18.予選リーグⅡ(2)
「梅垣選手って大学時代はスキップやってたんだよな?」
杷がたずねると、そういう情報に詳しい無田がすらすらと答えた。
「カーリング部の部長だった在学中に入部の打診があったらしいね。実際に部が創設されるまでは鉄道職員の仕事をしつつ、女子部と一緒に練習してたんだって。各チームで1番うまいのは基本的にスキップだからね。強い選手を集めるとどうしても元スキップが多くなる」
梅垣がハックを蹴り、ストーンが独特な滑走音を上げながら氷上を進んでいった。両脇についた宅と壬生が鶴見と密にコミュニケーションをとりつつ、丁寧にストーンを運ぶ。
「技術的な面では、スキップができるなら他のポジションをやるのに問題はない。ただ、精神的には他のスキップの下につくのは簡単じゃないよ。だからオリンピックでさえ選抜チームは作られないし、チームにはスキップの名前を使うことが慣習なんだ。カーリングのチームのカラーっていうのはスキップが作るものだからさ」
カッという硬質な音が響き、こちらの赤いストーンを7時の方向、8の位置にまで押し出した黄色いストーンがセンターライン付近で停止する。
「間嶋」
無田がそのストーンを叩き、間嶋が頷いた。
「早くつけよ」
さっさとハックでストーンを手に取る間嶋に急かされ、杷は忍部と並んでストーンが放たれるのを待った。
「――」
間嶋は軽く吸い込んだ息を止め、すっと上げた腰を後ろに引くと非常に正確なフォームでストーンを送り出した。
「きれいなフォームだね」
「はい。それに投げるまでが早い」
鶴見と壬生のやりとりが杷の耳を掠めた。
ハックについてから頭の中で無田の指示を反芻し、これから投げるストーンの軌跡をイメージとしてまとめるのに時間をかける杷と比べると、間嶋の投げ方には迷いも無駄もない。
(自分がおっとりしてる方だとか思ったことなかったけど、間嶋や忍部に比べると……)
ストーンが手前のホッグラインを越え、シートの中心に差しかかった辺りで無田が叫んだ。
「ヤップ!」
「――ッ!」
渾身の力を込めて掃く。
しかし、真向かう忍部の無駄のないブラシの動きに比べたらなんというか――。
「なんかばたばたしてんな」
脇で見ていた宅が、スイーピングを終えて息を整えている杷の足元を指差した。
「歩幅、広すぎないか? 足が氷から浮くと力が入らないぞ」
「すみません」
ぱっと頭を下げ、杷は彼らと入れ替わりでシートの端に出る。
「注意されちゃいました」
耳まで赤くなって隣の忍部にささやくと、彼は「しょうがないね」と杷をなぐさめた。
「ショットの練習を優先してスイーピングまでやり込む時間がなかったからね。精進あるべしだな。見なよ、宅選手と壬生選手のスイーピング。タイプは違うけど、互いの邪魔をしないようにうまくスペースを譲り合ってる」
間嶋の投げたストーンは、さっきこちらのストーンを押し出してその場に留まっていた相手のストーンを、器用に横から当てる形で外から2つめの円に掠る位置、ほぼ9時の方向に追い出していた。
ザァッ、と滑り出した鶴見の狙う先はセンターライン沿い、6と7の狭間に止まったそのストーン。
「皓平!」
梅垣の指示を受け、若くて力のある壬生がストーンに近い位置で激しいスイーピングを繰り返し、ウェイトを告げた。
「6!」
「いいぞ、クリーン!」
梅垣が告げるのが早いか、掃くのをやめた壬生の代わりに宅がしなやかな手つきでストーンの前にブラシを置き、余計なゴミを噛まないように道を守る。ハウスへ滑り込んだストーンはNo.1に陣取っていた赤いストーンをテイクアウトした後、センターガードの方向へややロール。
「うわ、完璧」
「だが、そこは――」
杷のため息とは裏腹に、忍部はしてやったりと笑む。
「あ」
ほぼ同時に鶴見が声を上げた。
再びハックについた間嶋が、針の穴を通すような精密さで前のストーンを交わして左下にあった7時の赤いストーンの真上にぴたりとつけた。
シートにいる全員の視線が、できあがった形に引き寄せられる。
「一直線……!」
無田が、ハウスにしゃがみ込んだまま小さく拳を握った。
ほぼ狂いなく、上から順番に2の位置、5.5から6にかけての位置、7.5、そして8の位置と4つのストーンが縦に直列している。
「これは……」
バックラインの後ろに待機していた梅垣が愕然とハウスの中に進み出た。宅がハウスの反対側に回り込み、前からストーン同士の距離を測る。
「この――No.1になってるストーンの前につけるのは難しいな」
とんとん、と宅のブラシが道を塞ぐ2つの黄色いストーンを示した。
「この間を通せたのは本当にぎりぎりだ。もう少し短ければ真上の黄色に当たるし、長ければこのストーンそのものに当たる。だからといって全く同じルートで投げ込めば後ろの赤がバックガードになってこちらのストーンが弾き返されるだけ。上のガードストーンから飛ばしても同じだ。もっとも、距離がありすぎて真っ直ぐに玉突きするのも一苦労だが」
「右上のストーンを使うのは?」
壬生が言っているのは、間嶋が「触れない」と言った黄色いストーンだ。同様に梅垣が首を振る。
「他のストーンに近すぎる。うまくその真上にある1時方向のストーンから飛ばせても、ぴったりついている真後ろの赤いストーンと反発してジャムる。こうなると、隙間なくつけられたのが仇になったな。それに……」
梅垣はブラシでいま話題にしている黄色いストーンとNo.1のバックガードになっている赤いストーンを順に触れた。
「この2つのどちらが中心に近いか微妙なところだ。もし相手の赤いストーンの方がNo.2なら、このままだと2点スチールを許すことになる」
「いいんじゃない?」
緊張感のない声に振り返った梅垣は、鶴見が屈託のない笑みさえ浮かべて平然と言うのを聞いた。
「2点あげちゃおうよ。この試合、そのほうが面白くなる」
梅垣は顔をしかめ、聞かなかったことに決めたようだ。
「1点とられるのはもう仕方ない。上のストーンを押し込んでNo.2を作りにいく」
「おいおい、無視はひどくない?」
「――そういうのは」
勘弁してほしいとばかりに、梅垣は弱りきった顔で鶴見と向き合った。
「八百長って言うんです、鶴見さん。確かにオーナーには我々が悪役に見えないように多少の忖度は必要だと言われましたが、そこまでするのはやり過ぎです」
「でも、実際にあの子たちうまいじゃない。ここで2点盗ったら盛り上がるよ。後で放送される録画の視聴率もあがってうちのCMもばんばん流れる。オーナーも喜んでウィンウィンだ」
「鶴見さん――」
「ほら、あそこ」
鶴見が目で示す先には、仏頂面のコーチと話すスポーツ協会会長の姿があった。
「いま、盛岡でもスポーツでまちづくりをするための予算をいろいろ使ってるだろう? 冬季オリンピック誘致計画の噂もあるし、たまにああやって視察に来るんだよ。退屈そうなお偉いさんの目の前で、将来有望な若い子たちにお花を持たせてあげようよ」
「鶴見さん……!」
声を荒げた梅垣に驚き、杷はびくりとそちらを見た。
「もめてる?」
「下手したら2点スチールされる場面だ。慌てもするだろ」
「はいはい。どうせお前ならうろたえないって言いたいんだろ」
ハウスでは梅垣と鶴見の間に宅が割って入り、何事かを相談しているようだ。
「まさか、わざと外してくるなんてことは……」
鶴見に言われた台詞が、ふと杷の頭をよぎる。
その懸念を裏付けるように、間嶋が沈黙を解いた。
「こっちを勝たせるつもりなら、これほど自然に点をやれる場面はそうないだろうな」
「お前もそう思う?」
「3点差があれば残りのエンドは守りに専念できる。もし、ここで2点スチールが成功すればその時点で俺たちの勝ちはほぼ決まりだ」
「けど、そんな勝ち方したって嬉しくな――え?」
気づくのが遅い杷に、間嶋はすました顔で言った。
「忍部に聞いた。なんでそういうことを黙ってるんだよ」
「あの、俺、なにも答えてない」
慌てて、杷は首を振った。
「勝たせてあげようか、って言われたけど。すぐに無田が投げたし、考える暇もなかった」
「わかってるよ」
「でも――」
杷はハウスを見た。
円陣が解かれ、梅垣だけがそこに残ってブラシを立てる。宅と壬生がブラシを携えた向こうで鶴見がストーンを構えた。
「タ――……タイム!!」
とっさに叫んだ杷へと、奇妙なものを見るような視線が集まる。
「久世くん。自分のチームのプレイ中じゃないとタイムアウトはできないよ」
「あ、そうか」
無田に指摘され、杷は羞恥とともに我に返った。状況を察したスタッフが近づいてくる。試合進行が不自然に中断しているのを見て、不審に感じたのだろうと思われた。
「なにかありました?」
「いえ、なんでも――……」
その場を取り繕おうとした杷の背後で、「ヤップ!」と叫ぶ梅垣の声が上がる。鶴見の投じたストーンは左サイドからハウスの中心に向かってカーブし、11時方向にあった黄色いストーンをハウスの中心に向かって押し込んだ。ゆっくりと進んだストーンは軽くNo.1になっている赤いストーンを掠め、すぐ隣で停止した。
それを見たスタッフは無事に試合が進められたことに納得して、また離れていく。
「1点だけだったな。――おい」
ストーンを片付けに行く間嶋のつぶやきには構わず、杷はスイーピングの際に履く滑り止め用のフットカバーを外してシートの中ほどに立つ鶴見の前に滑り寄った。
「あの……」
声をかけようとして、喉に言葉がひっかかる。
(この人――)
鶴見はいぶかりもせず、愛想よく微笑んで立ち止まった。緊張感というものをまるで感じさせない、道端で顔を合わせたかのように自然な態度。だが、それは表向きの装いに過ぎないことを杷は肌で感じ取った。
(俺と、同じ)
無意識のうちに喉が鳴る。
目の前で笑う鶴見の姿が録画で見た6年前の映像に重なる。今よりも髪が短く、瞳はそこはかとない無鉄砲さを含んだ勝気に満ちて。選手にとって戦闘服とも言えるユニフォームの色は角度によって薄っすらと浮かび上がる幾何学模様を胴体部にあしらった、雪に咲く蝋梅のように繊細な薄黄色。
一対一で向き合ってはじめて、杷は競技選手としての鶴見の格を体感した。
彼の前では杷もカーリングの初心者という肩書を剥ぎ取られ、蠱惑的な黒い衣装を纏って銀盤を滑っていた〝魔性〟時代に引き戻される。
「久世くん!」
無田に呼ばれ、杷ははっと我に返った。すぐにストーンを投げ入れる方のハウスに入り、ショットに必要な曲がり幅を読む。
(一瞬、意識が飛んでた)
夢から目覚めたばかりのような感覚で、自分がちゃんとチーム無田のユニフォームを着ているのを確かめる。
「センターガード――」
ブラシをハウスの端に添えると、無田は頷いてデリバリーを開始。鶴見は平然とシートの脇を歩きながらストーンのウェイトを計っている。
(ていうか、「勝たせようとしてくれなくていいです」って言うの忘れた)
無田の第1投がセンターラインに掠る手ごろな位置に止まったのを見届けて、杷は鶴見と交代でエンドラインの後ろに下がった。
(それにしても、まだどきどきしてる。さっきのイメージなんなんだろ。なんで俺と同じだと思った?)
シートの後ろに立ててあるホワイトボードの得点板。その足元にある霜の付いたペットボトルを拾い上げ、喉を潤す。
(世界を舞台に戦ったことのある経験? それだけじゃないだろ)
こぼれた滴を手の甲でぬぐい、再びハウスに戻る。
それまでと同じく、Gいわての初手はこちらのセンターガードの後ろに回り込むカム・アラウンド。
(ゲームは中盤戦。2点リードのあるこっちは、無理をせずにクリーンな展開に持ち込みたいところだけど……)
杷は6の位置、10時方向にあってガードストーンから頭を出している相手のストーンを弾き出すべきかその前につけるべきか迷い、ハウスの向こうにいる無田の指示を仰いだ。
あちら側で少し相談する気配があってから、間嶋が滑ってくる。
「テイクアウト?」
杷は小声で聞き返した。
「そう。相手も動いてくるかもしれないが、このエンドは1点を取らせて次の後攻で勝負する」
「あ、ちょっと待って」
杷は踵を返す間嶋の上着を掴み、ブラシを氷の上に置いた。
「曲がり幅これくらいでいい? なんか最初よりも曲がりにくくなってきてるみたいだ」
ガードストーンから半分ほど出ている相手のストーンを横目で見た間嶋は、持っていたブラシでとんとんとやや狭めの曲がり幅を指示する。
「ありがと」
間嶋は頷き、さっさと戻っていってしまう。
(もう少し何か話したかったな……)
感覚を取り戻すため、杷はブラシを何度か握り直してから間嶋がアドバイスしてくれた場所に立てた。
カッ、とストーン同士がぶつかる小気味よい音がして、黄色いストーンを弾き出した赤いストーンがその場に留まった。これを宅がやはり弾き出し、センターガードの後ろにロール。
このストーンの前に忍部がつけると、テイクショットの得意な壬生が前のガードストーンから飛ばしてダブルテイクアウト。バックガードになっていたGいわてのストーンだけがハウスの4時方向、9の位置に残った。次の1投で忍部はこれにつけにいくが、やや短く、ティーラインのほぼ真上に停止。壬生はこれを少し押す形で、左斜め前につけた。
こうなると、黄色いストーンが縦に2つ並ぶ形になる。
「真正面から厚く当てろ。上のストーンが下のストーンに当たってその場に留まるが、それで構わない」
無田の要求するテイクショットの補足を行う間嶋に頷き、杷は言われた通りにストーンを投げた。
ヒットアンドステイ。
投げたストーンは上のストーンに当たった場所に残り、ストーンの色が入れ替わる形になる。この杷が投げたストーンを狙った梅垣のヒットアンドロールは見事にセンターガードの後ろに隠れたものの、すぐさま杷が次の手番で前につけ直した。この赤いストーンがNo.1のまま、ラストストーンを持つ鶴見の手番をむかえる。
「…………」
杷はハウスでブラシを指す梅垣の横顔を盗み見た。憮然とした表情。だが、こちらの心配をよそに鶴見は間嶋が壁としてハウスの前に置いたストーンをあっさりと交わしてハウスの中心へとラストストーンを放り込み、ようやく後攻の連続に終止符を打った。
ほっとして、無田たちと一緒にリンクから上がる。試合の半分が終わり、5分間の
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