12
「――ふっ、面白い」
赤髪の男は小さく口の中で呟いた。
全てを失い酷く絶望した日、彼は自分が何百何千何万回と同じ人生を送ったのを唐突に自覚した。
正確な回数は多過ぎてわからない。もしかしたら億を超えるかもしれない。
そして、この自分の生きる世界には自分と言う存在は無価値であり、唯々諾々と名もない、誰にも知られる事のない人生をこなしていくしかないのだと悟り、憤った。
この世界はごく少数の人間だけのための世界で、メイン以外はどう生きようとも関係ない。
仮に自分が明日死のうとも、誰にも認知もされずこの世界の設定という括りに埋没する。土の墓よりも余程残酷だ。
どうして自分だけが奇跡的にこの異質に気付いたのかはわからない。最早その原因や理由はどうでもいい。
加えて、この世界の数多の分岐も頭の中に強制再生され、彼は自分が世界の秘密を知ってしまった罰をその身に受け発狂して廃人になってしまうのではと危ぶんだ……が、幸いそうはならなかった。
この世界にはメインキャラがいて、彼らの恋愛模様を含めた運命を神の意思のごとき何者からが導いて行くというものだとも知った。
どうして彼らのために自分は繰り返し生きなければならないのか。理不尽という名の下に沸々とした激しい怒りが渦を巻く。
だったらもういっそ、この世界をねじ曲げてしまえと、そう強く思った。
それが人生の最後の一度になるのだと天啓のように悟っても、罪の意識など少したりとも湧かなかった。
この世界には未練などない、望むところ、と。
だから、それからはこの世界の知識を活用し世界の大筋に影響のない範囲で動いて急いで一財産を築くなどして、メインキャラへの干渉の基盤を整えた。
最も手っ取り早く世界を壊すには、ヒロインをヒーローとくっ付けなければいい。ヒロインを全く関係のない男に懸想させてしまえばいいとして計画を立てた。
本来の筋道を逸らしてやればきっと上手く行く。
だが、この世界から浮いた存在は自分だけではなかったのを知った。
一人の女がそうだと知って、面白いと思った。
競う相手がいた方が断然退屈しない。
今日まではあまりにもすんなりスムーズに事が運び過ぎていて、多少手応えのなさに失望していたのは否定しない。
ヒロインのピンク髪に劣らず、紫色のレアな髪色から相手が何者なのかもすぐにわかった。
死に令嬢ケイトリン・シェフィールド。超の付く脇役だ。
彼女は天の声とか言うよくわからない存在と会話していたが、どうして脇役が本来とは異なる動きをするのかはさておき、もしも彼女が邪魔になるようなら、この世界のストーリーに則して死んでもらえばいいだけだ。
そう思ったら一層可笑しくなった。
この世界に翻弄されている自分にも、彼女にも。
「まあ彼女の命運がどう転ぶにせよ、世界の結末をこの目で見届けるのは俺だ」
彼は、そんな風に笑って広場を後にした。
先の騒々しさが嘘のように時計塔の鐘は沈黙し、外舞台の人形達は静かに動かず次の出番を待っている。
「ケイト、一度座って休んだらどうだ? 何か飲むか? 僕がすぐにでも調達してこよう」
「誰を探そうとしていたのかはわからないが、良ければ俺も手伝う」
アレックスとベンジャミンは二人からすれば不可解な急激な私の焦りと苛立ちに少し驚きはしていたものの、彼らにもまだ先の反省心があるのか優しくも案じる言葉を掛けてくれた。
素直にベンチに座った私はやっといつもの感覚を取り戻した。
両脇に座る二人は大人しく私の言葉を待っている。ぐいぐいヒロインと距離を詰めようとする本来の彼らの性格からすると意外な従順さね。……私ってそんなに怖い?
まあいいか。攻略チョロいとか嘗められるよりは。
ふう、と小さく気休めに息を吐く。
ぶっちゃけきっぱり縁を切ってしまいたい。けどできないのがもどかしい。とは言え何か釘を刺しておかないと。
私は腹を決めるとベンチを立ってくるりと反転、青年二人へと正面を向く。
「二人に相談なのですが、私には好きな人がいるんです」
「ロイか!」
「青の騎士団長だな!」
「えっ何で知って?」
「「見ていたらわかる!!」」
うーん、私ってそんなにわかりやすい?
「なら話は早いですね。お二人にはどうかロイ様との仲を応援して頂きたいんです!」
「「え……」」
舞台女優よろしく思い切り私が感情を込めれば、二人は鉄バットでガンガン頭を殴られたかのような衝撃を受けた顔になった。
これは完全脈なしな一発でしょ。二人からは好きだって言われたわけじゃないから先手必勝と制した。
二人にプライドがあるならもう私に接触なんてしてこないはず。縁談だってベンジャミンの方から取り消すようにランカスター公爵に進言するに違いない。
さて、喫茶店は約束だし、アレックスがキャンセルしようって言わない限りは同行するしかないわよね。
「そうだ、喫茶店、そこで相談に乗って頂けますか?」
極悪で歪に嗤うだけが悪女じゃない。
私は綺麗な微笑みをその頬に浮かべた。
まさかこの世界に敵って言っていい存在が居るとは思わなかった。人類の敵たる魔物は別として。あの赤毛の男め、必ず見つけてギッタンギッタンにしてやるわ。
自分の行動だけを注意していたんじゃ間に合わないだなんて、何って割に合わない転生よ。しかも他まで注意していても危ういとかっ。何の地獄っ。
「ケイト? その紅茶美味しくなかった?」
じいーっと口も付けないでティーカップの中を睨んでいたからか、向かいの席からアレックスが心配そうに声を掛けてきた。
「ああえっと、まだ飲んでいないので何とも……」
ここは約束のスイーツ喫茶。
結局、アレックスは私との喫茶店行きを望んだ。
私の無神経女を演じる悪女な意図に気付いていて敢えて気付かないふりをしたのかもしれない。……うーん、いや、やっぱり細かな恋の機微には疎そうだし素で気付かなかった線もあるかな。
何にせよ、確かにアレックス一人では来づらい場所だわ。甘い香り漂う店内には女性客がとりわけ多いし、男性はカップルで来ている人がそこそこなのと、あとは友人数人と来ているんだろう人達だ。これじゃもしもアレックス一人だったら注目されたわね。
ここで私ははたとした。
そういえばアレックスはまだヒロインのシャーロットに出逢っていないんだろうか。
彼女の運命は彼なんだし、上京時期が本来の時期と違ってるなら、私と森で遭遇したみたいにイレギュラー展開が起きて既に知己になっている可能性がないとは言えない。
「アレックス様、一つお訊ねしたいんですが」
「何だ?」
「最近、珍しいピンクの髪の女性に会いました?」
「いや、ないな。そのピンク髪の人がどうかしたのか?」
「あ、あー、ないんですかそうですか」
予想は外れー。
元々の展開だと聖女候補として上京してきたヒロインが教会での彼女のお披露目式中に魔物に襲われたところを、お忍び歩きしていたアレックスが助けるシーンが二人の出逢いだ。彼女は聖女候補であるがために魔物連中から危険視されていて災いの芽を摘んでおこう的な思惑から攻撃を受けたってそんな展開。
その襲撃事件は私の十八の誕生日よりも後だから、まだ何ヵ月も先。
加えて、シャーロットは私と同い年だけど誕生日は私のより約一月早い。
とにかく、王道カップルにはイレギュラーがないのかと正直少し残念な心地で私はようやく紅茶に口を付けた。
「――珍しいピンク髪の女性なら、俺は会った事がある」
「ぶほーっ!」
噎せる私の横で円テーブルに静かにティーカップを置いたベンジャミンがしれっと口を挟んだ。
実は彼も一緒に喫茶店に来ていた。広場じゃガーン!ってな感じに凹んでいたけど意地なのか付いてきた。
予約は二人だったけど、店の配慮で親切にもベンジャミンの椅子も用意してくれた。予約席が広くてよかったわ。
話を戻すと、何とまあ爆弾発言よ。
彼も後々ヒロインとは会うけど、アレックスよりも先ってのは想定外。びっくり仰天だ。
「ごほっ、えっ!? ごほごほっ、それはいつどこで!?」
「だ、大丈夫かケイト?」
アレックスが普通に気遣ってくれる横で、ベンジャミンは私にハンカチを差し出してくれつつ無言で向こうの方へと指をさす。あらありがと。アレックスもハンカチを出そうとしたけど僅差で出遅れて頬を膨らませた。子供かっ。
「今日ここで、ついさっき会った……というか見た」
「ええ……?」
半信半疑でベンジャミンの指し示す先を見れば、そこには給仕の制服を着て一つに髪を結ったピンク髪の少女がオーダー帳を手に客の注文を受けている。
え。
ヒロインいたーーーーっ!!
つい小一時間前まで広場を赤髪の男と歩いていた気がしたけど!? あの後ここの仕事に来たの?
なら赤髪の男ももしかしてここの従業員だったり……?
期待して店内を見ていたけど、そいつはいなかった。
まあ、そんな都合よくいかないか。
でも幸運にも手掛かりはある。ヒロインシャーロットよ。彼女に話を聞ければ一気に進展しそうだわ。
そんなわけで、早速話を聞いた。
「――赤い髪の? ああっあの人ですね、道を訊かれて案内してあげたんですよ。話が面白くて楽しい人でした」
「あ、そうなの、へえー。変な事を訊いてごめんなさいねー」
「いいえー」
前置きとかどうぞ宜しくとかまどろっこしいのは嫌だったからあなたを広場で見かけたんだけど、と壁ドンしてシャーロットに直接訊ねたらそんな回答があった。
落胆して席に戻った私を青年二人はどこか不満そうに見てくる。
「え、何か?」
「ちらっと聞こえたけど、赤い髪の男を探しているのか? そいつの身分は?」
「広場で途中から様子がおかしかったのは、その男のせいか。何者だ? もしや脅されているのか?」
わー、結構距離があったのに地獄耳。話を聞かれないように敢えてシャーロットの所まで行ったのに。
彼女はゲームと同じように声も可愛かった。さすがに多くの耳目のある場所で聖女候補云々って話はできなかったから、その話は後々彼女と仲良くなってから聞き出そう。どうしてこの時期に王都に来ているのかとかも含めてね。
メインキャラとは関わりたくないって思いは変わっていない。しかしながら状況がそれを許さない。私はヒロインとも繋がりを持たないと駄目みたい。
だからこそ、この機会を有効に使おうじゃない。
「あ、店員さーん、追加で注文いいですかー?」
私は敢えて話を切ってシャーロットを呼んで頼む。
「アレックス様とベン様も追加で何か頼んでは? 私だけ食べても申し訳ないので、あ、何も頼まないなら先にお帰り下さって構いません。ああいえ、お帰り下さいね」
二人はすぐそれぞれシャーロットにコーヒーを頼んだ。
畏まりましたと去っていく背中を見送って、二人へと目を向ける。
「どうでした?」
二人は急な振りに戸惑った顔をした。
「どうって、何が?」
「何についてだ?」
「今の注文取ってくれたあの子です。とーっても可愛らしいと思いませんでしたか? 思ったでしょう!? それはもう惚れちゃうレベルで!!」
ついつい身を乗り出すと、二人はへへっと何やら照れ臭そうに笑う。
おっ、その反応はやっぱりそうよね、とどのつまり二人はメインキャラなんだから本筋に沿ってヒロインにほの字になって当然よ。二人共私に気兼ねせず真実の恋を追いかけてーん。
「普通に可愛い子だとは思う。だけど僕は普通にじゃない可愛い子がいいから」
「俺はそれが予定であれ一度身を固めたら余所見をしない主義だ」
はあ~~~~。しぶとい。巣食ったシロアリとかゴキちゃんの方が余程あっさり退散しそうに思えるしぶとさよ。
その日は何度シャーロットに注文を取ってもらっても男二人は微塵も揺らがなかった。
結局がっくりきた気分で、喫茶店を出る最後までを過ごした。
翌日、私はまたスイーツ喫茶に来ていた。今度は一人で。
通い詰めてシャーロットにまずは私に親しみを覚えてもらおうって魂胆だ。……ストーカーちっくな真似をしている自覚はある。だけど長生きを目指す私としては背に腹は代えられないのよ。
しかし、思惑は外れた。
シャーロットはいなかった。
昨日と同じくらいに来たんだけど、働いている時間が昨日とは違うとか? 少し粘ってみても現れる気配はなく私は肩を落として店を出た。余談だけど煩わしさのない中で味わったスイーツは美味しかった。
「時計塔広場で少し休んでいくかな」
もしかしたらまたあの男を見かけるかもだし。
しかし目立たないよう冒険者ローブ姿でベンチでだらーっとしていた私が見かけたのは、期待していなかったシャーロットだった。
しかも彼女は意外なものを着ていた。
「何で王都の高等学校の制服を?」
貴族の子女達が通い、または寄宿舎生活をしたりするそこはかなり学費が高い。片田舎の庶民出のシャーロットがポンと払える額とは思えない。
予定よりも早く聖女能力が開花してそのお陰で教会から通わせてもらえてる、とか?
だとすればバイトなんてする必要はないはずよね。
あ、まさかその学費のためにバイトしているとか? あり得る。夜遅くまでバイトを掛け持ちしながらの苦学生って線が最も考えられそうだ。
これも親しくなる好機と思い私はベンチから腰を上げた。
「あれ~、もしかしてあなたはスイーツ喫茶の店員さんではないですか~!」
何食わぬ顔で話し掛けたら、シャーロットは「あ、昨日のお客様」と向こうもやや驚いたような笑みを浮かべた。
「へえ、学生さんなんですね。ここに住んで長いんですか?」
「あ、いいえ、この前上京したばかりで……幸運にも」
幸運? 彼女は喜びを噛み締めるように最後にそう呟いたけど、それはつい、ふと呟いてしまった言葉だったみたいだ。
私の不思議そうにした顔に気付いてハッとする。
「あ、ええと、実は勉学に集中できるようにと学費を全額支援して下さる方がいまして。とは言ってもお会いした事は一度もないのですけれど」
へえ、足長おじさんってやつ。
――臭いわね。
シャーロットが学生するのはともかく、足長おじさんなんてそんな存在ゲームには出てこなかった。
脳裏に赤い髪が翻る。
もしもヒロインのハートを掴むなら、王都で何気に知り合いになって後々実はその足長おじさんは私でーすって正体を明かせばかなりポイントは高いんじゃないの?
そもそも学生をやらせるだけでもアレックス達との接点は減りそうだわ。メインキャラ達のほとんどは飛び級したケースもあるけどもう卒業している年齢だもの。
彼女を敵に良いようにさせるわけにはいかない。
「あの……? どうかされましたか?」
急に私が黙り込んでしまったからか、シャーロットは訝るようにして見つめてくる。
私はしかと相手の目を見つめた。
「その学費、――私に出させてくれませんか?」
もう四の五の言ってはいられない。ヒロインは私が頂く!
って、百合展開じゃないわよ。
彼女を掌の上で転がすならそれは私だって意味。
「え、ええと?」
まあそりゃ思い切り怪しい提案よね。見ず知らずの同年代の女から支援するなんて急に言われたら。
「あ、私はケイトリン・シェフィールド。今は格好があれですけど伯爵家の娘です。将来有望な学生を援助するという家の慈善事業の方針で、実はそういう学生を探していて、それであなたに会ったものですから。素性の知らない相手よりも身元が確かな私から支援を受けた方が安心ではないですか?」
伯爵家の方針云々は真っ赤な嘘だ。だけど学費は私が出すのはホント。シャーロットはここで初めて足長おじさんに疑いにも似た小さな不信感を抱いたのかもしれない。私の言葉に小さくハッとなった。よし、もう一押し。
「誰かも知らない相手では、後々学費の見返りを要求される心配だってないとは言い切れませんよ。私の知るケースでは老貴族の側室だったり身売りを要求された人もいました。失礼ながらあなたのパトロンがその手の善からぬ目的の相手ではない保証はないのですよね?」
「そ、れは……」
押し黙るのは肯定の証か。
「伯爵令嬢として、同じ女性としても、私はあなたが安心して学問に励めるようお手伝いしたいのです。一度考えてみてくれませんか? バイトをしているのは学費面だけでは足りないからですよね? 必要なら私があなたの生活面だって支えます!」
シャーロットの実家は貧しい。だからこの王都での生活費を彼女は自らで稼がないとならない。むしろ、実家へ仕送りをしてやらないと、と思っているに違いない。ゲーム本編で聖女候補になった彼女は仕送りをしていたから。
私はこれでもかと必死に訴えた。その努力が届いたのか、シャーロットはこくりと頷いた。
「わ、私はシャーロット・エバートンと言います」
「シャーロットさん、と呼ばせてもらっても? 私の事はケイト、と」
「はい、ケイト様」
「それじゃあ、この後お時間がおありかしら?」
「はい。バイトも今日は非番なので」
私は良かったとお嬢様っぽく指先を合わせて微笑みながら、内心は疑う事を知らない無垢なヒロインのお人好しさにほくそ笑んでいた。……って別に彼女に悪さはしないんだけどね。
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