第7話 昼食
僕らが店に入ると、店の中はかなり空いていた。
「三名様でしょうか」
大学生ぐらいの若い女性店員が聞いてくる。
「はい、そうです」
早乙女さんが三本指を立てて答えた。
「承知しました。ではこちらのお席にどうぞ」
そう言われて僕ら三人は奥まったテーブル席に案内された。
僕らは席に着く。
僕の真正面に早乙女さんが、そしてはす向かいには如月さんが座った。
僕らは各々テーブルの上にあるメニュー表を手に取った。
僕が悩みながらメニューを見つめていると、突然嬉々とした声が響いた。
「じゃあ私はほうれん草とベーコンのパスタでお願いしますっ」
如月さんがメニュー表を見せながらそのパスタを指差して言う。
如月さんの弾んだ声が耳を木霊して、僕は心底驚いた。
もしかして今までこういう店に来たことがないのか?
「もしかして叶ちゃんこういうチェーン店来たことないの?」
早乙女さんが僕の考えてることを代弁してくれた。
僕はメニュー表とにらめっこするふりをしながら、二人のやり取りに耳をすます。
「はい、昔来たっきり来たことないんですよ」
「へ~、逆に昔来たことあるんだ」
「そうですね」
彼女が遠い記憶を思い出すようにして答えているのが横目に写った。
彼女はどこか一点を見つめていて、その瞳には深海のように暗い黒目が鎮座していた。
どうやら彼女の過去はかなり深いらしい。
僕がメニュー表から顔を上げると早乙女さんと目が合った。
彼女は場を切り替えるような笑顔を見せて口を開く。
「ちょっとそのメニュー表見せてよ」
僕は彼女にそれを無言で渡すと満足そうな笑みを浮かべた。
彼女はそのメニュー表をさらっと見て顔を上げる。
「ふーん、能星くんは何にしようか決めてたりする?」
「僕はチーズドリアにしようかなって思ってますけど」
「じゃあ、あたしは海鮮ドリアにするから半分こしない?」
僕は少し逡巡したけれど、海鮮ドリアを食べてみたい気持ちがどんどん増してきて、それに頭を押される形で不恰好に頷いた。
「おっけー。で、ドリンクバーとかいる?」
早乙女さんは周りを見渡してそう言った。
ドリンクバーを頼むか否か。それはかなり悩むであろう問題の一つ。
僕はメニュー表に目を通してドリンクバーの項目を見つけた。
値段はセットで200円、安い。されど200円だ。200円を甘く見るものは200円に泣かされるというのは言うまでもない。
ぐぬぬ……先程の許嫁関係がどうとか考えていたころよりも数倍深く考える。
これは今決めなければいけない重要事項。
「じゃあ、あたしはドリンクバー頼もうかな」
「それじゃあ私もお願いします」
二人が何の気もなしにドリンクバーを頼む。
同調圧力。それはこの狭いコミュニティの中で無類の強さを誇る存在。
僕はそれに圧し潰されそうになりながらも必死に考える。200円は今の円安の情勢ではたった1ドルとちょっと。
あれ、1ドルと少しって考えたら信じられないぐらい安く感じてきた。
「じゃあ僕もドリンクバー頼みます」
一応言っておくがこれは同調圧力に屈したわけではない。本当に。
「じゃあ店員さん呼んじゃってもいいよね」
僕と如月さんが頷きを返すと早乙女さんは呼び出しのボタンを押した。ピンポーンという音がどこか遠いところから聞こえてくる。
しばらくすると店員さんがやってきた。
「ご注文は?」の言葉に各々が商品名を答えた。
店員さんが注文を用紙にまとめて去っていったところで早乙女さんがおもむろに口を開いた。
「三人でグループLINE作ろうよ」
彼女がLINEのアプリ画面を見せてくる。
「そういえば、早乙女さんとLINE交換したことなかったですね」
「あ~確かに、LINE交換するタイミング見失って結局交換できてなかったか」
「とりあえず友達追加しましょう」
そういって僕は友達追加のQRコードを彼女に向ける。
彼女はそれを素早く読み取って友達追加をした。
「二人とも誘うね」
彼女はそう言って僕と如月さんをグループLINEに追加した。
「ここに諸連絡をする感じでいいんですか?」
如月さんが確かめるような口調で聞いた。
「まあ大体そんな感じだけど、別にそんな堅苦しく無くてもいいよ自分の共有したいもの共有する感じでもいいし」
「そうなんですね、分かりました」
如月さんは少し戸惑った表情を浮かべながら答えた。
そこで僕たちの話は止まった。
料理が運ばれてきたからだ。
ウェイターさんが各々の目の前に料理を置いて行って、帰っていった。
「じゃあさっそく飲み物取りに行こうかな」
そう早乙女さんが言った後に僕らは示し合わせたみたいにぞろぞろと席を立ってドリンクバーへと向かった。
ドリンクバーにはいわゆるソフトドリンクと言われるようなものはあらかたそろっていた。
僕は擦り切れたソフトドリンクの絵柄が貼ってあるスイッチとひとしきりにらめっこして、最終的にウーロン茶を注ぐことに決めた。
ぴしゃり、ぴしゃりと飲み物が素早く注がれていく音がコップの中で反響していった。
七分目ぐらいまで注いだところで押していたボタンを離して他二人を見ると早乙女さんはメロンソーダを、如月さんは山ぶどうスカッシュを手に持っていた。
僕らは何も会話をせず足早に席まで戻った。
多分話すことがなかったのだと思う。それか純粋に早くご飯にありつきたかったのか。恐らく後者の方が大きいと思うけれど。
席に戻った途端、如月さんは「いただきます」と言ってパスタに素早く手をつける。
やっぱりただただご飯にありつきたかっただけだった。
僕の目の前にはチーズドリアが置かれていた。
そういえば早乙女さんが当たり前のように取り皿を取らなかったので僕は恐る恐るそのことについて聞いてみることにした。
「取り皿とかっていらないんですか」
「ドリアに取り皿とかいらないでしょ、このコゲコゲの部分が美味しいんだからさ」
そう言って彼女は海鮮ドリアの皿の縁をスプーンでトントンと叩いた。
間接キスだとか色々と言いたいことがあったけれど僕だけ気にするのもあほらしくてチーズドリアに手を付け始める。
半分ぐらいまで食べると僕は皿をスプーンごと早乙女さんの方に押しやった。
彼女は驚いた様子で口を開く。
「いや、別にスプーンごと渡さなくても良くない?」
「あっ、すみません。そうですね」
僕は羞恥で顔が熱くなっているのを感じながらスプーンをさっきの皿から引き抜く。
僕は手持ち無沙汰になったスプーンの先端を宙にくるくる回して暇を持て余した。
くるくる回るそれが僕の心の揺らぎを表しているみたいでひどく癪にさわったから僕は手の動きを止めて一度ぴたりと静止させた。
それはそれでひどく滑稽だった。
何かにおびえて静止したままどこにも行けないみたいで。
僕がスプーンの先を凝視していると早乙女さんの口が開いた。
「じゃあ、ほら海鮮ドリアあげるから」
六割ぐらい残ったそれを彼女は僕の前まで押しやってきた。
もちろんスプーンは渡されずに彼女の手に握られたままだ。
なんかこういうと僕がそういうことを期待しているような感じがしたけれど決してそんなことはないと心の中だけで誓っておこうと思う。
手持ち無沙汰だったスプーンは意気揚々と僕の食欲と共に海鮮ドリアをすくっていった。
「もしかして私が思っていたよりも二人とも仲がいいんですか」
一心不乱にドリアを食べていた僕に、はす向かいから声が飛んできた。
僕が顔を上げると早乙女さんも顔を上げて如月さんの方を見ているのが横目に見えた。
彼女は僕らから目線をそらして二の句を告げてくる。
「いや、二人ともやり取りが彼氏彼女のそれだったので」
僕が早乙女さんの方に目線をやると彼女の栗色の瞳と僕の瞳が交錯した。
すると途端に彼女の頬は湯沸かし器みたいに急速に赤くなっていった。
すぐに「きゅーー」と甲高い音が鳴りそうなぐらい。
僕は何をすればいいのか悩んだのちに黙り込んでいたけれど頬の温度が確かに上がっていることだけは分かった。
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