許嫁はふたりいる。

ほしうみ

第1話 プロローグ 許嫁はふたりいる。

 僕には許嫁がふたりいる。と言うと驚かれる。と思う、もちろんこんなこと誰にも言えないから想像でしかないけど。

 そう誰にも、親にも言っていなかった。今思えばそれが良くなかった。


 元々僕の両親は仲が悪くて、そんなものだから両親は僕が中学に入ったころから別居していた。

 僕は父の家に住んでいたのだけれど、父は仕事が忙しいようで帰ってくるのが遅く、僕はよく母の家に訪れていた。


 そんなある日、僕が母のアパートで本を読んでいると、突然母がこんなことを言ってきた。

「お母さんの学生時代の友達の早乙女さおとめさんと久々に会ったんだけどその娘さんのりつちゃんって覚えてる?ほら昔公園で一緒に遊んでた。でね、早乙女さんの家が料理屋なんだけど、跡継ぎがほしいってことで実は随分昔に許嫁関係結んでたんだよね~、」


 僕はおもむろに文庫本から顔を上げて母の顔を見るとニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

 その態度に少し苛つきを覚えたけれど、さっきの話の内容を確認する方が大切だ。

 律ちゃん?許嫁?僕の脳みそにある記憶の棚を手早く開け続ける。

 一切記憶がない。一瞬酒にでも酔っててでたらめを言っているのかとも思ったけど、母さんは素面だった。

 この人は噓をついたりするような人じゃないのは長年の関係で分かっている。

でも今回は流石に話が突飛すぎて追いつけない。


 そんな僕に母がスマホを向けてくる。

 栗色のショートヘアの女の子がはにかんでいる写真が映し出されている。

 話の流れ的に彼女が例の律ちゃんだろう。


「ほら、これが律ちゃん。ほれほれ可愛かろう」


 確かにどちらかと言うと顔面偏差値は高い方だと思うけど、結婚すると考えたら性格とか価値観とかのほうが大事じゃ…

 って危ない、そもそも許嫁になってること自体がおかしいのにそれが当たり前のように話してくる母さんのせいで結婚前提で物事を考えてた。

 このままだとまずい。


「僕、許嫁とかいらないから」


「またまた~、本当は内心喜んでいるくせに~」


 僕が思う母の悪いところは主観で相手の気持ちを推し量るところだったのだけれど

それがいかんなく発揮されてため息をつく。

 こうなるともう何を言っても無駄だ、時刻も20時を回っているし、そそくさと持ってきた文庫本をナップザックにしまい込んで

「じゃあ、さよなら」と廊下で見送る母に言って帰路につく。

扉を開けると居残りした夏の空気が辺りに立ち込めていて僕は顔をしかめた。


 僕と父が住んでいる家は母のアパートから徒歩で1時間、バスだと15分ぐらいだ。

 母のアパートは交差点沿いにあって、その斜向かいにバス停があった。

 信号を渡り、誰もいないバス停で待っているとすぐに右手側からバスがやってきた。

 乗り込むと車内は比較的空いている。軽く数えてみると乗客は3人ほどだった。

 車窓の外を見やると歩道に等間隔で並ぶ街灯は、仕事帰りの会社員をさんさんと照らしていた。

———————そうして僕はあの後断りきることが出来ず、度々早乙女さんと会っていた。



 もうひとりの許嫁ができてしまったのは、早乙女さんとの許嫁関係を知らされてから半年ほど経過したときだった。


「考、大事な話があるんだ」と珍しく早くに———(と言っても午後九時を回っていたが)家に帰ってきた父がかしこまって言う。


「何ですか?大事な話っていうのは?」


「まず、座って話そう」


 そう言うと父は僕に目配せしてダイニングテーブルに座るように指示する。

 テーブルはからっぽの席で埋め尽くされててどこか物悲しかった。

 父は咳払いをしてから口を開く。


「実は考に許嫁がいて、父さんの友達の社長さんの娘さんなんだけど」

 父は目を逸らして話す。


 僕は「許嫁」という単語に反応して肩をびくりと震わせた。

 そう、まだ父に許嫁を母から紹介された旨を伝えていなかったから。


 僕は極めて冷静なふりをして父に聞く。

「その人はどういう人なんですか?」

 話し終えてから思ったけどもっと許嫁について聞いたほうがリアルだったかもしれない。

 僕はもう既に許嫁がいるせいでその単語を聞いても疑問を持たなくなってしまっていた。


 しかし、それらは僕の杞憂だったようで父はなんの気も無しに胸ポケットから一枚の写真を取り出す。用意周到だ。

 写真の中央には黒髪のロングヘアの女の子がいた。どうやら学校で撮った写真らしい。

 写真の中で慇懃無礼に微笑む彼女は「絶世の」という冠詞をつけても物足りない程の美少女だった。

「彼女が考の許嫁の如月 きさらぎ かなさんだ」


 結局のところ僕は父にも母にもふたり許嫁がいることについては話せなかったのだけれど、一回それについて弁明したい。


 いや、だってさ父も母も互いに伝えてないってことはお互い知られたくない事だと思うんだ。

 それを僕が知らせてしまうのは父と母に対する冒涜なんじゃないのかなって思っちゃって。

 というか母に至ってはもうウキウキで言い出せない雰囲気だし。


 でもこれはとんでもない間違いだったと後で気付いた。

 受験が終わり、僕は第一志望の私立高校に落ちてしまったが何とか滑り止めの公立高校に受かったという時だった。

 そんな三月の半ば、父は突然こんなことを言ってきた。


「考の行く高校ここから通うと遠いから亡くなったおばあちゃんの家に住まないか?」


 父方の祖母は去年の冬に亡くなっていて、その家は父が相続していた。


 葬儀の時に父が涙を出そうと一生懸命になっているのを見て、あぁこの人はどこまでも人間になれないんだな。と憐れんだ記憶がある。


 僕がこくりと頷くと父はもう一度口を開いて

「じつはそこに叶さんも住むことになっていて、とりあえずお母さんに連絡するぞ」


「え?」

 困惑している僕をよそに父がスマホを取り出して連絡をかける。

 このころには父と母の関係はわりかし良好になっていてそれなりに連絡も取りあうようになっていた。


「もしもし……あぁ実は考に許嫁がいて、そう、俺が許嫁関係を随分昔に結んでいて……うん。…はぁ?お前の方でも許嫁を手配してる?……もういいわ、とりあえず俺のお袋の家にその許嫁と考を住まわせるから」


 父は電話中に僕のことをひと睨みしてきてて僕は昔のことを思い出し、冷や汗を流した。


 もうそこからは断片的でぼやけきった記憶しかない。

 とりあえず僕がわかっている事実としては父と母は離婚したことと、僕は亡くなったおばあちゃんの家に住んで、二度と父と顔を合わせないという約束で父の方についていくこと。


 そして許嫁との同棲については結局三家族で面談することになった。

 現実は小説より奇なり、と言うが早乙女さんも偶然僕と如月さんが行く高校に行くことになっていることが発覚して、最終的に三人で僕の亡くなったおばあちゃんの家に住むことが決まってしまった。


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