第2話 許嫁はやってくる

「ふぅ、ここがおばあちゃんの家か。幼いころ行ったとは聞いたけど全然見覚えないな」


 おばあちゃんの家、もとい父の実家は住宅街の一角にあった。

 家は二階建ての一戸建てで二階にベランダがあるぐらいで他に特筆すべき点はなかった。


 いや、車庫があるのが結構珍しいのかな。でも使うことはないだろうし勿体ないな。


 僕は左手に旅行カバンを持っていたせいで右手で苦心してドアを開ける羽目になってしまった。

 家の中に入るとお日様の匂いがした。


 ここに来る前日に父がぶっきらぼうに家の図面を見せてくれたからすでにある程度の家の構造は分かっていた。

 僕がリビングまで歩を進めるとそこには三人の名前が書かれた段ボール箱が散乱していた。


 父が引っ越し業者を見繕ってくれていたのだ。


 二度と顔を合わせない約束を結んだのに転居届けの手続きとかのめんどくさい手続きを一挙にやってくれていたのには驚きを隠さなかった。

 僕の中での父親像は本当に掴めないものになっている。


 とりあえず段ボール箱を勝手に触るのも憚られるし適当に時間をつぶそうと旅行カバンからお気に入りの文庫本を引っ張り出したけど、文字がすいすい目を泳いで読書どころじゃなかった。

 仕方なく諦めて旅行カバンに文庫本を仕舞い込む。


 どうやら僕は自分が思ってるよりもこれから先のことに対して緊張しているらしい。


 手持ち無沙汰になってしまった僕はキッチンとダイニングを行ったり来たりして心の緊張をなんとか奥底に押しやろうとする。


 ピンポーン———呼び鈴が鳴った。


 素早い動きで短い廊下を渡り玄関まで行くと呼び鈴の主は錠を回して扉を開けていた。


 おっかなびっくり開くドアの裏で黒髪のロングヘアが揺れる。

 その髪の根本を目で追うと白く透き通った肌が覗いた。

 桜色の唇とすらりと通った鼻、そして気品を感じる瞳と僕の目線が交差し、僕の頭には申し訳なさがよぎっていく。


 まず同棲生活一日目、僕はおもむろに頭を下げた。

「すみません、こんな事になって」


 彼女———如月 叶は困った顔をして

「いえいえ、元はと言えば私が了承してしまったのが悪いのですし、それより頭上げて下さい」


 頭を上げて彼女の目を見るといたたまれなくなって、もう一度言葉を紡ぐ。


「いや僕が悪かったんですよ、二人い、許嫁がいるってことを黙っていたんですから」


 許嫁の前で許嫁という単語を出すのはかなり気まずく、しどろもどろになってしまった。

 如月さんは首を傾げたと思ったら、何か得心がついたのか頷く。


「ふーん、能星のうぼしさんはそっちを気にしていたんですね」


 えっ、いや、どういうことなんだ?

 実は許嫁がふたりいることを黙ってて色々迷惑をかけたのに対しては何も思ってないのか?


 思わず首を傾げてしまう。

 そう困惑している僕に如月さんは二の句を告げてくる。


「三人よりも二人の方が良かったって私が思ってると?自尊心高すぎじゃないですか?」

「えっ、あっ、ちがっ」


 何とか誤解を解こうとしたけれど時すでに遅し、彼女は僕に生ゴミを見るかのような目を向けて後ずさりしながらドアにもたれかかる。


 瞬間、ドアが勢い良く開いて如月さんが派手に真後ろに倒れた。


「お邪魔しまーー!!って、叶ちゃん大丈夫!?」


 ドアを開けた主はクリクリとした栗色の目を見開いて如月さんのことを心配そうに見る。


 その主こそが早乙女さんだった。


「え、えぇ。なんとか」


 如月さんはふらふらと立ち上がり、ドアを閉める。打った場所が痛いのか背中を気にしていた。


 早乙女さんの目線が如月さんから僕の方に移った。


「能星くん、ど、どうも」


「すみません、こんなバタバタしちゃってて」


「い、いや全然大丈夫だけど二人して玄関で何してたの?」


 軽蔑の眼差しを受けていたなんて言えず口ごもっていると、如月さんがこっちを凝視してくる。やめてほしい。


 どうやら面白いことになっている。と思ったのか早乙女さんは片笑みを浮かべて

「いや、まあ許嫁だからね、そういうことするものだよね。うん。」

と冗談めいて言った。


「い、いや早乙女さん、貴方とんでもない勘違いをしているわ。ただ話し込んでただけよ」


「ほうほう、具体的には何の話を?」早乙女さんがふざけてかしこまった聞き方をする。

どうやら彼女の冗談のギアは留まるところを知らないらしい。


「まあ、そうね。三人で住むことについて…とか?」

「ふぅん、まあいいでしょう」


 僕は目をしばたたいてさっきから感じていた疑問を投げかける。


「さっきから思ってたんですけど二人とも仲良くないですか?」


 恐らく二人が初めて出会ったのが同棲について三家族で面談した時だから二週間前とかだと思うけど。

 もしかして実は僕の記憶がぼんやりとしている時に結構話していたのか?


「あちゃー、気づかれてるか〜アタシと叶ちゃんの蜜月の日々が」


 そう言って彼女は丈の短いジーンズのポッケからスマホを引っ張り出し、LINEのトーク画面を見せてくる。


 画面左上を見やると、相手は如月 叶と書かれていて、毎日のようにやり取りが行われていた。


 いつLINE交換したのか聞こうとした瞬間早乙女さんが口を開く。


「あの面談の時に叶ちゃんとLINE交換してさ〜、同じ境遇同士なかよくなったんだよね〜」


「だからそんな仲良い感じだったんですか」


「そゆこと、というかこんな玄関で喋り込んでないで早く家の中入ろうよ~」


 そう言って彼女ら二人は靴を脱ぎ、キャリーバッグを抱えて家に入っていった。


 この一軒家は入ってすぐに短い廊下が続いてて、そのすぐ左手側に二階への階段があり、右手側にはトイレとバスルームがあった。

 それらを無視してそのまま廊下をまっすぐに進めばリビング、ダイニング、キッチン、にプラスして一つ部屋がある。

 そして二階にはポツン、ポツンと二つの部屋があった。


 僕ら三人が歩を進めていると早乙女さんがおもむろに口を開いた。

「とりあえず部屋決めだよね~」

 毛先をくるくるといじっていた早乙女さんが僕らを見回す。


「無難に行くなら私たち二人が二階で能星さんが一階ですかね」


「じゃあそれでいきましょう。後の二部屋は二人で決めてもらって」


 そう言って彼女ら二人が二階に上がっていくのを尻目に僕は自分の名前が書かれている段ボール箱を選別して一階の自部屋に運んだ。

 それに加えて、リビングに置いていた旅行カバンも自部屋に運び込む。


 自部屋は元々父の部屋だったのか年代物のタンスとそれなりに立派な学習机だけが置いてあった。

 ここで父が暮らしていたのか。と考えると憐憫と愛情と虚しさとが混ざり合って、不思議と片目から涙が出てきた。

 僕の血の半分はあの父親の血だから片目からだけ。












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