16.予選リーグⅠ(4)

「…………」

 ストーンが氷上を移動する間、鶴見は口元を手で覆い沈黙したままでいた。

 ルールでは、スキップ及びスキップが投げる時のバイススキップのみが相手チームの攻撃時にもハウスの中に入ることが許されている。彼は懸命にスイーパーへ指示する無田の後ろに立って、杷と忍部の運んだストーンがNo.1ストーンを僅かに弾き、それまでNo.2だった鶴見たちのストーンをほんの十数センチほど後ろに押しやるのを見届けた。

「すみません」

 スチールは防げないと悟った梅垣が頭を下げかけるのを、鶴見が制する。彼はブラシを使い、ストーン同士の角度を見ているようだった。

「出せそうですか?」

 壬生の問いにも即答しない。視点を変えて回り込み、何度か検討し直してから腕を組み合わせた。

「どうしてくると思う?」

「録画見ただろ」

 間嶋はハウスを見つめたまま告げた。

「鶴見のプレイスタイルは世界選手権で銀を取ったアマチュア時代から一貫して変わらない。無理はしてこないよ」

 やがて、結論を出した鶴見がブラシを氷上に当てながらハックのある場所まで一直線に滑走する。

 鶴見の投げ方には、やや右肘が浮くような癖がある。

 微かに氷を擦る音とともに放たれたショットは過不足なく進み、微調整のためのスイーピングが2、3度ほど繰り返された後にさきほど間嶋が置いたばかりのNo.1ストーンを僅かに押すような形で止まった。Gいわての応援団から歓声とも悲鳴ともつかないどよめきが上がる。

「…………」

 ハウスを守っていたバイススキップの梅垣が上から覗き込むようにストーンの位置を見比べる。No.1は変わらずこちらのストーンだが、No.2と鶴見の投げたそれが微妙な場所に止まっていた。

「こっち?」

「あ、はい!」

 無田が上ずった声で同意し、梅垣も頷いてストーンを片付ける。こちらに向けて無田の指が1本だけ立てられた。

「1点だけか」

 間嶋は不満げに呟き、忍部の横に行って何事かを相談している。不遜な態度にわなわなと肩を震わせたのは無田だ。

「あ……あいつの口を縫いつけて開けないようにしてやりたい……!」

 杷は彼を慰めるように背を叩き、できるだけ明るく尋ねた。

「第2エンドも作戦に変更はなし?」

「久世くん」

「またセンターガードからだよな。頑張ろう」

「――うん」

 軽く手を打ち合わせ、ハウスの端と端に分かれて滑り出す。

「1点だけか―……」

 ついぼやいてしまって、「おっと」と口元を手で隠した。杷まで間嶋のようなことを言い出したら無田が本気で切れてしまう。

(でも、2点欲しかったな)

 またどこかで取れるチャンスは来るだろうかと考えながら滑っていると、先にハウスで待っていた鶴見と目が合った。

 ぺこりとお辞儀をすると、気さくに声をかけられる。

「君たち、同じ学校なの?」

「いえ、同じなのは2人だけです」

「ふうん……仲がいいんだね。勝たせてあげようか?」

 慎重に幅を読み、ここでいいかとブラシを置いていた杷は一度、その言葉を聞き流してしまう。

「え?」

 数秒あって、ようやく意味を理解した杷が肩越しに彼を振り返った時にはもう、無田が滑り始めていた。

「3!」

「ッ――、ウォー!」

 忍部の声に慌てて前を向き、口の横に手を添える。

「ラインは大丈夫。間嶋、クリーン!」

 間嶋だけが軽くストーンの前を掃き、予定していたよりもハウスに近い位置で止まった。観客が多いのでホール内の温度が上がり、リンクに作られた氷滴ぺブルの表面が溶けやすくなっているのかもしれない。

「…………」

 鶴見にハウスをゆずり渡しながら様子を窺うも、彼は何事もなかったかのようにハウスの端にブラシを置いている。

 宅は、今度はきちんとティーラインより前にストーンを止めた。センターガードの真後ろ、中心から三つ目の円の縁にかかる位置。無田の2投目は逆に短く、自分のガードストーンに当たって軌道が変わってしまった。

 ハウスの一番外側――11時方向の位置で何とか止まる。このストーンを宅は2投目で弾き出し、ヒットアンドロールで1時方向にもっていった。

(聞き間違いかな)

 あるいは何かの冗談かもしれない。

(それか、適当なことを言ってこっちの動揺を誘ってる? そういう人には見えなかったけどな……)

 だが、エンドラインの後ろに下がって宅が投げるのを見ていた杷の視界に見覚えのある人物が飛び込んできた。

「あれ、Gいわてのコーチだよな?」

 両チームのリードが投げ終わり、杷は前を行く間嶋の背をつつく。シートの外に、選手と同じユニフォームを着た壮年の男が立っている。痩せ型の体型に細めの色眼鏡がお洒落な雰囲気だ。

「ああ、渡井わたらいっていう元カーリング選手だな。青森にあるカーリング施設の所長と兼任でコーチを引き受けてたはずだ。コーチが選手と接触できるのはタイムアウトの1回と第5エンド終了後のブレイクタイムだけだから、試合中は口出せなくて暇そうだよな」

「その人の後ろ、フェンスの外に立ってるスーツ着たおじさんが何人かいるだろ。そのうちのひとり、ストライプのネクタイの人。県のスポーツ協会会長な気がするんだけど……」

「スポーツ協会会長?」

 間嶋が怪訝な顔で聞き返した。

「なんでそんなやつの顔を知って――ああ、全日本ジュニア王者」

「県庁で賞状もらったことあるんだよ、岩手県のスポーツ振興に寄与したとかなんとかで。何話してるんだろ」

「知るか。そもそも試合中に気を逸らすなよ、さっきも無田が投げた時に反応遅れただろ」

「気づいてたんだ?」

「……お前」

 間嶋がずい、と身を寄せた。

「相手の選手に何か言われたんじゃないだろうな」

「な――にゃにかってなんだよ」

 空気を読まないかわりに、見えているものについては目ざとさを発揮する間嶋の追及に杷はうっかりと言葉を噛んだ。

「何言われた?」

「べつに、たいしたことじゃないって……あっ」

 しまった、と口元を抑える。

「……カーリング規則R4、デリバリーをしていないチームの競技者は、投球側のチームを妨害する、干渉する、気を散らせる、あるいは威嚇するような位置にいたり、そのような行為をしてはならない。次、やられたら声上げろ、いいな」

「お前、規則全部丸暗記してるの?」

 感心半分、呆れ半分で聞き返すと、間嶋はしれっと言った。

「お前はしてないのかよ」

「無理」

 言われなくとも、とにかく今は目の前の仕事をこなすことが先決なのは承知している。

(だいたい声上げろってどういう風にだよ。やめてください! ってか? 痴漢じゃあるまいしさ。おおげさなんだよ)

 杷は嘆息しつつ、次に投げる忍部のためにハックの前を軽く掃いた。

 現在、ハウスの中には相手の黄色いストーンが2つ。

 センターラインの真上、ちょうど5の位置にあるストーンがNo.1。それよりやや右上、一番外側の円にぎりぎりかかる1時方向にあるストーンがNo.2だ。

(フィギュアスケートなら――)

 たった4分間。

 ただ一人で立つ氷上に音楽が流れている間、全ての雑音はかき消える。

 対して、カーリングの試合時間は2時間半以上ある。味方との協力も、敵に対する対処も、観客の声援も、全ての要素が影響し合って出来上がっていく流れをコントロールするのが2人のスキップだ。

「ウォー、ウォー! 久世くん、曲がり始めるまで待って!」

 ハウス内にある相手のストーンを2つまとめてテイクアウトするよりも、センターにあるストーンの前につけることを無田は選択した。

(無田はいいスキップだよな)

 カーリングに関する知識や情報量は豊富で、定石セオリーを熟知した指示は安定感がある。

「このまま上に積んでくつもりか?」

 忍部が危なげなくつけたストーンを指して、間嶋が言った。

「そうだよ」

「そうすると、壬生セカンドの2投目で一気に形を崩されるぞ。テイクアウトの得意なパワーのある選手だから中を綺麗にされる可能性が高い。ブランクになってもいいなら構わないが、スチールするなら早めの対策がいる」

「じゃあもう1回ガードストーン? 守りにいくには早すぎないかな。そうしたら相手はどう出る?」

「俺なら――」

 忍部の投げたストーンの前へ壬生の投げたストーンが滑り込むのを見ながら、間嶋が答えた。

「1時方向にあるストーンの前にコーナーガードを置く。この石を使われて、今投げたばかりのNo.3をダブルテイクされたくないからな」

「じゃあ、先にそれをやるので決まりだ。投げたストーンがうまくハウスに残れば1点取らせる場合でもやりやすくなる」

「了解」

 そして、対案を検討して受け入れる素直さもある。

 もう1人のスキップである鶴見は、2つのストーンを弾き出した後でぎりぎりハウスにかかる外側へと逃げていった忍部のストーンの後ろへ回り込むように指示を出した。ハウスの中には忍部がテイクアウトした際にやや下方へと押し出されたNo.2の赤いストーンがセンターライン上、12時の位置に。No.1の黄色いストーンがそれよりもティーライン寄り、2時の位置に移動している。

「どうしたんだ、鶴見選手が気になる?」

 忍部に顔を覗き込まれ、杷ははっと我に返った。

「え? ああ……無田が憧れてる選手なだけあって、プレイスタイルが似てるなと思って。基本に忠実で隙がない感じですよね。がつがつしてこないっていうか。もちろん、ベテランだからっていうのもあるんだろうけど」

「年齢は確かにあるだろうね。俺、ハンドボールやってるって言っただろう? 合宿の時とか、たまに社会人のチームに揉んでもらうことがあるんだが、やっぱり学生とは全然違うよ。ひとつひとつのプレイが丁寧だし、動きに余裕がある」

「その時の感じに似てませんか?」

 杷の言葉に忍部が表情を消す。

 つまり、と声がひそめられた。

「手加減されてるってことか?」

「間嶋と無田には内緒にしておいてほしいんですけど……」

 さきほど鶴見に言われたことを忍部に伝えると、彼はおやおやと言わんばかりに苦笑した。

「完全に子ども扱いされてるな」

「本気なんでしょうか」

「まあ、企業チームの選手からしたら公式戦じゃない地元のオープン大会なんて本気を出すようなものじゃないのかもしれないけどね。しかし、勝ってる時ならいざ知らず、負けてる時に言うってのはすごいな」

 忍部は感心したように言って、こそっと杷に提案した。

「それ、無田と間嶋に言っちゃえば?」

「えっ……」

 思わず、杷はハウスで相談している2人の方を見てしまった。顔を上げた無田と目が合いそうになり、慌てて顔を背ける。

「いやです」

「どうして?」

 忍部は杷の肩に腕を回し、悪だくみするような口ぶりでささやいた。

「発破かけてやればいいんだよ。憧れだの舐めてるだの余計なこと考えてるやつらにさ、集中させるにはちょうどいい薬だと思うよ俺は」

「じゃあ、忍部さんが言ってください」

「バイススキップは君だろ?」

「忍部さん、年長者じゃないですか」

 言い争っているうちに、無田のブラシが見覚えのある位置に立てられる。今日、もう2回も投げた場所だ。

「またガードストーン……」

「文句あるのか?」

 スイーパーの位置についた間嶋が視線を寄越した。

「ないです」

 杷の慇懃な返事も意に介さず、間嶋は「3半」と告げた。

「いつもよりハウスに近い位置な。後ろに回り込まれた場合、それを使って弾き出せるようにしておく。あとは、距離が近い方が回り込まれにくいって理由もあるな。たぶん、次でハウスの右上に残ってるやつとまとめて外に出されるだろうから、そしたらもう1回同じ場所に投げろよ」

 だんだん分かってきたぞ、と杷はハックを蹴る脚に力を込める。

(サードって……)

 慎重にウェイトを計りながら、そっとストーンを送り出す。すぐさま、間嶋と忍部が左右についた。

 リードとセカンドは一般的にフロントエンドと呼称される。サードは彼らと最後に投げるスキップとの繋ぎを果たす役だ。

(それって、ものすごく中間管理職っぽくないかな)

 しかも、このチームはスキップとフォースが別だからさらに複雑である。とんでもない役目だが、それがいやでもない。

「何だってやってやるよ。取り合えず、もう1回ガードストーン……」

 シートの外を回って空いたハックに戻ろうとした杷は、けれど梅垣サードの投げたストーンがガードを壊すためのテイクショットではないことを知って言葉を切った。

「ドローショット!?」

 予想外のショットに息を呑む無田の目の前で、宅と壬生の激しいスイーピングによって前をかわしたストーンはティーラインをやや越えた7時の方向、中心から2つ目の円の縁にかかる位置に停止した。

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