第7話 生涯の敵は明日の協力者
ああ、どうしてこんな事に……。
私が一体何をしたってんだよ。とりわけ何もしてないからこそ疑問しか湧かない。
覚醒してすんごく苦しい中で世界からの二度目の警告が起こるなんてな。
警告中はスローモーションの極みってやつで時間が麻痺したようなもんだから大して苦しくないけど、世界が壊れる何かが現在進行形で起きているらしかった。
今回は天の声は何も語りかけてこない。もうこっちで勝手にやれって? 何で警告受けたんだかわからないってのに不親切だなー。
全てが止まり、私と敵の男だけは動ける奇妙な世界の中、私は感情もわかりやすくそいつを睨みつける。
「なあおい赤毛、今何が起きてるのかわかるか?」
「何がって、さあなあ。俺にもそこがさっぱりだよ。あんたに人工呼吸しただけなんだがなあ?」
「人工呼吸? ああ溺れたもんな。私を掴んだ誰かがいたなって最後に感じたけど、何だお前かよ。まあサンキューな。ぶっちゃけあー嫌だマジで死ぬかもって半分泣いた」
「危機感ないなあ」
私の言い方が軽かったのか男は片眉をくいっと上げて薄い呆れみたいなものを滲ませる。カチンとこなかったは小馬鹿にした感じじゃあなかったせいだ。
「んー、こんな世界崩壊とかそこに全人類の生死が懸かってるとか、馬鹿げたあり得ない現象に巻き込まれてると、そこんとこの感覚も鈍るっつーか何つーか」
「ああなるほど」
「けど死にたくないってのは本当だぞ」
「へえ、そうか」
「人工呼吸までして助けてくれてホントありがとな!」
「……ああ、いや」
わざわざ水中にまで飛び込んで私を助けてくれた理由はわからないけど、こいつの献身のおかげで息を吹き返したのは事実なようだし素直に感謝だ。
男がどこか気を取り直すようにふーと息を吐く。
「しっかし何だつまらないなあ、普通ならえっ人工呼吸!? どうしよう恥ずかしくて気まずいわドキドキってならないか?」
私は盛大に顔を歪めてやった。感謝の念も半減だ。それだけで向こうも立つ瀬のない失言なのを悟ったらしい。一瞬無のスマイルになった。
「ところで、お前が私を助けたから警告が出たとか?」
「それは違うだろ。もしも警告が出るとするなら、あんたが本来の死ぬタイミングで助けた場合だろうな」
「そっか。じゃあどうして警告が?」
ちらと男は止まっている三人を見やった。
そして何かを合点したのかにやーりと口元を緩める。
「何か気付いたのか?」
「まあな。うんうん、少しわかる気がするなあ」
「おい、自分だけわかったからって得意になるなよ? 優位に立って世界を壊すつもりなんだろうけど、そうはさせないからな!」
男はこの上なく譲れない面白いものを見つけたようにまじまじとこっちを見つめて満足の笑みを浮かべた。
「ハハハ! それはさぞ楽しい余生を過ごせそうだなあ~」
何くそーっ私は腹を立ててるってのにその煽るような余裕顔がムカつくな!
「ま、悪ふざけはこのくらいにして、今回の警告は先の予期せぬ俺達のキスを目の当たりにさせられて、彼らの感情が大きく揺らいだせいだろうな」
「はああ!? 人工呼吸はキスにカウントしねえだろっ!」
「そこは人それぞれ感情に折り合いの付け方が異なるからなあ。ま、俺はカウントするタイプだなあ~?」
「この……っ、ふざけるのもいい加減にしとけ!」
ハハハハ、と彼はまた心底愉快そうに笑って目尻に涙さえ滲ませる。完全私をおちょくって楽しんでいる。世界崩壊の邪魔にはならない小者と思われているに違いない。くっそー。くっそーーーー!
「ホンット見とけよ! 私の目の黒いうちは世界壊させないからな!」
「ハハハ勇ましい事で。ああそうそう、今決めたんだが、俺は世界を壊すが、その前に一つ欲しいものができたから、それを手に入れて楽しむまでは壊さないようにしようと思う」
「……は? あのなあ、いきなりな方針転換には、油断を誘う罠かって猜疑心しか湧かないぜ? 騙されるかよってんだ」
男はにーっこりとしてわざとらしく顔を近付けてきた。そうするとメインキャラにも劣らない顔の良さが際立って、私は内心ちょっと身構えてしまった。脳内で急いで推しのロイ様をカムバックさせる。
「うーん……まあそこは追い追い、だな」
「はあ?」
何が可笑しいのか私を見据えて上機嫌に
「で、話の続きだがな、メインキャラ達は人工呼吸に嫉妬して強い感情を持ってしまい、本来の筋道から逸れかけているんだろうな。あはぁ~、あんたは罪作りだなあ~?」
「え、そこまで二人は私が気になってるとかまさかだろ。ごめんなさいを臭わせてそこそこ経つんだぞ? しかも運命のヒロインがすぐ隣に居るってのに? まだ恋になるには早いだろうけど徐々に彼女に惹かれてくれてるはずだ」
「あらゆる可能性を考えておいて損はないと俺は思うが?」
一理ある。
「だとしたら、どうしろと? 全く以て御し難いキャラ達だなー」
「はは、彼らには同情するなあ。まあ俺の考えを述べると、あんたへの思慕をこれ以上募らせる前にスッパリ諦めさせるのが得策だろうな」
「どうやってだよ。それができてりゃこれまで苦労してない」
敢えて推しのロイを好きだって伝えたのに効果ないしな。
すると男は自らを指差した。
「ここに、彼らと渡り合えるくらいに格好の美男子がいるじゃないか。いっそ恋人って設定にすればいい」
「…………」
否定はしないけど、美男子って自分で言うか普通?
彼はこっちの気持ちをわかっているかのようににやにやとした。
「恋人がいる方が確かに諦めも付くかもな。その相手も、現状じゃそうだよな、お前が適任者だよな。はー……敵から塩を贈られた気分だよ」
深い溜息をついた私は周囲の状況を改めて把握すると、時が通常速度で動けば再来する苦痛へのそれも含めた覚悟を決めて叫んだ。
「おい、世界! 警告は理解した! これから回避のための策を実行する。だからもう戻してくれ!」
直後、急激な息苦しさが戻ってきて時が正常に進み始めたのを感じた。
そうして、暫く咳込んだ後、私は赤毛男に抱き付いたってわけ。好きだーって愛を叫んだってわけ。
恋人でもいれば彼らも自然と諦めてくれるだろうって踏んだんだ。相手のいる女性に横恋慕とか、ジェントルマンな彼らはしないだろうからさ。へへへ、これで当面の懸念はなくなるよな。
赤毛男の方も偽告白に応えるように私の髪を撫で、優しげに両目を細めた。
……ふ、イケメンの微笑みは破壊力抜群だよ。
青や赤、緑色とかの鮮やかさとはまた違った印象的な、その上質な黒曜石みたいな彼の瞳を見つめた私は不覚にも目を逸らせなくなった。だって凄く素敵な星の夜みたいなんだよ。いつまでも見上げていたいような、さ。
「お前、綺麗な目してるよな…………って、アハハ悪い不躾だったな」
ポツリと心の声が出て、自分の声に我に返って柄にもなくあたふたとした。ったく敵を誉めてどうするよ!
くっくっと男が低く咽の奥で笑う。
「ああ、本当に面白いなあんたは。……本気になりそうだ」
「は?」
最後の部分が聞こえなかったから聞き返したら、何か?って顔をされた。ああはいはいどうせこき下ろした発言でもしたんだろ。腹の立つ奴だよ。
ところで、これくらい親密なのを見せておけば私を諦めてくれるよなって期待して三人の佇む方に目を向ければ、大きな危険が迫っていた。
「あああおいっ! ドラゴンが来てるっ!」
ろくろく彼らの表情なんて見てる暇もない。皮肉にも絶妙なタイミングでドラゴンが降下してきているじゃあないかっ。
そうだよ、すっっっかり、忘れてたよ、ドラゴン!
無駄な演出になったなと、視界の片隅で男が額を押さえるのが見えた。
同感だよ全くな! やりたくもない告白演技までしたってのに。
タイミング最悪っ、赦さんっ、ドラゴンめーっ!!
そんなドラゴンは突っ込んでは来ているものの、幸いにも理性的じゃなく、単に痛みに悶えて飛び回ってたら彼らの元に接近したって感じだった。
「ふー、一先ずはドラゴン退治だな。このまま帰ったら街中まで追いかけて来そうだしなあ。ハニーは戦えそうか? 溺れたんだし体力消耗しているだろう? 休んでいても別に構わないぞ?」
ハ、ハニー!? 鳥肌だーっ。うぐぐでも我慢だ我慢。恋人演技には不可欠だろうからな。
「アハハダーリンってば、そっちこそ本当はもうヘバりそうなんじゃねえの~? 若そうに見えて何かジジ臭いし。後は私に任せて帰っても構わないぞお~?」
「ハハッ俺はまだ二十歳だ。ハニーこそ実は中身は五才児だろ? ああ、だから子供っぽくて可愛いのかあ~」
「ふへへへへ~」
ガキ臭いだとぉう? へっ、言ってろ。赤毛男とある意味呑気にこんな軽口を叩き合えてるのも、私の注意喚起でアレックス、ベンジャミン、シャーロットの三人は協力して無傷でドラゴンをやり過ごしていたからだ。
一旦地上から離れたドラゴンは空を飛んでまたこっちに戻ってきた。パニクってても何だかんだで魔物の本能は人間の気配には敏感なのかも。どこかへ飛んで逃げていくって様子もない。何にせよ幸いだった。手負いのドラゴンが王都になんて飛んでったら大混乱だ。
森の中へと退避した三人を見失ったドラゴンは今度はこっちにやってくる。私と赤毛男は高度をかなり低くしてきたドラゴンと対決姿勢だ。
「ケイト! こっちに来るんだ! ドラゴンなら僕は前に戦った経験がある。君はエバートン嬢と安全な場所に隠れていてくれ!」
「アレックスの意見には賛同だ。エバートン嬢と避難して、ドラゴンは俺達男性陣に任せてほしい!」
赤毛男を心底歓迎できない相手と見做したアレックスとベンジャミン双方の表情は極めて険しい。だけど必要なら共闘はするって潔さだ。
シャーロットだけは男達の不和に困惑している。
まあな、彼女からすると全員好い人だろうから、どうして仲が宜しくないのかわからないもんな。
「……って言っているが、ハニーはどうする?」
突っ込んできたドラゴンの巨体を私と男は左右に跳び分かれてやり過ごす。ドラゴンは再び上空だ。私は赤毛男と互いに合流すると口角を上げてやる。
「愚問だな。私か避難するわけないだろ? だから宜しくなダーリン」
「ふうん? 俺に背中を預けてもいいのか?」
「ああ、少なくとも現状じゃな。敵の敵は味方って言うだろ?」
「……」
ドラゴンは未だ上空で、赤毛男はそれを見上げながらふと真面目な眼差しになった。
「さっきは、どうして俺を庇った? 俺が消えた方が都合が良いだろうに」
「否定はしない。でもな、敵だからって見殺しにはしたくなかったんだよ。お前はロッティを助けてもくれたし、死地に押し出すのはフェアじゃない。まあ、貸し借り無しにしたって思えばいいよ」
「そうか」
「……なーんて偉そうに言ったけど、少なくとも私はのんびりと大往生するために足掻いてるだけだ。後味悪い記憶ってのは大抵何故かずっと残るだろ。それがストレスで短命になったら嫌だったからな」
「大往生って……。もっとその前に色々とあるだろう、良い相手と結婚して贅沢な暮らしをしたいとか」
「いや特には」
即答したら男から呆れたのと感心したのとが混ざった目で見られた。
ギィジャアアアアアアーーーーッ!!
ドラゴンの叫びだ。
「「ケイト!」」
シャーロットに安全そうな茂みに隠れてもらってから駆け戻ってきたらしいアレックスとベンジャミンがこっちに走ってくる。
「来るな! 私はいいから二人はロッティを何があろうと護れ! そこ頼んだからなっ!」
いつにない剣幕の私の怒鳴りに、さすがに二人は足を止める。
有難い事に心配のあまり躊躇いが見て取れるけど、もたもたしてないでヒロインを護りに戻ってくれ。
言うべき事は言ったし。私は私でドラゴン相手に忙しくもう二人に構っている暇はない。視線を外してドラゴンを正面にする。
「ケイト無茶するなよ!」
「エバートン嬢は俺達が責任持って護っておく!」
二つの足音が遠ざかった。戦闘における的確な状況判断がきちんとできている。彼らもこうしてみれば格好いい男達なんだよな。
「おいダーリン、できればドラゴンを拘束してほしいんだけど、頼めるか?」
「拘束か。まあできない事もないな」
「じゃあ私があいつを地に落としたら頼むな!」
ドラゴンは私達へと接近し、私は意識が飛んで一度解けてしまっていたチート鋼鉄体へとチャラララーンと華麗に変身! 見た目には何も変わらんけどなー。
滑空してきた、その痛さで理性の半分無くなったガタガタのドラゴンの口元にこっちから助走を付けて突撃してやった。
グギャアアグガグググググーーーーッ!
目論見通り残りの牙ももれなく砕け、ドラゴンは激しく首を振って私を空へと放り出す。そこですかさず体勢を変えてドラゴンの脳天に鋼鉄体キーック!
ンギャアッて短い悲鳴の直後、ドスーーンと轟音を立てて顎から落ちたドラゴンはその巨体故に大地を震わした。
「拘束頼む!」
「了~解」
頼もしいのか不真面目なのか微妙な返事と同時にドラゴンは大地に拘束された。確かサブイベントで入手できるレアアイテム大口径魔法鎖で。ぶっとい鎖で束縛されたドラゴンは当然身動きが取れない。私はそこを狙い撃ち。
ってかさ、悔しいっ、レアアイテム先超されたーっ!
「そのまま湖に沈んでろーーーーっ!」
八つ当たりの感情諸とも攻撃をぶっ放す。
溺れる直前で魔法収納に入れておいた湖水をドラゴン目掛けて放出してやった。開放口を狭く限定しての超絶勢いのある水鉄砲。放水攻撃は見事にドラゴンを直撃、尚且つ干上がっていた湖へと押し流しそのまま湖底へと連れていく。そこで一気に水を戻したから湖は元のようにあっという間に満水になった。
ブクブクブクブクとドラゴンからの空気が水面を泡立てている。
「ふんっ、さっきはよくも。このまま湖の藻屑と消えろ」
「あー、貴重な魔法鎖が……。わかっていたら他の方法にしたのになあ、ハニーは酷い」
「表彰ものの王都の救い手になったんだし、ケチケチするなって!」
「……釣り合わない。埋め合わせはしてもらう。今度洞窟探検に付き合ってくれ」
「ケチ! …………ってああわかったよ、行くよっ。だからそんな人をろくでなしみたいな目で見んなっ」
「ならいい」
何だよころっと嬉しそうにしやがって。
それより、ドラゴンは片付いたーっと湖に背を向けた。
草地を一歩二歩三歩と歩いた私は、背後から膨れ上がる殺気を感じた。大きな水音の後で飛沫がパラパラと降ってくる。ハハハ天然湖水のシャワーだなー。魚とか水草とかも一緒だけどー。
ベシャリと頭に落ちてきた水草の切れ端をかなぐり捨て私はゆっくりと振り返って瞬いた。ほうほうほう、半分くらいはこの程度じゃ死なないだろうとは思ってたけど、まさかあの強力縛鎖を断ってくるとは結構やるなあ。レベルは予測よりもちょい上だったんだろう。これは中々手強い。負ける気はないけどな。
湖底から空中にまで一気に飛び出してきたドラゴンは、明らかに怒りで強さが増幅されている。
しかも頭の血流も良くなって理性を完全に取り戻したのか、私の顔をちゃんと認識しているようだった。お前えええーっ!っ感じで全ての牙を砕いた私を憎々しげに見下ろしてくる。
とは言え接近戦は危ういと悟ったようで降りては来ない。滞空したまま睨んでくるだけだ。
多少頭は回るのか、こっちが木と跳躍を使っても届かない高さからだけの攻撃に集中するようで、早速火球攻撃が始まった。
怒りで最初の頃よりも威力も大きさも倍増だ。
「あの高さだと空中戦か。飛行アイテムあったっけかなー」
どうするべきか。忍耐比べで焦れたドラゴンが降下してくるまで待つか? いや駄目だそれだと夜になる。前と違って夜に屋敷にいないのがバレたらジョアンナみたいに謹慎を食らうだろうな。こっそり抜け出せなくはないけど面倒だ。
当初の予定通り夕方までには帰りたい。
ならここから街まで戻る時間も考慮してサクッと倒さないと間に合わない。
私は横目で赤毛男を見やった。
彼は空飛ぶ剣を持っている――って、何だかこっち見てにっこにっこしてんだけど?
「ハニーどうする? 一緒に飛んで近付くか、それとも俺が落としたところに決定打を打ち込むか、そっちのしたいように任せるぞ」
私のバット愛を知らないはずなのに、決定打とか打ち込むとか、こいつの言葉のチョイスが憎い。偶然なんだろうがな。
会話中にもドラゴンは大火球攻撃をしてきてたけど、私は飛んでくる火の球を前後左右にと避けながら思案した。返事を待つ間、赤毛男は火球をいとも容易く魔法剣で切り裂いている。底知れないな。
「火球斬り、楽しそうだな」
「この剣の力を試したくてな。ドラゴン相手にならちょうどいい」
「うっわ~試し斬りってやつか。何か悪党みたいだな」
「みたい、か。そっちの頭じゃ俺はもうとっくに悪党認定じゃないのか?」
「半々だ。偽恋人やってくれるし、そもそもまだどんな人間かも知らないし。完全に悪党判断ができない」
「……ハニーは……馬鹿だろ」
「何だとって怒るとこだけど、ははっ、よく言われる。まあ天才よりは気楽だよ。注目されなくていい」
「稀有……」
和んだのか何だか柔らかく息だけで笑われた。
うん? 何このふわふわしたぽややーんな空気は? 私がおかしくてそう感じているだけか?
依然周囲じゃドガンバガンと火球が地面を抉って樹木を燃やしてるんだけどな。シャーロット達は平気だよなって少しだけ心配になったけど、あの二人が付いてるなら大丈夫かと思い直す。
「それで、ハニーはどうしたいんだ?」
「お前と相乗りはお断りだ」
「残念、釣れないな」
「飛び道具買っとくんだった。石でも投げるか? いや届かないか。ノックして飛ばすならともかくなあ」
イライラする。こんな時はそう、千本ノックでもして思い切りバットを振り回したいっっ! この際鉄製でも木製でもプラスチック製でもいい。文句は言わない。
「――ってそうだよバットじゃね!?」
「バット?」
閃いたぜ保留にしていたチートボーナス三つ目えええっ!
「おおーい天の声聞こえてるかあーっ! 聞こえてるだろーっ! チート三つ目決めたぞ!」
天の声はうんともすんともまだ言ってないけど、絶対聞いてるよな。私は大きく息を吸い込んだ。天の声たる存在を一応は知っている赤毛男は「チート三つ目?」と怪訝そうしている。
「どんなものでも打ち返せるバットほーーしいーーーーっ!!」
ドラゴンの攻撃の最中、私は堂々と天に腕を掲げた。
「オッケ~」
と、聞こえた。
何かの聖なる気が集まるかのように、私の掌には光が満ちフィットするグリップが現れ、最終的に銀虹色のスラリとした鉄でも木でもプラでもなさそうな見事なバットが顕現した。その間は一秒にも満たない。
「よっしゃこれで心置きなく――打てる!」
私はちょうど飛んできた火球目掛けて銀虹色の魔法のバットを両手で握ると構えてやや引いた。片足が自然と少し浮き上がる。次の瞬間には全身を乗せるようにして腕を振り抜いた。ビュン、と空気摩擦の音が鳴る。
――カッキイィィィーン!
しかも何故か火球なのにクリーンヒットしたみたいな小気味の良い音がして、打火球は鋭いライナーになってドラゴンへと飛んでいく。
まさか自らの火球か返ってくるとは予想もしていなかったドラゴンはもろに食らって全身を火達磨にした。火属性にある程度は耐性があるはずだろうに翼が焼けて体が落下する前に凄まじい火力により絶命。デカい図体は塵に――一部は灰になって消えていく。
「えっ……、まさか威力増し増し効果も付与されてたのか!?」
何て恐ろしいバットだよこれは。握ったバットを見下ろす私は自分でも少し背筋が寒くなっていた。
「ま、とりあえず魔法収納に入れとくか」
しかしそうする前にバットは端から塵のようになってあっという間に消えてしまった。
え。
えーっ、一回こっきり!?
そう焦ってバットよ出てこいって念じると良かったまたちゃんと出たーっ。そんな事にホッともして気持ちを改める。
ドラゴン討伐完了だ。
「これでいつでも素振りできるー。ずっとこれを欲してた。整う~っ」
バットは心の安定剤だと思ってて、いつか素振りしなくても良くなる日が~なんて思ってたけど、うん、やっぱこれは私の薔薇色の人生にゃ欠かせない相棒だわな。
趣味、生き甲斐、そんなような物だ。
これからは、いやこれからも宜しくな。
にしししと一人上機嫌の私は、華奢な令嬢がバットを、この世界から見ると棍棒にも似たヘンテコな武器を豪快に振り回す様が端からどう見えるか考えもしなかった。地球だったら野球選手か不良ってなっただろうけど。
アレックス、ベンジャミン、シャーロットは、やっぱりケイトリンが心配で三人の総意で遠目ながらも湖畔の見える森に少し入った場所まで戻っていた。
そこで男二人が防御結界を張ってシャーロットを護っていたのだが、アレックスとベンジャミンは遠目に見えていた戦闘とその決着に陶然として揃って呟いた。
「「軍女神……っ」」
と。
護られていたシャーロットはシャーロットで頬を赤らめて唇を動かす。
「素敵です。救国の勇者様……っ」
と。
顛末を最も間近で見届けた更にもう一人は、
「はっはははっははははははははっ! 豪快っ! ハニー最高だな!!」
笑い過ぎて涙が出たらしい。
「おいっ、お前っ、笑い過ぎだろっ。魔物を倒して森の平穏を守ったこの私に猛烈失礼だろっ。お詫びにその魔法剣よこせっ」
「いいぞ、ほら」
「えっ……じっ冗談だよ。私にはもうこれがあるからな」
「何だ。恩を売れたのに」
「お前な……、本当に惚れた相手にはそう言う事言わない方がいいぞ」
こっそり忠告してやったけど、男は「ああそこは心配なさそうだ」ってまだ笑っている。……へえ、惚れた相手いるんだ。
まあ私には関係ない関係ない。うん。
「そうでなくても、敵に無防備に武器渡そうとするとか、お前も大概馬鹿なんじゃね?」
「ああそうかもな。世の中、愚か者も必要なんだと得心したよ」
こっちをやけに意味ありげに見つめてくる。暗に私が愚か者って言いたいんだよなそれ。いい根性だよホント。
「お前、そんな性悪じゃロッティは落とせないぞ」
男はきょとんとした。
「落とす? 俺があのピンク髪のお嬢さんを? 何故?」
「は? お前は彼女に自分を好きにさせて、世界の破滅を引き起こすつもりなんじゃないのか?」
彼は目を点にしたかと思えばまたもや腹を抱えて大笑いした。
「なるほど、考えもしなかった。試す価値はあるかもな」
えっ、何てこった。私は余計な気を回していたらしい。
「あー、今の忘れろっても無理だよな。まあ私がそれもさせないけどな」
ふん、と強気でいたら傍まで寄ってきたそいつから髪の毛先を指で掬われた。
「何だよ? 枝毛チェック? どうせ屋敷じゃそこまで満足にケアしてもらえてないですよ」
そうか、と彼は呟いて何かを考えたようだった。
「……なら、俺の屋敷のメイド達に毎日トリートメントしてもらうか?」
「何で毎日そっちの屋敷で? 通えってのかよ。って言うか屋敷? メイド達? もしかして金持ちなのか?」
「好いた女を囲って贅沢させるくらいの甲斐性はある」
「は、言い方。ロッティは囲わせないぞ」
「……今の俺の恋人はあんたなはずだが?」
「偽の、だ。口に気を付けろよ」
「それはハニーだろ。ほら彼らが戻って来たようだぞ」
森の方から足音と話し声が近付いてくる。私は口をつぐんだ。確かに偽恋人だって悟られたら演技がすっかり無駄になる。
ここで一つ疑問が浮かんだ。
そもそもどうしてこいつは、偽恋人としてメインキャラ達の気持ちがヒロインに向くように協力してくれるんだ?
「なあ、今更だけど、そっちとしちゃ彼らの好意が私に向いてる方がシナリオが崩れて好都合なんじゃないのか? 何か裏がある……?」
「裏? いや、単にライバルは少ない方がいいなって思ったから買って出たんだが?」
「ライバル?」
変に小難しい顔になっている私を見つめ、彼は苦笑を浮かべて「にっぶ」と小さく呟いた。
「まあ、心配ならハニーが俺の屋敷に住んで傍で見張っていたらいい。あのお嬢さんを俺が屋敷に連れ込んでちょっかいを出さないようにな。そうすればこの世界は滅びないかもしれない。その間くらいは」
彼はどこか面白がるように、こっちの反応を試すように目を細めた。底の見えない黒い黒い、それでいてずっと見ていたらうっかり引き込まれて呑まれてしまうような目を。
その闇に捕まったら逃げられない気がした。
だけど、ブラックホールの中は暗いだけなのかって疑問にも似たものが込み上げる。
闇の中に秘めた光はないのかって。人間の心はブラックホールよりも奥深い。
毛先に口付けられて我に返った。ちゅって吃音に思いの外びっくりしてしまった。毛先を取り返して睨んでやる。
「ロッティは渡さないけど、敵と同居とかそれも御免だ。寝首を掻かれたくないからな」
「へえ、そうか。まあしかし、少なくとも寝首の無事は保証するよ。別に命を取りたいわけじゃない」
「私は邪魔な敵なのに甘い奴だな。まっ、何であれ同居はお断りだ。私は独りが気楽なんだよ」
「独り、なあ。しかしながら人の気持ちは変わるものだろう?」
「はっ、知ったような口を」
「ああ、知った口だからな。だからもう百回くらいは俺との同棲を考えてみてくれ」
何だそりゃ。ってか同棲ってチョイスは違うだろ。
「あ、そういえばそっちの名前、知らないんだけど。こっちのはどうせもう知ってるんだろ?」
「くっくっ、素直じゃないな。ハニーは普通に名前教えてくれと言えないのか?」
「う、うるさいな。知りたいんだよ」
「ははっ、案外素直」
腹が立って睨んでやったけど、今日は何度もそうしたから余り効果はなさそうだった。
「ジュリアス・コールドウェル。……名もない男の名だ」
彼はそう言うとくるりと背を向けた。
「じゃあまたな、愛するハニー、ケイトリン・シェフィールド伯爵令嬢。番犬達に噛み付かれたくないから今日は帰るな~」
「番犬? よくわかんないけど、ああ、私は負けないからな。それから、名もないなんて言うなよ。ちゃんと覚えたよ、――ジュリアス。私の脳みそは結構優秀なんだ」
名前呼びしたせいなのか何故か目を丸くして振り返った彼へと、トントンとこめかみを示してみせたら、彼は一つ瞬いてからまた堪え切れなくなったように笑った。何故笑うっ。素面なのに笑い上戸なのか?
こうして、この世界の生涯の敵たる男との因縁はより深まった……気がする。
もう会わない事を願いたい。
あー、でも洞窟探検行くって言質を取られたからなあ。それに恋人と全然会わないのも不審がられるだろうし、恋人演技を見せつける必要があるよなあ。はー、また会うのは避けられないか。
たださ、気が重いって反面、私の心の一部は期待に跳ねるように高鳴った。
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