21.ブレイクタイム(1)

 結局、第5エンド終了時点でのコンシードを梅垣に止められた鶴見が無田に握手を求めたのは、Gいわての後攻で迎えた第8エンドで梅垣がガードの後ろに置いたストーンを間嶋がハウス外へと弾き出した後のことだった。

 この時点で点数は5:2。ハウスの中にはストーンがひとつもなく、残り2投では3点差を覆すことは不可能になる。

「う……っわぁああ…………!!」

 鶴見と握手を交わしたばかりの右手を、無田は至高の宝でも手に入れたかのような尊い眼差しで凝視した。

「すっご、いまさっき鶴見選手が俺の手をぎゅって! あっちから!! 今度は公式戦でやりたいね、だってさ!!」

「無田、気持ちはわかるけど落ち着いて」

「そうだよ。落ち着いていますぐこの手袋を永久保存しないと……次の試合まで時間あるから家戻って別の手袋取ってくるね。30分もあれば行って帰って来れると思うから」

「無田、無田!」

 リンクを降りた足で外へ出ていこうとする無田を引き留めた杷は、間嶋を探して周りを見渡した。

「無田を止めてくれよ……って、どこいったんだあいつ?」

「鶴見さんがちょっと用があるらしい」

 同じく引き上げている最中の梅垣が、バッグを背負いながらホールの片隅を指差した。通路の端の方で向き合った2人が何か話しているのが見える。

(? 間嶋にだけ?)

 無田を抱えたまま首を傾げる杷に、梅垣はまだ用があるようだった。

「久世くん?」

「え? はい」

 荷物をまとめた忍部が無田を引き取ってくれたので、杷は梅垣に向き直った。「手袋2つ持ってるから1つ貸してやるよ」「ええ? 手の大きさが全然違くない?」などと言い合うふたりの声が遠ざかる。

「ええと。君、フィギュアスケート選手の久世杷くん?」

「そうですけど。あ、でももう辞めました」

「辞めた?」

「はい。怪我で」

「あ――そうか。そうだったんだな。不躾な質問をして悪かった。どうしてカーリングなんてやっているのか疑問に思ったものだから」

 すまない、と梅垣が頭を下げる。

「いいえ、みんなに言われるので」

 我ながらフォローになっていないなと思いつつ、杷もぺこりとお辞儀をした。「なら」と梅垣が口を開いたので顔を上げる。

「また対戦できる機会もあるだろうな。メジャースポーツとは勝手が違うこともあるかもしれないが、できるだけ長く続けてやってほしい。俺も鶴見さんをスキップから引きずり降ろしてやるくらいのつもりで研鑽を積みたいと思う」

 杷は瞬きをしてから、「頑張ってください」と微笑んだ。

「ああ」

 恥ずかしがってそそくさと去る梅垣に宅が絡んでいく。「写真頼まなくてよかったのか? お前って意外と有名人に弱かったんだな」「黙れ」「素直になれよ。世界が変わるぜ」。軽口をたたく大人たちの背中を見送り、周囲に人が途切れた一瞬をついて名前を呼ばれる。

「杷」

 糸で引かれたように振り返ると、無遠慮な雰囲気で近寄ってきた母にじろじろと顔を見られた。

「引退してぶくぶく太ってたらどうしようかと思ってたけど、変わらないわね。カーリング? やってる甲斐はあるわけか」

「これから仕事?」

「大阪に出張。花巻から飛行機で1本だから、引き受けちゃった。つれない息子のおかげでまだしばらくはひとりものだしね。お声があるうちはやってやるわ」

「……ごめん」

「好きにすれば? 思い返せば私も自分のやりたいようにしかやってこなかったからね。カーリング? 楽しそうだったじゃない」

「フィギュアスケート、続けてほしかった?」

「そりゃそうよ。これまでいくらかけたと思ってるの? せめて高校卒業まで続ければプロ転向の話もあったのに……っと、ビジネスで考える癖が出ちゃったわ。あんた、評価されてたのはそっちの方面なんだからその気があればアイスショーなんかで稼げないことはなかったのよ」

 母の視線が上向き、手を振っている観客たちを見た。

「そうだとしても」

 杷は自分が何を言いたいのかわからないまま口を開いていた。まだ試合の熱が体に残っている。自分のブラシを信じてストーンを投げ込んでくる無田の眼差し、そして忍部や間嶋と共に必死でスイーピングしたストーンが思った通りの場所に止まった時の快感。

「俺は――後悔してない。カーリング、やってよかったと思ってる」

「ただの遊びでしょ」

「でも、友達はできた」

 母が瞬きをする。

「ずっとフィギュアスケートをやっててライバルやファンはできたけど、友達はできなかったよ」

 短い沈黙を、戻ってきた無田の能天気な声がやぶった。

「忍部に手袋借りたよ。ちょっと大きいけど、俺はそんなにスイーピングしないから……あ。あっ、久世くんのお母さん!? 俺、チームでスキップをしてる無田っていいます。久世くんにはお世話になってます!」

 慌てふためいて挨拶をする無田に母は愛想よく微笑んだ。外面のよい母親なのだ。身内には決して向けたことのない笑顔で頭を下げると、とんでもないことを言い出した。

「こちらこそ、息子をよろしくね。この子、東京で私と一緒に暮らすよりも盛岡でカーリング? するのを優先したのよ。よっぽどやってみたかったみたい」

「えっ?」

 無田はきょとんとし、杷は言葉を失い、母は素知らぬ顔で腕時計を確認する。あきらかにこれは自分よりもカーリングを選んだ息子への当てつけだ。

「な、なんでそれを言っちゃうんだよ」

「名残惜しいけど、そろそろ時間だから行くね」

「帰れ! 全然惜しくない!」

「はいはい、じゃあね」

 後ろ向きにひらひらと手を振りながら、彼女はぽつりと言った。

「あの子、意外と寂しがりやだったのかしら。悪いことしちゃったかな」

 一方の杷には、残された無田が感動したような目でこちらを見ているのが何よりも耐えがたい。

「久世くん、俺たちのために盛岡に残ってくれたんだ?」

「えっ、あ、うん……」

 結果と原因が逆なのだとは言えず、杷はしどろもどろになってうろたえた。

(きっかけは東京に行きたくなかったからでも、結果的にはカーリングが好きになったんだからそれでいいじゃん)

 開き直り、杷は頷いた。

「俺、後悔してない。カーリングやってよかった」

「久世くん……!」

「何をさわいでるんだ?」

 狭い通路で抱き合うふたりにひややかな声を投げかけたのは、話を終えて戻ってきた間嶋だった。

「鶴見選手と何の話?」

「たいしたことじゃない」

「ふうん」

 嘘っぽいなとは思ったものの、間嶋は自分が言わないと決めたら言わないのはわかっていたのでそれ以上しつこく聞くことはやめた。

「忍部は?」

「控室で場所とってくれてる。ちょっと早めだけどお昼にしよう。午後にもう1試合やって、今日はそれで終わり。予選リーグの最終戦と決勝トーナメントは明日から」

「時間的にはもう1試合くらいできそうなのにな」

「1日目で予選終わると負けたチームが帰っちゃうからね。2日目は決勝に行けなかったチームもミニゲームやったりして最後まで参加できるようになってるんだよ」

 控室で注文の弁当を食べた後、午後から始まった2戦目はもらったストップウォッチの使い方でばたついたものの、第7エンドで4点負けていた相手チームがコンシードしてチーム無田が6:2で勝利。

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