決断




 時の流れが止まった。誰も何も言わないまま時間だけが静かに過ぎる。これは緊張とかそういうものじゃない。



 ……ん? 生活? リュカくんが? 私と? あの家で?



 思考回路に詰まった何かがじわじわと押し進められる。何度も思考を繰り返し引っ掛かりが消えた瞬間、脳は目まぐるしく動き始めた。



 「ちょ、ちょ、リュカくん⁈ 何を言ってるんですか?」



 「そ、そうだ! ミモザと一緒に生活なんて俺は――」



 「だってシスターが近くにいたほうがいいでしょ? 何かあったらある程度は治療魔法で対応する。それでも無理ならガボンさんの力を借りる。依頼も司令塔のガボンさんとよりヒーラーのシスターと組んだ方が効率がいい。俺、変なこと言ってますか?」



 「……」



 無言という答え。肯定でも否定でもない。だが、視線を下げたガボンの返答は言わなくても分かる。




 「……それで、いいのか?」



 「僕はいいですよ」



 絞り出した言葉に得意げな声が答える。

 前を向くリュカくんの顔は見えない。しかしガボンの苦い顔が、リュカくんの勝ち誇った顔を連想させた。



 「シスター? もう一度言いますね。いいですよ」



 「あ……はい」



 曖昧な返事にリュカくんが振り返る。その表情は意外にも怒っていた。


 眉をひそめ、口をへの字にする。ムスッとした表情はどこか子供っぽい。単純に怒っているというより不機嫌と言った方が近いのだろう。

 

 絶妙に可愛い表情をするリュカくん。呆然と見惚れる私に限界が来たのか、ズカズカとこっちに向かって歩き出す。

 彼の足音からは苛立ちと少しの照れ隠しを感じた。


 私の正面で立ち止まる。そして力強い、しかし痛くはない力加減で両肩を掴まれた。



 「『あ……はい』、じゃなくて! シスターはダメなの⁈」



 すっかり好青年に成長したリュカくんの顔。顔が近いというだけでも恥ずかしいのに、ライトブラウンの瞳が子供時代のリュカくんを思い出させる。

 昨日までは子供だったから恋愛対象として見れなかった。でも、この姿なら。


 これまでは年齢を盾に言い訳してきた。しかし、成長したリュカくん相手にはその言い訳も使えない。


 きっとさっきリュカくんの胸に突っ込んだせいだ。告白されてもいないのに、頭の中が恋愛一色に染まっていく。

 とりあえず、何でもいいから答えないと。そして早く解放してもらわないと。



 「ダメじゃない……です」



 蚊の鳴くような声で答える。リュカくん的にはこれでOKみたいだった。

 肩から手を離し、再度ガボンの正面に立つ。



 「ガボンさん、何か異変があれば僕から伝えます。それで今シスターに依頼していることってありますか?」



 「えっと……シスターには違法アイテムの一覧を渡してある。それの情報収集とアイテムの回収が依頼内容だ」



 「分かりました。それは2人で行います。他に何かありますか?」



 「い、いや。もうない。……じゃあ後は頼んだぞ」



 そう言ってガボンは振り返る。


 正面から詰め寄られたのが怖かったのだろうか。少し猫背になり早足で扉に向かう後ろ姿は、出会った頃のイメージを覆すほど情けない。


 扉を開けガボンが出ていく。閉まる扉の音がやけに大きく感じた。



 「……」



 「……」


 

 不意に沈黙が訪れる。祈りを捧げる場所としては静かな方が合っているはずだ。

 差し込む温かい光と微かに聞こえる鳥の囀り。普段なら楽しめる刺激が、今は楽しむ余裕すらない。

 ガボンが出て行った扉を見つめる。そんなリュカくんを後ろから眺める。お互い話題に困っているのは明白だった。


 

 何か話さないと。でも面倒ごとに巻き込んだ私が気安く離していいのかな。まずは謝罪から? いや、そもそも謝って済む問題でもないし。謝って私だけスッキリするのも嫌だ。一体どうすれば。



 こっちに向かって歩き出す。静かな教会に彼の足音が大きく感じた。

 無意識に胸の前で手を握る。そんな私の前で立ち止まったリュカくんはおもむろに手を差し出した。



 「その……改めてよろしく。シスター」



 突然のことに頭が追いつかない。差し出された手と、目を逸らしたリュカの顔を交互に見る。



 「えっと……」



 「ほら、一緒に生活するでしょ? ちゃんと挨拶はしておかないと。だから握手」


 

 「あ、そうですね。こちらこそ、よろしくお願いします」



 ようやく意図を理解した私は握手を交わす。分かっていたが、そこに柔らかな子供の手の感触はなかった。



 「……それでどうしましょう? リュカくんは教会で寝泊まりした方がいいですよね?」



 「どうして? シスターの家に泊まればいいじゃん」



 一つ屋根の下で年頃の男性と泊まる。それだけでも抵抗はある。しかし、それ以上にあの汚部屋を見られることに抵抗があった。



 「あ、いや……でも、私の家狭いですし」



 「気にしないよ。廊下とかで寝ればいいだけだし」

 


 「廊下……は不可能かも知れないですね」



 「え? シスターの家、廊下ないの?」



 「いや、設計図上はあるのですが、時間と共に消滅したと言いますか……埋め尽くされたと言いますか……」



 「あははっ、何それ。もしかしてゴミ屋敷とか?」

 


 笑いながら、そう言い放ったリュカくん。本人にとっては冗談のつもりだったのだろう。


 しかし、顔をそむけ黙る私を見て、次第に笑顔が消えていく。



 「えっと……マジ?」



 その言葉に小さく頷くことしか出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る