第4話

 こうして兎族の黒兎シィグと狼族の白狼アージルは一緒に旅をすることになった。問題は行き先だ。


(まさか、王様になるために狼族をどうこうしようとしてたなんて言えないしな)


 城を出たときは、ウォルファ王国に侵入して身分の高い狼族を捕まえようと考えていた。狼族の貴族や王族は兎族を狩ることが大好きだから、自分を囮にすれば罠に掛けられると思ったのだ。

 あらかじめ森に罠を仕掛けておき、そこにおびき出す。そうして捕まえた狼族を手土産にラビッター王国に帰って玉座を要求すればいい。使えそうな狼族なら、その後人質としてウォルファ王国に何かしらを要求するのもいいだろう。

 そんなぼんやりした計画を立てていたのだが、いざ狼族の王子と行動を共にすることになると勝手が違ってくる。


(手っ取り早くアージルを……と考えないわけじゃないけど)


 どうも気が進まない。優しく気のいいアージルにひどいことはしたくない。懐いてくれている相手を騙すようなこともしたくなかった。いまだって火興しに感激して抱きつくような状態で、思わず「子どもみたいだな」と苦笑しそうになる。


「こら、すぐに抱きつくのやめろって」

「あぁ、ごめん。嬉しくて、つい」


 ニコニコしながらアージルが離れた。「体はでかいのに中身は子どもみたいだな」なんてことを思いながら、アージルが初めて火興しした火種に小枝をくべていく。


「火がついたくらいで喜んでたら旅なんてできないぞ」

「そうなんだろうけど、初めてやったのに成功したのが嬉しくて」


 真っ白な尻尾をパタパタさせながら嬉しそうに火を見ているアージルは、まるきり子どもそのものだ。聞けば年は十八歳とシィグより三歳若い。逆に体はアージルのほうがずっと大きく、シィグのほうが子どもに見える。それでも年下のお坊ちゃん王子だとわかったからか、シィグの心はすっかり兄のような気分になっていた。


(それにしても、感情表現が大袈裟だよな)


 いまみたいに嬉しいときは抱きつくし、驚いたときも抱きついてくる。シィグがすることすべてに感動するようで、一日に何回抱きつくんだよという状態だった。いまだって離せと言わなければ延々と覆い被さるように抱きついていたに違いない。


(正直、最初はちょっと怖かったけどな)


 自分よりずっと大きな体のアージルに抱きつかれるのは怖かった。ひた隠しにしていたが、兎族にとって大きな狼族はやはり怖い存在なのだ。だから兎族は昔から集団で狼族に立ち向かってきた。

 ところが毎日頻繁に抱きつかれているからか、気がつけば不思議と怖さが消えていた。いまではぴたりと背中にくっつくアージルを気にすることなく、ぐっすり眠ることもできる。


(ま、外に出たのは初めてだって言うし、そういう意味では子どもと同じようなもんだと思えばいいか)


 シィグには弟が五人いる。一番下は四歳になったばかりで、ちょうどやんちゃ盛りだ。遠くからしか見たことはないが、いまのアージルは四歳の弟のように好奇心旺盛なのだと思えば納得もできる。


「ところでシィグ、これからどこに行くの? 行き先は決まった?」


 尋ねられて言葉に詰まった。ウォルファ王国に行くことしか考えていなかったため、まだ何も思いついていない。


「そうだな。とりあえず、もうしばらく森にいようかと思ってる。ウォルファ王国に近いここなら俺を探してる捜索隊にも見つからないだろうし、あいつらが諦めるのを待つ」

「そっか」


 飴色の目がじっとシィグを見ている。「何だ?」と見つめ返すとニコッと微笑まれた。真っ白な尻尾がゆらゆら揺れているということは機嫌がいいということなんだろうが、何が嬉しいのかよくわからない。


(まぁ、機嫌がいいほうが俺としても都合がいいけど)


 これなら狩られる心配もないだろうし、何かあったら逃げることもできそうだ。何ならラビッター王国まで連れて行けそうな雰囲気さえしている。アージルは方向があまりわかっていないようだから、直前まで知られることなく誘導することもできるだろう。


(……いや、それは最後の手段だ)


 ラビッター王国に連れて行けば、アージルは間違いなく軟禁生活を送ることになる。これまでずっと閉じ込められてきたアージルにまた同じ生活を強いるのは、同じ経験をしてきたシィグにとってやりたくない内容だった。


「ねぇシィグ、次は料理を教えてほしいんだけど」

「料理?」

「うん。いつもシィグに作ってもらってるけど、僕が作った料理も食べてほしいなと思って」

「いいけど……。でも王子様が料理なんてできるのか?」

「それを言ったらシィグも王子様だよ?」

「それもそうか」


(俺のは逃亡してからの生活を考えて身に着けた野営料理ばっかりだけど)


 教えるほどの内容でもないが、二人でする料理は楽しそうだ。そう思ったシィグは、干し肉を使ったスープから教えることにした。感激したアージルがぎゅうぎゅうに抱きついたのは言うまでもない。


 こうして二人での旅、もとい野営生活は、気がつけば二十日が過ぎていた。兎族と狼族ということもすっかり気にならなくなり、二人は昔からの友人のように仲良く過ごしている。

 そのことに心地よさを感じ始めていたある日、アージルが突然おかしなことを言い出した。


「シィグって伴侶はいるの?」


 柔らかい草の上に寝床を整えていたシィグは、思わず「はぁ?」と呆れた声を出しながら振り返った。


「なんだよ、急に」

「二十一歳ならいてもおかしくないかなぁと思って」

「そんなのいるはずないだろ。言っただろ? 黒兎の俺は不吉なんだって。そんな俺に伴侶なんか与えられるはずがない」

「そっかぁ。シィグ、こんなにかっこいいのにもったいないね」

「それを言うなら、おまえこそどうなんだよ。狼族の王様に王子はおまえ一人しかいないんだよな? それなら後継ぎとか必要なんじゃないのか?」

「僕もいないよ。白狼は国のための幸運だから、誰か一人の狼族にその幸運を分け与えるのは御法度なんだ。ほら、伴侶がいるとソウイウコトするでしょ? 僕の体から出るものは全部幸運だから駄目なんだって」


 さすがのシィグも言葉を失った。大事に育てられたと本人は言っているが、伴侶が駄目な理由を聞くと大事にされていたのとは違う気がしてくる。


(そんなの、俺とまるで同じじゃないか)


 シィグは無性に悲しくなった。王子としては少々頼りないアージルだが、優しくて明るい性格は大勢に好かれていたに違いない。それなのに本人に自由はまったくなく、誰かを好きになることすらできないなんて悲しすぎる。

 遠ざけられていた自分ならまだしも、好かれていたであろうアージルの境遇は悲しすぎると思わず俯いてしまった。


「シィグ、僕のことは気にしないで」


 いつもどおりの優しい声がする。気遣ってくれる言葉に「こんなにいい奴なのになぁ」と、ますます胸が痛くなった。

 こういうときは話題を変えたほうがいい。そう思ってシィグが頭を上げたときだった。


(え?)


 背後から突然抱きしめられて驚いた。もしかして慰めようとしているのかとも思ったが、それにしてはやけに力が強い。それに慰められるべきはアージルのほうで自分じゃない。


「おい、アージル」

「ねぇ、シィグ。あのさ……もしもなんだけど、僕と一緒にウォルファ王国に行こうって言ったら、どうする?」


 囁くような質問にシィグはぴしりと体を固まらせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る