20.予選リーグⅡ(4)
「バンパー?」
杷はリンクを囲むフェンスを見た。バンパーウェイトとはストーンを止めるためのクッションに届くくらいの強さを意味する。普通のテイクショットよりも少し弱めのウェイトだ。今は専用シートではなくスケート用のリンクを間借りしているため、エンドラインより4mほど後方になるだろうか。
「飛ばした赤いストーンは」
無田のブラシがすっと標的のストーンから直角に動いてセンターガードに隠された直径30cmしかないハウスの中心に当たる円を突いた。
「当然、この辺に止めてNo.1にしたいわけだよね」
「強すぎて外に流れるよりは弱めの方がいいな。スイーピングでの調整の余地も残しておきたい」
「伸ばせるかなあ。ハウスにいる俺ひとりじゃ気持ち分ってところだけど」
「ティーラインを越えるまでは何人でスイーピングしても構わないんだ。万が一の場合は俺もやる」
ふたりの意見を受けた無田は、ふむ、と検討を終える。
「久世くん、いまのわかった?」
「右前の赤いストーンから飛ばして10時方向のストーンにヒットアンドロール。で、その飛ばした赤いストーンはハウスの中心まで持っていく」
「うん。角度が大事だから、久世くんの方からもライン見てね」
「了解」
スキップと別れて反対側のハックに向かう杷の背がハウスから遠ざかっていく。鶴見と並んでバックラインの後ろにたたずんだ梅垣が遠慮がちに彼の横顔をうかがった。
「……あの。どうしてやる気になったんですか」
「ん?」
カーリングシートは全長約45m。
バックラインからでは、現在投げようとしている
「なんだって?」
「あ、いえ、すみません。ゲーム中でした」
「梅垣」
「はい?」
「お前、もっとカーリングうまくなる気ある?」
「は――」
梅垣は言葉を失い、見る間に頬を赤らめた。
「あ、当たり前でしょう? 何を真顔で聞くんですか」
「お前に足りないところ、自分でわかるか」
「――――」
呆気にとられた梅垣は、1、2回ほど口をぱくぱくと動かした後で、かろうじて頷いた。
「そりゃ、まあ……誰だって自分の欠点については嫌というほど考えたことがあるんじゃないですか? 俺もそうですよ。いろいろ悩み過ぎて、一言じゃ言えないですけど」
「じゃあ、それを直せ」
「は?」
鶴見の真意をはかり損ね、梅垣は間抜けな声を上げた。
「そりゃ、直せるものなら直したいとは思ってますが……」
どうしてそんなことをいま言うんですか、と続けるつもりだった梅垣は自分の喉元に突き付けられたブラシの柄にぎょっとして息を呑んだ。
「俺を楽にしてくれよ、梅垣」
「? どういう意味ですか」
困惑する梅垣に鶴見はため息をつき、ブラシを引いて自分の肩をたたいた。
「はぁ……前途多難だな。ほんとに直せよ。だから女できないんだよ」
「いや、ちょっと、なんで俺が恋人いないって知ってるんです? そういう鶴見さんはいるんですか」
「いるわけないだろ」
「人のこと言えないじゃないですか!」
「お前、例えって知ってる? だいたい、本気でカーリングやってたらそんなものに構ってる暇なんかないね」
「それ、論理が破綻してませんか?」
食い下がる梅垣の耳を、ストーンが氷上を移動する時に鳴る独特の滑走音が掠めた。ホッグラインの手前でストーンから手を離した杷は、その軌跡を見て声を張り上げる。
「ちょっと内側かも」
すぐさま、無田の「ヤップ!」がかかる。少し強めに当ててもラインを優先するという判断だ。
「任せろ」
忍部が腕の見せ所とばかりに微笑み、スイーピングを開始。肩から二の腕にかけての筋肉が力強く盛り上がり、高速で氷面を掃くごとにストーンの動きが伸びていく。
「いけ!」
激しいスイーピングによって送り出されたストーンはハウスにかかっている赤いストーンの右側3分の1ほどの部位に衝突後、ハウスの縁に沿って3時方向に流れた。ぶつかられた方のストーンは緩やかに真の標的である黄色いストーンの側面に接触し、その衝撃でまたしても向きを変え、ハウスの中心めがけて滑り込む。
「ウォー!」
スイーピングは不要と判断した無田の合図を受け、身構えていた間嶋が手を引いた。
「大丈夫、これならティーラインの上で止ま――」
シートの中間あたりでストーンの行く末を見守っていた杷は、鶴見がゆっくりと動き、驚いて振り返る無田の目の前で手に持っていたブラシを動かすのを見た。
(何が起こったんだ?)
途中でハウスの前に散らばったジャンクストーンの後ろに隠れてしまったため、こちらからでは中が見えない。遅ればせながら立ち上がり、ハウスに駆け寄った杷が見たのはティーラインよりストーン半個分ほど下がった位置に止まった自分のストーンだった。
「あれ? こんなに後ろ?」
てっきりティーラインにかかる位置で止まると思っていた杷は思わず首を傾げてから、はっとして鶴見選手の手にあるブラシを見た。
「梅垣、フリーズ」
デリバリーに行く前に鶴見はとんとんとそのストーンに触れて梅垣に指示を残していった。無田も我に返り、杷の背を押して一緒にハウスを出る。
「俺、スキップのスイーピングであんなに距離を伸ばせるだなんて思ったことなかった」
「やっぱり鶴見選手がスイーピングしたんだ? 無田はよくやってたけど、鶴見選手はずっと動かなかったのに」
動いているストーンがティーラインを越えた場合、どちらのチームのストーンであってもスイーピングが可能になる。投げた方のチームは誰でもいいが、相手のチームはハウスを管理しているスキップもしくはバイススキップのみという決まりだ。
「舐めてこなくなったな」
独り言のようなつぶやきは間嶋のものだ。
原因を作った杷は少しだけどきっとして、けれど強がって言い返す。
「本気出されたら勝てない?」
「お前こそ、負けてから言わなきゃよかったって後悔するなよ。鶴見の態度が変わったの、お前がなんか言ったからだろ」
次の投手である間嶋は、鶴見が滑り出してすぐに空いたハックについた。あえなく煽り合いに負けた杷は「勝てばいいんだろ、勝てば」と独り言ちてハウスに目を向け、鬼気迫る形相で「ヤップ!!」と叫ぶ梅垣の様子にひるんだ。
「焦るな! 大丈夫、見ていけ」
鶴見の声質は柔らかく、大きく声を張っても圧迫感が生まれない。聞いていて心地よく感じられる声だ。
「これは決まるぞ」
忍部の予想通り、宅と壬生によるスイーピングの小刻みな繰り返しによって丁寧に運ばれたストーンは杷の投げたストーンの斜め右上にぴたりとくっついた。
(というか、この形って……)
杷がハウスの後ろに退いた鶴見をうかがうと、彼はヒントを与えるような素振りで指を1本立ててみせた。
そうだ、と杷は思い出す。
こちらが先攻だった第1エンド。そのスチールを決めたのが、こうして相手のストーンをバックガードに利用したNo.1ストーンだった。
「出せる?」
「うーん……」
杷の問いに無田がうなった。
残るストーンは、間嶋が2投、鶴見が1投。
ストーンの配置はセンターガードが2つに、左サイドのコーナーガードが1つ。No.1ストーンであるGいわての黄色いストーンはハウスのほぼ中央にあり、左斜め下にチーム無田の赤いNo.2ストーンがぴたりとはりついている。
No.3は2時方向、真ん中から2つ目の円に半分ほどかかっている黄色いストーンで、それから10センチほど空けた右上5の位置にあるこちらの赤いストーンがNo.4。そして真反対側になる7時方向のハウスの縁にひっかかっている相手の黄色いストーンと、ハウスの右外、ティーラインよりストーン1個分だけ上になる場所に杷が2投目でテイクアウトした際に外に流れていったストーンで全部だ。
「間嶋は……来ないか」
無田は、なぜか相談に参加しないでさっさとスタンスの体勢に入っている間嶋を振り返り、かがめていた上半身を起こした。
「?」
杷が首を傾げると、無田が肩をすくめる。
「あいつの中ではもう、次のショットが決まってるんだよ。見てて」
無田のブラシがNo.1を示すが、間嶋はぴくりとも動かない。
「無視かよ!」
「これじゃない、と。まあそうだよね。直接これにぶつけても後ろにある俺たちのNo.2が押し出されるだけだからね。じゃあこれは?」
ハウスの外まで歩いていった無田は、彼が最初に置いたコーナーガードを指した。ハウスの左上にあるそれを飛ばして、No.1だけをテイクアウトするという意味だろう。
だが、やはり間嶋はこれを無視。
「角度は十分だが、射線上に2つめのガードストーンが割り込んでるからな。先にこれを排除しないと届かない」
「となると――」
忍部の意見に、さらに前に出た無田はハウスから離れた場所にある1つめのガードストーンの前にブラシを置いた。
すると、ようやく間嶋がストーンのセットに入る。スイーピングするために急いで戻ってきた杷と忍部に向けて言った。
「飛ばすぞ。センターガードまとめて2つ」
これで外すようならともかく、きっちりと決めてくるのだから誰も文句が言えない。
「まったく、これで愛想がよかったらほんと完璧なのに……」
綺麗に吹き飛び、フェンスに当たって戻ってくるストーンをブラシで片付けにいった杷は視線を感じた先で赤いユニフォームを着た若い男と目が合った。こちらをじっと見据える寡黙な瞳に一瞬だけ気を取られた杷だったが、鶴見が即座にデリバリーに入ったので慌ててシート外に逃れた。ハウスの前に置き直されたセンターガードは完璧な位置で射線をふさぎ、中のストーンを守りに入る。
「どうしてきますかね?」
宅はハウスを梅垣に任せ、他のメンバーと同じくコーテシーライン際にたたずむ鶴見の意見を求める。
「ハウスに近いタイトガードを置き、コーナーガードからの道と正面はふさぎました。このガードを使ったとしても、反動でその場に残れば逆に2点与える可能性がありますし」
「ひとつだけ方法がある」
鶴見の指先がブラシの柄を軽く弾いた。
「ハウスの右外側にある赤いストーン。予定よりもテイクショットを強く当てたために外へ流れたあれを使えばNo.1を狙える」
「まさかそんな……」
疑い半分で壬生は問題のストーンを見つめた。
ハウスの外であっても、バンパーに当たらない限りそのストーンは取り除かれずにシート内へ残される。
「あの位置から狙えば2時方向にあるこちらのストーンに当たります。まっすぐにストーンを通すだけの幅はない」
だが、ハウスの中に立つ無田は断言した。
「あれをかわしてNo.1に当てるルートがある。それも、投げたストーンを中央に残すことのできるルートがね」
ただし、と注釈がつく。
「すごくタイトだ。数センチ違ったら失敗。こっちのNo.2だけが弾き出されて――」
無田のブラシがふわりと動き、現在No.3になっている2時方向の黄色いストーンを示した。
「これがNo.2になり、相手に2点スチールされるかもしれない。どうする、やる?」
しん、とその場が静まり返る。
(えっと……)
もしこのまま何も触らず相手の1点スチールを許した場合、同点で次の第6エンドが後攻になる。そうすると、順当に後攻で点を取り合えば同点で迎えた最終エンドはこちらが有利な後攻。
(正直、それでも悪くはないよな。ミスして2点取られると2:3の逆転。予選リーグは延長戦がないから最終エンドで同点に追いつかれた場合、その時点で引き分けが確定するわけで……うーん……)
考えすぎで凝ったこめかみを揉みつつ、フィギュアスケートなら、と思考が飛ぶ。
(構成は全部事前に決まってるから、本番は練習通りに滑るだけでいいんだけど。対戦競技っていうのは大変だな。駆け引きとかいろいろ、相手の動きに対応してその場で判断しなくちゃならないんだから)
だが、逆にこちらが1点を取ることができれば1:3で再び2点差になる。
(ブレイクタイムで無田が言ってたように、この1点は喉から手が出るほどほしい。2点差があれば残り3エンド、よほどのことがない限りは逃げ切れる)
他のメンバーの表情をうかがうと、無田は無言でみんなの答えを待っていた。忍部はとっくに決まっているのか迷うそぶりも見せずに微笑んでいたし、間嶋は――こちらに背を向けてストーンの角度を見ている。
「……なにやってんだよ」
「時間がもったいない。まだ悩むならタイムとれよ。残り時間少なくなってきてるぞ」
「やるほうに1票?」
こくりと頷く間嶋に嘆息して、杷は無田に向かって言った。
「やるほうに2票!」
「じゃあ3票」
忍部が手を挙げ、無田が嘆息する。
「こうなると思った。もし失敗しても連帯責任だからね、後悔しないでよ」
頑張ろう、と軽く円陣を組んで気合を入れる後ろで間嶋だけがずっとストーンの配置を眺めている。
「何をそんなに確認してたんだ?」
配置についた間嶋に杷がたずねるとこんな返事があった。
「ミスしたら2点盗られるリスクがあるなら、運次第じゃ2点取れるチャンスがなかったら割に合わないだろ」
「まさか」
「後ろ向けよ」
「?」
くるりと半回転した杷のベルトループが引っ張られ、何か紐のようなものが結び付けられる。
見ると間嶋の使っていたストップウォッチだった。
「いいの?」
「全力で掃けよ」
振り返った時にはもう、間嶋は既にストーンのセットに入っている。
「――了解」
杷はブラシを握りしめ、滑り出したストーンを追った。
ノーマルウェイトの9秒よりもやや遅い、弱めのテイクショット。
「狙ってきた」
信じられないとばかりに壬生がつぶやいた。
「そうか……」
口元を手で覆った宅がいまさらながらにひとつの可能性を口にする。
「狙いはNo.2だ。投げたストーンはぶつかった後、必ず弾いたストーンの進行方向とは直角の方向に進む。横からNo.2にぶつけた反動で向きを変え、その真上にあるNo.1を押し出すつもりだ」
でも、と壬生が反論する。
「少しでも狙いがずれたら投げたストーンは得点になりません。だからといって弱すぎればNo.1を押し出しきれない」
カッ、と甲高い金属音が響き、ハウスの外にあった赤いストーンが真っ直ぐに中心部を目指して滑走する。
「久世くんヤップ!!」
「――ッ!」
力の限り進路を掃く杷の耳に、鶴見の張り上げる声が聞こえた。
「梅垣、死ぬ気で掃け!」
「わかってます!」
鶴見の指示を受け、梅垣がブラシを握る。
ぎりぎりまで掃いていたブラシを杷が寸前で引き抜いた直後、ストーンはまずNo.2に接触。反動で真上を向き、今度はNo.1に接触するまでがひとつの動きだった。さらに方向を変えたストーンは勢いが殺されきれないままに前進し続けるが、ちょうどその先にあった2時方向の黄色いストーンにぶつかることでついに停止する。
「――――」
ほんの1秒にも満たない僅かな時間。
梅垣の荒い呼吸音と、鶴見たちがハウスに滑り寄ってくる気配。杷は胸をあえがせながら、弾き出したNo.1ストーンよりもスイーピングし続けた自分たちのストーンの方がハウスの内側にあるのを見た。
「やった! 久世くんやった! 俺たちの得点だよ!!」
飛びついてくる無田にばんばんと肩をたたかれてようやく体から力が抜けるが、ハウスに集まった輪はいまだ解かれる様子がない。
「? まだなにか――」
あるのかと顔を上げると、鶴見選手が手を挙げてスタッフを呼び寄せた。
「メジャー計測お願いします」
「なにそれ? メジャー? うわ」
運ばれてきたのはまるで大きなコンパスのような機器だ。必要のないストーンが選手たちのブラシによって取り除かれる。
(残ったのは……)
ひとつは、もともと2時方向にあった元No.3のストーン。
そしてもうひとつは梅垣が決死の覚悟でスイーピングを行った元No.2のストーンである。
見ると、2つのストーンは内側から2つめの円に少しだけかかる位置にあり、ぱっと見た限りではどちらが中心に近いのかわからない。
(そうか。これ、ハウスからストーンまでの距離を測る機器なんだ)
針をハウスの中心に空いている穴に差し込み、しなやかな棒状の部品をぐるりと時計回りに回して2つのストーンを順番に計測。どうやらあの棒がストーンに触れるとメーターが動く仕組みのようだ。
(もし、これも得点になったら4:1で3点差)
なんだかどきどきしてきた杷の手首を、無田がぎゅっと掴んで固唾を飲んでいる。スタッフがメーターを指差し、ついで――赤いストーンの方を示した。
鶴見が腰に手を当て、大きく嘆息する。
悔しげに天をあおいでいる梅垣に何か言っているのが聞こえた。
「
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