軽蔑の末に



 叫ぶような声。

 正常に動かない脳は反応を鈍らせる。それが自分のものであると気づいたのは少し後だった。


 息を呑み、目を見開く。落ち着きを忘れた目は止まることはない。下を向き、何を探すでもなく左右に動かす。

 息苦しい。そう思い繰り返す呼吸は浅く、意味もなく震えた。



 言ってしまった。



 後悔はいつも遅れてやって来る。取り返しのつかない。理解はしてした。

 しかし何かにすがりたくなる気持ちが、せわしない動きへと変わる。



 「……その……えっと」



 言葉が出てこない。締め付ける胸が痛い。心は強い方だと思っていた。

 治療をした相手に怒鳴られることもあった。理不尽な怒りを浴びせられたこともあった。


 シスターの仕事で培った耐性。どんな罵声より彼を傷つけてしまった事実が心をえぐる。



 胸を押さえた左手。それを庇うように右手が覆う。糸のしがらみは既にない。


 服を握りしめる。手に爪が食い込んだ。

 もう感情を処理しきれない。込み上げる感情を痛み力に変え、瞼を閉じる。

 鋭い痛みが肉を突き刺す。痛覚によって上書きされている間は苦しみから離れられた。



 手から伝わる痛み。だが痛みもずっと続くわけではない。

 集中が切れた瞬間、罪悪感が垣間見える。それを誤魔化すために更に爪を立てる。


 痛みで誤魔化す、黒くて粘り気のある感情。誤魔化すだけでは解決しない。足掻いても足掻いても執拗しつようまとわりつく。



 ――もう助けて。



 つい祈ってしまった願い。溢れた自分の本音。

 無意識の言葉が私の体の力を奪い去った。

 目を開け、ダラリと腕を下ろす。空気に触れた傷口がヒリヒリと痛んだ。

 しかし、今の私の脳にそれを処理できる余力はない。


 視線を下げ一点を見つめる。瞳には太ももとその奥にあるフローリングが映っているのだろう。だが、呆然と見つめる私には、色どころか形すら分からない。



 無意識だった。

 痛みで誤魔化す。責め立てる罪悪感から逃れる方法のつもりだった。しかし、いかなる方法を使っても完全に逃れることは出来ない。

 曖昧にして、見ないふりをして、逃げて、誤魔化して……

 最終的に出てきた言葉が『助けて』


 自分でも呆れる。いつから私は被害者になったのだろう。


 何回だって言おう。

 私がリュカくんを犯罪者にした。純粋無垢な少年を犯罪の世界へといざなった。


 紛れもない加害者だ。


 許しを得ても事実は覆らないし、こうしている今もリュカくんの体に異変が起こり続けているかも知れない。



 形だけの罪悪感はもう充分だ。苦しむフリは贖罪じゃない。全てを打ち明け、全てを嫌ってもらう。軽蔑の目で見られながら、彼のために生涯を捧げる。


 それが私の受けるべき罰だ。



 顔を上げ、彼を見つめる。息苦しさはない。ようやく本当の意味で向き合えた気がした。



 「君は犯罪者なんです。私がそうさせた。私が犯罪者にしてしまったんです。……これは私のミスだから。私が解決しないとダメなんです。たとえ無理をしてでも。

 ただでさえ、別の副作用が出るかもしれない状況。もし捕まった後に発症すれば命に関わるかもしれない」


 

 幸せになって欲しい。それは罪悪感でも私がシスターだからでもない。


 ただ純粋に、1人の人間として、彼には幸せになって欲しいのだ。たとえ、不平等だとしても。

 


 「無茶なのは知っています。でも、もう私にはこれくらいしか出来ないんです。だから私を助けようとしないでください」



 気付けば、頭を下げていた。


 そう、これは私のワガママだ。

 勝手に巻き込んで、異変を生じさせて。挙げ句の果てには彼の優しさを拒絶するなんて。

 自分勝手にも程がある。


 そんな独善的な意見を通そうとしているのだ。頭を下げずにはいられない。



 「……俺は願っただけ。そこにたまたまポーションがあっただけじゃん」



 「そうです。リュカくんは悪くないです。悪いのは全部私です。それでも周りは許してくれないんです」



 弱者はいつだって奪われる一方だ。


 この国に違法アイテムを普及させている組織と、それを買い求め使用する人たち。その両方に非はあると私は思う。


 しかし組織が得た莫大な利益は、莫大な権力へと変わる。

 政権に深く関わり、自分たちの都合のいいようにルールを生み出す。組織の恩恵を受けている者が多いせいか、幅広い支援者がいるのも事実。


 誰も彼らを取り締まらない。蔓延はびこった悪は、存在自体が当たり前になり、人々の常識まで覆し始める。

 違法アイテムも、その一例だ。


 誰が普及させたかは関係なく、罪に問われるのは使用した者のみ。

 腐った世界で生き残るには、リュカくんをどこかで匿い続けるしかない。



 「……分かったよ。シスターの言う通りにする」



 力なく微笑む。今までで1番悲しそうな瞳だった。


 挫折を繰り返し、それでも前に進もうとする。大人になるとはそういうことだ。

 大人の仲間入りを果たした今のリュカくんには、あの頃の無邪気な笑顔はもうない。


 彼なりに一歩踏み出したのだろう。しかし、仲間になりたての彼には厳しかったのだろう。


 笑顔が解け、すぐにうつむく。栗色の髪が慰めるように彼の顔を隠した。



 冷酷な事実を押し付ける。やっと終わらせることは出来た。これで思う存分、情報収集が出来る。


 もう趣味に時間を割かなくていい。予期していなかったけど、リュカくんに事実を伝えられた。軽蔑された私に不用意に関わることもなくなるだろう。

 罪を償う準備は出来た。後は行動するだけ。


 これでいい。これでいいんだ。



 幕引きとしては呆気ない。でも、間違いから始まった物語だ。もう望むものはない。

 望んだ展開。覚悟した未来。ほぼ全てが想定通りだ。

 押し殺しても尚、醜く足掻く私の本心以外は。


 潤んだ笑みを浮かべ、リュカくんを見つめる。

 ずっと見てきた栗色の髪の毛。気持ちの整理がついたのか、彼も再び顔を上げた。


 静かに揺れるろうそくの灯り。心細い光に照らされた彼の方が開いた。


 音が死んだ世界で言葉を待つ。今ならどんな罵声も受け止められる気がする。


 一方的に巻き込んでしまった。犯罪者にしてしまった。

 そんな彼はどんな罵声を紡ぐのだろう。





 「……ごめん。やっぱり約束は守れない」



 優しい声が償う機会を奪った。

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