第6話 金槌は波乱しか招かない
アレックスとベンジャミンにより大蛇は長い体を幾つかに断たれ水中に没した。
私の計画があぁぁ~。あの蛇は上体を湖畔に
戻ってきた男二人は、その表情からさぞ十点満点な達成感を各自の胸に抱いている事だろう。
「ふう、岸に近付く前に片付けられて良かったな」
「ケイト、エバートン嬢、もう安心だ」
シャーロットは「ありがとうございます」と素直に感謝の目だ。
ピクニックシートから離れて湖の傍まで走り寄っていた私は思い切り落胆したのを隠せず、がっくりと草地に膝を突いた。何のためにここまで来たと思ってるんだよ……。
「「ケイト!?」」
二人は私に気付くとどこか怪我でもと慌てた様子で駆け寄ってくる。
そんな彼らを見てぼんやりと感じた思いがある。二人はもう顔だけ~じゃなく私に好意を寄せてくれてるって、それくらいわかる。私がヒロインだったならこれも本筋通りだぜしめしめと喜んだかもしれない。
でも、彼らの好意を私は受け取れない。
この世界で自分が自由に生きるために無情にもそれらを退けるのを是とした私は、彼らを必要とする権利なんてない。
ただ、友人として彼らの人生を、それがたとえこの世界によって初めから決定付けられたものだとしても、彼ら自身には真剣な人生なのは変わりないそれを、私は護りたい。
この世界もろとも無かった事にさせたくない。
無論、何度も言うけどその動機の根底にあるのは私の生存最優先、ビバ第二の人生!だけどな。
「私は何ともないっ。それよりもそこ、駆け寄る相手が違ーう! ロッティだろ。あんたらのヒロインはあの子なんだよ!!」
きっと二人からしたら意味不明な私のガツンとした叫びには、困惑もひとしおだろう。現に二人共「ヒロイン?」とやや驚いた不思議そうな顔で足を止めた。
だがそれがどうした。彼らのガラスのハートはさすがにこれくらいじゃ影響無いはずだ。
「あとな、これまでは時々こう乱暴だったけど、本当の私は元々全部こんな感じなんだよ。アレックス、ベン、悪かったな猫被ってて。もう猫も被らないからな」
さあ幻滅せよってな。様付けもしないとは何て無礼な女だと怒れ。これで百年の恋も冷めるに違いない。
二人は私を見て、何故か腰に手を当て私から顔を逸らすと肩を揺らした。可笑しくて思わずそうしたみたいに。
「知ってたよ」
「知っていた」
は?
「君は僕との初対面を忘れたのか? あれが素顔の君だろ。お嬢様演技はお嬢様演技で可愛らしいけど、どちらでも一緒にいて苦にならない」
「前に、街中でエバートン嬢と二人でいるのを見かけたからな。その時から、ああ本来の姿も素敵な女性だと思っていた。素の笑顔も輝いて見えたな」
「あーはは、なるほど、どうも……」
自分の間抜けさに羞恥が込み上げ頬が熱くなる。
その裏では奇妙な程の安堵が湧いて感動すらした。
友人に本来の私を受け入れてもらえたんだと。
前世じゃ、生意気とか態度悪いとかガサツだなんて普通に言われていた。しとやかさがないとか女言葉を使わないとかで浮くのはよくあって、だから無心にバットを振っている時間が何よりもリラックスできて好きだった。
人間と違って練習は嘘をつかなかったから。
生活が荒れて別の方向でバットを振っていた時期も確かにあったけど、まあそれはそれで、決して誉められはしないけどスッキリして好きだった。
私にとってバットは心の安定剤でもあったんだ。
……不安から、この世界でもバットがほしいと思ってたけど、いつかそう思わない日がくるのかもしれない。
そんな私の胸中を知らない男キャラ達は、これはアプローチの好機とばかりに言葉を畳み掛けてくる。
「つまり僕は素の君でも猫被りの君でも好きだ」
「自然体のケイトを見せてくれて光栄だ。俺も好きだ。正確にはこの男よりも俺の方があたなを好きだ」
「は、僕の想いの深さは君程度の男には推し量れない。ケイト、これからは僕ももっと本当の僕を君に知ってもらおうと思っている。きっとびっくりするだろうな」
「騙されるなケイト、この男のような根っからの詐欺師には関わらないほうがいい。その点俺に何か疑問かあれば正直に答えるから遠慮なく訊いてくれ。むしろ俺の事を知ってもらいたい。その……俺もケイトの何もかもを知りたいと思うんでなっ」
「はー、血迷ったのか? ……か、彼女の全てをもらうのはこの僕だっ」
「貴様こそ頭で虫が湧いているようだな」
私は直前までの感激も薄れ内心辟易とした。二人共空気読め。今や湖は大蛇を屠った後の凄惨な色になっているんだが? 血迷うどころか血で染まっておどろおどろしいんだよっ。なのにおまんら何ピンクに盛っとんじゃい!
能力覚醒前じゃ一般人でしかないシャーロットはまだピクニックシートにいる。ここからやや離れている彼女を見ると何故だか興奮したように頬を赤くし、私達をキラキラとした目で見ている。まるで楽しみな恋愛ドラマを観ているかのようなんだけど?
何かを激しく誤解しているんじゃないか?
「あのなロッティ……なっ、――上に気を付けろ!!」
私も男二人もそいつを視認するなり駆け出していた。
私の切迫声に彼女は不思議そうに目を上げて、大きくそのキュートな目を瞠って蒼白になる。
――ドラゴンだ。
普通ドラゴンは未開の山奥の山奥の山奥とか人跡未踏の深ーい洞窟の奥にしかいない。王都のような大都市の近郊の森に出てくるはずがないんだ。
ドラゴンは上空から地上へと幾つもの火の玉を吐いてくる。
いやいやいや何で即攻撃してくんだよっ。まるで人間と見るや敵じゃごるあああっ!て勢いだな。
ドラゴンってもっと知的で慎重で思慮深い魔物だと思ってたんだけど!?
「ロッティ木の下に逃げろ!」
しかし生まれて初めて見るだろうドラゴンに体が強張って動けないようだった。
火球の速度が思いの外速く、私達は間に合わない。
ここでヒロインが死んじゃったりしたらどうなるんだ?
そうだ考えた事もなかった。
やっぱり世界が終わるのか?
もしそうなら今まで何のためにやってきたんだーっ!
火球はシャーロットに迫る。
ここで世界と共に死ぬなんて御免だっ!
「死ぬなロッティーーーー!」
火球が地面で弾けて爆裂した。
「そんなっ、ロッ――――!?」
彼女は、幸いにも無事だった。
ヒロインだから死なないよう修正力が働いて非常識なラッキーが起こる……わけじゃない。シャーロットも死に得る。ゲームオーバーってやつだ。
その場合、セーブしたところからやり直しになる。
ゲームならな。
ここは現実だ。やり直せるならわざわざ時計塔広場でのようにこの世界が警告を出す必要もない。演出の一環な可能性は否定できないけど。
まあ何はともあれシャーロットは無事だった。
あいつの――赤毛の男のおかげで。
直前までシャーロットの居た場所は抉られて焦げていた。プスプスと燃え残りが燻っている。
「ふー、間一髪だったなあ?」
彼の意外と低い声は推しのロイと良い勝負だった。
「あ! あなたは前に道を訊ねてきた方じゃ!?」
「覚えてくれていたとは光栄だ、お嬢さん」
被弾寸前のシャーロットを抱え上げて回避した男は、彼女を地面に下ろすとどこか冷たさを含んだ笑みを浮かべた。そういう笑い方が彼の普通なのかはわからない。だけど見た目の若さに反して台詞がじじ臭い気がするのは何故だろう。まるで何年も何年も世間を見てきたみたいな。
でも、ヒロインに恋させるならもっと優しく、蕩けるように笑うべきじゃないのか?
いや、そもそも、あそこで見殺しにしてしまえば世界が崩壊したんじゃ……?
「おいそこの、友人を助けてくれて大いに感謝するけど、お前は世界ごと死にたいんじゃなかったのか? 今なんて格好のシナリオ破滅フラグだったろうに」
向こうも私の言わんとしているものがわかったんだろう。
また飛んできた火球をシャーロットを連れて器用にかわしながらどこか皮肉げな微笑を張り付ける。
「そうしたかったのはやまやまだが、ヒロインが死ねばこの世界はやり直しをさせられる。つまりは初めからの繰り返しだ。さすがにそれはもう飽き飽きしているんだよ」
「やり直し……?」
「まあな、今回あんたに会うまではそうだった。……と言ってもこの人生で何故かその繰り返しの記憶が戻ったってだけだがな。だがしかし、もしかすると今回はそうはならないかもな」
やり直しだなんて、まるでゲームや小説によくある死に戻りやタイムリープみたいな言い様だな。天の声はゲーム世界だってこの世界の正体に彼が気付いてどうとか言ってたけど、何度もタイムリープしていて覚醒したタイプなのか? あり得ない話でもない。私はその経験はないけど無限に同じ人生繰り返したのを自覚したら精神的に結構病みそうだ。その人生が酷いもんなら尚更な。
でもそれを問う前にドラゴンからの攻撃が激しくなって会話どころじゃなくなった。
「ロッティ!」
彼女をあの男に任せておけない。駆け寄ろうとしたけど、ドラゴンは火球だけじゃなく滑空飛行からの体当たりと翼での暴風、鋭い牙での噛み付き攻撃もしてきた。
「ケイト危ないっ、不用意に出るな!」
「無理するな。今はあの男に任せてこちらは態勢を整えるぞ! 何を言っているのかは不明だか、助けたくらいだし彼女に危害は加えないだろう」
「それはそうだけどっ」
あんたらのヒロインがうっかり他の奴に惚れ込んだらどうするんだーっ!
「こうなったのもドラゴンのせいだ。まずはさっさと倒す! あの男からロッティが離れたらアレックス、あんたに護衛を任せる! ベンは援護っつーか、万一あの男が彼女を誘拐しないように警戒してくれ! アレックスで間に合わない時は最悪ベンが代わりに彼女を保護するんだ!」
「それじゃあドラゴンはどうするんだよ? ドラゴンは僕が引き受ける」
「そうだぞケイト、あなたはエバートン嬢に注力するんだ」
「駄目だ。当て馬に対抗できるのはヒーローって相場が決まってるだろ!」
「「は?」」
「いいから総員配置に着けーっ!」
ぶちギレた私の様子に二人は無意識に「イエッサー」とか
私はドラゴンを睨み付ける。アイテム関係は魔法収納に結構色々買い込んである。ドラゴンに有効なものも多数あるから負ける気はしない。でもそれらは事前に設置するものや防御がほとんど。特別に攻撃力が高いものはなかった。敵の体力を地道に削って行くしかないなこりゃ。
火球が連弾で降ってくるのを回避して木の幹を蹴ってホバリングするドラゴンへと肉薄する。そのまま鋼鉄体になって「うおりゃあーっ」とぶつかってやった。
鱗と鋼鉄のぶつかった高く硬質な音が響き渡る。
危惧して私の名を叫んだ友人達と、興味深そうに唸った赤毛の男と、皆が皆私の明らかになったチートスキルに大きく目を瞠った。
生憎ドラゴンは姿勢を崩しただけで墜落はしなかった。思った通り手強い。体当たり攻撃で倒そうと思ったら夜まで掛かりそうだな。これは元々防御が主目的の能力だしなあ。どうするか、と思案する私は高い位置から鋼鉄体のままに着地するつもりでいた。
しかし「きゃあっケイト様っ」とシャーロットの悲鳴が聞こえ、まさかあの赤毛が何か無体をと焦って振り向けば、すぐ近くに端正な面差しがあった。そよぐ赤い前髪の下では濃く美しい墨のような黒い瞳が私を捉えている。
「なっ!?」
いつの間に接近をってびっくりして空中での姿勢を崩したところをすかさず彼の腕に引き寄せられた。このまま赤毛男と真っ逆さま、とはならなかった。
何と彼は武器だろう剣を足場に浮遊していた。木も使わないでどうやって上空までって疑問も解消だ。
「っておいおい飛剣魔法が使えるのか!? なるほどお前は魔法剣士か!」
剣士はともかく魔法に心得があるなら禁忌魔法とかにはまって世界の深遠に触れて秘密を知ったとしても不思議じゃない。ファンタジーものだとそんな奴が出てくるのもあるしな。
「いや、これは洞窟奥でゲットした魔法剣。魔力がなくても飛行できるから便利だと思って手に入れに行ったんだよ」
「え、マジかそれどこで見つけたんだよ! ……あ、こほん」
普通にゲーム談義する口調で反応しちゃったよ……。
「ふっ、ははっ、俺の邪魔をするのはどんなお嬢さんかと思って近くで見たかったんだが、予想外に面白い特技と雰囲気を持っているなあ」
「へっ、そうかよ。下ろしてくれないか?」
さっきのシャーロットみたいに横抱きにされたままで馴れ合ってどうすると反省する。
改めて見ると、平民なのか襟元は紐で留めるタイプの簡素なシャツ。そこから覗く胸元は逞しく、しかも無駄に色気がある。っつか何で半分肌蹴てるんだよ!
今は知らないけど元は樵とか農夫とか体を使う職業なのかもしれない。腕も筋肉がしっかりと固い。
メインキャラでもないのに目を惹かれる。
「おい、ドラゴンはお前が連れてきたとか言わないよな?」
「まさか。俺がそのつもりなら群れで連れてくる」
「じゃあどうしてドラゴンがいるんだよ?」
「それはあれだ。そこの彼女が覚醒してないからだ。本来なら魔物が活発になったこの時期には、国から波及する無意識の聖女の力がドラゴンなどの上位魔物を王都にも寄せ付けないが、今はそれが一切ないからな」
「な……そうか、確かにな」
この世界の安定のための鍵はやっぱりヒロインだよな。覚醒してもらわないと。
「あ、ついでだし、この機会に提案したいんだけど、世界をフリーズさせるのやめてくれないか? そっちはそっちで悠々自適に生きて行けよ、な?」
「ははは断る。この世界にはうんざりなんだ。また繰り返す可能性を考えただけで反吐が出るんだよ。ストレスフリーを目指してもう終わらせてしまいたい」
「個人的な悩みに全人類を巻き込むな。やめないなら私はお前を成敗しないとならない。でもそれは面倒だから思い止まってくれよ」
「あは、面倒臭い? もしやお嬢さんがこの世界を維持したいって目的は正義感からじゃないのか?」
「正義感? 私の充実スローライフのためだ。正義云々は私の役割じゃないぞ。彼らのだ」
目でアレックスとベンジャミン、そして急にこいつから解放されて尻餅をついていたシャーロットを示せば、男はくはっと一際大きく表情を崩して笑った。シャーロットは駆け寄ったメインキャラ二人に手を貸されて立たせてもらっていた。
ああ、ヒロインの両手にハンサムガイ。ゲームのワンシーンにありそうな図がそこに!
状況に則さない満足顔の私をそんな地上の三人は見上げて、どうしてか苛立ちや焦燥、心配を三者三様に顔に浮かべた。
因みにこっちの会話は聞こえていないだろうから、私も気兼ねなくトップシークレットを話していられるってわけだ。
ん? 三人の血相が変わった?
「「「――ドラゴン!!」」」
ハモって叫んだ。
そうだよドラゴンだよ!
魔物相手には油断大敵なんて当たり前だったのにな。
ハッと警戒心をMAXにしたところで敵は既に猛接近、肉薄していた。赤毛男の方も「あ」と呑気にも聞こえる声音で状況を悟ったようだ。
このままじゃ、やられる。
このままじゃ、敵たるこいつが先に。
ハハッ、何だよ、都合良い――――……わけあるかっ、駄目だっ!
「放せっ!」
「あっ、おい逃げたいのはわかるがそんなに暴れ――!?」
あぎとを開いたドラゴンの鋭い牙が男の頭を食い千切らんと断頭台のギロチンの如く落とされる。
刹那、ガギイィィィィィン、と金属同士がぶつかり合う音がその場に大きく上がった。
「な、あんた……どうして俺を庇うなんて……?」
「はっ、そういう性分だからじゃねえの?」
私は暴れて彼の抱っこから逃れて、ドラゴンの口へと身を踊らせたんだ。この鋼鉄体はドラゴンの牙でだって傷付ける事はできない。
顎の力の凄まじさ故かドラゴンの牙は一気に砕け散った。
私はそのままボロボロのあぎとに挟まれる。
歯が砕けるなんて相当痛いだろう衝撃にさすがのドラゴンもパニックを起こしたらしく私を咥えたままめちゃくちゃに羽ばたいて飛び回る。地面にいたらのたうち回るって表現できたろう。
「ケイト様!」
「ケイト! 待っていろ今僕が助けてやる!」
「俺が行くまで気をしっかり持っていろケイト!」
他方、赤毛男はまだどこか呆然とした面持ちで私を見つめている。
ドラゴンは湖畔から湖の真ん中辺りの上空へと意図せずも移動していき、私はどこまで連れて行かれるのか少し不安になった。
「おいこらいい加減放せってんだ!」
無論、鋼鉄体は解けないからそのままもがいた。
しかしはたと気付く。鋼鉄体のままだと落ちたらどうあっても沈むだろ。
「あっやっぱちょっと待て放すなッ!」
私はピタリと動きを止めたが、遅かった。
パカッとペリカンがそうするように、ドラゴンが口を大きく開けた。
嘘……だろ……?
ふっと一瞬浮いたような無重力感からの、自由落下。
迫る水面。
鋼鉄体なら水面から高くても死なないけど、その後が問題だ。
チートを解かなきゃストーンと深いだろう湖底に沈むのは自明の理だ。なら水面をやり過ごしてから解けばいい。
だがしかし、そこには更なる大問題が横たわっている。
「私は泳げないんだよおおおーーーーっ!」
「「「ケイト(様)ーーーーッ!!」」」
ドボーーーーン、と白い水柱と水音を立てて私は真っ直ぐ湖へと落ちたのだった。チャンチャン…………じゃねえからなあああああ!?
誰かっ、ヘルプミーッ!!
遠ざかる水面。ゴボゴボゴボと肺から空気が抜けていく。自分の間抜けさが恨めしい。アイテムを何かって思ったけど、水中で呼吸できる物があったかどうか咄嗟には思い出せなかった。泳げないのにその手の物を揃えておかなかった迂闊な自分にデコピンだ。こんな風にして死ぬなんて最悪じゃねえかよ!
皆もここまではさすがに助けには来られないだろうな。
私が死んでも世界には影響はないだろうけど、邪魔者が消えてあの赤毛が色々と動きやすくなるのは必至だ。
嫌だ、このまま死にたくないっ。でも鋼鉄体を解いたのに多量の水に埋没した事への恐怖が手足を鉛のように重くする。動けない。もがけない。何より、息が続かない。
チクショー! 折角チートな魔法収納でいっぱいアイテム集めたのになあ。
――ん? チート魔法収納?
東京ドーム三杯分はアイテムが入るはずだ。
これだあああああーっ!
私は魔法収納のキャパ最大までを開放した。
けど、思惑が果たして成功か失敗か、どうなったのかを見届けられないうちに最後の空気が肺から出て行ってしまったのだった。
その寸前、誰かに手を掴まれたような気もしたけど、ハッキリとはわからない。
空気に剥き出した湖底の水草からピチョン、ピチョン、と水滴が落ちている。
アレックスの黒髪からも、ベンジャミンの銀髪からも、シャーロットのピンク髪からも、そして、赤毛の男のそれからも。
四人は四人共に湖に飛び込んでケイトリンを助けようとしていた。
そんな四人は四人共に湖底に立ったり座り込んだりして呆然と周囲を見回した。
何故なら、何が起こったのか、湖からは水が一切消えてしまっていたからだ。
ほんの数秒にも満たない間に、彼らが泳いでいた間に、消えてしまったのだ。
幸い四人共に湖底に激突して大怪我をしたりはしなかった。真ん中付近まではまだ遠く、水深がそれ程ではなかったのと、真ん中ら辺にいたとしても落下に対処できる力があったからだ。
「お水が……」
シャーロットの戸惑いはその場の誰もの代弁でもある。
だが、それだけではない者もいた。
「息を、してない……」
赤毛の男の呟きは奇妙な静けさと浸透力を以てして他三人の耳に届いた。彼らは同時にはっと赤毛の男の方へと目を向ける。
男の腕の中にはぐったりとして動かないケイトリンがいた。
彼は水中に飛び込んで彼女を掴んだのだ。引き寄せたところで水が無くなり湖底に魔法剣で降りて放心気味にしていたのだが、ケイトリンが呼吸していない事にふと気付いたのだ。
湖畔まで急ぎ彼女を運び芝生に寝かせる。
「ケイト様! 嫌ですケイト様! 起きて下さいよおっ!」
位置的に逸早く駆け付けたシャーロットが傍に膝を突いて涙ながらに訴え揺さぶる。しかしケイトリンは何も反応しない。されるがまま関節に悪そうに揺れるだけだ。
「お嬢さん、やめとけ」
赤毛男に注意され震えるその手をゆっくりと引っ込めるようにして離した。項垂れる。
アレックスとベンジャミンもほとんど同時に岸に戻りケイトリンの傍に寄ると彼女を見下ろして蒼白になった。
「何で、こんな事に……! 僕に高位治癒魔法が使えたなら良かったのに。いや、護衛を全て置いてきた僕が愚かだった。治癒魔法使いだけでも連れてきていれば……っ。お願いだケイト死なないでくれ!」
絶望に手で顔を覆うアレックスの向かいではベンジャミンが拳で何度も地面を殴った。
「俺は何て無力なんだ! 商才や戦いの腕だけを鍛えたところで、肝心な時に大事な仲間に何もできないとは……っ。ケイト、どうか頼む、俺をもう一度その何よりも澄んだ瞳に映してくれ!」
俯いていたシャーロットが天に祈るように両手の指を組む。
「ううぅ、ううっ、ケイト様っ、ひっく、起きて下さい、起きて下さいいい~、起きて下さいよおおおっっ、ああ、あああ、神様、私に救う力があったなら、あったならっ、ケイト様を救えるのにっ、大事な人を救える力が欲しいです。――欲しいっですーーーーっっ!!」
刹那、世にも神々しく清純な白い光が炸裂した。
「え? こ、これは!? 何でしょう? 私はどうしてしまったのでしょう? 手も足も光ってますけど!?」
シャーロットは困惑して白く輝く自らを見下ろす。
「まさか、その光は聖なる魔力か!? ――聖女が使うとされる癒しの力では?」
アレックスの言葉にベンジャミンも同意する。
「俺も聞いた事があるな。聖女は白き魔法の光を操ると。高位治癒魔法よりも更に高みの力で如何なる瀕死の者をも回復に導くと」
「なっなら、私はケイト様をお助けできるのですか?」
希望に目を輝かせたシャーロットへと、アレックスとベンジャミンがおそらくと頷いた。
「なら私、ケイト様をお助けしま――――なっ!?」
白い光が消えないうちにと急いでケイトリンに治癒魔法を施そうとした彼女は、目を疑う光景に言葉を失った。
アレックスとベンジャミンもだ。
――ふーっ! ふーっ! ふーっ!
彼らの目の前では、赤毛の男がケイトリンに何度と口付けて息を吹き込んでいる。唖然となる三人の前で顔を離すと今度は彼女の胸の中央、心臓のある辺りを何回か強く押す。そうしてまた彼女に口付けて息を吹き込むという動作を繰り返した。
変化がないかと男が一度ケイトリンの様子を確認したところだった。ベンジャミンがいきなり彼の胸倉を掴んだ。
「貴様、何をしていた!? よくも、彼女をこんな形で辱めるとは……!」
ベンジャミンの凄みにも男は一切動じず、視線はすぐにケイトリンへと向けられる。その顔付きには下卑た色や揶揄は全くなく一刻を争う状況に対する真剣そのものだ。男は不愉快そうに眉をひそめた。
「人工呼吸を知らないのか?」
「何?」
「はー、ならいい。さっさと放してくれ、手遅れになる前にな」
「貴様っ、まだ何かするつも――」
――かはっ、とケイトリンが水を吐き出した。
皆がハッとなる。
続けてもっと水を吐き、激しく咳込む。仰向けから自力で横向きになって丸まって苦しそうに何度もむせているのを見て、男はベンジャミンの手を鬱陶しそうに払いのけると彼女の背中を摩ってやり始める。
ケイトリンを案じているのか、男の手は決して乱暴でもいやらしくもなく、むしろ何故か邪魔をできない空気が二人の周りにはあって、アレックスもベンジャミンも、シャーロットでさえ、気付けば固唾を呑むようにして見守ってしまっていた。
「……っ」
二人より先に我に返ったアレックスは一人拳を握り締める。彼は先の男の行動が理解できていた。
ベンジャミンはまだ知らなかったようだが、人工呼吸と呼ばれるそれが時に溺れた者への救命に有効なのを。王家に伝わる秘技にも似た処置なので庶民やほとんどの貴族は知らないのだ。
現在の上流階級の常識では破廉恥とか不埒だとか言われかねないのでアレックスは躊躇ったのだ。ケイトリンの名誉にも関わるからだ。
「僕に意気地がなかったばかりに……!」
他の男にされてしまった。
万一醜聞になろうとも責任を取れば良かったのだし、それならば喜んで取る。或いは、純粋な人命救助だと雑念を捨てるべきだった。
できるなら自分が助けたかったとアレックスは猛烈に後悔していた。
ケイトリンは彼が生涯をかけて傍に居たい女性になっていた。
一方、ベンジャミンは「人工呼吸か……」と的確にその効果を理解すると、何かを思案するようにした。皆にこの救命の手法を浸透させれば水の事故で命を落とす者は必ず減るだろうからだ。彼は彼の商会の抱える船団の団員達に徹底させようと頭の片隅で考えてもいた。
同時に、助けるためとは言え意中のレディと自分ではない男の唇と唇が触れているのを間近で見ているしかなかったのは、やはり心穏やかではいられない。
ケイトリンを誰にも渡したくない、触れさせたくない、と彼は強く強く思った。
そんな彼らの独自に発展した感情は、この世界に小さな、しかし確かなヒビを入れるには十分だった。
唯一、天の声だけは外側からヒビが入る微かな音を聞いたかもしれない。
「ケイト様……まだ苦しそう」
シャーロットはハラハラとしながら見つめていたが、必要以上にはケイトリンと赤毛男に近付けないようだった。
三人は、ゲームのメインキャラクターとして超えてはならない見えない一線がそこにあるかのようにその場から動かなかった。
傍目にも幾分呼吸が楽になった頃、ケイトリンはようやくしっかりとした意識を取り戻したようで、ほとほと疲れた涙目で赤毛男を見るや、何と――がばっと両腕で思い切り抱き付いた。
「すっ……好きだあああーーーーっ!」
三人のメインキャラ達は愕然として大きく目を見開いて暫し固まった。
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