彼の選択
日の光に温められた教会。それよりも彼の腕の中は遥かに暖かい。
指先まで伝わる自分の鼓動。呼吸するたび感じる彼の匂い。半強制的に押し付けた額からは彼の心音が聞こえる。
もう動く気になれない。全てを受け入れ私は静かに目を閉じた。
「ゴホンッ!」
乾いた咳が後ろから聞こえた。慌てて彼を突き飛ばし、せかせかと10歩ほど下がる。
ここまで離れたら大丈夫。
安全圏まで離れた私は静かに息を吐いた。背筋を伸ばし前を見据える。そして何事もなかったかのように、2人を交互に見つめた。
「ミモザ、口笑ってるぞ」
「え? あ、はい!」
パンッと頬を両手で叩く。一瞬の衝撃の後にじわじわ感じる痛み。それを強く押し付け、円を描くように頬をマッサージする。
出来るだけ口角を下げるイメージで。
数回円を描いてから、最後に力強く押さえ込む。寄せられた頬に突き出した唇。
こんな顔、赤ちゃんの前でしかしたことがない。
にも関わらず成人しかいない空間で唐突に始める。ついさっきまで溶けていた脳には、状況判断なんて高度なことは出来ないみたいだ。
奇行と変顔の両方を披露し終えた私は、そっと両手を下ろす。そして再び何もなかったように2人を交互に見つめた。
「あー……で、これからの話なんだが」
長髪を掻きながら口を開くガボン。その様はどこか決まりが悪そうだった。
「コイツにも違法アイテム集めを手伝ってもらう」
「リュカくんもですか?」
「ああ。1日足らずで糸の制御を完璧にする才能。コイツの力を利用すれば、戦闘、防衛、離脱、調査。どれをやらせても結果が出せる」
「無謀です!」
声を荒げてガボンに詰め寄る。
私より一回り大きい筋肉質な体と見下ろす猛禽類のような目。何度会っても、この威圧感は慣れない。胸の前で握った拳が震える。
一方的に頼まれる関係。今まで従ってきた相手に歯向かうのはこれほどに怖いんだ。
だとしても、ここで立ち向かわずにはいられなかった。
「……力が目覚めたのは昨日今日の話ですよ! この子をそっち側の世界に行かせるのは早すぎます!」
「昨日今日でコイツは力をものにした。才能を持つ者が力を行使しなければならない。シスターのお前も分かるだろ?」
「でも唐突すぎます! リュカくんには両親のもとで暮らす時間も必要です!」
「あのポーションを飲んだ時点でコイツは犯罪者だ。それに新たな効果、新たな副作用が発症することもあり得る。そんな危険人物を放置しておくわけにはいかない」
「だからって……リュカくんは子供なんですよ!」
「見た目は大人だ。もう守られる人間じゃない」
ガボンの言うことは正しい。徐々に下がっていく私の目線が覆せない事実を肯定する。
体から糸を出せる体質。それはもう普通の人間ではない。
あのポーションについても未知の部分が多すぎる。下手に普通の生活に戻すよりも、ガボンの監視下にあった方が安全だ。
それでも私は賛成できない。
つい昨日まで普通の子供だった。見た目は成人でも心が追いついていないなら、どこかで不具合が起こる。
「それでも――」
「僕はいいですよ」
これ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。
そう思い、必死に唱えようとした異議がリュカくんの言葉によって遮られる。
振り返ると片手を腰に当てて斜め立ちをする。眉間にシワを寄せた表情。急に使い始めた敬語が逆に怒りを表していた。
巻き込まれた挙句、本人の意思とは関係なく話が進む。これで怒らない方がおかしい。
「僕はいい」というのも半ば躍起になっているだけに違いない。
「リュカくん! ガボンさんの手伝いをするとは、どういう意味か分かっていますか⁈」
ガボンから離れ今度はリュカくんに詰め寄る。
何度も見てきたライトブラウン。彼の美しく、少し儚い瞳を見上げた。
握りしめた拳が震える。決して彼に怯えているわけじゃない。
どうか納得してほしい。
そんな切実な願いを優しい言葉が否定する。
「分かっているよ。それ相応の危険と隣り合わせで生きないといけない。けど、この体じゃどこにいても危険は同じだ」
「でも……」
「心配してくれてありがと。けど俺は大丈夫だから」
両の肩に手が添えられる。
大きくて温かい。そんな彼の手が優しく私を傍へ移動させる。
こんな優しい力にすら対抗できない不甲斐なさに腹がたった。
私を退けたリュカくんは一歩前に踏み出す。
「ガボンさんの仕事を手伝います。ただ1つだけお願いがあります」
「何だ? 言ってみろ」
「シスターの家で生活させてください」
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