2

 ビチャビチャ、ビチャビチャ、と廊下の汚水を手際悪く雑巾で拭く私。全然拭き取れていないどころか汚水の範囲を拡げている始末。てへっ勿論わーざーとっだおっ。

 当然元凶のメイドは私を苛立たしそうにしているけど、文句は言わずにむしろどこか怯えたような目でも見てくる。また豹変しないかって警戒してるのね。うんうん無理もないわ。


 と、ここで複数の足音が段々と近付いて来るのが聞こえた。


 下を向いたまま手を動かす私は微かに口角を上げる。思った通りね。

 直後、誰かのヒールの尖った先がピチャリと汚水を踏んで、それと同時にヒステリックな女の声が上がった。


「ちょっと廊下水浸しじゃないの! 汚い水をそのままなんてどういう了見よ! ちゃんと拭きなさいよ、――ケイト!」


 そこにいたのは異母妹ジョアンナと腰巾着メイドな三人の仲間達!


 ジョアンナに至ってはテンプレ悪役令嬢キャラに漏れなくふんぞり返って私を睨み下ろしている。猫背とは縁遠そうで何よりよ。それよりケイトじゃなくケイトリンお姉様でしょ? うふふ全く躾けのなっていない子ね。


「ああもうっ、折角の綺麗な靴が汚れちゃったじゃないのよっ!」


 ジョアンナは絶対わざと汚水を踏んだくせにキッと私を睨み付けてくる。


「このままじゃ気が治まらないわ。この靴の責任取ってもらうわよ」


 論理がおかしいのは日常茶飯事。つまり指摘しても無駄。この娘、アタマオカシイカラ。


「ケイトをそこに立たせて逃げないように押さえて頂戴」


 はい、と計四人になったメイド達は喜々として私を取り囲んだ。

 私は一切抵抗しないであっさり拘束されてやった。

 そもそも今の私にそんな体力はない。ちゃんと食事をして体力と筋力を付けないとさすがに暴れたりなんてできないわ。無理にそうすれば体の大事な筋を痛めかねないから、将来のためにもそんな馬鹿な真似はしない。健康体は健全な生活維持のための大事な要素だから。


 そんなわけで最終的にはがっちり三人掛かりでその場に押さえ込まれ身動きの取れなくなった私は強い目でジョアンナを見つめる。

 何故かジョアンナはたじろいだ。

 ああ、痩せこけていても輝くケイトリンの美貌に気圧されたのね。

 本当は私の顔に生涯残るような傷を負わせたいんだろうけど、そんな真似をすれば政略結婚に使えないだろうと激怒した伯爵が容赦しない。現に過去に一度顔に怪我をさせられた際は烈火の如く怒ってジョアンナを震え上がらせた。幸い残らない傷だったけど。

 伯爵にとって娘達は例外なく政略結婚の道具で、ケイトリンなんて磨けば容姿は抜群なんだから当然だ。権威ある高貴なエロジジイ様にでも嫁がせれば地位向上は約束されたも同然だから。

 そこが余計にジョアンナには面白くないんだろう……っていけないいけないこっちだった。私は瞬き一つ後にはもう怯えた目で見つめる。


「なっ何するのジョアンナ? 放して?」


 ふふん、迫真の演技でしょ。思った通りにジョアンナはすぐに優越に浸った表情を浮かべた。

 コツリと高価そうな靴のヒールを鳴らして身を屈めると顔を近付けてくる。


「土下座して謝って更には私の靴の先を嘗めなさい。そうしたら赦してあげないこともないわよ?」

「あ、謝るって何を?」

「私の靴を汚したでしょ。そのためにわざとバケツを零させたのよね?」

「そっそれは誤解よ! バケツの水は事故で零れてしまったの! たぶん!」


 わー言い掛かりも甚だしい。大体靴が汚れるのが嫌なら端を通りなさいよ。このハシ渡るべからずなんて看板はないわよ。

 ここで最初に私に汚水を掛けたそばかすメイドが待ってましたとばかりに訴える。


「ジョアンナお嬢様、きっとわざとです! 私が運ぶのをわざと邪魔して汚水を零させたんです! 妬んでいたんですよ。旦那様からジョアンナお嬢様に贈られたその靴を。だから駄目にしてやろうって言っていました」

「なっ!? そんな事言ってないわ! ジョアンナその虚言癖メイドを信じないで!」

「キョゲンヘキって何よ?」

「……。うそつきって意味よジョアンナ!」


 ケイトリンと一個しか違わないのに、こっちと違ってカテキョだって付けられているはずなのに、残念な娘……。


「うそつき。へえ。でもうそつきならそっちでしょ」

「本当に違うのジョアンナ!」

「使用人の分際で馴れ馴れしく呼ばないで頂戴! あなたの立場をよーく思い出させてあげるわ!」


 ジョアンナは歪にほくそ笑み右手を振り上げた。


 まだジョアンナって必死に訴えながら、内心じゃ私もにやりとした。

 だってこの展開が欲しかったんだもーん。


 彼女は酷く機嫌の悪い時にいつもよくやるように、躊躇いなんて一つもなく思い切り私の顔に掌を叩き付けた。


 バシイィィッと肌表面を叩く音が上がって、メイド達までも唇を笑みの形に歪める。


 ただし、今だけはいつもの音の他にくぐもってはいたけど何か硬いものが砕けるような音が同時にしていた。


「ぎぃいいいいいいいっ!」


 刹那、ジョアンナは令嬢とは思えない野生動物的な声を上げた。





 ゲームのストーリーに照らすなら、ケイトリンはジョアンナに殺される。


 ①馬車事故に見せかけて、デッドエンド。

 ②冤罪で断頭台行きにされて、デッドエンド。

 ③雇ったならず者達に物取りを装わせて、デッドエンド。


 ①~③はゲーム内の選択によっていずれかに決まるんだけど、とにかく、デッドなエンド!!


 そうして名実ともにシェフィールド伯爵家の一人娘になったジョアンナは、王子アレクサンダーの婚約者になりたいがために今度は彼と仲の良いヒロインを陰湿に虐めて殺そうとまでする。一人殺すも二人殺すも同じって極悪な殺人令嬢なのよね。


 私の役目は、後々如何に件の異母妹が悪どい女だったかを世間様に知らしめるための、要は生け贄。


 そんな悪女の末路はテンプレートに漏れず断罪されて生涯幽閉もしくは処刑。末路はプレイヤーが選べる仕組みだ。

 はん、ざまあ~。だけど私にとってそんな事は最早どっちでもいい。

 だってその頃にはケイトリン死んでるし。


 そう、死んでるし。


 死 ん で る し っ !!


 殺されエンドなんて冗談じゃないわってわけで、わたくし実は転生するにあたりチート能力をもらっておりましたの。


 不運にも死んで魂の選別所みたいな場所にいた私に、天の声は「ごめん手違いだった。人生の埋め合わせにゲーム世界転生とかどう?」って提案された。それも知っているゲームに。


 良くも悪くも野球少女だった私は、野球も、そして相棒たるバットもない世界に行くなんて気が進まず、面倒でもあったからこのまま天国に行かせてほしいってきっぱり言ったわ。


 だけどそうしたら焦ったような間があって「では汝に一つチート能力を授けよう。それならどうか」って無駄に厳かなトーンで言われたの。

 それでもゲーム内容を知っているだけに面倒臭いが勝って辞退したら「チート二つではどうか?」って食い下がられた。

 また断ろうと思ったんだけど、それはそれで厄介な展開になりそうって直感が働いて、それなら……と不承不承と頷いて転生した。

 一つ目を万能魔法使いが良いって言ったらそれは無理って却下だった。何がチート能力授けようよ全く。ケチ臭い。


 仕方がなく妥協して、一つ目はいつでもどこでも対価なしで鋼鉄体になれるってチートにした。

 普通は魔法力とか消費するからね。


 もう一つは魔法収納能力。異次元空間に私の意思で自由に物体を出し入れできるって便利能力よ。勿論こっちも対価なし。


 チート二つとも、私の自由意思でオンオフが可能だそうだ。

 

 ただ転生寸前、天の声は一点だけこんな注意をしていた。


「転生する世界で死なないように上手く立ち回って大往生を迎えるのは構わないが、メイン登場人物達の顛末に影響を及ぼすのだけはやめた方がいい」


 と。こっちだってわざわざ関わるつもりはないけど、何か影響を及ぼしちゃったらどうなるのかを訊いてみた。


「その世界が壊れ、皆が苦しみの中リセットの闇に消えていく」


 あーなるほど。要はプログラムされたゲーム世界だから変えちゃあならない展開ってものがあるのね。絶対的達成条件って言ってもいい。

 例えば「ヒロインは必ず聖女になる」とか「必ず悪役令嬢はざまあされる」とか「ヒロインは男性キャラの誰かとくっ付く」とか。


 変わっちゃったらバグの連続発生で物語が立ち行かなくなってフリーズする。進まない世界なんて崩壊も同然だ。


 そうなれば私もその世界ごと終わる。しかも苦しみの中って曖昧な表現なとこがかなり嫌だ。

 無難に生きるためには世界そのものにまで配慮せにゃならんとかマジ面倒臭いわー。

 まっ、選択した以上そこで生きていくしかないんだけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る