再会、そして



 「やっと気付いた」



 深く被ったフードを両手で取る。現れたのは栗色の髪だった。

 年齢は17、8歳くらいだろう。身長も、骨格も、声も、ほぼ成人男性のもの。不敵な笑みを浮かべる彼は、かつての姿と大きくかけ離れている。


 それでも温かみを感じるライトブラウンの瞳が青年の名前を導く。


 

 「リュカ……くん?」



 「正解」



 静かで甘い、落ち着く声だった。

 驚きと困惑で固まる。そんな私にゆっくりと近づき、仮面に触れた。


 顔を隠すための道具。シスターである私は正体を明かすわけにはいかない。相手がリュカくんなら尚更だ。


 しかし彼を見上げる体はまだ動かない。出来るのは瞬きだけ。

 眼前を何かがよぎり、反射的に目を閉じる。クリアになる視界と額を押し付ける感触。そこまでされてやっと仮面をずらされたことに気付いた。


 

 「うん。やっぱりシスターだ」



 優しい笑顔が頭を撫でる。ウィッグ越しでも手の大きさは充分感じた。


 

 「……っ!」



 ようやく動いた体が手を振り払いのけ、勢いよく後退あとずさりする。


 もう隠しても意味はない。分かっていても額の仮面を定位置に戻さずにはいられなかった。

 右手で仮面の縁を押さえ、もう一方の手で撫でられた場所を押さえる。


 徐々に短くなっていく首。戸惑う目は、上目遣いで見つめては逸らす。それを繰り返すだけ。

 口をわなわなと震わせ、耳は真っ赤に染める。力強く脈を打つ心臓は誤魔化しようがなかった。



 「ひどいな。そんなに拒絶するなんて。さすがに傷つく」



 「ご、ごめんなさい」



 わざとらしく目を伏せる彼に、つい謝ってしまう。


 でも、実際悪いのは私だ。

 

 昨日は子供だったリュカくんが大人へと成長する。そんな非現実を現実にできる方法を、私は文字通り持っていた。


 キッチンに置いてあった違法アイテム。

 彼が口にしたかも知れないのは、願いを叶えるポーションだ。彼が「大人になりたい」と願ったのなら、この姿に変貌を遂げることもあり得る。


 なかば守るように触れていた手を下ろし、ゆっくりと顔を上げる。目の前の光景は変わらない。つま先から頭まで。どこをどう見ても成人男性だ。とても8歳の少年には見えない。


 生唾を飲み込み、再度尋ねる。顔の火照りは少しマシになっていた。



 「……本当にリュカくん、なのですか?」



 どうか違っていて欲しい。そんな願いを込めて。

 ここで違うと言ってくれれば、どれほどよかっただろう。



 「そうだよ」



 短い肯定が淡い期待を打ち砕く。

 私に逃げ場は残されていない。



 「でも、どうして急に成長したか俺も分からない。気付いたらこうなってたから」



 「気付いたら、ですか」



 「そう。だから僕がリュカであることを証明する方法がないんだよね。どうする? もう1回告白しようか?」



 「なっ!」



 「なんてね。冗談だよ」


 

 熱が引いてきた顔が再び赤くなる。

 揶揄からかわれているのは分かっている。喜んでいる暇はないのも分かってる。にも関わらず彼の言葉に素直に反応してしまう。


 心と体がチグハグな私。そんな私を見てにんまりとした笑みを浮かべるリュカくん。


 腹立たしい。でも、少し嬉しい。

 この状況を楽しんでいる気持ちは、もう言い逃れできない。



 私を癒してくれた。クッキーを美味しいと言ってくれた。私にプロポーズしてくれた。

 『8歳』という男性として意識するには難しい年齢。その彼が成長して現れる。

 あの姿じゃダメだった。受け入れることも断ることも出来ず、曖昧に誤魔化すだけ。彼のまっすぐな気持ちに、やっと真摯しんしに向き合える。



 しかし、それは喜ばしいことではない。



 仮面とウィッグをはぎ取り、ポケットにねじ込む。定期的に手入れしている変装道具。でも、今は気にしている余裕はなかった。


 手櫛で蒸れた髪を整え、彼の顔を見る。

 本当はしっかりとした服装で向き合いたかった。こんなふざけた姿ではなく、修道服の姿で。

 今更もしもの話をしても意味はない。起こりうる未来を無視していた。それを受け入れるのが私の役目だ。


 一呼吸置いてから彼を見つめた。



 「取り乱してすみません」



 声色は柔らかく。でも感情は殺して。培った技術は仕事のだけにしか使いたくなかった。



 「実はリュカくんがそうなった原因に心当たりがあります。違法アイテムの専門家の方がおりますので、教会内でお待ちいただけますか?」



 「あ、うん。いいけど……」



 「ありがとうございます。今鍵を開けますので、少々お待ちください」



 シスターの時の笑みを浮かべ、シスターの時の口調で話す。このモードになれば多少のことでは揺るがない。揺らぐわけにはいかないのだ。


 

 鍵を開け、教会の中へとリュカくんを招き入れる。そして、私は修道服に着替えるため家の方へと回った。









 「へー、これが例の少年ね」



 チャーチベンチに座るリュカくんを立ったまま見下ろすガボン。ガボンが座らないのは、この状況でないと見下ろせないからだろう。


 ガボンを迎えに行った時に思った。この人はリュカくんより低い。この人もリュカくんと会った時にそれを悟ったから、開口一番に「座ったままでいい」と言い出したんだ。



 「えっと……この人は?」



 怪訝な目で私を見つめる。確かに警戒するのも無理はない。


 長髪の色黒マッチョの男性。彫りが深くギョロッとした目のせいか、つい目を逸らしたくなる。

 たとえ私が連れてきた人物だとしても不安になるのは避けられない事実だ。


 

 「紹介が遅れてすみません。この人はガボンさんで違法アイテムを取り締まっている方です」



 「そう……ガボンさんとは結構親しい感じ?」



 「どうでしょう? この関係も成り行きで始まったものですし」



 「そうそう。ミモザが冒険者に絡まれているのを俺が助けたのが始まり」



 親指で斜め後ろに立つ私を指差すガボン。若干偉そうに話す彼に少しだけ怒りが湧いた。



 私は覚えている。取り巻く冒険者が逃げ出した後私に対して「アンタでいいや」と言ったこと。

 私はただのおまけだったのに。「俺が助けたのが始まり」なんてよく言えるな。



 つい溢れてしまいそうな愚痴を慌てて飲み込み、心の中で発散する。

 この気持ちを吐き出せたら楽なんだろう。


 でも一瞬の快楽の先に待ち受けた厄介な現実を考えると、迂闊な言動は出来ない。


 苛立ちをお決まりの笑顔で上塗りし、いつも通りを演じる。これがこの場の最善だ。



 「それで君の体の異変は、とある違法アイテムが原因と考えている。昨日クッキーを食べただろ? ミモザの証言によると俺に渡すはずだったポーションを誤って生地に入れてしまったらしい。今のところ目立った異変は外見くらいだが、他に何かあるか?」



 「あー……異変というか。ちょっと見て欲しいんですけど」



 そう言って立ち上がる。少し不機嫌に見えるのは、よく分からない出来事に巻き込まれたせいなのか。

 巻き込んだにも関わらず、何もできない現実がただただ申し訳なかった。


 静かに反省する私をよそに、立ち上がったリュカくんは手を前に差し出す。

 長く綺麗な指と大きな手のひら。子供の時の柔らかなおもかげはほとんどない。



 そんな変わり果てた手のひらから、糸のようなの物が伸び始めた。



 見失ってしまいそうなくらい細い糸。

 教会内の微細な空気の流れに反応しゆらゆら揺れる。時々光を反射し、虹色に輝くその光景は呼吸を忘れさせるほど美しかった。


 右に左に、上に下に。気まぐれに教会内を進みながら、最終的に私の肩へといざなわれる。



 綺麗ですね。



 そう言おうとした瞬間、糸のたわみが消えた。

 油断していたのはあったのだろう。細い糸からは想像もできない張力にバランスを崩す。


 一度ふらついた体はそう簡単には立て直せない。なす術もないまま糸に引っ張られ、結果抱きつくような形でリュカくんの胸に突っ込んだ。

 

 離れようとはした。しかし、頭の後ろに添えられた手がそれを妨げる。



 「一応、こういうことも出来ます。ごめんなさい、ミモザ。まだ操作に慣れていなくて」



 上から申し訳なさそうな声で囁く。頭を押さえられた私に上を向くことは出来ない。それでも、彼の発言に嘘が混じっているのは分かった。

 外見では分からない筋肉質な体と心臓の鼓動。どこか懐かしい匂いが、抵抗する脳をとろけさせていく。


 体が熱い。どっちの鼓動か判断出来ないくらい心臓が激しく動く。

 顔を見られなくて良かった。今の私の表情はきっと酷いものだから。



 何もせず、心地よい温もりに身を委ねる。ただ、それだけで良かった。

 







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