第3話

 シィグは「は?」という口の形をしたまま固まった。そんなシィグに構うことなく、ウォルファ王国の王子だというアージルは干し肉を行儀よく噛み千切ってはモグモグと食べている。


「……念のため確認するけど、本当にウォルファ王国の王子なのか?」

「うん。この指輪の模様、これが王族の証だよ」


 宝石でキラキラ眩しい指輪の側面には模様が彫られている。何を意味しているのか兎族のシィグにはわからないが、きっと狼族には一目でわかる模様なのだろう。


「いやいやちょっと待て、おかしいだろ。なんで王子様がこんな森のど真ん中で行き倒れてるんだよ?」

「家出して、そうしたら道に迷ったからかな」


 そういえば、さっきもそんなことを話していた。


(まさか……いや、こういうぽやっとした王子様ならあり得るか)


 旅人らしからぬ格好も森に迷い込んで行き倒れるような迂闊さも、世間知らずな王子ならやりそうなことだ。シィグは自分のことを棚に上げながら「なんて王子だ」と呆れ返った。


「そもそも、どうして王子が家出なんかするんだよ。もしかして、ウォルファ王国で何か起きてるのか?」


 もし内乱だとかが起きているなら願ったり叶ったりだ。本当に王子だというなら目の前の男を捕まえ、どさくさに紛れて王国を乗っ取ることができるかもしれない。そんなことを考えながら行儀良く干し肉を噛んでいるアージルを見る。


「国自体は平和そのものだよ。でも、僕にはそれが窮屈だったんだ。『この平和は白狼であるおまえのおかげだ。より一層大切にせねばならない』なんて言って、ますます外に出してもらえなくなった。毎日部屋の中なんて、そんな息苦しい生活もううんざりだったんだ」


 アージルの話に、シィグは胸がきゅうっと締めつけられるような気がした。状況はちょっと違うようだが、閉じ込められていたのが本当なら同じ経験をしてきたことになる。逃げたいのに逃れられない毎日に、どれだけの窮屈さを感じてきたか思い出すだけで胸が苦しくなった。


「おまえも大変だったんだな」

「おまえもって、もしかしてきみも閉じ込められてたの?」

「状況は違うけど、俺も部屋から出るなって言われてきた。この先死ぬまでこんな生活なのかと思ったら冗談じゃないって思った。それで出てきた」

「じゃあ、僕と同じ家出なんだ」

「家出とはちょっと違うけど、ま、似たようなもんだな」

「そっかぁ。きみ、兎族なのに勇敢だね」

「は? 何で俺が兎族だって思うんだよ」

「だって、小柄な体をしてるから兎族かなと思って。それに、この森はラビッター王国と繋がってるし」


 言われてみればそのとおりだ。一瞬逃げるか迷ったものの、結局シィグはそうしなかった。アージルが狼族らしくない雰囲気だったのと、本当に王子なら役に立つかもしれないという打算があったからだ。


「なぁ、何でアージルは部屋から出られなかったんだ? その、狼族にもよくない言い伝えがあるのか?」


 興味本位が半分と、同じ環境で育ったんだという親近感がシィグの口を滑らかにする。質問に「うん、言い伝えのためだよ」とアージルが頷いた。


「僕みたいな真っ白な狼は、ウォルファ王国では幸運の狼って呼ばれてるんだ。白狼がいる限りウォルファ王国は繁栄する。そんな言い伝えのせいで、僕はずっと部屋から出してもらえなかった。外に出たら危ないだとか、万が一命を落とすようなことがあったら大変だとか言われてね」


 そう言って食べかけの干し肉を持つ手を膝に置いたアージルが、ぼんやりと空を見上げた。


「とても大切に育ててもらってるんだと思う。でも、それが僕には窮屈で仕方がなかった。ほかの狼族から見たら贅沢な悩みなんだろうけど、僕は外を走り回りたかったし、こうして空の下で誰かと話したりもしてみたかったんだ」


 シィグは「大切にされすぎるのも大変なんだな」と思った。不幸の象徴だと遠ざけられるのも大概だが、過保護にされ過ぎるのもいただけない。正反対の理由ながら同じような環境に置かれていたことに、シィグはますます仲間意識のようなものを感じていた。


「その気持ち、わかるよ。俺も窮屈で嫌だったからな。ま、俺の場合は何度も城から抜け出したりしてたけど」

「え? 城って、きみも王子ってこと?」


 淡い飴色の目がパチパチと瞬きしている。うっかり口が滑ったが、アージルになら身分を明かしてもいいかと思い頷いた。目深に被っていたフードを取り、長い立ち耳を顕わにしてからアージルを見る。


「俺はシィグ。ラビッター王国の第五王子だ。ついでに黒兎って呼ばれてる」


 シィグの自己紹介にアージルの白い耳がピクピクッと動いた。飴色の目は瞬きをやめてジーッとシィグを見つめている。


「兎族の王子」

「王子っていっても不幸の象徴ってことで、王子らしいことは何一つしてないけどな」


 王宮に閉じ込められ、親兄弟以外とまともに顔を合わせることもない。兄たちや弟たちのように国のために役割を与えられることもなく、ただ隠れるように生きてきた。家族以外でシィグのことを知っているのは、部屋付きの使用人と捜索隊を兼ねた見張りの兵士たちくらいだ。


「でも、シィグはすごいよ」

「すごい?」

「うん。だって、王子なのに城から何度も抜け出してるなんてすごい。僕も王子だけど、今回初めて家出に成功したんだ。それに外に出る準備もちゃんとできてる。僕はただ外に出ることに必死で、その後のことは何も考えてなかった。シィグはすごいよ」

「そうか?」

「うん、すごい。尊敬する」


 キラキラした飴色の目がジーッとシィグを見つめた。あまりに熱心な眼差しにシィグの顔が段々熱くなっていく。ボンボンのような黒い尻尾も外套の中でソワソワと小さく揺れていた。


「ねぇシィグ、僕もついて行っていいかな」

「は?」

「同じ閉じ込められてた者同士、僕はシィグを尊敬してる。だからシィグについて行きたい」

「ついて行くって、俺は兎族だぞ? 狼族のおまえが兎族について行くなんて、あり得ないだろ」

「ほかの狼族はそうかもしれないけど、僕たちは似たような境遇で育ってきた仲間だ。ほかの狼族に僕の気持ちは理解できない。でも、きみならわかってくれる。僕もきみの気持ちが理解できる。僕はそんなきみと一緒にいたいんだ」


 シィグは考えた。狼族と行動を共にする兎族なんて聞いたことがない。そもそも狼族は兎族を狩る立場で、一度狼族の手に落ちた兎族は二度と国に帰ることができないと言われている。


(とくに王族や貴族は危ないって聞いてたけど……)


 アージルを見る。飴色の目は騙してどうにかしようというふうには見えない。それに見慣れた真っ白な姿だからか、やっぱり怖いとも思わなかった。


(まぁ、いいか)


 もし危ないと感じたら自慢の足で逃げればいい。どこか抜けているアージルからなら簡単に逃げ出せるだろう。


「わかった。じゃあ、一緒に行動しよう」

「ありがとう!」

「……っと、おい、抱きつくなって!」

「シィグ、これからよろしくね」

「だから、離せってば」


 急に抱きついてきたアージルに、シィグは「早まったかな」と少しだけ後悔した。それでもこんなふうに抱きつかれるのは悪くない。親からも抱きしめられたことがなかったシィグは、照れくささのあまり「だから抱きつくなって」ともう一度注意した。


(ま、旅は道連れっていうしな)


 初めて親しくなれそうな存在に、シィグは少しだけ浮かれていた。

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