15

 アレックスとベンジャミンにより大蛇は長い体を幾つかに断たれ水中に没した。


 あの蛇は上体を湖畔におびき寄せて地上戦に持ち込んでから倒さないとドロップアイテムも拾えない。計画のみならずレアなお宝だって台無しああぁ。

 戻ってきた男二人は、その表情からさぞ十点満点な達成感を各自の胸に抱いている事だろう。


「ふう、岸に近付く前に片付けられて良かったな」

「ケイト、エバートン嬢、もう安心だ」


 シャーロットは「ありがとうございます」と素直に感謝の目だ。

 ピクニックシートから離れて湖の傍まで走り寄っていた私は思い切り落胆したのを隠せず、がっくりと草地に膝を突いた。何のためにここまで来たと思ってるのよ……。


「「ケイト!?」」


 二人は私に気付くとどこか怪我でもと慌てた様子で駆け寄ってくる。


 そんな彼らを見てぼんやりと感じた思いがある。二人はもう顔だけ~じゃなく私に好意を寄せてくれてるって、それくらいわかる。私の転生先がヒロインだったならこれも本筋通りだぜしめしめと喜んだかもしれない。


 でも、彼らの好意を私は受け取れない。


 この世界で自分が自由に生きるために無情にもそれらを退けるのを是とした私は、彼らを必要とする権利なんてない。


 ただ、友人として彼らの人生を、それがたとえこの世界によって初めから決定付けられたものだとしても、彼ら自身には真剣な人生なのは変わりないそれを、私は護りたい。


 この世界もろとも無かった事にさせたくない。


 無論、何度も言うけどその動機の根底にあるのは私の生存最優先、ビバ第二の人生!だけど。


「私は何ともないわっ。それよりもそこ、アレーックス! ベーン! 駆け寄る相手が違ーう! ロッティでしょ。お宅らのヒロインはあの子でしょー!!」


 きっと二人からしたら意味不明な私のガツンとした叫びには、困惑もひとしおだろう。現に二人共「ヒロイン?」とやや驚いた不思議そうな顔で足を止めた。

 だがそれがどうした。彼らのガラスのハートはさすがにこれくらいじゃ影響無いはずだ。


「あと、これまでは時々こう乱暴だったけど、本当の私は元々全部こんな感じなのよ。アレックス、ベン、悪かったわね猫被ってて。もう猫も被らないから」


 さあ幻滅せよってね。前は思い立ったものの諸々が起きてできなかったけど、今は違う。様付けもしないとは何て無礼な女だと怒れ。これで百年の恋も冷めるに違いないわ。

 二人は私を見て、何故か腰に手を当て私から顔を逸らすと肩を揺らした。可笑しくて思わずそうしたみたいに。


「知ってたよ」

「知っていた」


 は?


「君は僕との初対面を忘れたのか? あれが素顔の君だろ。お嬢様演技はお嬢様演技で可愛らしいけど、どちらでも一緒にいて苦にならない」

「前に、街中でエバートン嬢と二人でいるのを見かけたからな。その時から、ああ本来の姿も素敵な女性だと思っていた。素の笑顔も輝いて見えたな」

「あーはは、なるほど、どうも……」


 自分の間抜けさに羞恥が込み上げ頬が熱くなる。

 その裏では奇妙な程の安堵が湧いて感動すらした。

 友人に本来の私を受け入れてもらえたんだと。

 前世じゃ、生意気とか態度悪いとかガサツだなんて普通に言われていた。そんな事で周囲から浮くのはよくあって、だから野球少女やってた時期は無心にバットを振っている時間が何よりもリラックスできて好きだった。

 人間と違って練習は嘘をつかなかったから。

 生活が荒れて別の方向でバットを振っていた時期も確かにあったけど、まあそれはそれで、決して褒められはしないけどスッキリして好きだった。

 私にとってバットは心の安定剤でもあったんだ。

 ……不安から、この世界でもバットがほしいと思ってたけど、いつかそう思わない日がくるのかもしれない。

 そんな私の胸中を彼らは知らないだろうけどさ。


「僕は素の君でも猫被りの君でも好きだ」

「自然体のケイトを見せてくれて光栄だ。俺も好きだ。正確にはこの男よりも俺の方がケイトを好きだ」

「は、無駄な足掻きを。彼女の全てをもらうのはこの僕だからな」

「貴様は頭で虫が湧いているようだな。彼女は俺のだ」

「血迷ったか愚かな空想家め」

「乱心の妄想癖め」


 直前までの感激も薄れ辟易とした。二人共空気読め。今や湖は大蛇を屠った後の凄惨な色になっているんだけど? 血迷うどころか血で染まっておどろおどろしいんだけどっ。なのにおまんら何ピンクに盛っとんじゃい!

 能力覚醒前じゃ一般人でしかないシャーロットはまだピクニックシートにいる。ここからやや離れている彼女を見ると何故だか興奮したように頬を赤くし、私達をキラキラとした目で見ている。まるで楽しみな恋愛ドラマを観ているかのようなんだけど?

 何かを激しく誤解している気がする。


「あのねロッティ……なっ、――上に気を付けて!!」


 私も男二人もそいつを視認するなり駆け出していた。

 私の切迫声に彼女は不思議そうに目を上げて、大きくそのキュートな目を瞠って蒼白になる。


 ――ドラゴンだ。


 普通ドラゴンは未開の山奥の山奥の山奥とか人跡未踏の深ーい洞窟の奥にしかいない。王都のような大都市の近郊の森に出てくるはずがないのにどうして!?

 ドラゴンは上空から地上へと幾つもの火の玉を吐いてくる。

 いやいやいや何で即攻撃してくるのっ。まるで人間と見るや敵じゃごるあああっ!て勢いじゃないの。

 ドラゴンってもっと知的で慎重で思慮深い魔物だと思ってたんだけど!?


「ロッティ木の下に逃げて!」


 だけど初めて見るだろうドラゴンに体が強張って動けないようだった。


 火球の速度が思いの外速く、私達は間に合わない。


 ここでもしもヒロインが死んじゃったりしたら?


 そうだ考えた事もなかった。


 やっぱり世界が終わるの?


 もしそうなら今まで何のためにやってきたのよーっ!

 火球はシャーロットに迫る。

 ここで世界と共に死ぬなんて御免よっ!


「ロッティーーーー!」


 火球が地面で弾けて爆裂した。


「そんなっ、ロッ――――!?」


 彼女は、無事だった。

 ヒロインだから死なないよう修正力が働いて非常識なラッキーが起きた……わけじゃない。シャーロットだって死に得る。ゲームオーバーってやつね。


 その場合、セーブしたところからやり直しになる。


 ゲームなら。


 ここは現実だ。やり直せるならわざわざ時計塔広場でのようにこの世界が警告を出す必要もない。演出の一環な可能性は否定できないけど。


 まあ何はともあれシャーロットは無事だった。


 あいつの――赤毛の男のおかげで。


 直前まで彼女の居た場所は抉られて焦げていた。プスプスと燃え残りが燻っている。


「ふー、間一髪だったなあ?」


 彼の意外と低い声は推しのロイ様と良い勝負だった。


「あ! あなたは前に道を訊ねてきた方じゃ!?」

「覚えてくれていたとは光栄だ、お嬢さん」


 被弾寸前のシャーロットを抱え上げて回避した男は、彼女を地面に下ろすとどこか冷たさを含んだ笑みを浮かべた。そういう笑い方が彼の普通なのかはわからない。だけど見た目の若さに反して台詞がじじ臭い気がするのは何でかしら。まるで何年も何年も世間を見てきたみたいな。

 でも、ヒロインに恋させるならもっと優しく、蕩けるように笑うべきじゃないの?


 いや、そもそも、あそこで見殺しにしてしまえば世界が崩壊したんじゃ……?


「ちょっとそこのあなた、友人を助けてくれて大いに感謝するけど、世界ごと死にたいんじゃなかったの? 今なんて格好のシナリオ破滅フラグだったのに何のつもり?」


 向こうも私の言わんとしているものがわかったんだろう。

 また飛んできた火球をシャーロットを連れて器用にかわしながらどこか皮肉げな微笑を張り付ける。


「そうしたかったのはやまやまだが、ストーリー改変じゃなくヒロインが死ぬと、この世界はやり直しをさせられる。つまりは初めからの繰り返しだ。さすがにそれはもう飽き飽きしているんだよ」

「やり直し……?」

「まあな、今回あんたに会うまではそうだった。……と言ってもこの人生で何故かその繰り返しの記憶が戻ったってだけだがな。だがしかし、もしかすると今回はそうはならないかもな」


 やり直しだなんて、まるでゲームや小説によくある死に戻りやタイムリープみたいな言い様ね。天の声はゲーム世界だってこの世界の正体に彼が気付いてどうとか言ってたけど、彼はこの世界の中だけで何度もタイムリープしていて覚醒したタイプなの? あり得ない話でもない。私はその経験はないけど無限に同じ人生を繰り返したのを自覚したら精神的に結構病みそうだわ。その人生が酷いものなら尚更に。

 でもそれを問う前にドラゴンからの攻撃が激しくなって会話どころじゃなくなった。


「ロッティ!」


 彼女をあの男に任せておけない。駆け寄ろうとしたけど、ドラゴンは火球だけじゃなく滑空飛行からの体当たりと翼での暴風、鋭い牙での噛み付き攻撃もしてきた。


「ケイト危ないっ、不用意に出るな!」

「無理するな。今はあの男に任せてこちらは態勢を整えるぞ! 何を言っているのかは不明だか、助けたくらいだし彼女に危害は加えないだろう」

「それはそうだけどっ」


 あんたらのヒロインがうっかり他の奴に惚れ込んだらどうするのよーっ!


「こうなったのもドラゴンのせいだわ。まずはさっさと倒す! あの男からロッティが離れたらアレックス、あなたに護衛を任せる! ベンは援護ってゆーか、万一あの男が彼女を誘拐しないように警戒して! アレックスで間に合わない時は最悪ベンが代わりに彼女を保護して!」

「それじゃあドラゴンはどうするんだよ? ドラゴンは僕が引き受ける」

「そうだぞケイト、あなたはエバートン嬢に注力するんだ」

「駄目よ。当て馬に対抗できるのはヒーローって相場が決まってるでしょ!」

「「は?」」

「いいから総員配置に着けーっ!」


 ぶちギレた私の様子に二人は無意識に「イエッサー」とかしゃちほこ張って駆け出した。


 私はドラゴンを睨み付ける。アイテム関係は魔法収納に結構色々買い込んである。ドラゴンに有効なものも多数あるから負ける気はしない。でもそれらは事前に設置するものや防御がほとんど。特別に攻撃力が高いものはなかった。敵の体力を地道に削って行くしかないかなこりゃ。


 火球が連弾で降ってくるのを回避して木の幹を蹴ってホバリングするドラゴンへと肉薄する。そのまま鋼鉄体になって「うおりゃあーっ」とぶつかってやった。


 鱗と鋼鉄のぶつかった高く硬質な音が響き渡る。


 危惧して私の名を叫んだ友人達と、興味深そうに唸った赤毛の男と、皆が皆私の明らかになったチートスキルに大きく目を瞠った。


 生憎ドラゴンは姿勢を崩しただけで墜落はしなかった。思った通り手強い。体当たり攻撃で倒そうと思ったら夜まで掛かりそうだわ。これは元々防御が主目的の能力だしどうしようかしら、と思案する私は高い位置から鋼鉄体のままに着地するつもりでいた。


 しかし「きゃあっケイト様っ」とシャーロットの悲鳴が聞こえ、まさかあの赤毛が何か無体をと焦って振り向けば、すぐ近くに端正な面差しがあった。そよぐ赤い前髪の下では濃く美しい墨のような黒い瞳が私を捉えている。


「なっ!?」


 いつの間に接近をってびっくりして空中での姿勢を崩したところをすかさず彼の腕に引き寄せられた。このまま赤毛男と真っ逆さま、とはならなかった。


 何と彼は武器だろう剣を足場に浮遊していた。木も使わないでどうやって上空までって疑問も解消だ。


「って飛剣魔法が使えるの!? なるほどあなた魔法剣士か!」


 剣士はともかく魔法に心得があるなら禁忌魔法とかにはまって世界の深遠に触れて秘密を知ったとしても不思議じゃない。ファンタジーものだとそんな奴が出てくるのもあるしね。


「いや、これは洞窟奥でゲットした魔法剣。魔力がなくても飛行できるから便利だと思って手に入れに行ったんだよ」

「え、マジ? どこで見つけたのよレアモノじゃない! ……あ、こほん」


 普通にゲーム談義する口調で反応しちゃった……。


「ふっ、ははっ、俺の邪魔をするのはどんなお嬢さんかと思って近くで見たかったんだが、予想外に面白い特技と雰囲気を持っているなあ」

「へっ、そうですか。下ろしてくれない?」


 さっきのシャーロットみたいに横抱きにされたままで馴れ合ってどうすると反省する。

 改めて見ると、平民なのか襟元は紐で留めるタイプの簡素なシャツ。そこから覗く胸元は逞しく、しかも無駄に色気がある。っつか何で半分肌蹴てるのよ破廉恥な!

 今は知らないけど元は樵とか農夫とか体を使う職業なのかもしれない。腕も筋肉がしっかりと固い。

 メインキャラでもないのに目を惹かれる。


「ねえ、ドラゴンはあなたが連れてきたとか言わないわよね?」

「まさか。俺がそのつもりなら群れで連れてくる」

「じゃあどうしてドラゴンがいるのよ?」

「それはあれだ。そこの彼女が覚醒してないからだ。本来なら魔物が活発になったこの時期には、国から波及する無意識の聖女の力がドラゴンなどの上位魔物を王都にも寄せ付けないが、今はそれが一切ないからな」

「あ……そうか、聖なる加護」


 聖女がいるだけでそんなバリアができちゃうんだっけ。この世界の安定のための鍵はやっぱりヒロインよね。覚醒してもらわないと。


「あ、ついでだし、この機会に提案したいんだけど、世界をフリーズさせるのやめてくれない? そっちはそっちで悠々自適に生きて行けばいいでしょ?」

「ははは断る。この世界にはうんざりなんだ。また繰り返す可能性を考えただけで反吐が出るんだよ。ストレスフリーを目指してもう終わらせてしまいたい」

「個人的な悩みに全人類を巻き込まないでよ。やめないならあなたを成敗しないとならないわ。でもそれは面倒だから思い止まってほしいんだけど」

「ははっ面倒臭い? もしやお嬢さんがこの世界を維持したいって目的は正義感からじゃないのか?」

「正義感? 私とは無縁の言葉ね。私は私の充実スローライフのためにやってるの。正義云々は私の役割じゃない。彼らのよ」


 目でアレックスとベンジャミン、そして急にこいつから解放されて尻餅をついていたシャーロットを示せば、男はくはっと一際大きく表情を崩して笑った。シャーロットは駆け寄った二人に手を貸されて立たせてもらっていた。

 ああ、ヒロインの両手にハンサムガイ。ゲームのワンシーンにありそうな図がそこに!

 状況に則さない満足顔の私をそんな地上の三人は見上げて、どうしてか苛立ちや焦燥、心配を三者三様に顔に浮かべた。

 因みにこっちの会話は聞こえていないだろうから、私も気兼ねなくトップシークレットを話していられるってわけ。


 ん? 三人の血相が変わった?


「「「――ドラゴン!!」」」


 ハモって叫んだ。

 そうだよドラゴンだよ!


 魔物相手には油断大敵なんて当たり前だったのに。

 ハッと警戒心をMAXにしたところで敵は既に猛接近、肉薄していた。赤毛男の方も「あ」と呑気にも聞こえる声音で状況を悟ったようだった。


 このままじゃ、やられる。


 このままじゃ、敵たるこいつが先に。


 あはッ、何だ都合良い――――……わけあるかーっ、駄目でしょ!


「放してっ!」

「あっ、おい逃げたいのはわかるがそんなに暴れ――!?」


 あぎとを開いたドラゴンの鋭い牙が男の頭を食い千切らんと断頭台のギロチンの如く落とされる。


 刹那、ガギイィィィィィン、と金属同士がぶつかり合う音がその場に大きく上がった。


「な、あんた……どうして俺を庇うなんて……?」

「はっ、そういう性分だからじゃない?」


 私は暴れて彼の抱っこから逃れて、ドラゴンの口へと身を踊らせていた。この鋼鉄体はドラゴンの牙でだって傷付ける事はできないからね。

 

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