11

「ケイト! あなたよくもぬけぬけと男を誘惑なんてしてたわね、見てたわよあれ! お姫様抱っこ!」


 深夜、シェフィールド伯爵邸の屋根裏部屋は騒がしくなった。大きな声と音を立てて非常識にも遅い時間に無断で駆け込んできたジョアンナは、眠い目をこする私をキッと睨み付けている。

 案の定見られていたらしい。


「……あらジョアンナ~? もう朝ごはん~?」


 私は寝惚けているふりをしてやり過ごそうと試みる。だってこんな時間にまともに相手したくない。


「はああ? 寝惚けてないでさっさと起きなさいよ! 誰かバケツに水持ってきて頂戴!」


 げっ、それで目を覚ませって? 冗談じゃないっ。


「あら? ジョアンナったらまさか今帰ってきたの? こんな遅くに! 今まで誰とどこにいたの!?」


 婚約者以外のどこかの貴族の男を引っ掛けたのかもしれない。その通りだったのかジョアンナは反問されてうっとたじろいだ。

 父伯爵に男遊びで夜遅くなったと知られれば、多分ジョアンナでも謹慎を食らうと思う。万一結婚前に婚約者以外の男の子供を身籠ったりしたらそれこそ伯爵家の体面に関わる。


「わ、私の事よりケイトあなたよ! 一緒にいた黒髪のイケメンは誰よ!」


 そうくると思った。


「靴ずれを起こして難儀していたのをたまたま助けてくれたアレックス様よ」

「アレックス? どこの貴族?」

「さあ、冒険者をしているみたいだけど、貴族かどうかまでは詳しく知らないの」

「冒険者あ? ……ふっ、ならどうせどこかの貴族から招待状を大金で買って参加した成金商人辺りね」


 何だ気にして損したと悪態をつくとあっさり出て行ったジョアンナは容姿だけじゃなく身分や地位にも固執する人間だ。だからこそイケメンで王族のアレクサンダー王子を追い掛けるようになるんだろう。近い未来、彼は王子として公にあの麗しい素顔を晒すようになるからね。

 因みにざまあな事に、偶然にも屋敷に滞在していた伯爵の耳に入って翌日以降ジョアンナは謹慎を食らった。

 私は良い子の時間に帰宅して早々に公爵家の人間と顔合わせは済んだと伯爵に報告したから当然お咎めはなかった。

 ジョアンナのとばっちりで私への監視も厳しくなるかとも思ったけど、そこも杞憂に終わったのは幸いだった。


 




 王都でよく使われる待ち合わせ場所と言えば、時計塔の下が定番だ。


 この王都にはロンドンみたいに高い時計塔があるの。

 その時計塔には魔法使いギルドに属する魔法使いが常駐しているらしく、基本的には許可なく入れない。

 それでも交通の要所に面している時計塔の下はベンチや噴水のある広場になっているのもあって、待ち合わせに便利だからと人々は集う。


 時計塔には二階部分に小さな外舞台があって、定時になると動き出し人々の目を楽しませてくれる魔法動力人形もあるから、それを見に来る観光客もいたりするようで人の行き来が絶えない場所の一つだ。


 私ケイトリン・シェフィールドも巷の若者達の例に漏れなく待ち合わせ場所として使った。


「良かった。まだアレックスは来てないわ。まさか王子を待たせるなんて失礼はできないもんね」


 待ち合わせの午後二時までにはまだ一時間ある。

 かなり早く来たけど別にハンサム王子との初デートに浮かれているわけじゃない。保身のためよ。

 ……と、そう思っていたんだけど、アレックスはこっちの予想を悉く裏切る男だった。


「ケイト!? 随分早いな!」

「あー……アレックス様こそー、随分お早いですねー」


 時計塔下のベンチに座って気長にぼんやりして時間を潰そうと思っていたら、イメージ面で大量の花をしょった彼が駆けてきた。種類は瞳の赤に合わせて赤薔薇。わーはははゴージャス。道行く女性達も彼を振り返って頬を染めている。


「早く来た甲斐があったよ。その分だけ君と多くの時間を過ごせる」


 早く始めた分だけ早く帰れるって希望は潰えた。


「席の予約時間までは一時間ちょっともあるし、それまでは大通りを散策しようか」

「ええ、そうですね」


 蓋を開けてみれば僅差で先に来てベンチに座っていただけだった私へとアレックスが手を差し伸べてくる。自分で立てるとか本音じゃ思いながらもその手を取ろうとして、横から伸びてきた別の誰かの手が私の手を掴んだ。


「時間を潰すなら俺に任せろ。そしてそのまま一日俺とデートしよう。そこの男など忘れてな」


 ベンジャミン・チャンドラだ。


「どうして君がここにいる?」


 彼は昨日の会話を聞いてはいたけど、まさか来るとは思……ってたわ八割方。ゲームでもヒロインとアレックスのデートの邪魔をよくしていたもの。ベンジャミンルートだとその邪魔立てが功を奏するってわけね。

 ベンジャミンは繋いだ手を引いて私を立たせてくれると、放さずに歩き出す。


「えっ、ベン様どこへ!?」

「ケイトが嫌がっているだろう! 手を放せ!」


 私の反対の手をアレックスが掴んで引き留めてきた。


「そちらこそ俺の婚約者に馴れ馴れしく触れないでもらいたい」

「まだ違うだろ」


 ベンジャミンはアレックスの腕を狙って手刀を繰り出す。対するアレックスは手刀を掴んで止めた。

 結果、三人で手を繋ぎ合って輪になるという奇妙な状況が生まれた。え、未知との交信? かごめかごめの外遊び?


「二人とも変に目立ってますからどうか落ち着いて下さい。ね?」


 もしも伯爵家の人間に知られたら私が密かに外出しているのや冒険者やっているのがバレる可能性がある。そうなれば異母妹同様に監視されて屋敷から出られなくなるかもしれない。死亡フラグ回避して伯爵家を出るって方向で行こうとは決めてるけどそこまでの不自由は望まない。

 しかし二人は聞いていないのか睨み合いがヒートアップ。放たれる殺気が余計に衆目を集めている。

 顔を隠したくても今は仮面もないし、両手は二人に握られているから使えない。

 喧嘩か、痴情の縺れかと、どやどやと次第に視線だけじゃなく足を止めて眺め出す野次馬が増えていく。


「アレックス様、ベン様」


 二人はまだ聞く耳を持たないで牽制し合っている。

 だあーっ何なのよ全く! 髪の毛バッサーして井戸から出てきたホラーレディになって顔を隠すしかない?


「……二人は、私と会えなくなってもいいんだ?」


 ホラーまではならないにしても少し俯きがちにして、私は苦労して叫ばずに低い声を出した。口調もおしとやかさなんて気にしない。

 予期しなかった地を這う声の凄みにか、男二人はピタリと動きを止めて揃って私を見つめた。え、今の声はケイトからなのって心底不可思議そうな顔になっている。

 私は据わらせた両目をゆっくりと上げて二人を順繰りに射る。


「手を放してくれない? 目立つのは好きじゃないのよ、ハ!」


 顎を上げて偉そうに命じれば、二人はハッとして恥じ入るように素直に私の手を放してくれた。互いに敵対相手に集中するあまり女の子の手を強引に掴んだままなんて決して紳士的じゃない行動を自覚したらしい。ついでに言えば気に食わなそうに視線を交わしてお互いの手も振りほどく。


「ケイト、その、ごめん!」

「ケイト、無理に済まなかった!」

「…………」


 私は怒った三角眼を緩めない。暫しどこか気まずい空気が流れた。二人は私の言葉を待つように揃ってしょげた大きなわんこみたいになっている。


「アレックス様、お約束通り喫茶店にはご一緒します。……あとは森の件も」


 森の件とは魔物狩りに行こうってあれね。ベンジャミンにまでは知られたくないからそうボカした。アレックスは瞬時に明るい顔になるとふふんと得意そうにベンジャミンを見やった。勝者のつもりだろう。一方のベンジャミンはこの世の終わりみたいに愕然として私を見つめてくる。


「ですが、それで私達はもう会わないようにしましょう」

「ケイト……?」

「はっ、さすがは俺のケイト。誰より良識のある女性だ。彼女と俺には家同士が結んだ強固な赤い糸があるんだ。貴様には決して太刀打ちできないような、な」


 今度はアレックスがショックを受けて、ベンジャミンが勝ち誇った顔付きで一人勘違いする。

 はあ、頭痛がしてきた。ゲーム内で見てきた彼らの痺れる~な独占欲とかポジティブ精神が現実のしかも当事者になるとこうもウザいと感じるなんて自分でも予想外よ。


「ベン様も、申し訳ありませんが、私達の縁談はなかったものとお考え下さい。私はあなたと結婚できません」

「な……に?」


 それぞれ言葉を失くす美形二人を前に、私は最後通牒を言い渡すかのように大きく息を吸い込んだ。


「お二人には悪いのですが、私には――――」


 ゴーーーーン、ゴーーーーン、ゴーーーーン、ゴーーーーン、ゴーーーーン、ゴーーーーン、ゴーーーーン……。


 まだ定時でもないのに時計塔の鐘が大音量で辺りに鳴り響いた。びっくりして動けずに聞いているけど、多くても十二回までな鐘の音が鳴り止む気配はない。


 ゴーーーーン、ゴーーーーン、ゴーーーーン、ゴーーーーン……。


 この時、私は世界から色が無くなったように感じた。

 だけど、視覚に色はある。なのに、どこかの感覚が狂ったような変な感じだ。あたかも自分がこの現実に属していないみたいな……。乖離するみたいな……。

 しかも更に、異変が起きていた。


「な!? 人が……っ」


 ――止まっている。


 歩いていたはずの、談笑していたはずの、転びそうになっていたはずの、一切の人々の活動が静止している。

 私はハッとして振り返った。


「アレック、ス、さま……――」


 アレックスとベンジャミンの二人も例外なく止まっていた。


 依然、鐘はゴーンゴーンと無限鐘突きかって感じでうるさく鳴り響いているってのに。


 と、私の耳は時計塔から微かに何かが軋む音を捉えた。


 警戒もあってぱっと勢いよく顔を向ければ、何と時計塔の外舞台に造られている魔法動力人形達が動き出している。


 それらは毎日定時になると、およそ二分の間動いて人々の目を楽しませてから止まる仕組みで、回転したりしながら簡単な物語を紡ぐの。

 広場の人間も鳥も脇道を通っている馬車馬だって嘘みたいに動かないのに、魔法仕掛けの人形だけがシュールにも共に奏でられ始めたメルヘンチックな楽しい音楽の中で決められた役割をこなしていく。


 音楽と鐘とが重なって頭の奥でハウリングしてくらくらしてきた。


 なのに逃げもできず、耳を押さえながら私は呆然としてそれらを眺めるしかない。


 一体全体これは何の冗談?


「……時間の魔法?」

『――いいや違うよ』


 硬い動きで畑を耕していた農夫役の人形が無機質な目をギョロリとこっちに向けてカタカタと口元を動かした。


 信じられない事に確かに声はそこから聞こえてきていた。大人と子供の声が合わさったような変な声が。


「あっ! その声、――天の声ね! これはどういう状況なのよ!」

『どうも。これはこの世界から君への第一の警告さ』

「世界からの警告……? どういう意味?」

『転生前に言った事を覚えているかな? メインキャラ達のエンディングを変えない方がいいというやつを』

「勿論よ。だから今二人に断ろうとしていたんじゃない。そこを偶然にも邪魔されたん――……って、もしかして、故意に邪魔を?」

『そんな目で見ないでくれ。私ではない。世界が、だ』

「どっちでも似たようなものでしょ?」


 そう言ったら少し切なそうな沈黙があった。区別してほしいの? まあ天の声の事情はどうでもいい。


「だからそれで? この先ヒロインを好きになるように無駄な執着を捨てさせようとしたのよ。何か警告される筋合いがあるの?」

『キャラ達の精神を壊しても、世界崩壊を招くんだよ。君に振られたら彼らは失意のドン底を突き抜けて地獄の底くらいまで沈んで、ヒロインと恋愛どころではなくなるからね。彼ら自身の設定に則した仕事すら手に付かなくなって評判もガタ落ちで、そんな駄目男にはヒロインでなくても恋なんてできない』

「え……はい?」

『振るにしても、お手柔らかにーと言うか何と言うか……まあ無難になるようにそっちで上手いこと調整してくれ』

「はあああっ丸投げってこと!? それに超絶面倒な反則レベルの規則だし!」


 嘘ーん、彼らをここできっぱりフッたら駄目なのー? 失恋の痛みで精神崩壊するとか、なんっっってガラスのハート!! ヒーロー達のくせにっ!!


『そんなわけだから宜しく。一つ助言すると、段階を踏んで彼らに君は高嶺の花だと思わせて身を引かせるように仕向けるといいよ。急に衝撃ドカーンだとパリーンといくだろうからさ』

「くうぅーーーーっこっちの身にもなって! そもそも手違いで死んだってのに何でこんな苦労をしなきゃならないのっ。私が何をしたってのよーーーーっ!」

『まっまあそこは本当に申し訳ないとは感じているよ。そうだ、せめてもの償いにもう一つ何か能力をあげよう』

「……二言はない?」

『ないない』


 うーん、二人に無理だと納得してもらえるよう説得できる弁の立つ思考回路とか? いやいやそんなの勿体ないか。


「すぐには思い付かないから、保留にしても?」

『オッケ~』


 天の声ホント軽いっ。


「なら必要になったら頼むわよ。世界からの警告は理解したから、そろそろ戻してほしいんだけど?」

『ああ、そうだね。因みに警告は三回までしてくれるから。これも手違い死にした君へのせめてもの償いだよ。タブーを知らないで転生人生を破滅させたら不憫だからね』

「それはどうもっ。それと、こんなある意味ホラーな心臓に悪い演出もうやめてよね。チャッキー思い出したわよ」

『あー、あの昔のホラー映画か。中々にマニアックだね。だけどそかそか悪いね、先方に言っておくよ。私もこの形で話し掛けるのは少し想像してなかったしね』


 天の声め、この世界があたかも同僚かのように……。哲学的になりそうだから深くは考えないでおこう。

 とにかく、現実に戻ったら二人とまだこの先も顔を合わせないとならないってわけかあ。刺激し過ぎてもNGとか、彼らの心の強度がわからないから手探りかつ綱渡りも同然だ。


『ああっ、そうだそうだ、もう一つ大事なお知らせがあったのを忘れていたよ』

「さっさと言え!」

ちべたい……。君は生きたくてこの世界を壊さないようメインキャラ達を遠ざけるんだよね』

「まあね」

『実はさ、残念ながら世界を崩壊させて世界ごと人生を終わろうとしている者がいるんだよ』

「えっ!? まさか私の他に憑依転生者がいるの!?」

『んー、彼は憑依転生ではないね。君のような脇役やそこの広場にいるようなモブですらない、ゲームには出てこないがこの世界で生きている姿も役もない住人かな。少し前、彼はこの世界が何なのかを知ってしまったようでね。ちょうど人生に絶望していた彼は世界ごと自らを滅ぼしてしまおうと考えているようなんだよ』

「モブですらない人にそんな事ができるの?」

『できるよ。行動によってはゲームのメインキャラ達の結末を変えられるからね。所詮はゲームキャラ達もその世界の中から見れば普通に生きている生身の人間だ。周囲の影響で行動を変化させるのも可能だよ』

「……何か無責任、天の声は」

『そう言わないでよ。私はあくまでも天の声であってこの世界じゃないんだから』

「薄情声~……」


 ふふふ、と天の声は笑った。


『だからね。くれぐれも彼には気を付けて。――今もこの場に来ていて、君を見ているよ。世界の秘密を知った影響か、彼も例外的に動けるから』

「それを早く言えーーーーっ!」


 焦る私は全てが止まる広場をぐるりと見回し忙しなく視線を巡らせる。


 どこ、どこなの、どこにいる? どこ――……?


 くくっと、本当に微かにだったけど遠くで笑った男の声が聞こえた。


 即座に視線を突き刺した先、人の重なったほんの隙間から見えた向こう、そこにそいつが立っていた。


 滾る怒りに燃えるような赤い髪をした、背の高い若い男が。


 明らかに私を見つめて愉快そうに口元を笑ませて。


 停止世界にたったの二人きり、動いている。


 でもロマンスなんて感じない。


「あの男……!」


 どう見ても嘲笑だった。

 世界崩壊を止められるなら止めてみろ、受けて立つ、とでも言うような。

 短気な私は咄嗟に駆け出そうとして、しかし思わず足を止めてしまっていた。


 何故なら、男の横には一人の少女が笑顔を浮かべて立っていたからだ。彼女は笑みの形を微塵も変えないままに止まっている。


 桜の花のようなピンク色の髪、ここからじゃ笑んで細められているのもあってはっきりと色までは見えないけど、きっと鮮やかなグリーンの、まるで宝石のエメラルドみたいな色の瞳の持ち主だろう。いや、だろうじゃない、持ち主だと断言する。


 ふわりとした少女のあの可愛らしい顔立ちは忘れようがない。


 ――ヒロイン。


 このゲームのプレイヤーが動かす主人公、シャーロット・エバートン、彼女だ。


「う、そ……よね?」


 この時期まだ彼女は出身地方から出てきていないはずよ。

 聖なる力の覚醒で聖女候補として王都に上京してくるのは私ケイトリンが十八歳になってから。

 ゲームではその頃に王都の新聞で聖女候補がついに上京って騒がれていた。


 それが、どうして今ここに……なんて愚問か。


 全てはあの赤毛の男だわ。これは確信。


 こんな時なのに、悪役って割かし赤髪系のキャラに多いわよねーなんて頭の片隅で思った。


「こ……っの!」


 現行犯で捕まえてやろうと改めて一歩を踏み出そうとした矢先、唐突に周囲の全ての喧騒が戻った。


 戻ってしまった。


 動き出した沢山の人々に紛れて二人の姿が見えなくなる。


「あっ待っ――」

「「――ケイト!」」


 慌てて駆け出そうとすると、アレックスとベンジャミンから呼び止められてしまった。あー、すっかり存在を忘れてたー。


「本当に悪かった!!」

「心から済まなかった!!」


 アレックスとベンジャミンから二人同時に深々と頭を下げられては無視もできず、もういいからと即座に赦した。


 急いでさっきの辺りを捜したけど、生憎と広場にはもうどこにもあの男とヒロインの姿を見つけられなかった。

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