幸せな時間



 太陽が山の向こうに姿を隠す。掃除は昼過ぎに始めたはず。それなのに気付けば夜になりかかっていた。

 夜に染まるまいと赤く燃える空。しかし、部屋の明かりとしては少し心細い。仕方なく鍋を熱する火を頼りに料理を進めていく。


 片付けつつも、器具や材料の位置はほどんど変わっていない。リュカくんの心遣いのおかげだ。

 いつもより、料理が楽しく感じるのは気のせいではないはず。



 「お待たせしました」

 


 物置台と化してしたテーブルに皿を置く。正しい使い方をするのはいつぶりだろうか。

 

 パンとチーズ、使える野菜を煮込んだスープ。それらを2皿ずつテーブルの上に置いた。


 ギィと椅子を引き、腰を下ろす。ろうそくのせいもあるんだろう。向かいに座るリュカくんの雰囲気が昼間と違って見える。


 

 「……美味しそう。シスター、ありがとう。明日からは俺も料理するから」



 「大丈夫ですよ。これも部屋を掃除してくれたお礼ですし。それに――」



 突如ろうそくの火が大きく揺れる。息が強すぎたのだろうか。

 動きを止め、火が落ち着くのを待つ。忙しなく動く灯火をが私の心を表しているみたいだった。



 「細かいことは後にしましょう。スープが冷めてしまいます」



 お祈りをして食事を始める。

 久しぶりのしっかりした食事だ。普段はここまで丁寧に料理しない。


 食事は気が向いた時にする。

 調理方法も簡単で生で食べられない物は火を通し、その間に生で食べれる物を食べていく。私にとって食事とはただの栄養補給だった。


 それも関係あるんだろう。

 この空間に誰かいる。それだけのことに少し浮ついた気持ちになる。



 「これ美味しい」



 スープを口にしたリュカくんが呟く。お世辞と分かっていながらも、頬が緩んだ。



 「ありがとうございます。おかわりもあるので遠慮なく言ってください」



 「ありがと」



 彼の言葉に軽く会釈をして、食事を続ける。

 食器の音と微かな咀嚼音。定期的に訪れる静寂が何か話さなければと私を急かす。


 リュカくんとの食事はこれが初めてじゃない。


 教会で何度も一緒にクッキーを食べた。あの時は彼の顔を見ながら談笑していたはず。


 それなのに、今は目の前の食事から視線を外せない。


 沈黙を誤魔化すために食事に手をつけていく。空腹ではないのに、気付けばいつもより早いペースで食べていた。


 

 食べるペースを落とさないと。はしたない女性だと思われてしまう。でも、何もせず固まっていたら変だ。何か話さないと。今更だけど、食べ方汚くないかな。咀嚼音とかも大丈夫かな。



 積み重なった不安が雪崩を起こす。周囲を一気に埋め尽くした不安は体の自由を奪った。


 何も出来ず、動けないまま皿の一点を見つめる。掃除の時とは違う種類の汗が背中に滲んだ。



 「……しりとりしますか?」



 意味不明な発言に顔を上げる。しかし私以上に困惑する彼を見て、それが自分の発言であったことに気づいた。



 「いやっ……その、これは違うくて!」



 「ふっ、あはははっ!」



 否定しようにももう遅い。

 リュカくんの遠慮のない笑い声は私の耳まで赤く染めた。


 何も言えず下を向く私。恥ずかしいのは消えない。それでも、柔らかくなった空気に安心する私がいた。



 「あはは……ふぅ。ごめん。脈略なさすぎて、つい」



 「いえ、戸惑うのも無理ないです」



 「実は何話していいか分からなくてさ。ちょっと緊張してた」



 「私も同じですよ」



 「ふーん。同じなんだ」



 そう言ってニヤニヤする。頬杖をつき、こちらを見つめるリュカくんはどこか満足気だった。

 揶揄われているのは分かっている。腹が立っていないと言えば嘘だ。しかし、それを含めて心のどこかで楽しんでいる自分がいる。


 誰かにドキドキさせられたり、怒られたり、揶揄われたり。



 このまま時間が止まればいいのに。



 何度も考えたことはあった。誰かと結婚し、子供を産み、共に老いていく。

 喧嘩することもあるかも知れない。互いに飽きて鬱陶しく思う時が来るかもしれない。



 それでも、大好きな人と同じ時間を過ごしたい。



 リュカくんに結婚を迫られた時、子供だからと思いつつ、少しだけ期待した。

 もし、この子が大きくなって私を迎えに来てくれたら。10年越しに思いを伝えてくれたなら。


 空想は無限に膨らむ。

 淡い期待。叶わぬ願い。甘い思い。


 幸せという風船に満ちた空間を、世間という鋭い針が降り注ぐ。


 周囲の目がある。年齢差がある。全てを無視して貫く愛。それを貫けるほどの強い意志はない。当時はそう思っていた。


 でも今なら――



 顔を上げる。揺れる炎の向こうに彼が見えた。

 私より一回り大きい体。それは座っていても変わらない。ろうそくのせいで陰影が鮮明な手は、昼間より男らしさを感じる。それでいてライトブラウンの瞳は、あの頃のままだ。

 

 彼の美しさに感動したのだろうか。

 言葉を紡ぐ口が言葉を発せない。

 


 「あのさ」



 そう言ったのは真面目な顔になった後だった。

 ニヤけながらしていた頬杖をやめて、姿勢を正す。軽く座り直しただけで軋む音が今は大きい。


 思わず息を呑んだ。


 彼の顔を見つめ言葉を待つ。だが続く言葉はない。お互い見つめ合ったまま時間だけが過ぎていく。心臓の音がうるさかった。



 「……次のパフォーマンスは何する予定?」



 しばらくの沈黙の後、言葉を吐き出すリュカくん。少し悔しそうに見えるのは気のせいではない。

 期待は外れた。しかし誤魔化しようのないその表情に少しだけ複雑な気分になる。



 「次ですか?」



 「うん。糸出せるなら、派手なこと出来そうだなって思って。でも打ち合わせはしておいた方がいいから」



 「そうですね……」



 彼の言う通りだ。力を合わせれば前みたいなパフォーマンスが出来る。歓声を浴び、皆を笑顔にする。そんなパフォーマンスを。


 前にリュカくんが言っていたみたいに、2人で旅をするのも良いかもしれない。役職を気にせず世界を周り、そこに住む人を笑顔にする。

 そのうち有名になって、仲良し夫婦みたいな噂も流れて。そこに広がる未来は幸せそのものだろう。


 手を取り合えば、どんな未来も変えられる。

 だから、だからこそ――



 「ごめんなさい。パフォーマンスはもうしません」



 だからこそ、私は彼の手を取れない。


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