17.予選リーグⅡ(1)

「ドローショット……!?」

 既にデリバリーの位置についていた杷からは、問題のストーンは縦に並んだ2つの赤いストーンに隠れて5分の1ほどしか見えていない。

(これ、直接狙えるか?)  

 無理だ。

 真ん中からいくにしても、右サイドからいくにしても前にあるストーンを使って玉突きの要領で出すしかない。

「ちょっと、来て」

 無田に呼ばれ、4人がハウスに集合する。

「これ、No.2はどっちかな」

 No.1は変わらず、2時方向にあるGいわての黄色いストーンだ。中心の円に石のふちだけが乗る位置。

「俺たちの方が近いんじゃないか?」

 忍部はセンターライン上にある自分たちの赤いストーンにブラシで触れた。距離で言うと6の位置。対して、さきほど梅垣の投げた黄色いストーンは8の位置だ。どちらも中心から2つめの円に半分ほど被さる場所であり、差は数センチしかない。

「出す?」

 無田が間嶋を見上げると、珍しく返答まで間があった。

「……出せないことはない。お前が第2投でぶつけてずらしたセンターガードがハウスの右上に残ってるから、そこから飛ばしてNo.1、No.3の順にテイクアウトする。ただ……」

 ちら、と間嶋が杷を横目で見た。

「まだサードの手番なんだよな。久世はこんな遠いガードから飛ばして当てたことないだろ」

 杷はハウスとホッグラインの中央辺りに見える赤いストーンに目をやった。5mはありそうだ。

 無田が頷き、梅垣の投げたストーンをブラシで軽くたたいた。

「普通なら先にガードストーンを片付けるところを1手早く放り込んできたからね。第1エンドにそれで後手に回ったからこっちの読みをわざと外して来たんだと思う。バックガードにもなるし、取り合えずこれはまだ残しておこうよ。久世くん、このストーンの前につけられる?」

「やってみる」

 頷いてはみたものの、前が塞がれている上にストーン同士の距離が近いため、ガードストーンを回り込んで相手のストーンにつけるのはかなり難しいショットになる。

 ハックへ戻る途中、シート脇に退いていた梅垣がじっとこちらを見つめているのに気づいた。それで、基本に忠実な鶴見らしくないこの作戦が彼の発案だと直観する。

「さすがに少し慌ててたな」

 宅の言葉に梅垣は視線を動かさないまま答えた。

「まだ高校生だ。技術や知識はあっても経験が足りない。ちょっとセオリーを外してやれば途端に浮足立つ」

「根に持つねえ。ミスしてスチールを招いたのはお互いさまだ、俺は気にしないよ。鶴見さんだってそうだろ」

「あの人は……正直、なにを考えてるかわからないところがあるから」

 梅垣は嘆息して話を変えた。

「知ってるか? 鶴見さんに新設する男子カーリング部のスキップを頼んだ担当者が何度も断られたって話」

「ああ。最後は社長が出向いて説得したんだってな。諸葛亮もかくやの待遇だよ。本人はもう半ば引退してて、青森のクラブで子ども相手に教えてたっていうんだから」

 カッ、とストーンのぶつかり合う音に宅が顔を上げた。

(やっば――)

 思っていたよりもアイスが伸びて、バックガードに残すはずのストーンを自分の投げたストーンが弾き出してしまうのを、杷は焦りながら見届けた。

「悪い」

「いいよいいよ! これで俺たちのストーンがNo.1」

 確かに、杷の投げたストーンは厚くぶつかってくれたおかげでその場に残っている。だが、バックガードのないこの状態では――。

「ッ……」

 梅垣の長身から繰り出される強いテイクショットがセンターガードを飛ばして中にあった2つの赤いストーンごと弾き出す。

「トリプルテイクアウト!」

 無田の叫びに応援団の拍手が被さり、梅垣がほっとしたように手の甲で顎をぬぐった。

「強いチームに強いサードあり、ってやつだな。ドローを決めた直後のテイクショット。あの投げ分けは難しい」

 立ち尽くす杷の肩を忍部がたたき、連れ立ってハックに向かう。

「俺のせいで――」

「いや」

 忍部は面白がるように笑った。

「おかげで、間嶋の本気が見られるぞ」

 ぴたりと、無田のブラシが迷いなく右上のガードストーンの脇に立てられる。

「鶴見さん」

 壬生が、ハウスを梅垣に任せてシート脇までやってきた鶴見を見た。

「成功しますかね? 5mものロングレイズテイクショットです」

 ハウス内は全ての赤いストーンが消え、左右のガードストーンの後ろにほぼ隠れている2つの黄色いストーンのみ。

 間嶋が右上のガードストーンを飛ばして現在No.1となっている2時方向のストーンをテイクアウトするつもりだと読んだ壬生の問いかけだった。

「5m?」

 鶴見が聞き返した。

「8mだよ。もう1つも同時に狙ってくる」

「左側のコーナーガードの後ろに隠した8時方向のNo.2を?」

 まさか、と自分でそこへ投げ込んだストーンへと壬生の視線が吸い込まれるように動いた。同時に間嶋の右足がハックを蹴る。

「――」

 真っ直ぐに滑っていくストーンを、杷は固唾を飲んで追いかけた。

「ラインOK!」

 無田のコールだけが、静まり返ったシートに響いた。

 強めのショットで放たれたストーンはすぐに手前の赤いガードストーンに接触。自分は右サイドの外へと流れながら、それを黄色いNo.1ストーンめがけて送り出した。

「まずはひとつめ」

 鶴見の冷静な声。

 ストーン同士がぶつかり合う小気味のよい音がして、弾かれたNo.1ストーンがハウスを出ていった。ぶつかった衝撃で向きを変えた赤いガードストーンは、一気に減速しながら残るストーンへと這い寄るように迫っていく。

「もうひとつ……!」

 2つが接触した瞬間、前に出て待ち受けていた無田のブラシが押し出されたストーンの前を必死に掃いた。

「――ッ」

 ゆっくりと黄色いストーンが移動していく。

 やがて石全体が全てハウスの外へと出きった瞬間、鶴見が「お見事」とつぶやいてハックへと滑り出していった。

「ダブルテイクアウト成功!」

 無田が掲げた両手を、杷は忍部と一緒に片手ずつタッチ。それから、無田は遅れてやってきた間嶋と改めて右手を打ち合わせた。

「なんだよ」

 あれだけのショットを決めても平然としている間嶋に、杷は尻ぬぐいをしてもらったばつの悪さもあって口ごもるように言った。

「いや、うまいなと思って」

「そりゃうまいよ」

 以前に自分が言ったのと全く同じ台詞で返され、羞恥に頬が染まる。自分にはできないと言われたショットを目の前で堂々とこなされたことに対する複雑な気分を見透かされたようだった。

「ミスは引きずるなよ。相手のストーンにつけるフリーズはショットの中で一番難しい。ずっとガードストーン置いてばかりだったからな、当てただけでも十分だ」

「わかってる」

「本当に?」

 疑り深い間嶋に向かって、杷は乱暴に舌を突き出してやった。間嶋の眉が片方だけ上がったが、鶴見のデリバリーが始まったのでそちらに注意が逸れる。

(言われなくてもわかってるよ。俺はまだカーリングを始めて1か月も経ってない素人なんだから。あいつの方がうまくて当然)

 しかも、間嶋は自分のストーンをハウス内に残していた。鶴見はそのストーンを危なげなく弾き出してハウスの中を空にする。間嶋は2投目をセンターガードの後ろに隠すも、鶴見のラストストーンがガードごとそれを弾いて中にひとつもストーンを残さずにブランクエンド。

「3連続で後攻」

 心底から呆れたように宅が天を仰いだ。

「なのにここまで無得点。いや、逆だな。無得点だから後攻なんだ。考えてみるとカーリングってのは妙な競技だよな。0点よりも1点取る方がよくないんだから。点取りゲームじゃなくて後攻取りゲームだって言われるだけあるぜ」

「後攻が圧倒的有利なカーリングの基本戦術は、先攻では相手に1点を取らせ、後攻では2点以上を取る、だ。後攻で1点だけなのは失敗と言われる。下手に1点だけ取って次のエンドの後攻を相手に渡すくらいならハウス内にストーンが全くないブランクエンドの方がいい。両チームともに無得点の場合、先攻と後攻の順番はそのまま変わらずに持ち越されるからな。つまり、現状は俺たちに有利な展開だ」

 梅垣の理屈っぽい反論に宅はそういう問題じゃなくて、と手を振った。

「単純にかっこ悪い。応援団だってさっさと点取れやって思ってるぜ、絶対」

「うーん……」

 腕を組み、梅垣は困ったように首をひねった。

 第3エンドもまた、無田のセンターガードから始まった。1点を追う展開、鶴見は第2エンドまでと同様にガードの後ろへ回り込むカム・アラウンドを宅に要求。

 ラストストーンをハウスの中心へ投げ込むため、真ん中を空けておきたい後攻はコーナーガード。それを邪魔したい先攻はセンターガードを置くのが定石だ。これらを置くことによってハウスの中のストーンが弾き出しにくくなり、得点源となるストーンを多く溜めやすくなる。

(さすがに崩れないな……)

 焦って攻め気になってくれれば付け込む隙も生まれるのに。杷は息をつき、ハウスの状況を見つめた。

 互いにセカンドの1投目を終えた時点で、一番外の円のセンターラインにそって黄・赤・黄の順にストーンが積まれている。まるでだるま落としのようだ。

 ここから忍部がハウスの最も手前にある相手のストーンだけを器用に弾き出し、投げたストーンは2時方向、右サイドのぎりぎりハウスにかかる位置で止まった。次の壬生は無田が2投目に相手のストーンにつけようとしたが、長すぎてハウス手前の左サイドに流れてしまったストーンの後ろに回り込ませた。最もハウスの中心に近い黄色のストーンとほぼ平行になる場所だ。

(あ)

 ようやく、杷でもテイクアウトできそうな局面がまわってきた。

「――」

 そわついて間嶋の顔を盗み見ると、あちらもこっちを見ていて視線がかち合ってしまう。

「あっ、……いや、別にガードストーンでも文句ないけど」

 だが、間嶋はブラシの柄に両手を重ねて置き、杷に聞いた。

「インターンとアウトターン、どっちがいい」

「え?」

「ストーンに回転をかける向きだよ。時計回りのインターンがよければ1時方向のストーン、反時計回りのアウトターンがよければ10時方向のストーンだ。1時方向を狙う場合はその斜め上につけてる俺たちのストーンに当たる可能性があるし、10時方向だと上のガードを飛ばして狙うことになる。得意な方を選べよ」

「それってつまり」

「相手のストーンをテイクアウトだ。どっちを狙うにしても薄く当て、ぶつけた方のストーンをセンターガードの後ろに隠す」

 ハウスの向こうで、無田がブラシを振った。

「久世くんならこっちでしょ」と微笑み、10時方向の黄色いストーンを隠している赤いストーンをブラシで叩く。それから左手を腰の位置で横に開いてアウトターンを指示した。

 杷はぽかんと口を開け、興奮気味にたずねた。

「無田ってすごくない?」

「スキップなら当たり前」

 間嶋の返答はそっけない。

(当たり前? こんなに嬉しいのが?)

 杷は無田の構えるブラシを見据え、一直線にハックを蹴った。早めのウェイトで滑るストーンは杷から見てガードストーンのやや右側に接触。

「よし!」

 ハウス側から見ていた無田は、そのガードストーンが目標の黄色いストーンの右肩を掠められる角度で跳ぶのを見て頷いた。目測通り、ガードになっていた赤いストーンは黄色いストーンを弾いて外側へと追い出す。その軌跡がティーラインを越した瞬間、無田のブラシがストーンの前を猛然と掃いた。

(出るか?)

 ハウスを管理するスキップかバイススキップのみ、相手のストーンであってもティーラインを過ぎればスイーピングを行える。

 するすると滑っていったストーンが完全にハウスから出きった途端に、観客席から拍手が上がった。

「やったね久世くん、大会初テイクアウト!」

 無田が満面の笑みでかざした両手に、杷ははにかみながら自分の手を合わせた。

「赤い方のストーンはちょっと行きすぎちゃったけど」

 黄色いストーンを弾き出した後、それはセンターガードの真後ろを通り過ぎて1時方向にある相手のストーンの後ろ辺りまで届いていた。ちょうどティーラインに3分の2くらいかかる場所だ。

「面白い位置に止まったよね。センターガードの後ろよりもよかったかもしれないよ。ここなら相手は自分のストーンが邪魔になって出しづらいから」

「無田……」

 杷は優しい彼の励ましに深く感謝しつつ、しかし、無言の圧力を感じる方向をちらっと見た。

「ありがとう。でも、間嶋がなんか言いたそうな顔してる……」

「――」

 間嶋は何かを言いかけたが、そのまま口をつぐんだ。

 さすがに、喜んでいるところへ水を差すのはよくないという判断はできるらしい。実は、杷にもこの状況があまり望ましくないことはわかっていた。

 相手チームが投げている間、プレーをしていないチームはシートの脇に引かれたコーテシーラインに並んで待つ。

 予想通り、次の梅垣は杷がセンターガードの後ろに止めきれなかったストーンの前につけてきた。

(やっぱりそこに投げるよなあ……せめて、さっきの赤いストーンがティーラインより前に止まってくれればよかったんだけど。次、あのストーンの前かセンターガードの後ろにつけても、あれが強いNo.2として残る限り複数点を取られる危険性が高い)

 ちら、と杷はもう一度、間嶋を見た。

「なんだよ」

「いや、なんとかしてくれないかなって」

 サードが投げる時のスイーパーである間嶋フォースはすげなく言った。

「無理だな。いまNo.2になってる相手のストーンは触れない。2点取られないように祈っとけ」

「ですよね……」

 しかし、無田には違う考えがあるようで、彼はちょいちょいと杷を手招いた。

「触れないってことは逆に、それを使って後ろのストーンに飛ばすこともできないってことだよ。だからさ――」

 彼は杷の耳元にささやき、「どう?」とたずねる。

「わかった」

「あの黄色よりも内側にね。頼んだよ」

 杷は頷き、センターガードの後ろに回り込むよう指示する無田のブラシを的にしてハックを蹴った。

「7」

 声を張り上げる忍部に無田が叫ぶ。

「ウォー、まだ様子見て!」

 杷は膝をついたまま、氷上を進むストーンを見守った。ラインはよさそうだ。スイーパーとスキップが何度もやり取りを交わすうちに、それはガードストーンの影に入って見えなくなる。

 忍部と間嶋がスイーピングを止めた後、無田が両手で頭上に丸を作るのを見てようやく杷は胸を撫で下ろした。

「No.1はこの11時方向にある相手のストーンか」

 梅垣のブラシが、先ほど杷が投げたばかりの赤いストーンを示す。最も中心の円にストーンの下3分の1ほどがかかる位置だ。

「どうします? ガードを外しますか」

「でも、すぐに置き直してくるでしょ。あのフォース、ずっとミスがないんだよね」

 鶴見は顎をさすり、センターガードとの距離を目測する。

「ちょっと遠いな。センターガードを飛ばしてNo.1を狙うのはリスキーだ。だからといってこちらがガードを外しに行った場合に考えられる相手の対応策としては――」

 鶴見のブラシがセンターライン、外からふたつめの円に当たる5の位置に置かれた。

「おそらく、この辺にストーンを置かれてハウスの中心に至る道を塞がれる。俺はセンターガードが残るよりもこの形になるほうがいやだな。運任せで前にあるストーンから飛ばして、相手のストーンだけ出てくれるのに賭けるしかなくなる」

「つまり、このNo.1ストーンをレイズして後ろに押し出すしかないということですね」

 梅垣の提案に鶴見は鷹揚にうなずいた。

「そういうこと。センターガードを回り込む都合上、完全に弾き飛ばすようなテイクショットは無理でも強めのドローショットでこいつをちょっと押して、ティーラインより下げてやることはできる」

「わかりました」

 頷いた梅垣はハックへ向かい、デリバリーの姿勢に入った。

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