第34話 迷いが消えた者と執着する者

走った。


次の授業のことなんて、全然気にすること無く。


【佐々木玲奈】さんという、友人の手を引いて。


俺は、大学の校外へ走って出ていった。



「ハァハァ…、…ハァハァ。うっ…ゲホゲホ。」


「ハァハァ、は、はー。は…、走りましたね。こんな、いきなり走り出すなんて…思いませんでした…よ。…そんなに…あの人に、何かを感じたのでしょうか?…幸村くん。」



幸村くん。

…そう、呼んだ。


俺は、呼吸を整える意味も込めて、草むらに座り込んだ。


「…そうだね、玲奈さん。どうしても…嫌な気持ちが…生まれちゃって。」


「うふふ…。珍しいですね。こんな真d…幸村くんを見るの、中々無いですからね?」


・・・・・・・・・・。


言い間違いを含んだせいか。

玲奈さんの顔は、真っ赤っ赤だ。


走った疲れも有るだろうが、膝に手をついて。

紅くなった顔を片手で仰いで、恥ずかしそうにしている。



「…突然、名前で呼んでごめんね?」


「…駄目です。謝って欲しくないです。…すっごく。凄く凄く…嬉しいんですから。私、嬉しいんです。」




「…そっか。」


「…はい!」



落ち着き出すと、玲奈さんは座り込んでいる横に腰を降ろした。


「…汚れちゃうよ。白いスカート。」

「今日は…今日だけはこうやって…一緒に座りたいんです。」




それでも、制止した。



「…え?」


「それなら、やりようはあるよ」


そう言って、俺は上着のジャケットを脱いで草むらに敷いた。


「だ、駄目ですよぅ。真d…幸村くんのジャケットが汚れちゃう。」


「大丈夫、黒いから。…それに。」

「それに…?」


「…玲奈さんが…、洗ってくれるだろ?」

「ふふっ…任せて下さい。」


Tシャツ姿でも、ダッシュの後だから春先でも…そんなに寒くない。

友人と。心を許せる友人と、こうやって過ごせる大学生活も悪くない…そんな気がした。



「…玲奈さん。」

「ッ!…はい!なんでしょう?」

急に玲奈さんが、背筋を伸ばした。


「…何で、そんな姿勢良く?」

「…あはは。名前呼ばれて…ドキって…しました。」


・・・・・・・・・・・・。


「…辞める?」

「や、辞めませんよぉ!」


「…ふふ。」

「…意地悪です。」


・・・・・・・。



「話が途中になった。次の講義って…何?」


「次は昼食後に、情報工学を受ける予定です。あ、準備として申込みや講義予約もしているんですが…直前に受付カードを持っていかなければいけません。あと20分以内くらいですね。」


「そっか、ありがとう。落ち着いたし、向かおうか。」

「…はい。」


講義予約のために。来た道を戻りながら、俺は玲奈さんに質問を受けた。


「何故、走ったんですか?」


「なんというか…迷いが、消えたから。かな?」

「む…。よく解らないです。」


「【佐々木笑】さんと話して、こういう人とは結婚しないなって思った。それだけ…なんだよね。走った意味には成らないだろうけど…。一緒にあの場所には…一秒でも居たくなかったのかな?」


「ふふ…佐々木さんに失礼な話ですね。でも、…でも、そういう判断が出来る幸村くんは素敵だなとも…思いますね。」


「ははっ…。なんとなくだけど、理解というか。受容してくれたみたいで何よりだよ。さすが、信頼できる友人だ。」


「…そう、ですね。…そうですよ! 1番信頼できる友人、玲奈さんですよ。」


おどけてくれる玲奈さんを見て、また癒やされる。



そんな話をしながらも、次の講義の初回受付をギリギリの時間にこなすことが出来た。…出来たと言っても、受付の列に時間内に並ぶことが出来ただけであったが。




「…あ~。しんど。こんなに最後の時間って並ぶんだな。」

「皆、それを分かって…先に動きますからねぇ。」


「まあ、逆方向に走り出した俺が悪いか。…すまんね。付き合わせて。」

「いえいえ。お供しますよー。」




「ああーー!いたいたぁ!真田くん、見―っけた。走って次の講義に行ったから、絶対ここだと思ったのにぃー。こーんな後ろに並んでいるなんてぇ。そこの女のトイレにでも付き合ってたのぉ?」


急に大声で、こちらに突進してくる女性がいた。


「…ゲッ。」


【佐々木 笑】だ。

俺の腕に抱きついてきて、周囲からどよめきが起きる。


「…ゲッって何よぉ。真田くんも情報工学、受けるのぉ?私と、おんなじだね♪」


「…そ、そうなのか。…い、いいから、手を離せよ。」


「あ、ひどーい。女の子にそんな言葉言ったら、泣かれちゃうよー。モテなくなっちゃうんだからぁ。」


「…別に、モテなくても良い。」



「じゃぁ、私が彼女になったげるねー。それなら…モテなくても良いもんね―?」


「…なぁんでも。してあげるからね、私と付き合ったら。」


会話に…成らないな。


「…遠慮するよ。」


むっとする強引女。

「やっぱり…顔? あ…でも、そこの女だって胸ばっかりで全然印象薄いじゃない…。私なら…真田くんの好みの顔を教えてくれたら、【努力して】その顔に近づけるよー?」



「…近寄るなッツ!!」


俺は、限界に来た。

もう、周囲はドン引きも良いところ。


「…俺の大切な友人を!…こんなくだらない会話の引き合いに出すなッツ!! この娘は、俺とはそんな関係では無いと…何度言ったら判るんだッッツ!!…俺は、君の関係ない世界で生きていく。…君も、君の世界を生きてくれ。」


「な…なんでよ?…わ、私…。あ、諦めないからぁ!!」


そう、叫んで。

【佐々木 笑】はどこかに走って行ってしまった。


取り残された俺は、周囲に頭を下げて。

何事も無かったように、講義の受付を終了させていくのであった。


「…ッツ!…すまなかった、 。つい…怒ってしまった…」


「大丈夫ですー。…言い直して、下さい。」

「??」


「佐々木、さん?」

「・・・???」



「…ふう。玲奈さん、です。」

「…あ、そうだね。ごめん、【玲奈さん】。」


「…よろしい!」




昼からの情報工学、そしてその後の大学数学を受けて…当日の講義は全て終了した。


「大学生も…なかなか大変だねぇ。」

「ふふふ…。本当に、そうですねぇ。」




その日は、工藤さんに詰められながらのキムチ鍋だった。


「お、旨そう。」

「そうですよねー。キムチは自分で漬けてみましたぁ。朝に漬けたので全然漬かっていないんですけど…塩漬けは3日前にはしていたので、塩味ははっきりしているかも。」


「ぶー。ずるいのですー。」


一口、キムチを食べてみる。

「うまぁ。全然十分な気がするけど。」


「酸味が少ないんですよ、発酵で旨味と酸味が生まれるので。」


「ぶー、ぶー。ずるいのですー。」


「…どうしたの、工藤さん?」

「さっきから、ブーブー。いじけちゃったんですねー?」


「意地悪です!…佐々木さんも真田さんも!!私も名前で呼んで欲しいですぅ!」


「ああ、そんな事か。」

「…嫌ですぅ!一日くらい私だけが名前で呼ばれていたいですぅ!!」


「…あはは。…でも工藤さんも大事な友人だから。」

「そ、そうですよぉ―!…もう大好き!真田さん!」


「あーあ。今日だけ楽しみたかったのにぃ。」


「じゃぁ…これからは名前で呼ぶね、梨沙さん?」

「さん、いらないです!そのまま。そのままがいいぃ!」


「…それは敷居が高いな、分かってくれよ梨沙さん。…難しかったら簡単に戻るかもしれないよ?…工藤さん?」



「あ…あー!あ、駄目。駄目ですぅー!!梨沙、梨沙は梨沙さんで良いのですー!!」



そんな賑やかな、夕食時間。

きっと元妻では感じられる事はない時間なのだろう。


今日の俺は、少し大人気なかった。

収入をひけらかし、まるで自分には価値があると一瞬でも思わせた。


【ざまあみろ】って気持ちに、少しはなってしまったのだろうか。

人間性も、若返ってしまったのかもしれないな。



「…食べる手が止まってしまいましたよ?どうしました?」

「またツラい?ぎゅ~してあげようか?」


「ああ、いや。今日のことを振り返ってた。」


「あ、佐々木さんの事ですか?」

「さっき言ってた突撃女?」


「あの対応で…良かったのかなって。ホラッ…俺、収入自慢とかして…大人気なかったし…。」



「…私は良かったと思います。どうせ、ああいった相手はいつかその情報を掴んで近寄ってきます。最初から興味ないって言うのは素晴らしいですよ。」


「…フンッ!真田s…じゃなかった。幸村さんの彼女になるなら、私の収入を超えるか、…玲奈さんの家事スキルを超える人間じゃなきゃ、認めないんだから!」





「…おいおい。俺が結婚できなくなるって。」






「大丈夫ですよ。私がいます。」

「うん。全然大丈夫。私が奥さんになるし。」



平然と言ってのけるこの胆力。

本当に、見習いたいものだ。

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