尾をお持ちなのです。
つけた宿屋の名前も〝丸いしっぽ亭〞。
ケモ耳ファンの私にしたら、宿屋をここに決めるには十分な理由でした。
見ているだけで幸せになれますよ。
「いえいえ、今日は大きく稼いだので、に、肉料理をお願いします」
「まあ、めずらしい。でも良かったわね」
「ええ、しっかりと堪能したいので、焼き、蒸し、炒め物の三品ください。あっ、ホロホロ鳥はありますか?」
あんぐりと口を開けっ放しの女将さん。
ここの宿屋は、めずらしく三食の食事つきの宿なのです。
ただし内容は質素。
物足りない人は追加注文をするのが基本です。
でも万年金欠な私は、いつもガマンをしていました。
一度も追加注文をした事がありません。
なのに今日はエールまで注文しましたので、一大事だと騒いでいます。
少し愉快です。
驚かせついでに、もうひとつしておきますか。
「それと女将さん。宿泊代を10日ぶん前払いさせて下さい。銀貨30枚で良かったですよね?」
前払いに高い料理の注文ですから、喜んでもらえると思いました。
ですが女将さんは、何やら眉をひそめています。
「マロさん。こう言ったらなんだけど、お金は大切にしなよ。たまの贅沢はいいさ。でも度がすぎると心配だよ」
「あっ、ち、違うんです。この収入はちゃんと安定的なものなんです」
「本当にかい?」
「ええ、犯罪からみでもありません。……心配してもらってありがとうございます」
女将さんは良い人です。
こっちに来て、右も左もわからない頃からお世話になっています。
格安の宿だけでなく、ご近所さんへの紹介や、この世のルール。
私が死なないよう、色々と教えてくれました。
「今日はそのお祝いなのですよ」
「そうかい、そうかい。よーし、じゃあ腕によりをかけて作るよ。まずは手を洗ってきな」
身支度を済ませた数分後、ジュワーっと音が近づいてきましたよ。ああ、何年ぶりの肉でしょう。
ドンと置かれたぶ厚いステーキとエール。
肉の香りと湯気が、熱い鉄板の上で踊っています。
口元がだらしなくなっちゃいますね。
ひとくち、パクり。
…………に、肉汁が。
も、もうひとくち。
噛みごたえが……心地いいです。
ノドを大きな塊がゴキュリと通ります。
「はい、つぎは炒め物だよ。こっちの皿はさげておくよ」
あんなにあった大きなお肉が、もうありません。
あっという間に平らげたようです。
寂しくもありますが、次のお皿に釘付けになります。
細切りにされたお肉と野菜が、とろみのあるソースと絡んでいます。
そのソースと、野菜のテカリが美しいですね。
口の中には甘味と苦味、あとからうま味が追いかけてきます。
エールが更に美味しくなりますね。
食べる勢いが止まりません。
残ったソースをパンですくい楽しみますが、さっきの皿もそうすればよかったと後悔します。
舌も胃も喜んでいます。
ふぅと椅子にもたれかかったとき、次の料理が運ばれてきました。
「ホロホロ鳥があったのですね?」
「ああ、小ぶりだから丁度いいだろ?」
イメージとちがい、この世界ではモンスターの肉を食べません。
肉食なので臭みがあり、筋が頑固なのです。
だからみなさんが食べるのは、家畜ばかりなのですよ。
その中でも、フルーツを主食にしているホロホロ鳥は、香りと身の柔らかさが極上なのだそうです。
もちろん価格も極上。
お祝い事にしか出されない品です。
「はあ、間近で見れて幸せです」
ええ、極上品ですから、今回初めて
転生して10年になりますが、やっと機会が訪れましたね。
「では、いただきます。あむっ……むおおおおおおおおおおおお!」
フルーツの香りだけじゃありません。
控え目の香辛料と岩塩が、主役を引き立てています。
甘味と刺激が私の意識を刈り取ります。
肉なのに肉ではありません。
鶏肉なのにトロケます。
美味しすぎて力が入りませんね。
涙もスーッとつたいます。
「はぅ~、ごちそうさまでした~」
「いい食べっぷりだったねえ。見ていて惚れ惚れするよ」
「お、恐れ入ります」
ウサミミさんに褒められました。
今日はよいこと
この宿の料理人さんは天才です。
普段出される品も、ハズレたことなどありません。
ただここは予算のすくない安宿。
量は大満足とはいきません。
それでも他で食べるよりは、ここがいいですね。計り知れない価値があるのです。
ある意味、王様よりも贅沢をしていますよ。
「ところでマロさん。ひとつ相談したい事があるんだけど、聞いてくれるかい?」
珍しく神妙な面もちの女将さん。
何かあったのでしょうか。
「ええ、任せてください。その件お受けしますよ」
「あははは、受けるって、まだ内容を言っていないよ?」
「んんん、女将さんこそ何を言っているのですか。内容をきいて断るだなんて、度量がせまい事をしませんよ。聞くからにはお受けしますとも」
「も~マロさんらしいねえ、粋でいなせで男前。私が独り身なら、放っておかないのにねえ」
「あわわ、やめて下さい。恥ずかしいです。…………でも本当に、かっこいいです?」
「ははは、それもマロさんらしいね。じゃあ人を呼んでくるから待ってておくれ」
その間に食後のデザートを堪能させてもらいます。
さっぱりとしゼリーが、口の中を落ち着かせてくれました。とても気持ちがいいですね。
ふぅとひと息ついた頃、女の子が女将さんとやってきました。
トンガリ帽子にローブを羽織っています。
えっと、何処かで見たことのあるような。
「あああ、おじさんはさっき門で助けてくれた人じゃない!」
「でしたっけ?」
私の記憶では、助けたのはウサミミちゃんだったはず。
空腹でしたから、他の記憶があいまいでした。
ですが本人が言っているので、そうなのでしょう。
偶然とは重なるものですね。
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