24.ブレイクタイム(4)
4分間のFPで規定されている12の要素。それらの基礎点に
天樹はこの評価点を取るのが非常にうまい。
基礎点の合計では他の選手に負けていても、ひとつひとつの技を美しく決めることによって確実に加点を取り、点数を伸ばしてくる。
(それに――)
フライングから入る足替えレイバックスピンと同じく軸足を変える難易度の高いキャメルスピンを挟み、2番のメロの開始と同時に踏み出すストレートラインステップ。
(――このスピード感のあるスケーティング技術)
曲そのものが持つ確信的なリズムと天樹の足さばきが一致する。純白のウエストコートに身を包み、カメラに視線を向ける天樹と目が合ったような気がして、その瞬間、これは自分に向けた演技なのだと杷は直観的に理解した。
俺を見ろ、とその目が語る。
左足が深く沈み込み、勢いをつけて前に跳ぶ。
『3回転アクセル、2回転トゥループ。乱れありません』
いつしか観客から手拍子が生まれ、会場全体へ広がっていく。
『さあ、練習では成功していた注目の4回転フリップですが……――あっ』
後ろ向きの長い助走に大技が来ると杷が身構えた瞬間、天樹は踏み切りのタイミングが合わずに思いきり転んだ。怪我を心配するほどのいきおいでフェンス際まで吹っ飛んでいったので、思わず腰が浮いた。
「大丈――」
だが、彼はすぐさま立ち上がるとウインクして再び滑り出す。ちょうど近くにいたカメラがその表情を
『いま笑いましたよね?』
『余裕があります』
思わず相好を崩したアナウンサーの問いかけに、解説者が神妙な相槌をうつ。
『3回転ルッツ、3回転トゥループ、2回転ループ。体が開きかけましたが、こらえました』
崩れたリズムを取り戻そうと、観客たちの手拍子が一段と大きくなった。失敗からの笑顔ひとつで会場を味方につけた天樹は自慢のイーグルを披露して手拍子を拍手へと変える。
「あいつ、ほんとに度胸がある」
杷は息をつき、椅子に深く座り直した。自分ならあれほど派手な失敗をした直後に笑える気がしない。
「俺さ、ずっと不思議だったんだ」
「何が?」
「天樹が俺をライバルだって言うの。確かに順位はいつも俺の方が上だったけど、フィギュアに対する姿勢とかひたむきさなんかはあいつの方がずっと上だった。一生懸命で、いつでも全力で、あいつのそういう性格が俺はうらやましいくらいだったのに」
間奏を越え、最高潮へと向かう演技。ほんの僅かに軸の乱れた4回転トゥループは回転が足らずに減点されるも、次の3回転フリップは危なげなく着氷。一斉に拍手が巻き起こる。
「ひたむきな人間もひたむきじゃない人間もいないんじゃないか」
「え?」
例の他人事のような素っ気ない口調で、間嶋は続ける。
「そいつがひたむきになれる対象がこの世にあるかないか、あるいはそれに出会えたか出会えていないか。それだけの違いなんじゃないか」
繰り返されるタイトルコール。
何度も何度も、高らかに宣告する歌声に導かれ、リンクの中央に滑り込んだ天樹は膝を抱えて低い位置からのシットスピンを開始。そして膝を持ったまま上体を前傾し、A字スピンともいわれるアップライト・フォワードスピンに移行する。
最後は肩をひねり、仰向けの姿勢で回転するキャメル・アップワードで決めた。
「……そうかな」
「ああ」
天樹は息を弾ませながらキス・アンド・クライに移動し、採点を待った。笑顔を浮かべてはいるが、悔しそうな表情を隠しきれない。
いよいよ得点が出るという時になって、ぷつんとパソコンの画面がブラックアウトした。
「え?」
驚いて肩越しに振り返ると、無表情で電源に指を置く間嶋の顔がある。
「間嶋?」
「――――」
間嶋は、ほんの僅かに息を呑むような仕草を見せた。まるで彼自身がどうしてそんなことをしたのか理解できていないような、そんな風な印象の動きだった。
「もう戻るぞ」
「待てよ、おい」
慌てて立ち上がった杷は、とっさに掴んだ間嶋の手の冷たさにぎょっとして指を離した。それからすぐに、外から吹き込む夜風が杷の頬を撫でる。間嶋が戸を開けて外に出て行ったのだ。
「おい、待てって」
間嶋の背中を追っていた杷は防寒のため二重になっていた戸口の段差に爪先を突っかけてバランスを崩す。暗くて足元が見えなかったのだ。
「でっ……――!」
痛い、と思った時にはもう転んだ後だった。
「いったた……」
両手を地面についた際に擦り傷ができたらしく、手のひらがひりひりと痛む。足音がして、気づけば間嶋がすぐ目の前にしゃがんでいた。
「何やってるんだよ。だから足元には気をつけろって言っただろ」
「あ、戻ってきた」
そのことにほっとして、杷は息をついた。
「あのさ、お前が空気のわからない不愛想でも今のチームじゃ問題ないのにって忍部に言ったらドライだって笑われたんだけど」
「当たり前だろ」
抑揚にとぼしい間嶋の声でも、彼が呆れているのはわかった。
「人に許されたいわけじゃない。自分が嫌なんだ。お前にはわからないだろうけど」
「わかるよ」
「わからない」
「わかるって」
「じゃあ、よだかになれない俺はどうすればいい?」
こんな時でも間嶋の声は静かだった。
夜の遠空には何万光年も離れた銀河の光が無言で瞬く。青ざめてすら見える間嶋の白い頬には何の表情も浮かんでいなかった。杷はその時、どんな顔をしていたのだろう。自分ではわからない。
「よだかは報われている。なぜなら、読み手はよだかに自分を重ねて救われたような気になるからだ。いまわかった。俺はずっと同情されたかったんだ」
間嶋の独白はそれで終わりだった。
「いつまでそうしてるんだ? 早く立てよ」
「え? あ、うん」
間嶋は自分が吐露した感情に対する反応は特に求めていないように見えた。そろりと杷は立ち上がりかけたが、よろめいて戸口につかまる。
「久世?」
「いや、ちょっと……転んだ時に膝、ぶつけたみたいで」
「膝?」
間嶋の緊迫した問いかけに杷はようやく事の重大さを理解する。
「大丈夫、ちょっと経てば治るから。いまは動かすと痛いけど、半月板やった時に比べたら全然マシだし。大丈夫だって!」
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