23.ブレイクタイム(3)
「なんでついて来るんだよ」
「お前が起こしたんだろ」
夜の廊下を行きながら、ひそひそとささやき合う。彼の言う通り、事の発端は杷が就寝後の部屋から抜け出す際、足元に置いてあった一升瓶にけつまずいて情けないうめき声をあげたせいだ。
(誰だよ、あんなところに置いておいたの。俺だよ)
それは祖父が今日の試合の勝利祝いにくれたもので、「
「お前、今朝もスケートリンクでこけそうになってただろ。膝に怪我抱えてるんだから足元には気をつけろよ」
「わかってるよ」
まだ痛む小指を恨めしげに引きずりつつ、羽織った半纏の前をかき寄せた。間嶋は寝巻の肩にユニフォームの上着をひっかけただけだ。家のなかは暖房が通っているが、直販所の奥にある事務所へ行くには外を通らなければならない。体の芯まで染み渡る濡れた夜の冷気に杷は身を竦ませた。
「どこの局だったっけ……」
パソコンを立ち上げ、慣れない手つきでマウスをいじっていると間嶋が横から手を出した。
「何を見たいんだ」
「……四大陸選手権のライブ配信」
仕方なく白状すると、間嶋がちらりとこちらを見た。
「カーリングやって後悔してないとか言っておきながら、未練があるって?」
思わず杷は言葉に詰まる。
(そうじゃなくて、天樹のやつがこの大会で1位とったらカーリング辞めろって言ってるから結果が気になってるだけなんだけど……こいつにそれ言ってなかったんだっけ? 言ったら言ったで揉めそうだし、言わないとそういう風に思われても仕方ないし、詰んでいる……)
天樹がこのまま2位でいてくれたらという気持ちと応援したい気持ちが杷のなかでせめぎ合う。黙りこくっているうちに、間嶋は無言で検索窓にキーワードを打ち込んで該当のページを探し当てた。
「! ――始まってる」
読み込みが終わった瞬間、懐かしい拍手の音が動画から流れた。右上にはLIVEの文字。ひらひらした衣装をまとった少女たちがリンクに投げ込まれた花やぬいぐるみを拾い集めている。
『さて、解説の
さっそく上がった名前にどきりと胸が高鳴る。
『はい。天樹選手は昨年11月に行われたグランプリシリーズ初戦のフランス国際が3位と好調な滑り出し、第2戦のNHK杯は5位とやや落としましたが、全日本選手権では2位と今シーズンは非常に安定した成績でここまで来ているんですよね。来月開催される世界選手権にも出場が決定している中での今大会、メダルが期待される選手のひとりです』
控室の様子が映し出され、杷は食い入るように画面を見つめた。――いた。白いトレーニングウェアを着て軽く体を動かしている。
『天樹選手と言えば、ライバルである久世選手の引退は残念でしたね』
『そうですね。特に男子選手はライバルがいると伸びるというのはよく言われるんですが、本当にこの世代は両選手がずっとね、引っ張ってきた形ですから。天樹選手には久世選手の分まで素晴らしい演技を見せてほしいですね』
不意に自分の名前が出たので杷はびくっと背筋を伸ばした。間嶋の様子をうかがうと彼はそんなことはどうでもよいといった様子で壁に寄りかかり、あくびしている。
「じゃあ、俺は戻ってる」
「ここまで来たんだから見て行けよ」
現場の空気感にいやおうなく緊張してきた杷は、踵を返しかける間嶋を引き留めた。
(なんか変な感じがするな……)
こうして過去にいた場所を遠くから眺めていると、あそこにいたことがまるで夢だったような気になってくる。居心地悪く身じろぎした杷は、その原因がうずく右膝であることに気づいた。膝頭の周囲に残る内視鏡手術の跡を服の上からさする。就寝時なのでサポーターは外していた。
間嶋が肩越しに画面をのぞき込む。
「四大陸って大きな大会なのか」
「ヨーロッパ選手権と同格の大会。あっちの選手が参加しないから、通常の国際大会よりは入賞しやすくなる。ほら、選手の一覧が出た。天樹は2位で1位のカナダの選手とは6.32ポイント差」
「逆転できそうな差?」
「フリーは点数がショートの倍あるから、これぐらいの点差はあんまり関係ない」
心地よく耳に響く観客の拍手。
最終滑走組の選手が次々と演技を披露しては去り、ついに天樹が銀盤に躍り出た。
「――歌入りだ」
冒頭、床を踏み鳴らすようなリズムにまず引き付けられる。画面端を飾るテロップは『映画「グレイテスト・ショーマン」より挿入歌「The Greatest Show」』。
ゆっくりと語りかける歌のありかを探すように、天樹は緩い回転をつけながら滑り出した。やがてメロディが力強さを増すにつれて滑る速度が増し、腕の振り付けも大きくなる。
(くる)
1回目のサビに入る直前、天樹の体が宙を舞った。
『――トリプルアクセル! 成功です』
着氷と同時に歓声が沸いた。
『続けて4回転トゥループ、3回転ループのコンビネーション。きれいに決まりました』
自分でも跳んだことがある杷の目から見てもそれは非の打ちどころのない、完璧なジャンプだった。天樹の顔に笑顔が満ちる。最初は闇の中からささやくようだった音楽がいまや華やかなショーの幕開けを告げ、歓喜の旋律がリンクへと降り注いだ。
フェンスすれすれを、スピードに乗った天樹が滑り抜ける。
(これ――もしかしたら勝っちゃうんじゃ?)
心臓の拍動が早まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます