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 普段お忍び歩きする際はアレックス・キャンベルで通している隠した彼の正式名はアレクサンダー・キャベンディッシュ。


 容姿も含め、存在が秘密のベールに包まれたこの国の第一王子だ。


 秘密のベールとは言ってもゲームプレイヤーには関係ない。この顔の造りは転生前にゲームで何度も何度も見たから確実にご本人。


 私はそんな高貴な彼への殺人未遂で処刑される可能性が、――大!!


 蒼白な私を何故か頬を赤くして心配そうにする王子殿下へと、私は早くこの場を去らなければ、いや即刻彼の前から消えなければと暗示のように言い聞かせる。私の体重を支え顔を真っ赤にして堪えてる様子から案外非力なのかもしれないし。苦痛まで与えられたって罪を上乗せされたくない。


 艶のある黒髪に赤い瞳の青年は、絶対私ことケイトリンが関わっちゃならない男。


 うん、私だってこんな馬鹿みたいな遭遇でもしない限りは一生関わるつもりはなかった。毛頭なかった。皆無っ!

 ああああどうしよう~~って落ち着け! まだ破滅と決まったわけじゃない。アレクサンダーはヒロインとくっ付くための近道ルートから遠回りルートまでが何個も存在する。つまりは男性キャラの最大株。


 ケイトリンとたったの一度会ったりしたところでその運命の赤い糸が乱されるなんて有り得ない。


 しかも、関係ない事を言えば、私はこのゲーム内キャラで言うなら眉が太くて筋骨逞しい青の騎士団長ロイみたいな野性味のある男がタイプだから、超絶美形で正義漢で優しくて時に子犬みたいに可愛い面もあるこのゲーム屈指の人気のキャラたる王子殿下になんざ、落ちない。


 欲を言うなら、押しキャラの青の騎士団長ロイ様とは関わりたいけど彼の周りにはこの王子がいる。何しろ護衛対象だから。故に墓穴を掘るのは御免被るからきちんと予防線を張って我慢するわ。で、何でロイ様の護衛対象がこんな森の中で一人きりなのかは知らない。用を足しに行ったとかでたまたま傍を離れたとかかも。しかしまあ私には関係ない。うん。もし近くにいたらこっそり実物見たいけど、我慢する。うん。


 この世界のモブキャラにだって好みのイケメンは普通にいるだろうし、恋人はそっち方面で探そうと思う。うん。


 そのためにも、早いとこ死亡フラグ折って伯爵家からエスケープってか独立しないとー……ってさて、意識を現実に戻そうか。


「えと、ごめんなさいっ! 私は大丈夫なので下ろして下さい」


 暗殺者なんかじゃないですよーってな人畜無害な微笑みを浮かべてやれば、王子は安心したように頬を緩めた。器用に馬上で抱き留めてくれた彼は一度私を前に座らせて、彼が先に馬から降りて次に私を降ろしてくれた。

 くっさすがは優しさ満点甘やか紳士アレクサンダー・キャベンディッシュ!


「どうもありがとうございます。ところで本当の本当にどこもお怪我はありませんよね?」


 私は念には念には念には念をと彼の無傷を確認する。


「ああ、ははは、本当に僕は大丈夫だ。心配されるべきは華奢な君の方だよ」

「私はこう見えて冒険者で、インナーマッスルそこそこ鍛えてますんで!」

「なるほど。でも無防備な落下にはあまり関係ないんじゃないか? ……まさか、強がりじゃあないよな?」

「いえいえ鋼鉄のように中々に丈夫なので、心配には及びません!」

「鋼鉄? 全然体は軟らかかっ……ごほごほ、と、とりあえず何ともないってわけか」

「はい。おかげさまで。本当に何っとお礼して良いのやら。このご恩は胸に深く刻んで忘れません! あ、これドロップアイテムです。謝礼にどうか受け取って下さい! それでは若旦那、道中ご無事でっ!」

「えっ? ちょっと!?」


 魔法収納からそこそこレアな物もあったここ最近の稼ぎ分を引っ張り出して有無を言わせず彼に押し付けると、私はさっさと彼から距離を取って熱血野球少年がその日の終わりに監督にするくらい大きく頭を下げるや、素早く身を翻した。


「えっ、あ、ちょっと待ってくれ君!?」


 待つかーーーーっ。


 追いかけて来るな追いかけて来るなよーっと念じつつ全力疾走する。彼は追いかけてこようとしたけど天の助けか馬が不機嫌だったようで暴れてくれた。まあ、いきなり私を受け止めた衝撃を与えられて馬だってそりゃ何だごるあって驚いて不機嫌にもなるか。


「なっこらっ、大人しくしろっ、……くっ、僕はアレク……アレックス! アレックス・キャンベルだ! またどこかで会ったら、その時はっ、是非君の名前を教えてほしい!」

「ええっええっその時は是非っ! 次があれば~っ!」


 どうせ会わないだろうからと、適当に叫び返した。

 もうこの日は森の中を熊にも魔物にも会わずにすたこらさっさーっと逃げ切った私は、森の出口で膝に手を置いてぜえはあと息を切らしながら「この人生勝った……!」と何となく悪どくほくそ笑んだ。


 その日以来、大きな安堵が自信に繋がり、私は着々と私腹を肥やしていった。


 一年経つ頃にはあれこれやって王都にある標準的な貴族屋敷をまるっと買えるくらいはひと財産を築いた私は、これでもう十八歳と二ヶ月時のデスイベントさえ乗り切ればこの人生行けるっと確信していた。勝ち馬だわ~!


 男性キャラ達とは接点もないしこの先だって持たない。継母は私を社交界には決して出そうとしなかったからそもそも知り合いようがなかった。そこは唯一感謝した点ね。


 因みに一つ歳下のジョアンナは十四歳時にとっくに社交界デビューを果たしている。

 そんなわけで私は上流社会の誰にも顔を知られてないってわけ。幽霊みたいな存在よ。

 何食わぬ顔で庶民でーすって暮らしてもお前貴族令嬢だよなって変に注目される煩わしさがない。ある意味良かったこの不遇設定。


 今日も起床早々に屋根裏部屋をノックされて、私はどうせこれもジョアンナの嫌がらせの一つだろうと適当に流そうとした。


「ケイトリンお嬢様、旦那様がお呼びです」


 だけど予想外にも来訪者はいつも父親の傍に控えている五十がらみの執事の男だった。


 彼がこの部屋に足を運ぶのは非常に珍しい。しかもこんな朝一に。

 しかもケイトリンお嬢様呼び。彼は腹ではどう呼んでいるにせよ外面から落ち度は見つけられない男だった。そういう完璧執事キャラとしてゲーム内では最後まで描かれている……って言ってもほとんど出て来ないけど。私と一緒で。


 にしても、あの冷血漢シェフィールド伯爵がケイトリンに用がある? 久々に帰って来ていたのは知っていたけど、面と向かう機会が訪れるとは思いもしなかった。


 ジョアンナにするみたいに贈り物をって線はないわね。そんな事をしたら継母が黙ってない。機嫌を損ねて面倒だろうし、既に夫婦仲は完全に冷え切っているから伯爵は夫人との面倒事を嫌う傾向があるのよね。


「旦那様、ケイトリン様をお連れ致しました」


 執事のノックと中からのいらえの後にしずしずと進み入ったシェフィールド伯爵の書斎は、テンプレだった。

 ただ一つ言わせてもらえば、品良く落ち着いたって感じよりも全体的に壁紙が茶色く無駄を省いたのか装飾もなく書棚が多めだから部屋が沈んで陰気な印象を受けた。冷血漢のイメージにピッタリね。私は机の前まで足を進めた。


「来たか」

「はい」

「顔を上げなさい」


 そう言って、部屋の真ん中の書斎机で書き物をして待っていた伯爵は私のくたびれたドレスに最初は眉をひそめたけど、食べて寝て運動もしている血色の良い私の顔を見ると僅かに意外さを滲ませた。


 きっと痩せて青白い顔色をした見るからに虚弱って娘の姿を想像していたに違いない。屋敷の皆の前ではいつも下を向いていたからこれまで誰も気付かなかったケイトリンの変化だ。


 どことなく安堵しているようにも見える……ってそう見えただけか。私は何を期待したんだか。父娘の情? あはっ馬鹿らし。この男は娘をよりハイクラスな貴族の男と婚姻させて自分は甘い蜜を吸おうって男だ。出世のために娘を売ろうとするような奴なのよ。ゲーム内でもジョアンナや継母と並んで嫌われているキャラね。

 不愉快だわ。とっとと用件を済ませてよ。


「お父様、ご用件というのは?」


 怒るかもとは思ったけどこっちから訊いてやった。伯爵はややハッとしたようになってから一つ咳払いをして口を開く。


「ケイトリン、近いうちにお前の縁談を決めようと思っている」

「え……」


 縁談んんん!?

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