16
顎の力の凄まじさ故かドラゴンの牙は一気に砕け散った。
私はそのままボロボロのあぎとに挟まれる。
歯が砕けるなんて相当痛いだろう衝撃にさすがのドラゴンもパニックを起こしたらしく私を咥えたままめちゃくちゃに羽ばたいて飛び回る。地面にいたらのたうち回るって表現していただろう。
「きゃあああっケイト様! かっ噛まれ……っ」
今にも失神しそうな顔色のシャーロット達に、そう言えばチートを言っていなかったと思い出した。
「大丈夫っこう見えて私体を鋼鉄にできるのよ! こいつの牙なんて屁でもないのっ。痛くも痒くもないから心配しないでっ!」
「そ、そうなんですか。ああ良かった、びっくりしましたよおお~っ」
涙目で胸を撫で下ろしたシャーロットの横ではアレックスとベンジャミンもとりあえず安堵の息を吐き出した。
「良かったよ……心臓止まって死ぬかと思った。待っていろ今僕が行く!」
「この世が終わったかと……だが凄いな驚きの能力だ。ケイト、俺が行くまでもうそいつを刺激するなよ、落とされかねない!」
他方、赤毛男はまだどこか呆然とした面持ちで私を見つめている。
ドラゴンはドラゴンで、湖畔から湖の真ん中辺りの上空へと意図せずも移動していき、私はどこまで連れて行かれるのか少し不安になった。森の上空ならまだしも水上を飛ばれたのはちょっと予想外。湖畔の三人も明らかに懸念を浮かべている。
「おいこらいい加減放しなさいよ!」
無論、鋼鉄体はまだ解けないからそのままもがいた。
しかしはたと気付く。この体のままだと落ちたらどうあっても沈む。浅瀬ならどうにかできるかもしれないけど、深い所はヤバいわ。
「あっやっぱちょっと待って放さないでッ!」
私はピタリと動きを止めたけど、遅かった。
暴れられて痛かったのか、パカッとペリカンがそうするようにドラゴンが口を大きく開けた。
嘘……。
ふっと一瞬浮いたような無重力感からの、自由落下。
迫る水面。
鋼鉄体なら水面から高くても死なないけど、その後が問題だ。
チートを解かなきゃストーンと深いだろう湖底に沈むのは自明の理だ。なら水面をやり過ごしてから解けばいいって?
だがしかし、そこには更なる大問題が横たわっている。
「私は泳げないのよおおおーーーーっ!」
「「「ケイト(様)ーーーーッ!!」」」
ドボーーーーン、と白い水柱と水音を立てて私は真っ直ぐ湖へと落ちたのだった。チャンチャン…………じゃないからあああああ!?
誰かっ、ヘルプミーッ!!
遠ざかる水面。ゴボゴボゴボと肺から空気が抜けていく。自分の間抜けさが恨めしい。アイテムを何かって思ったけど、水中で呼吸できる物があったかどうか咄嗟には思い出せなかった。泳げないのにその手の物を揃えておかなかった迂闊な自分にデコピンね。こんな風にして死ぬなんて最悪よお!
皆もここまではさすがに助けには来られないだろう。
私が死んでも世界には影響はないだろうけど、邪魔者が消えてあの赤毛が色々と動きやすくなるのは必至だ。
嫌だ、このまま死にたくないっ。でも鋼鉄体を解いたのに多量の水に埋没した事への恐怖が手足を鉛のように重くする。動けない。もがけない。何より、息が続かない。
チクショー! 折角チートな魔法収納でいっぱいアイテム集めたのにーっ。
――ん? チート魔法収納?
東京ドーム百杯分はアイテムが入るんだっけ。
これだあああああーっ!
私は魔法収納のキャパ最大までを開放した。
けど、思惑が果たして成功か失敗か、どうなったのかを見届けられないうちに最後の空気が肺から出て行ってしまったのだった。
その寸前、誰かに手を掴まれたような気もしたけど、ハッキリとはわからない。
空気に剥き出した湖底の水草からピチョン、ピチョン、と水滴が落ちている。
アレックスの黒髪からも、ベンジャミンの銀髪からも、シャーロットのピンク髪からも、そして、赤毛の男のそれからも。
四人は四人共に湖に飛び込んでケイトリンを助けようとしていた。
そんな四人は四人共に湖底に立ったり座り込んだりして呆然と周囲を見回した。
何故なら、何が起こったのか、湖からは水が一切消えてしまっていたからだ。
ほんの数秒にも満たない間に、彼らが泳いでいた間に、消えてしまったのだ。
幸い四人共に湖底に激突して大怪我をしたりはしなかった。真ん中付近まではまだ遠く、水深がそれ程ではなかったのと、真ん中ら辺にいたとしても落下に対処できる力があったからだ。
「お水が……」
シャーロットの戸惑いはその場の誰もの代弁でもある。
だが、それだけではない者もいた。
「息を、してない……」
赤毛の男の呟きは奇妙な静けさと浸透力を以てして他三人の耳に届いた。彼らは同時にはっと赤毛の男の方へと目を向ける。
男の腕の中にはぐったりとして動かないケイトリンがいた。
彼は水中に飛び込んで彼女を掴んだのだ。引き寄せたところで水が無くなり湖底に魔法剣で降りて放心気味にしていたのだが、ケイトリンが呼吸していない事にふと気付いたのだ。
湖畔まで急ぎ彼女を運び芝生に寝かせる。
「ケイト様! 嫌ですケイト様! 起きて下さいよおっ!」
位置的に逸早く駆け付けたシャーロットが傍に膝を突いて涙ながらに訴え揺さぶる。しかしケイトリンは何も反応しない。されるがまま関節に悪そうに揺れるだけだ。
「お嬢さん、やめとけ」
赤毛男に注意され震えるその手をゆっくりと引っ込めるようにして離した。項垂れる。
アレックスとベンジャミンもほとんど同時に岸に戻りケイトリンの傍に寄ると彼女を見下ろして蒼白になった。
「何で、こんな事に……! 僕に高位治癒魔法が使えたなら良かったのに。いや、護衛を全て置いてきた僕が愚かだった。治癒魔法使いだけでも連れてきていれば……っ。お願いだケイト死なないでくれ!」
絶望に手で顔を覆うアレックスの向かいではベンジャミンが拳で何度も地面を殴った。
「俺は何て無力なんだ! 商才や戦いの腕だけを鍛えたところで、肝心な時に大事な仲間に何もできないとは……っ。ケイト、どうか頼む、俺をもう一度その何よりも澄んだ瞳に映してくれ!」
俯いていたシャーロットが天に祈るように両手の指を組む。
「ううぅ、ううっ、ケイト様っ、ひっく、起きて下さい、起きて下さいいい~、起きて下さいよおおおっっ、ああ、あああ、神様、私に救う力があったなら、あったならっ、ケイト様を救えるのにっ、大事な人を救える力が欲しいです。――欲しいっですーーーーっっ!!」
刹那、世にも神々しく清純な白い光が炸裂した。
「え? こ、これは!? 何でしょう? 私はどうしてしまったのでしょう? 手も足も光ってますけど!?」
シャーロットは困惑して白く輝く自らを見下ろす。
「まさか、その光は聖なる魔力か!? ――聖女が使うとされる癒しの力では?」
アレックスの言葉にベンジャミンも同意する。
「俺も聞いた事があるな。聖女は白き魔法の光を操ると。高位治癒魔法よりも更に高みの力で如何なる瀕死の者をも回復に導くと」
「なっなら、私はケイト様をお助けできるのですか?」
希望に目を輝かせたシャーロットへと、アレックスとベンジャミンがおそらくと頷いた。
「なら私、ケイト様をお助けしま――――なっ!?」
白い光が消えないうちにと急いでケイトリンに治癒魔法を施そうとした彼女は、目を疑う光景に言葉を失った。
アレックスとベンジャミンもだ。
――ふーっ! ふーっ! ふーっ!
彼らの目の前では、赤毛の男がケイトリンに何度と口付けて息を吹き込んでいる。唖然となる三人の前で顔を離すと今度は彼女の胸の中央を何度か強く押す。そうしてまた彼女に口付けて息を吹き込むという動作を繰り返した。
変化がないかと男が一度ケイトリンの様子を確認したところだった。ベンジャミンがいきなり彼の胸倉を掴んだ。
「貴様、何をしていた!? よくも、彼女をこんな形で辱めるとは……!」
ベンジャミンの凄みにも男は一切動じず、視線はすぐにケイトリンへと向けられる。その顔付きには下卑た色や揶揄は全くなく一刻を争う状況に対する真剣そのものだ。男は不愉快そうに眉をひそめた。
「人工呼吸を知らないのか?」
「何?」
「はー、ならいい。さっさと放してくれ、手遅れになる前にな」
「貴様っ、まだ何かするつも――」
――かはっ、とケイトリンが水を吐き出した。
皆がハッとなる。
続けてもっと水を吐き、激しく咳込む。仰向けから自力で横向きになって丸まって苦しそうに何度もむせているのを見て、男はベンジャミンの手を鬱陶しそうに払いのけると彼女の背中を摩ってやり始める。
ケイトリンを案じているのか、男の手は決して乱暴でもいやらしくもなく、むしろ何故か邪魔をできない空気が二人の周りにはあって、アレックスもベンジャミンも、シャーロットでさえ、気付けば固唾を呑むようにして見守ってしまっていた。
「……っ」
二人より先に我に返ったアレックスは一人拳を握り締める。彼は先の男の行動が理解できていた。
ベンジャミンはまだ知らなかったようだが、人工呼吸と呼ばれるそれが時に溺れた者への救命に有効なのを。王家に伝わる秘技にも似た処置なので庶民やほとんどの貴族は知らないのだ。
治癒魔法があるせいで普及していないのか、現在の上流階級の常識では破廉恥とか不埒だとか言われかねない方法なのでアレックスは躊躇ったのだ。ケイトリンの名誉にも関わるからだ。
「僕に意気地がなかったばかりに……!」
他の男にされてしまった。
万一醜聞になろうとも責任を取れば良かったのだし、それならば喜んで取る。或いは、純粋な人命救助だと雑念を捨てるべきだった。
できるなら自分が助けたかったとアレックスは猛烈に後悔していた。
理由は知らないが邪険にしていた男でさえ、我が身を挺して助けてしまう純然たるお人好し。彼女は彼女自身をそんな風には評価していないが、その無自覚さのせいで負うだろう傷を包み込んで癒してやりたいと強く思った。
ケイトリンは彼が生涯をかけて慈しみ傍に居たい女性になっていた。
一方、ベンジャミンは「人工呼吸か……」と的確にその効果を理解すると、何かを思案するようにした。皆にこの救命の手法を浸透させれば水の事故で命を落とす者は必ず減るだろうからだ。彼は彼の商会の抱える船団の団員達に徹底させようと頭の片隅で考えてもいた。
同時に、助けるためとは言え意中のレディと自分ではない男の唇と唇が触れているのを間近で見ているしかなかったのは、やはり心穏やかではいられない。
ケイトリンは堂々とドラゴンとも渡り合うくせに、理由は知らないが密かに時々不安そうな頼りない顔をする。妙に自信のなさを垣間見せるのを知っている。そんな風にしないでくれと隣で背中を支えてやりたい気持ちに何度なったか。
本当は繊細な彼女を誰にも渡したくない、触れさせたくない、と彼は強く強く思った。
そんな彼らの独自に発展した感情は、この世界に小さな、しかし確かなヒビを入れるには十分だった。
唯一、天の声だけはヒビが入る微かな音を聞いたかもしれない。
「ケイト様……まだ苦しそう」
シャーロットはハラハラとしながら見つめていたが、必要以上にはケイトリンと赤毛男に近付けないようだった。
三人は、ゲームのメインキャラクターとして超えてはならない見えない一線がそこにあるかのようにその場から動かなかった。
傍目にも幾分呼吸が楽になった頃、ケイトリンはようやくしっかりとした意識を取り戻したようで、ほとほと疲れた涙目で赤毛男を見るや、何と――がばっと両腕で思い切り抱き付いた。
「すっ……好きよーーーーっ!」
三人のメインキャラ達は愕然として大きく目を見開いて暫し固まった。
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